2008年 秋

丹沢

水無川本谷

2008/10/25

現在も崩壊が進行中のF8を背景にして巻き道を登る

深まりゆく秋を確かめようと、計画したのは丹沢の水無川本谷。言わずもがなの超人気ルートである。
私は1972年11月3日に単独行で水無川本谷を訪れたことがある。雨ではあったがガスに煙る紅葉は高校二年生の少年の目には幻想的な風景に映った。11月3日の文化の日前後に丹沢が紅葉の盛りを迎えることを知った。
今週末は11月3日には一週間ほど早いけれど、あの時の紅葉を再び見たいと思ったのである。
天気予報では午前中は晴天ということだったので期待したが、一瞬、薄日の射したもののどんよりとした曇天の一日だった。
お目当ての紅葉は標高1100m付近まで下りてきており、来週がピークかもしれない。

山頂に立つばかりが山の楽しみ方ではないと思うが、水無川本谷もF5を越えたところで遡行を打ち切り、書策新道を経て塔ノ岳を目指すなり、下山すればインタレストグレードAクラスだと思う。書策新道の横断地点から先は崩れかけた滝や高巻き、あるいはガレの登りに終始する。F8にしろ、F9にしろ塔ノ岳登頂のための高度稼ぎと割り切るのも一考に価するだろう。

10月25日(土)曇り

出発が遅れた。7時、異例の時間となった。案の定、首都高速の浜崎橋で渋滞につかまった。秦野中井ICで東名高速をおりて戸沢林道を走り、9時半に戸沢出合に到着。
どんよりとした曇り空で、他に沢登りらしき登山者も見当たらない。日帰りにしてはずっしりと重いザックを背負って出発できたのは10時だった。
通いなれた道をゆっくりと歩いていくが、まもなく汗が噴き出した。秋にしては気温と湿度が高いようだ。
40分ほどでF1に到着。左の鎖を利用して登る。トラバース時の足場が悪いので、妻をビレイ。すぐにセドの沢が右から合流しF2が続く。ここも左の鎖を使って登る。
これを過ぎると中だるみ部分がしばらく続く。途中で大岩のひさしがある。ここは高校二年生のときに雨宿りに使った場所だ。当時、天井部分には人工登攀練習用のボルトなどが打ち込まれていたが、現在はまったく何もない。
ゴーロ歩きにうんざりし始める頃、いよいよF3である。ここからF4、F5と滝場が連続し小さなゴルジュを形成している。水無川本谷の中の核心部である。
F3は左の鎖を使って登るが慎重を期して妻をビレイし、F4は右を登る。そして問題のF5である。
2004年6月に訪れた時には、鎖を支える支点の一部が抜けるなど、かなり荒れた状態だった。その後、再整備が行われたようで鎖の状態も良好に見える。
鎖は滝の右の壁をトラバースするように落ち口へと抜ける。トラバースとなるのでフォローする妻をビレイするには途中でランニングビレイをとらねばならない。そうしないと妻が落ちた時にグラウンドフォールしてしまう。妻にロープの端を持たせ登り始める。出だしの部分が崩壊して足場がなく、この部分は鎖をつかんで振り子トラバースのように体を移動させると足場がある。あとは妻のためのランナーを設置しながらグイグイ登れる。
妻も順調に登ってきた。
岩がしっかりしていれば、滝登りも結構楽しめるものだ。
F5を越えると数十メートルで書策新道が本谷を横断する地点である。書策新道と記された古い看板がある。
ここで大休止。時計を見ると12時。戸沢を出発してから二時間である。ここを遡行終了点とし、書策新道で木ノ又小屋まで行って小屋の美味いコーヒーを飲んでもいいかなと思う。
が、まだ昼だ。妻と二人連れでのんびり登るから本谷の遡行を継続すると山頂到着は16時を過ぎるだろう。下降はかって知ったる道、暗くなっても不安はない。久しぶりに源頭まで忠実につめてみるのも悪くないと考え直した。
書策新道横断地点を出発するとすぐに左から沖の源次郎沢、そして正面から木ノ又大日沢が入る。左へ急角度で屈曲する本谷の奥にはF6が見えている。F6は少し難しかった記憶があるので左を高巻く。
中だるみのごとく明るく開けたゴーロが続く。しばらく登ってF7だが、ゴーロに埋まって滝の様相を呈していない。更にゴーロを行くと前方に高い滝が見え始めた。
いよいよF8である。
「あのF8の下で昼飯にしよう」
沢筋はゴロタ石で歩きにくいので左岸の河岸段丘を登っていく。F8直下のミニゴルジュの始まるところで河岸段丘から2m下の沢底へ降りようとした。
河岸段丘だから斜面は砂まじりの斜面である。少し急斜面だが降り口に細い潅木が生えていた。それをつかんで斜面をずり降りようとした。体がほとんど斜面に入ったところで潅木が抜けた。もんどりを打って2m下の沢底に着地した。小さな落下だったが腕時計は吹っ飛び、大切にしていたCanonPowerShotG7がお釈迦になった。私は左腕をすりむいた。
こんな無様な落ち方をした自分に腹が立つ。
気を取り直して、20mほど先のF8の下まで行って、ザックを下ろし飯にする。今朝わたしが用意した弁当である。ガスバーナーに点火しレトルトカレーを温める。ゆっくり味噌汁を飲みながら昼食をとる。食後はコーヒーを入れる。
昼食後、F8の高巻きに入る。滝の直下まで行って右のザレたルンゼを見る。6年前には状態が悪かったこのルンゼだが今日はまったく問題がない状態。ザレの上部には残置ロープが見えている。砂地に近いザレを10mほど登って草付に達し、フィックスロープに導かれるようにして踏み跡を登っていく。登るにつれてF8が見下ろせるようになる。あたりは紅葉が始まっており、F8をバックに高度感のある巻き道をたどる妻の姿はなかなか絵になる。リブ状をつめていくとロープはルンゼを横断している。ルンゼの対岸までたどり着くと、F8の上の穏やかな沢底へとつづく斜面にでる。この斜面は傾斜もゆるやかでどこでも下ることができる。
少し行くと右から枝沢が入り、その10m先で二俣となる。この二俣を右へ入ってすぐにF9である。これは右側を巻く。徐々に急峻となった沢底をさらに登ると壊れた石積み堰堤に到着。ここから水が湧き出している。水源である。
ザックをおろし渓流シューズをぬいで運動靴に履き替える。上を見るとガレが続いている。ガレを慎重に登っていくがさほど登りにくくはない。振り返ると秦野の市街地が良く見える。天気の良い日だったらどんなに気持ちの良いことだろう。
すでに妻はバテバテモードに突入しているようだが、今日は文句一つ言わずに懸命に登ってくる。
ガスが湧き始めた。
表尾根の登山道にたどり着いたのは4時15分。そしてそこから10分ほどで塔ノ岳の山頂。ガスで視界はなく、尊仏山荘もかすんでいる。登山客が何人かいるようだがまだ灯りは灯っていない。私たちは山頂のテーブルに腰掛けてヘッドランプの用意をする。最新式の150ルーメンのヘッドランプを妻に渡す。
天神尾根を下降路とすることにして16時40分、下山開始。大倉尾根を5分ほど下ったところでフランス人らしき3人の幼児を含む家族連れとすれ違った。
天神尾根へ入るところでヘッドランプに点灯。真っ暗になった杉林の中の急下降は下りにくい。標準所要時間を大幅に超過して戸沢の駐車場にたどり着いたのは18時30分だった。
秦野市内のファミレスで食事をし、秦野中井ICを入ったのが20時10分。首都高速は空いており四街道の自宅に帰着したのは21時半だった。

参考資料
山と渓谷社1995年発行「丹沢の谷110」
山と渓谷社1969年発行東京雲稜会「丹沢の山と谷」



核心部であるF5
右に鎖が見える



F5の下部の鎖部分は崩壊が進んでいる



F5を登ってくる妻



F7周辺は滝とは言えない



F8下で広げた弁当



F8の巻き道



F9は右を巻く


詰めのガレ