2007年 夏

丹沢 四十八瀬川

勘七ノ沢

2007/07/22

小勝さんのハンドメイド帆布ザックを背に、F1を登る朋子

勘七ノ沢は水無川本谷と並んで丹沢では最も有名で人気のある沢の一つだろう。大倉尾根をはさんで東に水無川本谷、西に勘七ノ沢が共に南に向って流れ下っている。水無川本谷の秦野市街地を望むことのできる明るい渓相に比べると勘七ノ沢のそれは幽玄な雰囲気の漂うものだ。
私が勘七ノ沢を単独で訪れたのは35年程前のことだったと記憶している。当時の登山風潮には「沢登りは岩登りのためのトレーニングの場」という意識があって、それゆえビブラム底の登山靴で登る人も少なくなかった。岩登りに比べると沢登りは一段低いものという認識があり、そのようなコンプレックスから沢を登る人は滝を直登することにステータスを見出していたというのは否めないように思う。
1980年頃になって柏瀬祐之氏が「沢登りは岩登りの妾ではない」とクライマーのオピニオンリーダー的性格を持っていた「岩と雪」誌や著作「山を遊びつくせ」などで主張。ちょうどフリークライミングが国内の登攀界に衝撃を与えた頃のことである。
この頃から流れが変わり始めたように思う。「沢登りは岩登りの代用品」という風潮が一変し、沢は沢として一つの価値が認識されるようになって、沢の価値を登攀の困難度で図ることから開放された。つまり自由になった。
さて、勘七ノ沢はどのような特徴を持った沢かと問われれば、すなわち「滝登りが面白い沢だ」と表現するのが妥当だろう。表丹沢の他の沢に比べると岩もしっかりしている。核心部ともいえるF5大滝は丁寧に登ればホールドも豊富だが、もし滑って落ちると高さがあるから死亡事故になる。いずれにせよロープによるビレイが必要だ。
ビレイの必要性について的確な判断の出来るリーダーがいれば初心者でも充分に楽しめると思うが、F5から上部がやや冗長で退屈なのが惜しまれる。
なお、危惧していたことだが勘七ノ沢一帯も残念ながら蛭の生息地域になってしまったようだ。

7月22日(日)曇り

土曜日の夜に翌日に山へ行く話を妻としていたら、次女の朋子が「私も行こうかな?」という。明朝4時半起床を約束して床に就いた。
梅雨が明けず、天候がよろしくない。5時過ぎに四街道の自宅を出発。
四十八瀬川の左岸の林道を行きたかったのだが、Naviに導かれるままに運転していたら右岸の道を行く。案の定ゲートがあって勘七ノ沢のかなり手前の県民の森駐車場にデポ。35年前の記憶は定かではない。神奈川県登山指導所は廃屋になっている。
勘七ノ沢出合には数台の車が止めてあって、水遊びしている人もいる。
今日の丹沢は熱帯雨林のような湿度と温度で、蛭がたかってくる。
どの滝も注意して登ればホールドは豊富である。F5は高さがあるのでくれぐれも注意。右岸(左側)には明瞭な巻き道があり、落ち口にはハンガーボルト三本のアンカーステーションが整備されている。
F5を越えてからが長い。途中でランチタイムをとって餅を焼いたりして休む。
堰堤を越え、ガレを登って小沢をつめ、花立山荘の裏手で大倉尾根に飛び出した。
三人とも蛭にやられてしまった。
※私たち親子はF1からF5まで、全ての滝で妻と朋子に対しロープによるビレイを行った。


防水ケースに入れたデジカメを持って歩き始めた



F1



少しもろいところのあるF2



F4



途中の堰堤を私のショルダーで越える朋子



F5大滝を登る朋子



F5を登る朋子を上から撮影



シャワークライミング



上部の堰堤

ランチタイム

7月22日
 勘七ノ沢入渓点 8:51
 F5上 11:45
 ランチタイム 12:25--13:26
 花立 15:39
 堀山の家 16:03--16:16
 勘七ノ沢入渓点 16:55