2004年初夏

丹沢 水無川 戸沢左俣

2004/6/12

6月12日 曇り

田園地帯を小田急の電車が走る。
車窓から臨む丹沢山塊は6月を迎え初夏の装いに緑も濃い。
首都圏は明け方まで雨模様で山の上部は黒々と大きな厚い黒雲に覆われているが、東側の空は雲が切れており時々薄日が車内に射し込んでいる。
祖母や父がよくうたっていた「夏は来ぬ」を口ずさみたくなるようだ。

いつもの通り渋沢発8時20分のバスで大倉へ向かい、所々に水溜りの残る林道を一人戸沢出合へと歩いていく。
戸沢の入り口はちょうど秦野警察の駐在小屋のところである。道標に従って政次郎尾根の登山道に入ってすぐに沢を渡るが、これが戸沢である。
頭上に木がおおいかぶさって薄暗いが前方を見ると大きな堰堤があってシーツを垂らすように幅一杯に水が落下している。のっけからすごい堰堤だ。こんな高い 堰堤を越えるのは相当難儀なことだろうと近づいていく。とても登れないように見えるが取水用タンクの裏から左岸を巻くことができた。
堰堤の上は石がごろごろした河原がしばらく続く。ゴーロ地帯を構成する岩の表面にはふかふかの緑の苔が生しており、しっとりと落ち着いた雰囲気の渓相である。
しばらく登っていくと手持ちの遡行図には記載されていない小さな沢が右側から合流。
単調なゴーロ歩きを我慢しながらしばらく歩いていくと二股である。ガイドブックには1対2で水量の少ない左へ入ると説明されているが、目の前にある二股は 2対1で左の方が水量が多い。ひょっとすると二股ではないかもしれないなぁなどと思いながら数十メートルいくと小規模なゴルジュになり、ここから単調で あった戸沢左股は一変して息つく暇もないほどに小滝が連続しはじめる。目の前の滝を登って滝の上に立つと、もう次の滝が見えているというような状態がしば らく続くのである。
次から次へと登っていくとガイドブックに「巻いた方が無難」との記述のある二段滝に到着した。見たところ簡単そうだが忠告に従って右手の笹薮を利用して巻く。
巻き終わって滝の上に立つと上に大きな滝がそびえている。
落差のある多量の水が周辺の空気を巻き込んで下降気流のようになって滝壷めがけて落下していく。下降気流は水が滝壷に落ちると霧のような細かい水滴となって巻き上げられ周辺の木々を揺らし濡らす。滝壷へ近寄ると風圧を感じるほどだ。
戸沢左俣の大滝である。
瀑水の左側の草付の目立つ部分に黄色いシュリンゲが見える。右(左岸)の笹を頼りに高捲く。笹にぶら下がりながら不明瞭な踏み跡を慎重にたどっていくと踏み跡ははっきりし始め落口へトラバースしていく。
大滝の上に立つとまた上に滝が見える。まったく素晴らしい沢である。
どんどん登っていくと沢は明るく開けてゴーロ地帯になり滝の連続も終わりを告げた。
ザックをおろして休憩する。見下ろすと渋沢の市街地が広がり、その先には相模湾が見える。
腰を上げて源流部を登り始める。
ボルダリングができそうな大きな岩が積み重なっておりそれを越えてギョッとした。おそらく小鹿と思われる白骨死体が横たわっていた。不憫な小鹿は飢えて倒れたのだろうか。
気を取りなおしてのんびり登っていくと沢はますます明るく開けて気持ちの良い斜面になっていく。背の低い潅木と草付の斜面の真ん中に雨上がりのためか小さな流れがある。北アルプスの槍沢の下部の明るさに似ているといったら大げさだろうか。
ガスが切れて上のほうに稜線が見え始め小さく登山者が歩いているのが確認できる。ところどころにアザミとイバラがあるのでそれに気をつけながら体を引き上 げていく。稜線直下になって多少もろい部分があるが総じて気持ちの良い源頭部といえるだろう。這い上がった稜線は行者岳の鎖場のところで、戸沢左俣を見下 ろすと斜面がすり鉢のようになって落ち込んでいる。こんな急なところを登ってきたのかとちょっぴり驚いた。
下降は政次郎尾根。途中で道がえぐれており、それを回避する為の新しい踏み跡が植林地帯で複雑に交差するので夜道だと迷うかもしれない。
小一時間ほどで戸沢の出発点となった秦野警察の駐在小屋へ戻ることができた。

四街道5:43
新宿7:01
渋沢着8:11 発8:20
大倉着8:30 発8:35
戸沢出合着9:40 発9:50
二股10:25
大滝下10:55
大滝上11:10
爆流帯終了地点着11:20 発11:40
表尾根稜線着12:30 発12:40
戸沢出合13:35
大倉着14:40 発15:10
渋沢15:31
新宿16:43
東京17:10
四街道17:59







家路の快速電車の中で
東京駅発17:10の快速成田行きが津田沼に到着したのは17時37分。津田沼から何人かの乗客が車両に乗り込んできた。その中の一人が私の座っている座席の前にやってきて、目と目があった。お互いに同時に声をあげた。
千葉岳連の理事長をしていた千葉稜渓山岳会の植草さんだった。奥様とヨシキスポーツに立ち寄った帰りだと言う。チロリアンシューズを履いてカシオのプロト レックという腕時計をしている植草さんを見て本当に嬉しくなった。あぁ今でも山を日常の一部としているのだなと嬉しくなったのだ。
これは植草さんも同じ思いだったようだ。植草さんは「賀来さんが山に登りつづけているのを見て嬉しい」という。
穏やかな物腰で常に紳士である植草さんは来年定年を迎えるという。そうしたら好きなように山にいけると嬉しそうにいう。千葉岳連の懐かしい諸先輩の皆さん はどうしていらっしゃいますかとたずねると「昔と何にも変わっていないんですよ。変わりようがないのかも知れないね。関口さんが大変で理事長と事務局長を 兼務しているんですから・・・。最近は岳連OB会を作って佐藤さん達と楽しくやっています」とのこと。
そうかぁ皆元気でいるのか。懐かしい千葉岳連の仲間に会いたいなぁ。でも突然岳連の岩登り講習会などに私が行ったら皆腰を抜かさんばかりに驚くだろうなぁなどと想像している自分自身に苦笑いしてしまった。


利用ガイドブック=白山書房2000年5月10日発行「東京周辺の沢」