2008年 秋

丹沢

蛭ヶ岳
白馬尾根(鬼ケ岩ノ頭北東尾根)

2008/11/15

鬼ケ岩の稜線も近い白馬尾根の林

夜遅く、出張から帰ってきて食卓でウイスキーをちびちびやりながら“白山書房の雑誌「山の本」”を読んでいたら、長女の敦子が勤め先の病院から帰宅した。リビングへ入ってきて私に訊く。
「お父さん、あした仕事?」
「ん?ちがうけど・・・」
「わたし休みだからどっか行けるよ」
ということで敦子と山へ行けるこことになった。
こうして娘から山へ行くことを誘われるとは私はなんという幸せ者であろうか。
さて、どこへ行こう。
二週間ほど前に妻と蛭ヶ岳山荘に泊まった時に、山荘で売られていた「北丹沢ガイドブック」という本を買った。薄い本だが1500円もする。その本の中に白馬尾根と名付けられた登路が紹介されている。それは丹沢山と蛭ヶ岳に挟まれた早戸川の上流部にあって、雷平を起点として鬼ケ岩の稜線に突き上げているものだ。
この尾根を登って鬼ケ岩から蛭ヶ岳を往復することに決めて布団にもぐりこんだ。

11月15日(土)曇りのち小雨

4時に起床して、妻に教えてもらったやり方でいつもの弁当を調理する。シャウエッセンという名のソーセージをフライパンに水をはってボイルし、湯をすて少量の油でいためる。これを飯の上に三本づつのせる。きわめて質素な弁当だが山の中ではこれがとてもおいしく感じるのだ。これ以外に塩コンブとレトルトのカレーを準備する。
5時20分に四街道の自宅を車で出発する。普段、通勤のために家を出る時間と同じだ。
首都高から中央道へとバーブラ・ストライサンドを聴きながら走る。20代のころバーブラ・ストライサンドを聴きながら鹿山会登攀クラブの仲間たちと山へよく行ったものだ。
高速道路からのぞむ西の空は残念ながら曇天である。
宮が瀬ダムから早戸川へと向かう。ダムの上流部は紅葉の真っ盛りである。舗装された細い林道はカーブを連続させながら山襞をぬい、奥地へと入っていく。両側は急斜面で、川原部分はほとんどなく谷は険しく深い。ところどころに本格的なゴルジュも散見される。林道が開発される以前はさぞかしわくわくするような秘境であったろう。かたく扉を閉ざした丹沢観光センターを右に見てほんの少し行ったところが魚止橋である。林道はここから砂利道となり荒れてくる。ジムニーのような軽四駆ならばもっと奥まで入れるが、林道終点の「伝道」まで歩いても15分程だから大した時間短縮にはならない。魚止橋先に車を止める。
林道には落ち葉がすき間もなく敷き詰められている。これを踏みしめながら林道を歩く。
林道終点の伝道から右手の急斜面に取りつく。伝道沢を渡り鹿柵の門を通過してどんどん登っていく。小さな尾根を乗り越えると廃屋となった造林小屋がある。小屋は雨露を十分にしのげる状態だ。ここから道は水平に山襞をからんでいく。ときおり朽ちかけた桟道を渡り、紅葉の樹林帯の中の落ち葉の積もった道を早戸川の瀬音を聞きながら歩いて行く。丸木橋で二度ほど早戸川本流を渡り返す。
白馬尾根の取り付き点となる雷平は標高820m、広々とした河原で早戸川本流はここで二分する。左が早戸川大滝をもつ大滝沢で、右が原小屋沢方面である。
魚止橋から雷平までちょうど一時間だった。顔を洗ってタオルで拭う。
大休止した後、戸をあけて鹿柵の内側に入り白馬尾根に取りついた。ヒノキの植林地帯を忍耐強く登っていく。敦子がすごい勢いで登っていくので、どんどん引き離されていく。息を切らせて追いつくと敦子は息も乱さず平然としている。これはだめだと私が先頭で歩くことにする。11月だというのに情けないほどに汗をかきながら登っていく。
標高1200mあたりでヒノキの植林地帯をぬけると赤土の露出した斜面にカヤが踏み跡を覆いはじめる。この近辺は踏み跡がややわかりづらい。
左は樹林がきれて笹原に低灌木が茂り、左側はブナなどの広葉樹林である。落ち葉がうず高く積り踏み跡を覆っているので、注意深くルートを選びながら登っていく。
まもなく傾斜が緩くなり左手は笹から萱の斜面となった。展望も開けて気持のよい草原である。草原の真ん中を突っ切るようにして細い踏み跡が続いている。もし今日が晴天であればさぞかし気持のよいところであろう。
のんびり登っていると蛭ヶ岳山荘の番犬スティングが吠えているのがよく聞こえた。山荘に訪問者があったのであろう。
草原の上はブナの森である。すでに葉の落ちた森は見通しもきいて曇天というのに明るい。下草は丈の短い笹なので絨毯のようだ。そして鹿柵に沿ってほんの少し登ると鬼ケ岩周辺の稜線に出た。二週間前に妻と歩いた道である。鬼ケ岩には玄倉側から冷たい風が吹きつけていた。
ガスで蛭ヶ岳山頂は見えない。岩場を下り蛭ヶ岳直下の斜面に取りついた。笹原の中の気持ちの良い登りである。
蛭ヶ岳山荘にたどりつくとスティング吠える。頭を撫でてから山荘の休憩部屋へはいる。
小屋番が休憩室のストーブに火を入れてくれた。湯を沸かして弁当にしようと思うが、弁当がない。どうやら弁当を忘れてきたらしい。がっくり。仕方がないので紅茶にビスケットを食べてからレトルトのカレーを暖め、カレーだけを食べた。
すると登山者が入ってきた。その人は入ってくるなり昔からの友達のようににこにこしながら私たちに話しかけてきた。“賀来家のファミリー登山”をいつも見ているので初めて会ったような気がしないという。
「敦子さんとお父さんだよね」
その方は小屋の手伝いに食糧などを担いで青根から登ってきたのだという。丹沢の素晴らしさを楽しげに話す人で、ここにほれ込んでいる様子が手に取るようにわかる。蛭ヶ岳山荘はこんな人たちに支えられているのであろう。うっかりお名前をきく機会を逸してしまった。
帰りは来た道を戻った。
途中で小雨模様となった。雷平から伝道までの紅葉も濡れていた。
白馬尾根では人に会うことはなかった。
やまなみ温泉で汗を流し山菜そばを食し家路についた。山菜そばは600円にしてはJR品川駅構内の立ち喰いそばのようでお粗末な内容だった。
21時に家へ帰り着き、玄関ホールに置き忘れていたという弁当を私は食べた。

来週は高松・大阪・福岡・名古屋へそれぞれ出張し金曜日夜に帰宅予定。その後に控える三連休は家族で大分へ帰省し、24日には長崎へ行く予定なので山には行けない。


参考資料:NPO法人北丹沢山岳センター発行「北丹沢ガイドブック」
この本は神ノ川ヒュッテにもおいてあるが、通常のネットショップでも扱っていない。巻頭の奥野幸道氏による神ノ川の随想が秀逸で、在りし日の丹沢を偲ぶことができる。奥野氏は私が高校生の頃からその名を知る丹沢の第一人者で、丹沢の登山史を語る時に欠くことのできぬ人でもある。



伝道
奇妙な地名である。名のゆえんを知りたいものだ



踏み跡はいったん草原の中ノ沢側の斜面を登っていくが
すぐに草原の中へと導かれていく



草原を行く



鬼ケ岩から蛭ヶ岳を見る



スティング



このような方々によって蛭ヶ岳山荘は支えられている



ブナの林を下っていく


まるで森の中の妖精のよう
図鑑で調べたら「ツチグリ」という名のキノコ
割って中が白ければ食べられるという



小雨の下山路 雷平と伝道間の丸木橋にて


雨にぬれる紅葉も風情がある

魚止橋 8:05
伝道 8:20
雷平 9:05--9:20
鬼ケ岩 11:20
蛭ヶ岳 11:55--12:45
鬼ケ岩 13:05
雷平 14:25
伝道 15:05
魚止橋 15:15

累積標高差1,172m 沿面距離5,034m