2008年 秋

丹沢

丹沢主稜縦走

2008/11/1--2

金山谷の頭付近の紅葉

先週、水無川本谷を訪れたのがきっかけとなって、11月文化の日の三連休を利用して丹沢主稜を縦走してみたいと思った。
紅葉の盛りを迎えているのではないかと想像したのである。
そんな気持ちを伝えると妻も行きたいという。
そこで、三連休の前半の二日間を利用して丹沢主稜縦走を計画した。
で、実際どうだったのか。
標高1400m以上の稜線の紅葉は終わっていたが、一言でいうと丹沢山と蛭ヶ岳を結ぶ稜線に惚れた。
秋の西日が私たちと山を照らしていた。西陽を受けてゆったりとした笹の原につづく稜線。まるで上越国境稜線にあるような笹に覆われたゆるやかな尾根と峰。
私は昔のことを思い出した。まだ山登りの駆け出しだったころに同期の砂田栄作や岩崎良信と登った秋の日のこと。谷川岳一ノ倉沢滝沢第三スラブのドーム壁を登りきって、国境稜線へとつづく笹のリッジをたどり稜線を越えるとその向こうに笹原が広がっていた。秋の夕日が私たちのほほを照らしていた。
あの時の草原に似ている。
こんな素晴らしいところが我が家から2時間ほどのところにあったのか。
知らずに37年を過ごしたことを私は悔やんだ。

11月2日(土)快晴

丹沢主稜の起点である塔ノ岳への入山ルートを大倉尾根とし、終点である檜洞丸からの下山ルートをツツジ新道とした。入山地点と下山地点がかなり離れる。準備の都合もあって自家用車で四街道を出発した。
大倉尾根は、沢歩きの下降路として使うことがもっぱらで、登路に使うのは1974年が最後だったように思う。大倉高原山の家を経由してゆっくり登っていく。
大倉尾根からの塔ノ岳は累積標高差1,285m。塔ノ岳までたどり着くのが、今回の山行の最大の難関である。汗をしたたらせ一歩一歩登山道を踏みしめながら登っていく。新築された見晴茶屋を過ぎ、人気のない駒止茶屋を経て、堀山の家まで、それぞれの小屋の前で休憩しながら辛いのぼりを耐える。幸いなのは快晴であることだ。
すでにバテバテモードの妻を励ましながら、花立山荘までたどり着いた。
花立山荘からは秦野市街地の素晴らしい展望が広がっていた。ベンチに腰をかけ、汗をぬぐいながら水を飲む。
塔ノ岳には計画よりも30分ほど送れて到着した。山頂にはたくさんの人々がくつろぎ、休んでいた。お弁当を広げている人、昼寝をしている人、遠くの山々に見とれている人。
私たちもベンチに腰をおろしお弁当をひろげた。30分遅れているのでバーナーでお湯を沸かす余裕がないのが残念だ。最近の定番となっているおかずはウインナーソーセージだけのお弁当。これに塩昆布とユカリをたして食べる。水を飲みながら食べたけれどとてもおいしい。
塔ノ岳の山頂から北面をみると、丹沢山から蛭ヶ岳。そして左には樹林におおわれた檜洞丸が見える。特に蛭ヶ岳は山容が堂々としており、山頂部に小屋があるのがはっきりとわかる。
13時20分、尊仏山荘の西側に沿って主稜縦走への一歩を踏み出す。縦走路は起伏をまじえながら日高、竜ケ馬場を北へ向かう。周辺は疎林の笹原で視界はよく、景色は美しく開放的で明るい。竜ケ馬場のベンチで休憩。ここからは遠くに東京の高層ビル群が見える。それもくっきり見える。今日は空気が澄んでいるのだろう。
14時38分、丹沢山に到着した。テーブルにザックを投げ出し、行動食を口に入れ、水を飲む。
丹沢山から主稜線に沿って、下り始めると前方に不動ノ峰の笹の斜面が広がっている。その姿は雄大で、とても丹沢だとは思えないほどだ。
丹沢山から早戸川乗越まで100m以上も急下降し、いよいよ不動ノ峰の雄大な笹原の中の道を登っていく。本当にのびのびとした草原のような稜線だ。一汗かいて急斜面を登りきり、不動ノ峰の直下に東屋を見る。水場3分との立て札がある。時間的な余裕があれば水を補給していきたいところだが、今日は先を急ぐしかない。
不動ノ峰から鬼ケ岩の頭までの稜線は起伏がほとんどなく、登山道は小道のように笹原の稜線に続き、左には玄倉川の最源流部が急斜面となって突き上げている。山の裾野には玄倉川の河原がまるで双六谷のように逆光に霞んで見える。
そしてその上には富士が秀麗な姿を見せている。
一方、右の斜面は早戸川の源流部である。笹原のおだやかな斜面がひろがって、こんなところを詰め上げてきたら最高だろうと思わせるような風情だ。
多少の上下をくりかえしつつも、ほとんど平坦な笹原の小道は鬼ケ岩の頭で中断する。鬼ケ岩は小さな岩場だ。鬼のツノもせいぜい1メートルほどしかないかわいらしいものだ。鎖の設置された岩場を50mほど下って、再び笹原の斜面。ゆっくり150mほど登っていく。
スティングという名の山荘の飼い犬が吼えながら私たちを歓迎してくれた。
すでに日もかげり肌寒い。ガスも流れてきた。16時40分だった。
かじかんだ手で宿泊の手続きをする。夕食は18時10分と案内された。まだ1時間半あるので、着替えをしてから外に出る。外に出てみるとすでに秦野市街地に灯がともっていた。ガスが流れ時おり視界を遮る。小屋の中のストーブでカワハギを焼き、持参した酒を呑む。酒は一合500円。水は2リットルペットボトルで1200円だった。
そうこうしている内に昼食の時間となった。
おでんと佃煮。
蛭ヶ岳山荘の立地条件が丹沢の最深部であることを考えると、質素な夕食だが感謝しながら食べる。
すこし小屋番と話をした。紅葉シーズンの11月の土曜日は50名以上の宿泊客があるが、それ以外のシーズンは登山者が少なく、真夏などはまったく人が来ないという。
小屋は整理整頓が行き届き、トイレは清潔でニオイもまったくなく、布団もふかふかで気持ちが良い。居心地の良い山小屋である。この小屋は通年営業だという。こんな最深部で冬期営業とは苦労もひとしおであろう。今度は冬に来て見たい。
食後、すぐに眠気がさそい、早々と布団にもぐった。

11月3日(日)曇り時々晴れ

5時半に朝食。混雑していたので、しばらく外に出て暇をつぶす。小屋の戸をあけてみるとガスに覆われ乳白色の世界が広がっている。
6時過ぎに朝の食卓につき、食後はゆっくりとくつろぐ。ガスに切れ目があったから、これから天候回復するかもしれないと期待する。
7時、小屋を出発する。
外に出るとガスが切れ富士山が姿を見せ始めた瞬間だった。蛭ヶ岳の山頂にいたカメラを構えた数人が慌てたように走り回っている。
蛭ヶ岳から稜線は大きく二つに分かれる。北上するのが丹沢主脈と呼ばれるもので姫次、黍殻山、焼山へと続く。一方、西へ向かうのが丹沢主稜である。
私たちは主稜へ向かう。
蛭ヶ岳は稜線上の1ピークではあるが、独立峰のように一段と高く聳え立っている。だから山頂からはどちらの方面へ行くにしても一旦大きく下らなければならない。
どんどん下り、鎖場を通過し「本タルミ」へと一気に300mも下る。1500m付近ではすっかり葉の落ちてしまった木々だが、標高1300m付近まで下ると紅葉も美しく、ときどきハッとするような赤い木が散見される。ブナの落葉をかさかさ言わせながら踏みしめて徐々に登っていく。
臼ケ岳の山頂部は平らで細長いものだった。端っこにテーブルがある。ザックを下ろし休憩していると反対側の檜洞丸から中高年登山客の一行がやってきた。同じテーブルで休んだ。
臼ケ岳からさらに下っていくと神ノ川乗越である。標高1,255m、ここが最低鞍部となる。神ノ川側もユーシン側も穏やかな斜面が広がっている。
またゆるく登っていく。金山谷の頭のベンチで湯を沸かしてコーヒーを淹れる。コーヒーを飲みながらだと、いつものビスケットもとてもおいしく感じる。
金山谷乗越からは最後の登りだ。辛抱強く登っていくにつれ背後に蛭ヶ岳がますます高く聳え立っていく。
傾斜がゆるくなってくると檜洞丸の山頂も近い。
青が岳山荘の煙突からは青い煙が立ち昇っていた。以前来た時には人がいなかったが、今日は小屋番がいるらしい。
10時50分、妻もようやくたどりついた。ザックをおろし汗ばんだ額をぬぐいながら小屋の戸を開けると、小屋番がいた。スポーツドリンクを2本買う。
檜洞丸の山頂にはたくさんの人がいた。
11時20分、山頂では写真を数枚撮っただけで下山にかかる。ツツジ新道を下って14時のバスに乗りたいのだ。
山頂から少し下ると、真正面に富士が見えた。ツツジ新道をひたすら下っていく。
展望台広場で大休止。この辺まで下ってくると紅葉もこれからのようだ。
そしてようやくゴーラ沢に到着。ここで湯を沸かしてレトルトのカレーを温め食べた。おいしかった。河原に涼しい風が吹いていた。
ここから登山道はほんの少しだけ登りがあり、あとは平坦な部分がしばらく続く。木々は青葉でまだ紅葉は始まっていなかった。平坦な道が急な下り坂になった。ほんの少しの下りで林道にたどりついた。林道は舗装されており行楽に来た車が時折走っている。河原に沿ったオートキャンプ場を見ながら林道を下っていく。
西丹沢自然教室にたどり着いたのは13時40分。
バスは30分以上も遅れて新松田に到着し、大倉の駐車場にとめてある車に戻ったのは16時40分。
いつものファミレスで食事をして、秦野の湯で汗を流し、帰宅したのは20時30分だった。

2006年12月檜洞丸の記録



竜ケ馬場へ向かう



丹沢山からの下りから見る「不動ノ峰」



不動ノ峰への笹原の道


不動ノ峰からふり返る


逆光に富士



棚沢の頭付近を行く



鬼ケ岩



蛭ヶ岳への最後の登り



二日目の朝、蛭ヶ岳を下る



玄倉川熊木沢の源流部を下に見る



臼ケ岳を越えて


檜洞丸の登りから見る蛭ヶ岳