2010/11/27-28
烏尾山から行者ヶ岳へ向かう
職場の仲間とは一緒に昼食をとりながら、色々な話をする。
ジョン・クラカワーの「Into the Wild」の話題を持ちかけ、野武さんがアラスカ大好き人間だと知った。話は大いに盛り上がり、二人の間では「Magic
Bus」で話が通じるようになった。いわく「Magic Busみたいなところに行ってみたいな、泊まってみたいな」などと・・・。
そして10月のある日、野武さんは山歩きを始めた。横浜に住んでいる彼の家からは丹沢大山が見えるそうで、休日の朝、大山がきれいに見えると登りに出かけるという。それはほぼ毎週のことらしい。
そんな事情だから「田部井君と三人で山へ行こう!」となるのはごく自然な成り行きだった。
腕によりをかけてMagic Busのような一泊トリップも計画したが、いきなりワイルドなMagic
Busでは刺激が強すぎる恐れもあるので、無難な計画に落ち着いた。
すなわち塔ノ岳の尊仏山荘に一泊して湘南の夜景を眺めようというもの。アプローチを表尾根とし、下山を鍋割山稜とすることで、変化に富んだ週末を過ごすことができるだろうと考えた。
田部井君によると狩野、鎌田両君もひそかに山歩きをしているということで、じゃあ一緒に行こうということになり、妻も加わって総勢6人で11月の最終週を待った。
前日は、年甲斐もなくワクワクして眠れなかった。まるで小学校の遠足のよう。
朝4時半に家を出て歩いて四街道駅へ向かった。秦野駅には8時02分に到着した。
まもなく全員がそろった。狩野君と鎌田君が山登りにはまっている様子が窺えるような本格的な装備をしていたのには驚かされた。
天気予報では晴れるという話だった。確かに秦野は晴れていたが、丹沢の山々は灰色の雲に覆われている。
ヤビツ峠へと向かう登山客の数はものすごいもので、秦野駅のバス停は長蛇の列。立て続けに臨時便が出ているけれどさばききれない。臨時便どうしが狭い林道で離合できずに立ち往生する。鮨詰めのバスの中で立ちっぱなしだったので、ヤビツ峠に降り立った時には、寒空だったけれど、ひんやりとした冷気が心地よかった。
さっそく歩きはじめる。妻の歩行速度が一番遅いのは明らかなので、彼女をペースメーカーにすべく先頭を歩いてもらう。
紅葉はあらかた終わって、まわりは冬木立だ。吐く息も白く、指が凍えそうな寒さだ。それでも山道へ入って急登に喘ぐようになると汗がにじんでくる。冬の山で大切なのは汗をかかないように衣服のコントロールをすることだ。汗でぬれてしまった衣類は体温を奪うだけだし、干しても凍ってしまう。
歩き始めて15分で衣服の調整を目的に休憩。
表尾根ではニノ塔までの登りが一番きつい。展望のきかない植林地帯の標高差500mを一気に登っていく。シャツ一枚になっているにもかかわらず、汗が滴り落ちる。
ニノ塔にたどり着くとがぜん展望が開ける。がしかし、今日はあいにくの曇天。前方の山々も暗い雲に覆われて展望はきかない。
三ノ塔で昼食。
凍えるような寒さの中で、暖かい食事はありがたい。ガスストーブで湯をたっぷり沸かす。熱々のカップ麺におにぎり。心も体も温まるようだ。
三ノ塔からは気持ちの良い稜線が続く。カヤトの道が心地よい。これで晴れていたらどんなに素敵なことだったろうか。行者ヶ岳の前後に鎖場がある。ガスに覆われていた岩場は湿っていて滑りやすい。鎖を握る手にも力が入る。
小さな上下を繰り返していた稜線は、やがて新大日へ向かって登っていく。書策小屋は取り壊されて更地になっていた。
新大日の大日茶屋は相変わらず固く戸を閉ざしていた。営業再開されることなく書策小屋のように取り壊される運命なのかもしれない。
やがて木ノ又小屋。この小屋は感じのよい小屋だ。土日限定の営業のようだが温かみを感じる雰囲気をもっている。このような寒い日にはことさらそのように感じる。
先ほどまで濃密なガスに覆われていたのであろう、稜線の灌木には水滴が付いている。吐く息はますます白く、手はかじかむように冷たい。暖かいストーブが恋しい。
ガスが流れ、視界がときおり悪くなる。
前方に尊仏山荘が見え始めた。すぐそこに見えるけれど、ここからが結構長い。
息を弾ませながら登っていくとようやく頂上の台地に登り着いた。
寒い。
はやく山小屋の中に入りたい。戸をあけて中に入る。
石油ストーブのついた小屋の中はやはり暖かかった。尊仏山荘は窓を大きくとっているので室内は予想よりも明るい。今日は泊まり客が少ないということで、山荘で一番良い部屋である2号室を6人で使っても良いと案内される。好運である。
2号室は二面が大きな窓となった畳の8人部屋。こんな薄暗い曇天の日でも室内はとても明るい。
さっそくザックの荷を解く。まだ15時を少し過ぎた時間帯なので夕食には時間がある。ちょっぴりお酒を飲むことにして肴をもって一階のロビーへ下りる。
各人が持ち寄った酒の肴。私が持ってきたのは豪勢だ。レトルトのモツ煮込み7人分、オイルサーディン3缶、赤貝1缶、烏賊1缶。
どれも美味しかった。お酒もたくさん呑んだ。18時半頃になって夕食。カレーだった。ご飯が美味しいので、カレーも食が進む。
夕食が済むとアルコールもまわってとたんに眠くなってくる。二階の部屋へ戻りすぐに就寝。19時には床についた。
そして23時頃に目が覚めた。曇った窓ガラスを指で拭い外を見ると素晴らしい夜景が広がっているではないか。いつの間にか快晴となっている。野武さんも鎌田君も妻も起きてきて夜景を楽しむ。妻を残し、三人で外へでる。北風が吹き凍えるような寒さ。
東京から横浜、湘南、そして小田原方面と広範囲に夜景が広がっている。月明かりに真っ白な富士山すら見ることができた。
田部井君と狩野君はぐっすり眠ったまま。夜景を撮影したいとの意向を持っているはずの田部井君に声をかけてみたけれど・・・。
夜半から北風がゴーゴーと鳴る。食事前に田部井君と水汲みへ行く。ユーシン方面へ相当下ったところに水場はあった。尊仏山荘から標高差にしておよそ120m下。気温が低いせいか水量は少ない。時間をかけて10リットルの水を汲む。7時から朝食。おかずはおでんだ。漬物も美味しい。おかわりをして食べた。
ゴミを田部井君と私で背負い、尊仏山荘を出発したのは7時半過ぎ。計画よりもだいぶ早い時間である。
冷たい北風が強く吹いている。真っ白な富士山が全てを見せている。木の階段は霜で真っ白。霜柱を踏み砕きながら「金冷やし」へと一気に下っていく。冬木立の雑木林の道は落ち葉を踏む道でもある。小さく上下を繰り返しながら明るい小道が稜線に続く。
鍋割山まであと少しというところで4人の登山者とすれ違った。その四人目の人がすれ違いざまに「賀来さん!」と大声をあげた。
見てびっくり!勤務先の村尾さんだった。村尾さんは50代半ばで山登りを始めた。山登りを始めるにあたって、安全の為にはきちんとした山登りを習得する必要があると「千葉山の会」へ入会したのである。その千葉山の会の仲間との昨晩は鍋割山荘で忘年会をしたらしい。
鍋割山荘から稜線は後沢乗越へと一気に下っていく。しばらく下っていくと朝方、二俣を出発したのであろう登山客が次から次へと登ってくる。
標高が下がるにつれて、刺すような冷い北風はおさまり、ここちよい春風のような風に代わった。日だまりで腰をおろして湯を沸かしお茶などを飲む。幸せなひと時だ。
後ろ沢乗越からは杉の植林地帯を下りきって二俣へと続く林道へ出た。最後まで残った紅葉が鮮やか。
こんなに気分よく下山できることはめったにあることではない。
みんな満ち足りた気持ちで歩いていることが、見ていてもわかる。大倉の少し手前の草地で最後の大休憩をとって12時40分発のバスで家路についた。
四街道には明るいうちに帰り着くことができた。
27日 | 28日 | |||||
四街道駅 | 05:20 | 塔ノ岳 | 07:40 | |||
新宿 | 06:39-51 | 金冷やし | 07:52 | |||
秦野 | 08:02-43 | 鍋割山 | 08:49-53 | |||
ヤビツ峠 | 09:35-44 | 950m地点 | 09:17-49 | |||
ニノ塔 | 11:17-26 | 後ろ沢乗越 | 09:59 | |||
三ノ塔 | 11:40-12:23 | 林道 | 10:16 | |||
烏尾山 | 12:48-58 | 二俣 | 10:41 | |||
行者ヶ岳 | 13:20 | 大倉 | 11:42-12:22 | |||
書策小屋跡 | 13:57-14:08 | 大倉バス停 | 12:34-40 | |||
大日茶屋 | 14:21 | 渋沢 | 12:55-13:04 | |||
木ノ又小屋 | 14:34-42 | 新宿 | 14:17-25 | |||
塔ノ岳 | 15:06 | 東京 | 14:39-52 | |||
千葉 | 15:37-47 | |||||
四街道 | 15:57 |
周辺の記録 | ||||
2010 | 秋 | 西丹沢 | 世附川 沖ビリ沢 11/03 | 家族と |
2010 | 夏 | 西丹沢 | 中川川 大滝沢(鬼石沢) 7/04 | 一人 |
2010 | 初夏 | 西丹沢 | 中川川 マスキ嵐沢(箒沢権現山南尾根下降) 6/12 | 家族と |
2010 | 初夏 | 丹沢 | 早戸大滝 5/29 | 家族と |
2010 | 初夏 | 丹沢 | 蛭ケ岳(蛭ケ尾根--鬼が岩北東尾根) 5/22 | 家族と |
2010 | 春 | 西丹沢 | 檜洞丸-犬越路 5/8 | 家族と |
2010 | 冬 | 丹沢 | 西丹沢キャンプ 1/16-17 | 友人と |
2009 | 初秋 | 西丹沢 | 中川川 水晶沢 9/12 | 家族と |
2009 | 夏 | 西丹沢 | 中川川 地獄棚沢 9/6 | 家族と |
2009 | 夏 | 西丹沢 | 中川川 モロクボ沢 8/22 | 家族と |
2009 | 夏 | 西丹沢 | 中川川 大滝沢(鬼石沢) 8/1 | 家族と |
2009 | 夏 | 西丹沢 | 玄倉川 小川谷廊下 7/26 | 家族と |
2009 | 夏 | 西丹沢 | 玄倉川本流からユーシン往復 7/11 | 家族と |
2009 | 夏 | 西丹沢 | 玄倉川本流から玄倉ダム往復 6/27 | 家族と |
2009 | 夏 | 西丹沢 | 中川川 マスキ嵐沢(箒沢権現山南尾根下降) 6/7 | 家族と |
2009 | 春 | 西丹沢 | 檜洞丸-加入道山-畦ケ丸 3/25-27 | 素直 |
2008 | 秋 | 丹沢 | 蛭ヶ岳 白馬尾根 11/15 | 家族と |
2008 | 秋 | 丹沢 | 丹沢主稜縦走 11/1--2 | 家族と |
2008 | 秋 | 表丹沢 | 水無川本谷 10/25 | 家族と |
2008 | 秋 | 裏丹沢 | 神ノ川 矢駄沢 10/11 | 家族と |
2008 | 秋 | 表丹沢 | 寄沢 滝郷沢左俣 9/27 | 家族と |
2008 | 夏 | 表丹沢 | 四十八瀬川 小草平沢8/27--29 | 素直 |
2008 | 夏 | 西丹沢 | 玄倉川 小川谷廊下 7/21 | 家族と |
2008 | 夏 | 表丹沢 | 四十八瀬川 ミズヒ沢6/28 | 家族と |
2008 | 夏 | 西丹沢 | 中川川 マスキ嵐沢6/15 | 家族と |
2008 | 夏 | 西丹沢 | 中川川 西沢 本棚沢6/7 | 一人 |
2008 | 夏 | 西丹沢 | 箒沢権現山南尾根&マスキ嵐沢6/1 | 家族と |
2008 | 初夏 | 東丹沢 | 本谷川 キウハ沢5/24 | 家族と |
2008 | 初夏 | 西丹沢 | 中川川 モロクボ沢5/18 | 家族と |
2007 | 初秋 | 西丹沢 | 中川川 大滝沢本流9/24 | 家族と |
2007 | 夏 | 表丹沢 | 四十八瀬川 勘七ノ沢 7/22 | 家族と |
2007 | 夏 | 西丹沢 | 中川川 マスキ嵐沢 7/14 | 家族と |
2007 | 夏 | 表丹沢 | 葛葉川本谷 6/23 | 素直 |
2007 | 夏 | 表丹沢 | 葛葉川本谷 6/16 | 家族と |
2006 | 初冬 | 西丹沢 | 檜洞丸 12/10 | 家族と |
2006 | 夏 | 西丹沢 | 玄倉川 小川谷廊下 7/15 | 家族と |
2006 | 春 | 表丹沢 | 新茅の沢 4/30 | 家族と |
2005 | 夏 | 西丹沢 | 玄倉川 小川谷廊下 8/27 | 家族と |
2005 | 夏 | 表丹沢 | 金目川 春岳沢 7/17 | 家族と |
2004 | 夏 | 表丹沢 | 水無川 本谷下降 7/10 | 一人 |
2004 | 夏 | 表丹沢 | 金目川 春岳沢 7/4 | 一人 |
2004 | 夏 | 表丹沢 | 水無川 木ノ又大日沢 6/26 | 一人 |
2004 | 夏 | 表丹沢 | 水無川 戸沢左俣 6/12 | 一人 |
2004 | 夏 | 表丹沢 | 水無川 モミソ沢 6/6 | 一人 |
2004 | 初夏 | 表丹沢 | 水無川 源次郎沢 5/29 | 一人 |
2004 | 初夏 | 表丹沢 | 水無川 セドノ沢左俣 5/22 | 一人 |
2004 | 初夏 | 表丹沢 | 葛葉川 本谷から表尾根 5/8 | 一人 |
2004 | 初夏 | 表丹沢 | 水無川 新茅ノ沢 5/3 | 家族と |
2002 | 夏 | 西丹沢 | 玄倉川 小川谷廊下 7/20 | 家族と |
2002 | 春 | 表丹沢 | 水無川 本谷 4/6 | 家族と |