2004年夏

丹沢 水無川 木ノ又大日沢

2004/6/26

1972年、水無川本谷の雨とガスに煙った二股で16歳の私は一人たたずんでいた。
持参したガイドブックには正面から流れ込む木ノ又大日沢には入り込まぬよう記述されていた。この霧の奥にある沢の中になにがあるのだろうか。
あれから32年を経て木ノ又大日沢を登る機会を得た。

6月26日 曇りのち晴

戸沢への林道を歩いていると出水によるものと見られる土砂の堆積がところどころで目に付く。林道終点から書策新道へ入ってすぐにある金網で補強された石垣も流失しており、幅30cmのコンクリートのバンドをへつらなければならなかった。6月21日から22日にかけて日本列島を縦断した台風6号の爪痕であろうか。
水無川本谷のF5まで行って更に驚いた。右壁に設置されている鎖の中間支点である太い鉄杭が二本抜けており、クサリや鉄杭に小さな流木が引っ掛かっている。鉄杭が抜けた時期や原因の詳細はわからないが、クサリに絡まった流木はごく最近この位置まで水位が上昇したことを証ししている。帰宅後丹沢湖のアメダスを調べてみると21日夕方の数時間内に148mmの降雨があったことが記録されており、何があったのかをクサリに絡まった流木が具体的に物語っている。
この時F5周辺も濁流に飲み込まれたのであろう。その映像と音響が目の前によみがえるようである。


それはどうということもない小雨から始まった。まだ大丈夫だと誰もが思っていた。だから河原の砂地に幕営したのだ。しばらくの間は水位の変化は認められなかった。夕食を終え皆が寝静まった頃少し雨脚が強くなった。
雨脚は更に強くなりそしていつの間にか豪雨になり始めた。フライシートを激しく雨が打ち、その音で誰もが目を覚ました。不安げに誰かがタバコを吸いはじめた。そしてそれは始まった。
「豪雨が続くに従って水が濁りはじめ水位が急激に上がっていく。普段はおとなしい滝が太い水流となって滝壷に突入しパートナーへのかけ声も轟音の中にもみ消され会話が通じなくなる。と同時に命の危険を感じはじめる。
濁流の大音響が谷を満たし全ての音が遮断され結果的に無音の状態と同じとなる。
そのすさまじい無音の状態の中で突如、腹に響くような低音の衝撃が走る。
ゴッ、ゴッ・・・。
ついにパンドラの箱が開けられたのだ。
沢の底石が動きはじめ、互いにぶつかり合いながら鈍い音を立てている。一抱えもあるような大岩が濁流にもまれながら動いていく。倒木などはひとたまりもない。ヘッドライトに照らされた濁流の中を大黒柱のようなモミの木が暴れながら下流のゴルジュへと吸い込まれていく。
谷の中の全ての有機物はミンチのように磨り潰される」
増水を確認してからミンチになるまでせいぜい1分から2分間。これは1986年の鹿山会登攀クラブの夏山合宿に日高山脈歴舟川キムクシュベツ川で体験した鉄砲水の体験そのものでもある。
私はクサリに絡まった小さな流木を見ただけでこのような映像がまぶたに浮かぶ。それにしても想像するだけでも恐ろしい光景だ。


さてF5を越えると目の前に書策新道が横切っている。そこから2・3分登ると左から沖の源次郎沢が入り込み、本谷は直角に左に折れ奥にF6が見える。そして正面からは明るい広々とした木ノ又大日沢が流入している。
木ノ又大日沢に関しては1969年発行の「東京雲稜会編 丹沢の山と谷」を数日前にちらりと見ただけで、下調べらしきことはほとんどしていない。この先何があるのだろうとちょっぴりドキドキしながら木ノ又大日沢の遡行を開始する。

すぐに階段状のナメ滝(便宜上F1と呼ぶ事にする。以下同様)が現れた。沢の岩盤が完全に露出しているわけではないがゴーロを歩くよりは楽に登れる。
登りきると前方に次の滝(F2)が見える。近づいて見ると高さは5mといったところか。右を簡単に登ることができる。
F3小滝3mはF2のすぐ上。ここから小規模なゴルジュ状になりすたすた歩いていく。
知らない沢で高巻きできないような滝が突然出てきたらどうしようなどと思いながら登っていると前方に高い滝が(F4)が見える。遠方から見上げたときには大きな滝のように感じられたが近寄ってみるとF4は紫色の岩盤を二段になって落ちる6mほどの滝だった。右の簡単な階段状を登る。
そして更に数分登ると高さ5mほどのF5である。沢幅いっぱいに滝でふさがっておりどうしたものかと思ったが、水流の左側はホールドが豊富だ。ガバホールドが連続するが一度岩が剥離した。慎重に行く。
その上でまたもや滝。樋状の滝(F6)で高さ7mといったところか。ホールドの豊富な中心部をシャワークライムで上に抜ける。
F6を抜けると源流部の様相になってきた。見上げる沢の左は深くえぐれたもろそうな岩ミゾで右手はザレ地帯になっている。右手のザレ地帯の更に右手には木の生えた小さな尾根になっている。稜線からの落石を恐れて右の小尾根に逃げる。尾根の背を登っていくと不明瞭ながらも踏み跡がある。登っていくにつれて踏み跡はだんだん明瞭になりぐいぐい登っていく。木の根につかまって身を乗り出すと目の前にまたもや鹿の白骨が散乱している。びっくりして登路を変更。
笹のない斜面は登りやすいが傾斜がきつい。息を切らせながら辛抱強く登っていくと稜線直下はアザミと野バラの咲く斜面になっていた。芝のような草を踏んで表尾根の縦走路にでた。

水無川本谷から木ノ又大日沢は・・・
木ノ又大日沢は思わぬ掘り出し物であった。6つの滝を有しているがいずれも簡単に登ることができ、源流部の藪コギもない。
水無川流域では水無川本谷から木ノ又大日沢を継続するのが最も快適な稜線への登路のようだ。


表尾根
ヤビツ峠経由で帰路についた。大倉尾根よりも30分ほど余計に歩かされるし、ヤビツ峠のバスの便も少ない。しかしながらそれを補ってあまりあるほど開放的で明るく展望も利く。歩いて良かった。


新しいザック
とあるザックに一目惚れしてしまい購入した。いかにも玄人好みのシンプルなデザインに1,000dnナイロンの頑丈な素材。このような素人受けしないザックはたくさんは売れないのですぐに廃版になることだろうからすぐに買い求めたのである。これから数十年、親子二代を通して使うことができる良質のザックである。


テレビで見たことのある人
朝、滝沢園近くを歩いているとハイキングの団体さんとすれ違った。小柄でおかっぱ髪に聞き覚えのある声。最近テレビで見たことのある片山右京という人だった。滝沢園の上の駐車場にテントが設営されており車がたくさん駐車していた。なにかのイベントをやっていたらしい。


四街道5:22
新宿発6:40
渋沢着7:50 発8:08
大倉着8:23 発8:30
戸沢出合着9:40 発9:55
本谷F1下着10:15 発11:29
本谷F5下10:57
本谷F5上11:03
書策新道着11:05 発11:21
木ノ又大日沢出合11:25
F1(ナメ滝)11:31
F2(5m)11:37
F3(3m)11:40
F4(二段6m)11:51
F5(5m)12:04
F6(7m)12:11
源流部(ザレ地帯の下)12:32
稜線12:58
木ノ又小屋着13:01 発13:17
烏尾山14:14
三ノ塔14:47
ヤビツ峠着15:40 発15:51
秦野着16:33 発16:48
新宿着18:04 発18:11
東京着18:25 発18:45(特急しおさい11号)
四街道19:35


利用ガイドブック=山と渓谷社1969年4月1日発行「東京雲稜会編 丹沢の山と谷」