2004年初夏

丹沢 葛葉川から表尾根

2004/5/8

街の中の木々も葉を青々と繁らせている。昼休みのひととき初夏を感じながらオフィスのある品川グランコモンズの中庭でプラプラしていると山はどうしているのだろうと思ったりする。
あした山へ行こう。

5月8日 曇り時々晴

乗客が4人しかいないバスが丹沢山塊の裾野をゆっくりと登っていく。
山の格好をしているのは私だけで、他の乗客は途中のバス停で乗り降りする地元の住民のようだ。秦野駅ではヤビツ峠行きのバスはハイカーで満員だったが、この秦野-渋沢線は生活の為の一般路線バスなのだろう。
15分ほどバスは走って菩提原に到着、一人バス停に降り立った。
菩提原バス停の標高は187m、見上げる丹沢山塊は山頂付近に雲がかかっているものの薄い雲を通して陽の光を感じることが出来る。
菩提原から葛葉川本谷の入渓地点である「葛葉の泉」までの道の端には小さな花がたくさん咲いている。右に葛葉川を見ながらのんびり登っていく。
「葛葉の泉」はちょっとした公園のようになっており、大きなポリタンクで泉の水を汲みに来ている人もいてにぎやかだ。
渓流シューズのソールをフェルトに張り替え、沢へ入る。
ところどころ蜘蛛の巣をはらいながら水と戯れつつ登っていく。わざと滝壷の中に入ったり水流をあびながらびしょぬれになって登ったりするのがとても楽しい。途中で難しい滝が一つあったほかは、高さも手ごろでホールドも豊富な滝が連続し1時間ほどで立派なコンクリートの橋が沢を横断する地点まで達した。冗長さという点では新茅ノ沢よりも良いかもしれない。橋をくぐっても小滝が連続し、沢は次第に傾斜が増しいく。
上部の三段の美しい滑滝の中段でザックを枕にして昼寝をする。陽が差し込み涼しい風も心地よく山に来た幸せを感じながらのひとときだった。
源流部で左の踏み跡に入って檜の植林地帯をしばらく登ると三ノ塔の山頂だった。ヤビツ峠から烏尾山までの間は歩いたことがなく私にとって初めての三ノ塔。山頂は展望もよく広々としておりログハウス風の小屋まで建っており木製のテーブルが幾つも配置してある。その中の一つのテーブルにザックを置いて渓流シューズのフェルト靴底をびりびりと剥がしていたら、同じテーブルで休んでいた60歳代とおぼしき御婦人のハイカーがビックリして話かけてきた。まぁ普通ならたまげるだろう。年季の入ったザックにも驚いている様子で、私がザックの中身をテーブルに広げる様子をじーっと見ている。
ひととき休んで、さぁてこれからどうするかだ。ここから三ノ塔尾根を下るか、烏尾山まで行って烏尾尾根を下るか、それとも書策小屋から下るか、あるいは塔ノ岳まで行って大倉尾根を下るか・・・。塔ノ岳まで行って大倉尾根を下るつもりで表尾根の縦走を始める。
三ノ塔から大きく下って烏尾山へとすすむ。今週の月曜日に女房子供達と訪れた烏尾山の小屋はドアがしっかりと締められコンクリートブロックがドアの外に積まれており、営業していないようだ。
小屋の周辺に配置してあるテーブルの上でしばらく昼寝する。とても気持ちが良い。
塔ノ岳までは遠いのでゆっくり登っていく。
書策小屋、新大日の茶屋は戦後の焼け跡のバラックのようなたたずまいで静まりかえっている。一方、木の叉小屋はきちんと整備され活気のあるたたずまいでとてもよい雰囲気である。歩いていく登山道にはところどころヤシオツツジが咲き、右手の斜面にはぶなの巨木が目立つようになる。
しばらく登ると塔ノ岳山頂に到着。山頂はたくさんの人でにぎわっており、私もその一角でザックをおろして水を飲む。陽射しが暖かく照って気持ちが良くなって眠ってしまいそうである。午後三時を過ぎたところで腰をあげ大倉尾根を下り始める。
一昨年、長男の素直と途中まで下ったことのある大倉尾根だが、ゆっくりあたりを見ながら歩いていると今まで気がつかなかった風景や季節の移ろいを感じることが出来る。モミジ並木の小道を下りのんびり歩く。心地よい疲れでウットリとするようだ。尾根をおおった木々の切れ間から三ノ塔が大きく見え、あそこから来たのかぁと思うとなんだが嬉しくなってしまう。
大倉のバス停には17時に到着し持参したサンダルにはき替え缶ビールを飲む。バスに乗り込みシワセナ心地で家路についたことは言うまでもない。
帰宅してカシミール3Dで測ってみると累積標高差は+1,700m、-1,600mという一日だった。


「渓流履物考」
キャラバンの渓流シューズ「水無」、昨年飯豊へ行った折りに購入した物だがなんと言う便利さ。こういうのが欲しかったんだよというような代物である。それはビブラムのゴム底とフェルト底がベルクロで交換できるという画期的な渓流シューズ。心配していたベルクロ方式のソールの接着は今のところ全く問題ない。
20代の後半の一時期に沢歩きに凝ったことがある。
当時の沢歩きのやり方は次のようなものであった。まず、めぼしい山域の国土地理院の地形図を手に入れ、その地図の端っこから沢とおぼしき地形をシラミつぶしに登る。一日に数本の沢を登下降しながら地図の沢を左側から順々に赤い線で塗りつぶしていく。このようなハードな沢歩きのための履物は釣具屋で買い求めたネオプレーン製の渓流タビだった。最近釣具屋で探すが見当たらないので製造中止になっているのかも知れないが、この手の靴底の柔らかい履物で長時間歩くと青竹踏みでもしたかのように足の裏が痛くなる。数時間も歩くとあまりの痛さに身もだえするようだ。ところがこの渓流タビも毎週土日に履き続けると8日目、すなわち一ヶ月後には足の裏が硬くなって痛みを感じなくなる。
それにひきかえ渓流シューズ「水無」はシーズン初めの履き慣らしも全く不要。靴底が硬く、ビブラムの登山靴のような履き心地である。遡行を終了してからもワンタッチで普通の軽登山靴に変身し泥の斜面をしっかりとグリップしてキックステップすら可能。
さて、渓流タビの長所も記載しておこう。その違いはビブラムとフリークライミング用のフラットシューズの差に近い。渓流タビには足裏感覚がある。これが苔でヌルヌルした小さなフットホールドを捉えながらボルダーチックなゴルジュのヘツリを行く時に威力を発揮する。


帰りの小田急線の車中でとても恥ずかしいことがあった。
新百合ヶ丘あたりで10人くらいの高校生とおぼしき女の子が乗車してきた。それぞれ手にはラクロスのラケットをもって、おそろいのユニフォームを着て大きなスポーツバックを持っていた。楽しくてたまらないのだろう大声を出して笑いながら話し込んでいる。
一方わたしは車内に持ち込んだ缶ビールもとうの昔に飲み干してつまみのイカゲソをザックの中に仕舞ってうとうとしていた。
電車は代々木八幡を過ぎて新宿駅まであと1分。わたしは網棚のザックをおろして背負い立ち上がった。
するとラクロスの女の子の一人が大きな声をあげた。
「あれ、イカくさい」
「あっ本当だ、イカ臭い」
「イカ臭いね」
10人の女の子たちに「イカ臭い」の連鎖がひろがった。
ザックの中に仕舞ってあるイカゲソだ・・・と同時に新宿駅に電車は到着しドアが開き、私は顔を真っ赤にしながらホームに降り立った。
帰宅して高校三年の敦子と高校一年の朋子にこの話をしたら腹を抱えて笑い転げ続けていた。

利用ガイドブック=白山書房2000年5月10日発行「東京周辺の沢」