2004年初夏

丹沢 水無川 源次郎沢

2004/5/29

気温はさほど高くはないが湿度の高い毎日が続く。こんな日も山々はいつものようにみずみずしい霧につつまれ佇んでいるのであろうか。
昼休みにそんなことを考えながら、高層ビルから西側の窓を見てもぼんやりと霞んだ乳白色の空が広がって山の姿はない。
水しぶきを浴びながら楽しく登る滝を想像する。苔むしたホールドに左手をおく。腕を伝わって水がわきの下へと流れ込む。冷たいけれども爽快。
想像しているだけで手のひらに感じる苔の感触が生々しく記憶によみがえる。
そうだ山へ行こう。

5月29日 晴れ

前夜の天気予報では週末の天気は芳しくないとのことだったので、雨具を着て登るつもりでいたが、朝起きてみるとほぼ快晴。先週に続き12時間以内の予報精度が低い。気象庁でも天候を読みづらい気象状態が続いているのだろう。例のごとく5時43分の快速電車で四街道を発つ。
渋沢8時20分発のバスに乗る。
大倉のバス停に降り立って滝沢園キャンプ場で水無川を渡ったが先週は水流に洗われていた岩が乾いて露出しているのを見て先週の水量の多さをあらためて思い知った。やさしい沢であればこそ心の隙間をついて事故がおこりやすいので今日も気を引き締めて林道を戸沢出合へと向かう。
書策新道の「源次郎沢入口、本谷F5近道」と大書された道標の前で腰をおろし握り飯を食らう。しばらく座り込んでいると10人近くの老若男女が私の前を通り過ぎて行ったがみんなビレイディバイスやヌンチャク、エイト環などをジャラジャラとハーネスにぶら下げ楽しそうで微笑ましくもあり何となくついて行きたくなる。
道標に従って斜面を登り始める。
まもなく私の後から一人の男性がかなり速い足取りで登ってきた。抜かれたくないので歩く速度を速める。歩幅を広く取ってグイグイ登っていく。源次郎沢入口と記された道標があったが、ガンガン登る。源次郎沢を登ろうとしているのに「源次郎沢入口」の道標を無視してしまった理由が今でもわからない。とにかく馬鹿げたような歩行速度で一気に件の男性を引き離して登りつづける。そろそろ左側の源次郎沢へ下らなければならないなぁと思いつつ更に登ってしまったが、なぜこんな馬鹿げたことをしてしてしまったのだろう。自分自身にあきれつつ尾根を乗越して源次郎沢へと下降していく。
かすかな獣道をたどって行くと小さな沢に出て、その細い流れは10m程の滝で源次郎沢に合流している。赤いヘルメットをかぶった二人が源次郎沢を遡行しているのを見下ろすことが出来た。その滝の上でフェルトソールに貼り替え靴紐をきつく締めなおす。水流の中に良いホールドがあるのだが、コレを使って下ると滝の水をまともに受けて全身ずぶ濡れになりそうだ。濡れるのがイヤでしばらく逡巡する。仕方がないのであきらめて水を浴びながら滝を下る。
袖を伝わって水がわき腹へと次々に流れ込む。くびすじからも背中や腹に容赦なく水が流れる。眉毛からも水滴を滴らせながら沢床へたどり着く。全身びしょぬれになってしまったが、なぜだか愉快でたまらない。
遡行図を見るとF1とF2の中間点に左岸(右側)から注ぎ込んでいる8m滝を下降したようだ。案の定すぐ上でF2と記された看板を見ることができた。無茶なことをしなければ安心して登ることのできる滝が何段にもなってF3まで続いて行く。F3を越えると同時に左からザレが流れ込み沢は右へ急角度で曲がってF4が見える。ガイドブックの記述では大滝となっている滝である。ガイドブックに従ってやや左よりのリッジを登る。上部のガバは少し動くので要注意。このガバがはがれたら死亡事故になるだろう。
この滝の上から二股まで沢は少しばかり冗長となり退屈な遡行が続く。我慢して登っていくと先行の赤いヘルメットの二人が休んでいた。
挨拶をして先へすすむ。
二股にたどり着いた。この二股から右へ入るのだが先には堂々とした滝が見える。大丈夫なのかな?と思いつつ真下まで登るとF5の看板がかかっている。ホールドが豊富で乾いているので直登することにして看板の右をかすめるようにして登っていく。途中で残置ハーケンに手持ちのヌンチャクを引っ掛けてA0で登ったが、もしハーケンが抜けると死亡事故になりかねない落差があるので慎重に体を引き上げる。
しばらくと登ると水流が細くなり涸れ沢になりそうだったのでザックをおろし、握り飯を食らう。タバコをやめてそろそろ一年になる。昔ならここでゆったりとタバコをくゆらす至福のひとときを過ごす所だが、今はそれもない。生い茂った初夏の青葉を見ながら岩の上に寝そべり野鳥の鳴き声にじっと耳をすませるだけである。
フェルトソールを小さくなった流れで洗いビブラムソールに貼り替えていると赤いヘルメットの二人が追いついてきて私の隣に腰をおろして休む。ボソリボソリと話をする。
このあたりから沢は傾斜を少し増してくるが滝らしい滝は見られない。F6、F7などの看板はあるがそのほとんどは土砂で埋まってしまったらしく小さな段差になっているだけである。F9と記されたプラスチックの看板のあるチムニー状になった滝を二つほど連続して登って、しばらく歩いていると黄色い声が聞こえ始めた。先行パーティーに追いついたようである。
少しばかり登って見上げると大きな涸れ滝が現れた。
規模があってかなり迫力がある。
先行者は年輩の御婦人二人と若い男性が一人の構成。御婦人の一人が登っている最中だった。急ぐ旅でもなし、どうぞゆっくり登ってくださいと告げてザックをおろして休む。見ていると二人の御婦人の装備に惹かれた。山岳雑誌などで盛んに宣伝されているサポートタイツを穿いて流行のペツルのヘルメットをかぶっている。スリングもダイニーマ製でハーネスもギア類も全て新品のピカピカ。どうやら上にいる若者が引率しているガイド山行らしい。もう一人の御婦人が「どうぞ先に登ってください」という。ゆっくり休みたかったのだが、ぜひと言うので礼を言って登らせてもらう。途中で長い残置スリングを掴む場所があって不安になる。このスリングのハーケンが抜けたら御陀仏間違い無しの高度だ。慎重に足場を決めて上へたどり着いた。
滝の上でザックをおろし三人を見ながらスポーツドリンクをゆっくりのむ。ガイドかぁ・・・。子供を連れての北尾根や屏風岩などはガイド山行に近いものがあるが、他人であるお客の安全を守るために施す様々な対処を細かくチェックしている自分に気がついて職業病のようなものを感じていやになり腰をあげる。
ここからは滝はなくなり沢は高度を上げていく。ガイドブックに従って忠実に沢を登っていくと小笹の中の踏み跡に導かれる。不安定なガレ場もなくとても快適な気持ちの良い源流のツメである。急斜面の踏み跡をかなり辛抱強く登っていくと右手に岩場が見えはじめた。ガイドブックにある源次郎尾根の岩場であろう。チョッピリ期待していた岩場だったけれどもボルダリングの課題としても物足りない傾斜の緩い小さな岩場だった。それでも源次郎尾根の背に出てみると表尾根の山々が見事に広がっているのを眺めることが出来た。天気予報とは裏腹に晴れ渡った彼方には秦野市街地がよく見えるが湿度も高くモヤがかかっていて相模湾を確認することは出来なかった。
尾根に沿って笹の小道を更に登っていくと大倉尾根を歩く人々の楽しげな話し声が聞こえはじめ縦走路に飛び出した。花立山荘の少し塔ノ岳よりの地点だった。200mも下ると花立山荘に到着。皆がそれぞれに楽しくくつろいでいる。膝に衝撃を加えぬようにフトモモの筋肉をサスペンションのように効かせながら滑らかに下っていく。見晴茶屋の先で尾根の背を水平に登山道が檜の植林地帯を突っ切る個所がある。先週はこの地点でチンダル現象に見とれたのだが今日は木漏れ日が道を照らしていた。
大倉バス停15時55分発のバスに乗り込み、心地よい疲労を感じながら座席に身をゆだね家路についた。


帰宅してみると土橋さんからのお土産が届いていた。岩魚とウドだった。土橋さんに電話をすると新潟の奥地に谷川岩魚名人と3泊4日で出かけ今日帰宅したとのこと。天然のウドは香りも強烈で酢味噌あえにしろ、天婦羅にしろ最高で酒がすすむ。岩魚は塩で焼いていとおしむ様に丁寧に食し、残った骨をさらにこんがりとキツネ色に焼いてジュッと日本酒に浸して堪能することにしよう。
そう言えば先日は天然のワサビの佃煮を瓶詰めにして送って頂いた。土橋さん、谷川さんに感謝。


利用ガイドブック=白山書房2000年5月10日発行「東京周辺の沢」