2011/05/22-27
前穂高岳
明神岳東稜上部より望む
このような時期に一週間も休暇をとって山へ入るのは初めてである。
勤務先にはリフレッシュ休暇と言う制度があって、今年は勤続31年目なので二週間の休暇が取得できる。当初の予定では妻と二人でヨセミテへ行こうと計画していたが、航空券を購入する直前になって仕事の都合で二週間の休暇が無理な事態となった。しかしながらすでに妻は休暇の準備ができていたので、一週間だけ休みをもらうことにした。
さて、どこへ行くか。
東北へ行きたい、あるいは大縦走もいいな、などと計画していたが、天候が安定しない。
出発の朝になって上高地の小梨平に滞在し、晴れ間をとらえて明神岳東稜をワンデイすることにして出発。廣川健太郎氏の著作「チャレンジアルパインクライミング」を途中のコンビニでコピーし沢渡へと向かった。
がらんとした「沢渡上」駐車場は土砂降り。バスで上高地へ到着する頃には雨があがった。
当たり前だが小梨平にはキャンパーはほとんどいない。カラマツの落ち葉が絨毯のようにふかふかな地面の脇にニリンソウが咲く。そんな最高のサイトにベースキャンプを設営。
天気は良くなかったが、体を山になじませようと徳本峠へと出発した。曇り空なのでニリンソウの花びらは閉じている。その花びらが薄い桃色をしているのが愛らしい。明神の先で橋を渡って右折し、白沢沿いに林道を徳本峠へと登っていく。周辺にはニリンソウの群落があちらこちらにあって目を楽しませてくれる。林道が終わって山道へと入る。やがて雪が現れ始めた。そのうち夏道は雪に埋もれ沢の中の急峻な雪渓をたどっていく。一応アイゼンは持ってきているがキックステップで登れる雪の硬さ。
峠からは雲に浮かぶ島のように八ヶ岳が見えていた。
徳本峠の小屋が昨年、新装となったことは知っていた。小屋の前でザックをおろし、休んでいると小屋番の女性が「寒いだろうから中に入ってお休みください」と声をかけてくれた。
小屋の中は木の香りがしていた。小屋番の女性がお茶、そしてコーヒーを出してくれた。申し訳ないので何か注文しようとすると「気を使わないでもいいんですよ」という。そういうわけにも行かないので小屋オリジナルの手ぬぐいを二本買い求めた。しばらく山の話をしていると「徳沢へ向かうハイカーが道を間違えて徳本峠へやってくることがある」という。
泊まってみたい誘惑をふり切って峠を後にする。
しばらく下っていくと女性ハイカーが二人登ってくる。そして私たちに問うた。
「徳沢はまだでしょうか?」
「はぁ?」
小屋番の彼女が言う通りだった。事情を聞いたら明神の先の橋を渡ったところにある「右側を渡ってください」という小さな仮設標識に惑わされたらしい。しかも本来の道標も認識しにくい角度で設置されている。
雨が降り始めた。小梨平のベースキャンプに戻った頃には土砂降りの雨となった。
小梨平食堂では生鮮食料品を時価で分けてくれるという。例えば野菜のほかに納豆、卵、バターなど。
夕食後、風呂にゆったりとつかって体をほぐした。
雨は激しくなりサイトは水びたし。もともと水はけの良い場所だが雨が強すぎるのだろう。しかしながら2001年購入の古いエアライズの内部には水の染み出しはまったくない。一ヶ月ほど前にフロア生地へ防水処理をしておいて本当に良かったと思った。
夜が明けても雨は強い。8時頃になって雨が上がり、しばらくして薄日が差し込みはじめた。雲が切れ始め穂高が見え始めた。岩肌は真っ白に雪化粧している。先ほどまで降り続いた雨は標高2100m以上では雪だったようだ。
天候は10時過ぎにはすっかり回復し、真っ青な青空が広がった。
昼食後、明神岳東稜へのアプローチの偵察に行くことに。ワンデイで登ろうとすれば夜明け前の真っ暗な状態でアプローチをこなすことになる。となると暗闇でも迷わないで登れるように偵察しておいたほうが良いだろう。
明神橋で梓川を渡って林道を少し行くと、養魚場跡。
ここには「信州大学山岳科学総合研究所上高地ステーション」なるこじんまりとした小屋が建っている。小屋の庭を突っ切って奥までいくと丸木橋があって「ひょうたん池」の標識がある。丸木橋を渡り終わるといきなり笹薮。道がないので面食らったが笹をかきわけて10mほど行くと踏み跡がはっきりし始める。赤テープが要所にあるので踏み跡を失うこともなく下宮川谷の右岸樹林帯を登っていく。やがて踏み跡は下宮川谷の河原の右岸に沿って登るようになる。
1650m付近で右側から白ザレが入りこみ標高1720m付近で下宮川谷を横断し左岸の小沢へ入っていく。入り口にカラマツの大木がある。この小沢にはしっかりとした踏み跡があり、ところどころで雪を踏みしめながら一直線に高度を稼いでいく。
「宮川のコル」も近い標高1865m地点で15時。そろそろ引き返すべき時間だろう。
私の観天望気では明日も好天だと思う。ザックの中身を一部デポしていくことにする。すなわちアイゼン、ピッケル、ガスストーブ、ツエルト、食料。
走るようにして下降。
ベースキャンプで天気図を確認すると移動性高気圧がやってきている。今日一日の好天で新雪は雪崩となって落ち、雪も安定して明日は絶好の登攀日和となるだろう。
明朝1時起床、2時出発を妻に説明して就寝した。
1時起床、2時16分小梨平を出発。星空の森を明神へ。
「信州大学山岳科学総合研究所上高地ステーション」では誘蛾灯を煌々とともしていた。
丸木橋を渡る。昨日の偵察のおかげで迷うことなく登っていく。
1720m地点で右岸から左岸の小沢へ入る。ここで明るくなり始めた。デポ地点でピッケルアイゼンなどを回収。歩きにくいガレ場を「宮川のコル」へと登っていく。
コルというイメージからもう少しのどかな雰囲気を想像していたが「宮川のコル」は標高が低い割には荒涼とした場所である。雪崩や岩の崩落、あるいは風など自然条件が厳しいのだろう。見上げると明神岳の東面が岩壁となってすさまじい景観だ。数年前に馬目氏ら若いクライマーによるウィンタークライマーズミーティングがここ明神で開催されたことをRock&Snow誌が報じていたことを思い出す。ここなら第一級の厳しい冬期登攀が可能なことは容易に想像できる。そういえば宿舎に利用されたのは「信州大学山岳科学総合研究所上高地ステーション」だった。
コルから少し下ってアイゼンをつける。さていよいよ上宮川谷の横断。明神岳の上部からの雪崩の通路「ラビーネンツーク」を横切る。横断距離の短くて済みそうな場所を探して少し登り、まず私が横断、そして妻。
横断終了点から「ひょうたん池」へはひと登りだった。ひょうたん池はもちろん雪の下である。浅い雪の窪みがその存在を示しているだけだ。下又白谷を挟んで茶臼の頭が見える。
JECCルートのある下又白谷下部菱形岩壁とはどれのことだろうか。ひょっとして茶臼の頭の中腹に見えるボロ壁か?だとすれば奥鐘の方がよっぽど気が利いている。
一方、東稜の上部へと目を転じると穏やかな雪稜の先に最初の壁が見える。正面は難しそうに見えるが近くに寄れば弱点も見つかるだろうとゆっくり雪稜を登っていく。
残雪期も終わりに近いので雪には亀裂があって、それがところどころで段差を作る。その段差が垂壁になっていたりしてマジモードで登る。腹が立つのは亀裂が一昨日の新雪で覆われている場所だ。いきなり落ち込んで胸まで没してもがく。悪戦苦闘しながらもようやく最初の壁の下に到着。
ここで昼食。昼食はカップヌードルリフィル。これはいい。コンパクトで調理が簡単。コープ四街道店で売っていて重宝していたが取り扱いを止めてしまった。最近は山の店でも見かけるけれどネットショッピングが便利である。今回の山行前に4000円分を購入した。
さて最初の壁は目の前の草付きがルートのようだ。腐れかけた古い残置ロープが垂れさがっている。アイゼンのツァッケとピッケルのピックが草付に食い込んで小気味良く登ることができる。もちろん妻をビレイ。
ここから明神岳山頂まで妻とはロープをつなぎっぱなし。短い危険箇所であってもすべてスタカット。
気持ちの良い雪稜と、新雪のラッセル、そしてハイマツの潅木登りを繰り返しながら登っていく。腰まで没しながらラッセルするような箇所では肩から提げた一眼レフが雪まみれになる。
やがて顕著なピークに到着。
このピークからは前穂高の下又白谷側が良く見える。この角度から見る前穂は新鮮。そして目指す明神岳主峰(2931m)が穏やかな雪稜を介して目の前に立ちはだかり、中盤にはバットレスと呼ばれる小さな岩場が見える。
ピークからゆるやかな雪稜をたどる。三週間ほど前に前穂に登った時に明神岳東稜の稜線にテントを張っているのが見えたが、それがこの場所だ。広い場所なので数張は張れそうで、とても気持ちの良いところだ。
最後の斜面に取り付く。岩場基部から壁に沿って左へ回り込み急な雪壁を登っていく。一昨日の新雪は私の体重を保持できるほどの支持力がない。ところどころにある草付にピッケルを打込ながら登っていく。岩場ではないのでランナーは一本も取れなかった。やがて核心部の小さな岩場下へ到着。この岩場はハーケンがベタ打ちされている。アイゼンを履いての岩登りなど久しぶりだ。たぶん1991年のマッターホルン以来ではなかろうか。
妻に「登りはじめる前にアイゼンを脱ぐように」と指示しようと思っていたのだがうっかりしてしまった。彼女はアイゼンを履いたまま登り始めた。厄介なことに登っている最中に妻のアイゼンがはずれてしまった。私のところまで登ってきた妻はもうバテバテ。ここで彼女によろけられたらアウト。慎重にスタカットでロープを延ばしていく。
3ピッチほど雪壁をつなぎながら山頂を目指す。
明神岳の山頂に出ると西穂高の上にある太陽がまぶしかった。暗くなる前に奥明神沢のコルへたどり着きたいと思っていたが、これなら十分に間に合いそうだ。山頂に到着した妻はぐったりしている。残してしておいた私のスポーツドリンクをたっぷり飲んでもらうとやがて元気を取り戻した。
ここから奥明神沢のコルまでが最後の危険箇所だということを説明し下降にうつる。雪が残っていれば懸垂下降をしなければならないが稜線には雪は消えており夏道が露出している。途中で私もアイゼンを脱ぎロープをしまう。
慎重に奥明神沢のコルに降り立った。
まだ19時前。十分に明るい。あとは慎重に雪壁を下降するだけ。ヘッドランプを用意して下降開始。
ゴールデンウィークには軽やかに下降した雪壁だからもう大丈夫だと思ったのは甘かった。陽がかげると急激に気温が下がり、やわらかかった雪壁が硬化してアイゼンの前爪がようやく刺さる程度になった。しかも雪面にはところどころに落石が引っかかっており、滑落するとこれに激突するかもしれない。ここは大事をとってゆっくり下降していく。
下降を続けていくと新雪のデブリが沢全面を覆い尽くしているのに遭遇。雪の降るたびに雪崩ながらいつしか夏を迎えるのだろう。小屋の明かりを目印にして下ってくと小屋の直前になって大きなデブリが小屋を隠す形になり、一瞬明かりを見失った。デブリを越えると小屋は目の前だった。
2時間20分を要して岳沢小屋に到着。すでに21時を過ぎているので小屋番は寝ているようだ。小屋の前の石のテーブルでカップヌードルリフィルを食べる。疲れたけれどここから上高地へはどうと言うことのない道だ。今月始めのゴールデンウィークの記憶ではあっという間だった。
22時に上高地へ下山開始。ところがここでも誤算。ゴールデンウィークには下部の樹林帯まで雪面を走るようにして下ったので、その記憶に沿って下った。
途中で雪は消え荒れた河原となった。しばらく下って異変に気がつき国土地理院の地形図を参照すると登山道は左岸に沿っている。左岸を見ると高さ20mほどの崖になっていて、その上に登山道があるのだろうか。雪のない季節に上高地・岳沢間は二回ほど歩いているがまったく記憶にない。記憶にあるのは三週間前の経験だけだ。とはいえ崖の上に登山道があるのは疑いのないことなので苦労して崖を登ると案の定登山道。やれやれだ。梓川沿いの林道に到着した時に日付が替わった。寝静まった小梨平野営場のベースキャンプに帰着したのは0時24分だった。
昨夜の残業が強烈だったのでとてつもなく朝寝坊をするかと思っていたが5時過ぎに目が覚めた。妻も同様だ。
「若くないと長時間寝ることもできないのだろうか」などと妻と笑う。
今日は一日休養日。
妻と河童橋でひとつのソフトクリームを分けて食べたり、カラマツの木陰で昼寝をしたり、小梨平食堂で食事をしたり。
山賊焼き定食はにんにくが効いていて美味しいかったが、とんかつ定食は普通だった。
午後から再び雨。
妻と風呂上りにビール(本当は発泡酒)を呑む。それから余った野菜を全部炒め物にする。大分県中津の湯屋から送ってくれたニンジンはスティック状にして生のまま食べる。野菜だけでおなか一杯。
もう一泊できる日程だが台風が接近しており撤収のことを考えると、今日午前中に上高地を後にしたほうが良い。
朝食は昨日余った野菜炒めとマルタイラーメン。
子供の頃、大分の賀来や湯屋や小袋から送ってくる荷の中に良く入っていた二点のひとつがマルタイラーメンだ。そしてもうひとつがボンタンアメ。マルタイラーメンも「醤油とんこつ味」や「塩味」などが加わってバリエーションを楽しむことができるようになった。
敦子からメールが入っていて「松本に詳しい患者さんが木曽屋の田楽と蕎麦が美味しい。それから開運堂の老松がお勧め」とのこと。木曽屋で田楽と蕎麦を食べて、お土産用に開運堂の老松を買い求め、カトリック松本教会へ立ち寄って「ルルドの聖母マリア」へ今回の山行の無事を感謝してから家路につく。
ラジオでは関東甲信地方の梅雨入りを報じていた。
走行距離:628km、ガソリン消費量:56リットル
2011年5月25日木曜日 | |||
小梨平BC | 02:16 | ||
明神 | 03:05-12 | ||
信大上高地ステーション | 03:25 | ||
下宮川谷横断地点1720m | 04:17-29 | ||
宮川のコル | 05:35-51 | ||
ひょうたん池 | 08:11-28 | ||
最初の壁の下 | 09:31-10:07 | ||
バットレス手前のピーク | 14:40 | ||
バットレス基部 | 14:56 | ||
明神岳山頂 | 17:23-48 | ||
奥明神沢のコル | 18:53-59 | ||
岳沢小屋 | 21:15-22:02 | ||
林道 | 0:03 | ||
河童橋 | 0:18 | ||
小梨平BC | 0:24 |
周辺の記録 | ||||
2011 | 春 | 北アルプス 穂高 | 我が家の春山合宿「岳沢から前穂高岳」 5/3-5 |
家族と |
2010 | 夏 | 北アルプス | 我が家の夏山合宿「室堂から薬師岳縦走」 8/10-8/15 | 家族と |
2010 | 夏 | 北アルプス | 剱岳 (源次郎尾根より) 7/17--7/19 | 家族と |
2010 | 初夏 | 北アルプス 上高地 | 小梨平キャンプ事情 6/5-6 | 同僚と |
2010 | 春 | 北アルプス 穂高 | 我が家の春山合宿「北穂高岳東稜」 5/1--4 | 家族と |
2009 | 夏 | 北アルプス | 黒部川 御山谷 8/28-29 | 友人と |
2009 | 夏 | 北アルプス | 上高地徳沢 7/18-20 | 一人 |
2008 | 夏 | 北アルプス 金木戸川 | 我が家の夏山合宿「双六谷から九郎衛門谷」 8/10--8/16 | 家族と |
2008 | 夏 | 北アルプス | 裏銀座コース「烏帽子岳から槍ヶ岳」 7/28--8/3 | 素直 |
2008 | 春 | 穂高 涸沢定着 | 我が家の春山合宿「涸沢から奥穂高岳」 5/3--5 | 家族と |
2008 | 冬 | 上高地 | スノーシューハイキング3/8--10 | 家族と |
2007 | 秋 | 黒部川 下ノ廊下 | 我が家の秋山合宿「下ノ廊下」10/6-10/7 | 家族と |
2007 | 夏 | 黒部川 上ノ廊下から赤木沢 | 我が家の夏山合宿「上ノ廊下から赤木沢」8/11--8/17 | 家族と |
2007 | 夏 | 燕岳から常念岳 | 燕岳から常念岳 7/30--8/1 | 素直 |
2007 | 春 | 穂高 涸沢定着 | 我が家の春山合宿「涸沢から北穂高岳」 5/3--5/5 | 家族と |
2006 | 夏 | 黒部川 上ノ廊下から赤木沢 | 我が家の夏山合宿「上ノ廊下から赤木沢」 8/11--8/17 | 家族と |
2006 | 春 | 穂高 涸沢定着 | 我が家の春山合宿「涸沢から奥穂高岳」 5/3--5/6 | 家族と |
2004 | 秋 | 黒部 奥鐘山西壁 | 奥鐘洞窟の七日間 9/18--9/24 | 若人と |
2004 | 夏 | 黒部川 上ノ廊下 | 我が家の夏山合宿「黒部川上ノ廊下」 8/8--8/14 | 家族と |
2004 | 夏 | 黒部 丸山東壁 | 丸山東壁 敗退 7/17-18 | 仲間と |
2003 | 秋 | 黒部 奥鐘山西壁 | 正面壁 岡山クライマースクラブルート 9/19--24 | 若人と |
2003 | 夏 | 穂高岳 屏風岩 雲稜ルート | 我が家の夏山合宿「ぼくの登山日記」雲稜ルート 8/9--8/14 | 家族と |
2002 | 秋 | 穂高岳 屏風岩 東壁ルンゼ | 東壁ルンゼ 9/21--23 | 仲間と |
2002 | 夏 | 槍ケ岳 北鎌尾根 | 我が家の夏山合宿「北鎌尾根」 & ぼくの登山日記 8/11--17 | 家族と |
2002 | 夏 | 立山 | 室堂・浄土山・竜王岳・五色ヶ原・平の小屋・黒部ダム 8/6--9 | 敦子 |
2002 | 春 | 槍ケ岳 北鎌尾根 | 北鎌尾根 4/27--5/1 | 一人 |
2001 | 夏 | 前穂高岳北尾根 | 我が家の夏山合宿「ぼくの登山日記」 8/11--16 | 家族と |
2000 | 夏 | 表銀座から槍・穂高縦走 | 我が家の夏山合宿「表銀座から槍・穂高縦走」 8/1--8/8 | 家族と |
1999 | 夏 | 奥穂から前穂縦走 | 我が家の夏山合宿「奥穂高岳〜前穂高岳〜岳沢」 8/18--8/23 | 家族と |
1998 | 夏 | 表銀座縦走 | 我が家の夏山合宿「表銀座縦走」 8/1--8/8 | 家族と |
1997 | 夏 | 奥穂高岳 | 我が家の夏山合宿「涸沢〜奥穂高岳〜涸沢」 7/20--7/22 | 家族と |