2004年梅雨

丹沢 水無川 モミソ沢

2004/6/6

6月6日 雨

テレビの天気予報は不安定な気象状態であることを伝えているが、朝起きて外を見ると青空も見えている。雨でもしかたあるまいと考え5時43分四街道駅を快速電車で発つ。
小田急線の電車が新宿を出発すると外が雨であることに気づいた。久しぶりに天気予報があたったようだ。
小雨のぱらつく大倉はいつもとは雰囲気が違う。何だろうと見ていると胸にゼッケンなどをつけてうろうろしている人がいるところを見るとどうやら登山レースが行われるようだ。32年前高校二年生の時にわたしもここ大倉尾根でキスリングを背負って登山競争をしたことがあったなぁと思い出した。
靴紐を締めなおして歩き始める。滝沢園キャンプ場を横切ろうとすると大きな赤いザックが木陰に並んでいる。成東という文字が見える。成東高校山岳部のものであろう。懐かしく思いながら奥へと進む。林道へ上がってしばらく歩いていると雨脚が強くなり始めた。バラバラと大粒の雨が容赦なく落ち始め林道にも小さな流れができつつある。
当初戸沢の左俣から表尾根に出て、そこからヤビツ峠まで縦走しようかと計画していたのだが、風雨の中を歩くのが少しばかり億劫に感じられ今日は早めに帰宅して風呂に入ってビール(本当は発泡酒)でも飲みたくなった。どこへ行こうかと林道を早足で歩きながら思案する。そうだ30年近く前に一度だけ登ったことがあるモミソ沢がいい。記憶は定かではないがコンパクトにまとまっていてすぐに終了したような気がする。戸沢出合までまもなくだったが急遽林道を引き返した。
さてモミソ沢といえば出合にある懸垂岩の思い出が深い。駆け出しの頃この岩場で練習したっけなぁ。あの頃は岩登りをしていることだけでもうれしくてしかたがなかった。あるときなど岩崎と岩場の下の河原で寝たこともある。
そのときの印象では広い河原に懸垂岩があるというイメージを持っているのだが、新茅ノ沢をいくら下降してもそれらしき場所にでない。
ここのところ毎週丹沢に通っているので体が山登りに順応しつつあり河原の岩をぴょんぴょんと跳ぶようにして降りていく。
しばらく行くと堰堤に出てしまった。巻き道を使って更に下降を続けると広大な河原に出た。さすがに下りすぎてしまったようだが、昔の記憶に残っている懸垂岩と周辺の河原はなかったと思う。その先には更に大きな堰堤がある。左に登山道らしきものが見えたので岸にあがると人の話し声が聞こえる。声のほうを見るとブッシュを透かして小屋が見える。こんなところに小屋があるとは知らなかった。なんと言う小屋だろうか。
さらに登山道を下流方面へ歩いていくと斜面の上の方を車が走っており小さな広場に車が3台止まっている。どうやら林道に出てしまったようだ。この林道を使って再び新茅ノ沢の橋まで戻ってもいいのだが、このままではどうにも悔しくてたまらない。もう滝沢園に近いのかもしれないがもう一度河原に降りて下から丁寧に調べながら登りなおすことにする。
大きな堰堤をいくつも巻きながら、先ほど下ってきた沢をさかのぼっていく。
そうしてしばらく行ったところで登山者が数人立っているのが見えた。近寄ってみると見覚えのある懸垂岩だった。あっけにとられて立ち止まり足元をみると見覚えのある石ころが転がっている。さっき通ったところに間違いない。懸垂岩の形状自体は記憶のままだったがまわりの風景が一変していた。沢の幅が狭くなったと感じるほどに両岸から木々が覆い被さるように繁茂しているのである。記憶しているイメージとはあまりにかけ離れた光景に苦笑してしまう。30年の間に木が大きく成長したらしい。かなり強い雨の中で数人の登山者が遊んでいた。
懸垂岩の左からモミソ沢へ入る。
やさしい沢であるという記憶はなんとなく持っているが、その内容に関してはまったく覚えていないので、はじめての沢のような感じで登っていく。狭くて暗いゴルジュの中は、雨空のせいもあって一層暗く感じるが、手ごろな小滝が連続していく。しばらく登ると数人の登山者が滝の上で休んでいた。こんな雨の中を登る人が私以外にいるなんで、物好きな人たちだなぁと思いながら先へ行かせてもらったが、彼らもわたしを物好きだと思ったに違いない。
どんどん小滝を超えていく。ところどころチムニー状になった滝もありブリッジをしながら登っていくのがとても楽しいし他の沢に比べて岩の表面の藻が少なくフリクションも良く効く。滝と滝の間も冗長さはまったく見られず息つく暇もないほどに連続している。
とてもよい沢だ。
一時間ほどで大棚とおぼしき最後の滝までたどり着いた。この沢は私をまったく退屈させることなくここまで導いてくれた。
さてこの滝はモミソ沢では最も大きなもので10m以上はありそうだ。取り付きにはペツルのステンレスハンガー付のアンカーが二本打たれ、ランナー用にも銀色に鈍く光るペツルのステンレスハンガーいくつか見える。
単独である。直登は差し控えて左の壁を登り落口へと抜ける。
これを越えると狭いゴルジュから開放されて沢は明るくなって傾斜の緩い歩きやすい河原となる。所々には踏み跡もありのんびり登っていく。しばらく登っていくと左手(右岸)へ登る足跡があったのでこれを追う。遡行図を見ると左手に登っていくと大倉尾根に出るらしい。
30年前はどうしたのかを思い出そうとしたけれど思い出せない。大棚から登ってきたモミソ沢を下降したような気もする。
踏み跡は少し下降気味に左へとトラバースしていくので、このままではモミソ沢出合に戻ってしまうことを嫌って踏み跡をはなれて左へとトラバースしていく。踏み跡は時々現れるがすぐに獣道と交差して不明瞭となる。
持参した二万五千分の一の地形図のコピーはモミソ沢のところが切れているので周辺の地形は把握できない。笹薮やガレを苦労しながらトラバースしていく。先に見える尾根の襞の先に登山道があることを願いながら行くと、ガスの中にまた次の尾根の襞が現れるというようなことを数度繰り返す。途中で植林地帯に鹿よけの柵があったが乗り越し用に脚立が固定されていた。笹に目を突かれるなど酷いメにあいつつ懸命に進む。トラバースをしていくといつまでたっても大倉尾根には出そうもないので斜面を登り始める。すると上を登山者が歩いているのが見えた。やれやれ・・・。到着したのは「駒止茶屋」の下の赤松林のあるベンチのところだった。どうやら大倉尾根の800m等高線に沿って山腹を大トラバースしてしまったらしい。もちろんこの事実は帰宅して地図を見て判明したことはいうまでもない。あぁなさけなや。


女房と映画
土曜日は快晴で日曜日は雨という予報を前にして、何ゆえ土曜日に家にいて日曜日に山へ行ったのか?
それは金曜日の夜に女房と千葉で待ち合わせをして食事をして、そのあと映画を観て帰宅したのが24時過ぎ。すぐに風呂に入って携行装備をチェックしてパッキングを終えたのは2時頃でした。で、翌土曜日は案の定寝坊してしまい起床したのが6時。4時30分に起床しなければいつもの快速電車に乗車することは出来ません。ということで翌日の日曜日に順延ということになりました。


利用ガイドブック=白山書房2000年5月10日発行「東京周辺の沢」