2004年夏

丹沢 金目川 春岳沢

2004/7/4

丹沢大山といえば山岳信仰の「大山講」として、またケーブルカーを利用することのできるハイキングの山として有名である。
そのふところに春岳沢(はるたけさわ)という小さな沢がある。伊勢原からの表参道やケーブルカーのある大山川流域と尾根一つはさんで西側の小さな谷である。入山も秦野駅から蓑毛経由となり蓑毛からは大山への裏参道が通じている。大山の表玄関が伊勢原側で、裏玄関が秦野側と言っても差し支えないかもしれない。白山書房の「東京周辺の沢」に遡行図は掲載されていないが同書巻末の300沢リストには春岳沢は載っていて星印がついている。
そこで東京雲稜会の「丹沢の山と谷」をめくってみると小滝の連続する可愛らしい沢のようだ。もちろん35年前のガイドブックなので、砂防ダムや林道の建設によって大きく変貌しているかも知れぬが、それも楽しみの一つと考え出かけてみることにした。

7月4日 晴

丹沢山麓の坂道をバスが蓑毛へと登っていく。バス車内は中高年を中心としたハイキング客で満員である。暦の上では梅雨のさなかであるが関東地方はここ数日暑い日が続く。こんな日にハイキングしたら熱中症になってしまうのではないかと他人事ながら心配してしまうが、中高年の集団は楽しそうに山道を歩いていく。
彼らの先頭をきって蓑毛橋から金目川に沿ってコンクリート舗装の小道を登っていく。割烹を過ぎマス釣り場を横目で見ながら歩いていくと最終人家である。庭には山の清水が流れ風情がある。ちょうど家のあるじが外へ出てきて
「ハルタケですか?今日みたいな暑い日はハルタケは最高ですよ」
「そうですか。ところでずいぶん素敵なところにお住まいですね」
「あはは」
あらためて庭を見ると、小さな木製の看板がここでコーヒーを飲ませてくれることを教えてくれていた。このご主人も山登りをするらしいが、それにしても地元の住人から「最高ですよ」とは、今日一日の素晴らしい沢歩きのお墨付きをもらったも同然だと期待も膨らむ。
コンクリート舗装路の終点から山道になって全国名水百選の標識のある金目川を右岸へ渡る。コンクリート舗装路が終わったのでビーチサンダルを沢靴に履きかえる。ところが張替え用のフェルトソールを忘れてきてしまったようだ。がっかりだがゴム底で登るしかあるまい。
金目川からはなれ登山道を数十メートル登ると「ヤビツ峠髭僧の滝」と記された道標があり、そこから踏み跡が右手へ延びている。右折して踏み跡を歩き始めると中高年のご婦人達がついてきてしまった。
「アハハ。私は沢を登りに来たんです。ついてきちゃぁダメですよ。」
と声をかける。
小道をたどっていくと見下ろす金目川には堰堤がいくつも建設されているのがわかる。そのうち新しく大きな堰堤が現れた。出来たてほやほやの大規模な堰堤である。金属プレートには金目ダム平成6年に竣工したと記されている。
金目ダムを過ぎてさらに踏み跡をたどっていくと「髭僧(ヒゲソウ)の滝」と記された道標があり沢へ下っていく踏み跡が分岐している。この分岐から沢へ降り立ち「髭僧の滝」にご対面である。6月19日に細田さんと行った「水根沢谷」の大滝に似た立派な樋状の滝である。水量もかなり多く、ゴム底で登るなどとんでもないほど恐ろしげなので右側から高巻く。
この上で穏やかな二股になっている。遡行図によれば左が「もみじ谷」で右が「春岳沢」らしい。もちろん右へ入る。
春岳沢は崩壊や異常出水がほとんどないのだろうか美しい緑の苔に覆われており、殺伐とした水無川のそれとは趣を異にしている。また、沢の底の岩盤が適度に露出しており、その表面を水がすべるようにして流れている。崩壊の進んだ垂直の滝はなくそのほとんどが高さ3m以内のナメ滝である。
わざとシャワーを浴びながら水と戯れつつ歩いていく。頭を水流に突っ込んでみたり、スラブを走る水流が私の沢靴にぶつかって噴水のように吹き上がるのを、靴の確度を変えながらいつまでも立ち止まって見とれたりなど沢を登るというよりも沢と遊んでいるというような表現がぴったりかもしれない。ゴーロ地帯はほとんどなく美しいナメ滝が数え切れないほどにこれでもかと次から次へと現れる。
素晴らしい沢だ。ゴム底が不安で直登できなかった滝もあったが階段状の巻き道に導かれ踏み跡もしっかりしている。
そうこうしているうちに三つ股にたどりついた。正面からは水の涸れたやや広い沢が急傾斜で落ち込み、左からは傾斜が強く幅の狭い沢を細い水が流れ下っている。一方右側の水流は、よく観察してみると目の前の穴を水源としており、沢ではないようだ。ここから上には水が全く流れていない。近くまで寄ってみると山腹の穴から多量の水が噴き出している。まさしく水源である。通常の源流部は水流が伏流になって消えていくケースが多く、このような水源はめずらしい。
東京雲稜会の「丹沢の山と谷」によれば、登路を誤るととんでもない藪こぎを強いられるらしい。水源の左岸(右側)にはしっかりとした踏み跡があって更に山腹をトラバースするように続いているようだ。ここで遡行を中断してこの踏み跡を使ってエスケープすべきか、あるいはここから往路をもどるべきか。それともあくまでも遡行を続けて大山の山頂まで行くべきなのか。
しばらく休んでどうしたものかと思案するが、やっぱり山頂まで忠実に春岳沢を遡行して行くことにする。
この三つ股だが、正規のルートはおそらく真ん中の涸れ沢だろうと見当をつけて登りはじめた。少し登ると沢はブッシュに中に埋もれるようにして上へ続いている。これはルートを誤ったかなと心配しつつ侮れない岩場を登っていくとブッシュから開放されて開けた涸れ沢が更に続いている。どうやら正しいルートのようだ。
ルートさえ正しければ「丹沢の山と谷」の説明ではこの後は目をつむっても登れるような平易な滝がつづくと解説している。
しかし実際はそうではなかった。狭い岩溝状になった涸れ滝の多くはチョックストーンで出口をふさがれており、チョックストーンの部分がオーバーハングとなっているのである。しかも岩も脆い部分があってあなどれない。そのような涸れ滝の中の一つ(写真の滝)では30分かけて3回ほど途中まで登りクライムダウンした挙句に直登をあきらめ左岸(右側)を巻くという苦労を強いられた。
イワタバコの可憐な花が群生する源流の詰め部分を登りきり笹薮に突入する。最初の内は明瞭なトレールをたどっていたが、そのうち鹿の足跡が縦横に交差し登山者によるトレールと判別をつけにくくなった。それでも笹をかき分けつつしばらく辛抱強く登っていくと突然大山への表参道へでた。藪の中から怪しい人間が飛び出てきたのでハイキングをしていた人がびっくりしている。
大山の山頂はそこから15分ほどの距離だった。山頂には涼しい風が相模平野から吹きあげ心地よい。観れば相模平野がまさに一望の元に見下ろすことがでる。
山頂には老年の御婦人や紳士、小さな子供を連れた若い夫婦や若い恋人同士などそれぞれに腰をかけて休んでいる。私も女房に電話をする。
さて下山路だが表参道を伊勢原方面へ下ることにする。家族連れに混じりながら歩いていると丹沢大山が山岳信仰の山であることを肌身で感じることができる。霊山がゆえに伐採されなかったのだろう。樹齢数百年の大木が生い茂っているのである。これが山の保水力を維持したのかもしれない。これは丹沢の他の地域には見られない姿である。
樹齢数百年の大木が茂る山。そのような森に育まれた美しい沢、それが春岳沢だった。


涼味満点の三ツ星ルート
暑い夏の日にわざと水に浸かりながら遊ぶにはもってこいの沢だ。そういうときには水源地で遡行を終わらせた方が良いだろう。さもないと上部で炎天下の笹ヤブをかき分けることになり汗びっしょりになってしまう。なお、春岳沢を下降すれば帰路も水遊びができるので、一度で二度楽しめるということになろう。


山椒魚
大山の表参道を下山していると途中のあばら家で親爺さんが缶ジュースを売っていた。親爺さんが言うには
「春岳沢は水がきれいで水源地の下流には山椒魚が棲んでいる」
全国名水百選の名に恥じぬ清流だとあらためて感心した。


イワタバコ
上部の涸滝を苦労しながら登っていると目の前の垂直の岩場にしがみつくようにして小さな花が咲いている。穂高などの高嶺に咲く高山植物ならあらかた知っているが、この花は見たことがない。更に上部では群生していた。帰宅してからなんという花だろうかと調べたところイワタバコというらしい。私は素直に可憐だと感じた。


四街道発5:43
新宿発7:01
秦野着8:07
秦野発8:25
蓑毛着8:44、発8:50
名水百選の標柱着9:11、発9:26
金目ダム9:33
髭僧の滝9:39
水源着10:37、発10:59
チョックストン涸滝下11:35
稜線13:11
大山山頂着13:23、発13:41
大山バス停着14:46、発15:02
伊勢原着15:30
伊勢原発16:15
新宿着17:13
東京発17:38
千葉発18:32
四街道着18:41







利用ガイドブック=
・山と渓谷社1969年4月1日発行「東京雲稜会編 丹沢の山と谷」
・白水社1981年1月14日発行「日本登山大系4 東京近郊の山」