2009年 初秋

西丹沢 中川川 モロクボ沢支流

水晶沢

2009/09/12

中流部のナメ滝

「泣こうごたる」
山から帰ってきた私の話を聞いて母は大分中津弁で言った。
私もこの数日、思い出すたびに「泣こうごたった」

私たち夫婦は用木沢出合のゲート前に車を止め、出発の支度をしていた。
間もなく軽トラックがやってきた。人のよさそうなおじさんが降りてきて、話しかけてきた。
どうやら漁協の監視員のようで入漁券の検査に来たようだったが、私たちがふつうの登山者で釣りはしないことがわかると訛りのある素朴な語り口で話し始めた。
訛りがきついので、聞き取れない個所もあったが、それはおおむね次のような話だった。
それは先週のことだった。玄倉川のゲート前の広場で入漁券のチェックのためにやってくる釣り人を待っていた。そうしたところ何人かの人が外で盛んに話をしている。おじさんはどうしたのだろうかと気になって車をおりて近くに寄った。
その人たちは「お父さん早く帰ってこんかいのう。お父さん早く帰ってこんかいのう」と繰り返しているのだという。
聞けば、昨日の朝「洞角沢へ行ってくる」というメモを残したまま今日になってもお父さんが帰ってこないのだという。「ご主人が乗ってきた車はここにあるのか」と問うと「この車だ」と答えた。見れば車はびっしょりと夜露にぬれていた。
おじさんは警察へ連絡。そして「お父さん」を発見したのである。お父さんは洞角沢F5で崖の木に引っ掛かっていたという。
58歳。
「ひとりで山にはいってはだめだ」とおじさんは二度ほど繰り返した。
私は、この日一日「お父さん早く帰ってこんかいのう。お父さん早く帰ってこんかいのう」という言葉が頭から離れなかった。

9月12日(土)曇り時々雨

先月、モロクボ沢を遡行した。二度目の遡行だった。モロクボ沢は良い沢だが、中盤がダレる。大滝の落ち口から始まる200mの連瀑帯を越えるとあとは、しばらくの間「なぁーんにもない」
連瀑帯を終えた後、右から水晶沢が流れ込んでくるが、これを遡行したらよいのではないかと考えたのである。
ただし今日はあいにくの天候で、雲に覆われた空からは今にも雨粒が落ちてきそうな気配だ。モロクボ沢の谷底も曇天の下で薄暗く、まるで夕方のようだ。大滝の少し下流で沢靴を履こうとしていたら、雨が降り始めた。
いつもの通り、妻をビレイして大滝を巻く。そして連瀑帯。それぞれに釜を持った花崗岩のナメ滝は、薄暗い雨模様の空の下でも、明るい。そしてすぐに堰堤。
あっけないほど短い核心部。
堰堤を右側から越えるとその上は単調な河原歩きが続く。一度だけ、薄日が射しこんだが基本的には雨である。超軽量タープを持ってくればよかったと後悔する。タープを張ってその下でコンロに火をつければ、雨の中でも楽しい食事ができる。
水晶沢の出合で雨の中、休憩する。幸いにも雨は小降りで一つのカップ麺を妻と分け合って食べた。そろそろ涼しくなってきたから、これからはお弁当もいいかもしれない。
食べ終わって、水晶沢へ入っていく。見栄えのしない沢である。
パッとしないナメを登って少し行くといきなり滝が現れた。高さ5mほどのほぼ直瀑である。左右ともに巻き道はないようなので、まず右から攻めることにして登り始める。登れないこともない程度のホールドはあるがやや脆い。右を登るのはやめにしてクラムダウン。左に取りつく。苔がびっしりと覆っていて、ブッシュも不安定でいやらしい。滝自体はすっきりしていて姿かたちは良いが、登るには嫌な滝で評価としては大減点だ。
ロープを出して妻をビレイ。
小規模なナメを進むと、右側から滝が流入している。これが水晶沢の右俣であろう。右俣は水晶沢の頭(あたま)に突き上げている。だから右俣が本流かと思っていたが左俣の方が水量も多い。流域面積の大きさから判断すると、どうやら左俣が本流のようである。
左俣を選択し登っていく。ナメはあるにはあるが倒木も多い沢である。
まもなく二つ目の滝らしい滝の前にやってきた。長さは30mほどもありそうな傾斜の緩いナメ滝である。手もほとんど使わずにすたすた登れる。これを過ぎるとまた倒木が目立ち始め、それをどかしたり乗り越えたりしながら登っていく。
標高995mの二俣は右へ入る。
岩盤が露出している岩床では水流が流れているが、ゴーロ地帯は水が伏流となる。
それまで花崗岩が主体だった岩床には、黒っぽい岩が混じり始める。そんな黒い岩でできた小滝で水を汲む。
さて、その上だった。水晶沢のもっとも素晴らしい部分が始まったのは。それは全くの涸れ滝で高さ50m、いや長さ50mと表現した方が良いかもしれない滝の連続。沢はもはやルンゼ状と言っても良いほどだ。それは左右に小さく蛇行しているので、見通すことはできないが登っても登っても涸れ滝は尽きない。岩は固く、技術的には容易で、面白いようにぐいぐいと高度を稼いでいく。まるで穂高岳屏風岩の一ルンゼの下部を登っているかのようだ。
これを登り切るともう稜線直下。源頭部はカール状のスラブになって稜線に食い込んでいる。カール状のスラブは適当に切り上げ、右のブッシュへ入る。かすかな踏み跡があるがけもの道かもしれない。藪をこぐこと15分。稜線の鹿防止ネット柵に到着。ネット柵は人間だけが通過できるような工夫がされていた。登山道に出て沢靴を脱ぐ。時折バラバラと雨粒が落ちているのだが、ブナの木の下にいると濡れないで済む。
まだ12時を少し過ぎたばかりだというのにブナに囲まれた森の中の稜線は薄暗い。白石峠方面へと登っていく。途中で檜の植林地帯へ入った。杉やヒノキの植林地帯は晴れていても薄暗いが、今日はまるで夜のようである。いづれの地形図でも白石峠は1307mピークのように記載されているが、それは間違いで、実際にはピークの北側にある1285mのコルが白石峠である。白石峠で湯を沸かしカフェラテを飲む。温かい飲み物にほっとするほど肌寒いのだ。それは今年初めて感じた秋の気配でもある。
雨でじっとりと濡れた林道を妻と年甲斐もなくふざけあいながら歩くのは本当に楽しいことだ。このような日々がいつまでも続いてくれるようにと願う。
さくらの湯に立ち寄って明るいうちに自宅に帰り着くことができた。


用木沢出合 7:57
やまびこ橋 8:14
大滝下 8:52
大滝上 9:07
堰堤上 9:32
水晶沢出合(休憩) 9:42-10:09
5m滝下 10:20
5m滝上 10:45
左俣・右俣分岐 10:50
30mナメ滝 10:54
995m二股 11:21
水涸れ(休憩) 11:32-11:41
ルンゼ状涸れ滝下 11:42
ルンゼ状涸れ滝上 11:47
源流カール状スラブ 11:53
藪こぎ突入 12:01
稜線(休憩) 12:14-12:30
水晶沢の頭(休憩) 12:53-13:03
白石峠(休憩) 13:18-13:42
用木沢出合 15:04


不愉快な5m滝
この滝の存在は大きな減点要素だ



水涸れ
ここから涸れ滝が続く



黒っぽい岩



ぐいぐい登っていく



これを越えるといよいよ源頭



左右にカール状のスラブが展開する

適当なところで右のブッシュに逃げる

モロクボ沢出合も近い
あと少しだ