2008年 夏

北アルプス 金木戸川

双六谷から九郎衛門谷

2008/08/11--17

双六谷のスケールを物語る本流をふさぐ巨大なスノーブリッジ

今年で12回目となる我が家の夏山合宿。
今年は双六谷である。
双六谷は飛騨山中の奥深い谷だ。玄人好みのする渋い沢で上ノ廊下のような開放的な華やかさは期待できず、訪れる人も多くはない。
双六谷には1976年に山仲間の岩崎良信と二人で挑んだことがある。山を始めて5年とまだまだ経験も浅かった。ザイル渡渉をもってしても増水した双六谷には手も足も出ず、身の危険を思い知らされ敗退した。あの年は雨が多かった。そのあと穂高で遊び上高地に下った。上高地でも雨に降られつづけた。
雨の中、河童橋の階段に座り込んだ。青春時代のにがい夏の思い出だ。
あれから32年が経過した。妻・幸子、次女・朋子、長男・素直と共に家族四人での双六谷を舞台にした夏山合宿。源流部は九郎衛門谷をつめて黒部五郎平へ抜ける計画である。
なお先月私と一緒に南八幡平の葛根田川で短い夏休みを過ごした看護師一年生の敦子は仕事である。

8月11日(月)晴れ

前夜の内に栃尾の農協の駐車場でテントを張って寝たが、暑苦しくてほとんど眠れなかった。
夜が白みかけたので金木戸林道へと車を乗り入れる。
上流に発電所があるので、林道はそれなりに整備されており、かなり奥まで車で入ることが出来た。最終ゲートの周辺は駐車スペースに乏しくユーターンもしにくい。狭いスベースに幅寄せして何とか駐車する。
5時半前に到着したのだが、いつものとおり朋子と素直が起きない。起きてもボーとして動作がのろい。やっと仕度が済んで出発できたのは三時間後!
ゲートはかなり頑丈で、隙間もない。柵を乗り越えるしかない。ザックが重いので、これがけっこう大変だ。
これから長い林道歩きが始まる。
ペースが上がり過ぎないように配分を考えながらゆっくりと歩いていく。32年前には途中に飯場や事務所があって人の出入りが激しかった。途中の営林署事務所に立ち寄って山の状態を聞いたりした。だが、今は人の気配はまったくない。
あの時は日陰のない炎天下の林道歩きの記憶があるが、あれから30年以上が経過し木が生い茂ったのだろうか。林道は木陰の涼しい道になっていた。2パーティーがあとから追いついて来て、相前後しながら林道を歩く。
長い林道歩きを覚悟していたが、比較的すんなりと林道終点の取水堰へたどり着くことが出来た。取水堰で休憩しているとパジェロに乗った作業員がやってきた。
ここから山道へ入る。
しばらくは水平な広い道だったが、小倉谷への崩壊したつり橋を過ぎるところで道はなくなる。
この吊橋は32年前に渡ったことのあるもので、とても懐かしく感じた。
現在ではその手前に電動ゴンドラが設置されていた。
打込谷への軌道跡を利用した登山道は、ここから50mほど上部を通過している。だからここで道がなくなったと勘違いして、ここから入渓するパーティーもいる。
32年前の私たちも同様で、ここから増水した双六谷へ入渓して、数百メートル進んで左岸へ渡ったきり右岸へ戻れなくなり、右岸の斜面を登って尾根の背に沿って脱出したのだった。
ゴンドラ周辺で上方へと向かう道があったが、入渓地点からでも上に抜けられるだろうと先へ進む。ところがこれは失敗だった。笹薮の中を小一時間ヤブを漕ぎ、軌道跡まで登るのにえらく苦労した。
それでも何とか軌道跡にたどり着き、これを進む。軌道跡は非常に歩きやすく、二箇所ほど崩れたところはあったが、それもたいしたことはなく、順調に打込谷の500m手前にある壊れたつり橋のところまでやってきた。
時計はちょうど14時。
今日はこの壊れたつり橋の左岸のたもとでビバークする予定である。ビバークサイトのある対岸まで渡渉しなければならないので斜面を下って遡行装備を身につける。
橋のたもとのサイトは最高のサイトだった。まっ平で土の感触もやわらかい。
早速タープを張り、焚き火のしたく。焚き火の係りは素直。ずいぶんと焚き火の火熾しがうまくなったものだ。
素直が焚き火を熾している間に私は対岸の支流に水汲みに行った。10リットルほど確保してサイトに戻る。
双六谷の水で飯を炊き、湯を沸かしてカレーを煮込む。
私は焚き火の脇に腰を下ろして、「富士山麓」という銘柄のウイスキーをチタンマグカップに入れ、双六の水で割って呑む。
ところで壊れかけたつり橋だが、材質などをみると軽合金などが多用されて、年代的にはかなり新しい物のようだ。ワイヤーもまだまだしっかりしている。ということは現在でも軌道跡の踏み跡を利用して森林巡視が行われているということなのだろう。

8月12日(火)晴れ

今日は蓮華谷の出合まで行きたい。
私はいつもの通り早くに目が覚めた。4時を過ぎて起き上がり昨夜の焚き火の残り火に点火。湯を沸かしみんなが起きるのを待つ。
早起きして頑張らなければならないのに、みんな寝込んだままで頑張ってくれない。激しく揺り起こしてやっとで起床。
昨夜炊いておいたご飯をお茶漬けにして食べる。同じように昨夜のうちに用意しておいたお握り。のろのろと準備を整え、ようやく出発できたのは6時半。しかたがありません。
さて、双六谷の本流は巨岩が積み重なって行く手を阻む。上ノ廊下のような激流の突破というものはないけれど、この巨岩を越えるのに一苦労。まず、私がザックを下ろして空身で岩を登る。そしてザックを吊り上げ、みなが続く。場合によってはボルダーに強い素直が先行する。まるでボルダリングセッションのようなひと時が続く。
小一時間進むと打込谷出合に到着。
昨日林道を相前後して歩いた2パーティーがビバークしていた。朝食の焚き火の残り火が白い煙を上げていた。
この先も巨岩帯が続く。
ボルダリングセッションは次から次へと、これでもかこれでもかというように果てしなく続く。途中で渡渉はあるが上ノ廊下の激流に比べればまったく問題ない。
問題はひたすらボルダリングセッションである。
ザックを下ろして、空身で取り付き、上に達してから荷揚げし、皆のザックも同じように荷揚げする。もちろん上からはビレイをする。このように技術的には易しいが一つの一つの巨岩を越えるのには相当な手間がかかる。
この巨岩帯はゼンズ谷の出合まで続いた。センズ谷は出合からは良く見えないがはるか彼方に大きな滝があってそれが遠望できる。
センズ谷の出合を過ぎると巨岩は影をひそめ、谷は穏やかになって一息つける。
巨岩帯を抜けるのに相当な時間を食った。なんとなく午後の日差しが、たそがれた雰囲気をかもし出す。
やや遡って下抜戸の大河原に着いた。ここは大きな河原になっており双六谷一番の開放的な場所である。左岸には笹の広場がある。
一方、下抜戸の大河原の先からは両岸が切り立ち始める。そろそろ名勝「キンチヂミ」であろうと注意しながら歩いていくとちょっとした難場に到着。水際をトラバースすれば出来ないこともないようだが、これがキンチヂミかもしれない。
左岸を高巻く。
苦労して高巻き終わると妻が言う。
「あとから来たパーティーが水際をすたすた来たよ」
落胆したが、気を取り直して先へ進む。
まもなく谷に冷気が流れ始めた。やけに寒い。案の定、カーブを曲がると前方にスノーブリッジが見えた。
かなり大きなスノーブリッジだ。多雪の年に上ノ廊下の本流にスノーブリッジがかかることがあるが、今年は通年どおりである。にもかかわらず大きな雪渓。
大規模なスノーブリッジなので幸いなことに、しっかりしている。それでもビクビクしながら雪渓の上を歩いて上流へと降り立った。雪渓から降り立つ箇所はいつの場合も要注意である。
雪渓からさらに数百メートルいくと、難所にぶつかった。両岸は高く岩壁がそそり立ち、本流は幅の広いトロ場で取り付く島のない雰囲気である。見れば左岸の水中にバンドが走っており、それをへそまで浸かりながらトラバースし、例のボルダリングで凹角左のカンテを登るというプロブレムである。首尾よくこれをこなし、上から3人をビレイする。
これを越えると難場は終わった。
ただの河原となった本流を右に左にと渡渉を繰り返し遡っていく。
まもなく焚き火のにおいがしてきた。なんという良い香りだろう。誰かが焚き火をしているのだ。ということは蓮華谷の出合も近いということだ。
案の定、まもなく蓮華谷の出合に到着した。
先行パーティーは出合の河岸段丘にテントを張って焚き火をしていた。彼らは場所を空けてくれると申し出てくれた。
蓮華谷の上流をみるとビバーク適地がありそうだ。丁寧に辞退して蓮華谷を100mほど登る。
そこは素晴らしいビバークサイトだった。広い平坦地は川底からもある程度の高さがあり、しかも背後に逃げ場となる樹林帯が広がっている。そして、谷風を防ぐような大岩にサイトは包まれている。
いつもの通りタープを張って焚き火を熾す。
今日の夕餉も焚き火で炊いた飯だ。明日は天候のいかんに関わらず停滞することを決めた。こんな素晴らしいところで連泊できる幸せを予感しながらランタンの灯を消した。

8月13日(水)晴れのち曇りのち雨

今日は停滞である。
私はいつもの通り4時に目が覚めたがまだ暗い。
せっかくの停滞日だから早起きして遊びたいと考える私。いっぽう妻や子供たちは停滞日だからのんびりと朝寝をしたいと考える。考え方がまったく正反対だが、仕方がない。
ひとりで起き上がり、焚き火を熾す。
6時を過ぎてようやく皆も起きてきた。のんびりと朝食を摂ってそれぞれにくつろぐ。再び寝袋にもぐりこんで寝たり、焚き木を集めたり。
私はザックの中に歌集をしのばせていた。これを妻が見つけて小さな声で歌うのを次女の朋子が甘えるように妻の体に寄りかかって一緒に歌っている。
ピスタチオナッツを食べるのも楽しい。
皆で周辺を探検して遊ぶ。
お茶を飲むときに塩昆布がお茶請けにぴったりだが、塩昆布をのせるためのコースターを素直が流木を輪切りにして作ってくれた。
流木は豊富で、夜空が焦げるくらいの焚き火を暗くなるまで焚き続けた。

8月14日(木)曇りのち雨

夜半に雨が降った。本格的な降雨だったようで、焚き木は全て濡れていた。
対岸の尾根のかなり低い位置まで雨雲に覆われている。
快晴の空の下で九郎衛門谷を遡って、お花畑の草原にたどり着くというのを最大の楽しみにしていたのに、重い雲が稜線を隠している。
明日以降の快晴の夏空を期待して8時頃もう1日停滞することに決めた。
タープの下で家族四人で歌を歌ったり、焚き火の炭で岩に絵を描いたり、写真を撮ったり・・・そんなことをしながら贅沢な時間を過ごしていた。お昼前に1パーティーが私たちの目の前を通って蓮華谷を遡って行った。
そして14時頃だったろうか。突然豪雨が始まった。雷鳴を伴って激しく降った。30分ほどして増水となった。見る間に濁流が谷を覆い始めた。これはひどい。
3時間ほどで雷雨はやんだが、濁流は収まらない。夕暮れ近くなっても芳しくない。明日の天候を祈りながら寝袋にもぐった。

8月15日(金)雨のち晴れ

昨日の濁流は退いて、水の透明度も回復していた。まだ雨雲が稜線のかなり低い位置まで降りているが、このチャンスを逃すと予備日を使い果たしてしまう。
九郎衛門谷へ入るまで土砂降りの雨にならぬことを祈りながら出発する。
出発して10分もしないうちに雨脚が強くなった。増水が始まる前に九郎右衛門の出合へ到着せんと、まじめにこつこつ登りつづける。
九郎衛門谷の出合まで釜のある滝が連続すると遡行図にあったので緊張したが、まったく拍子抜けするような簡単な滝の連続だった。しばらく行くと途中で前方はるか上方に九郎衛門谷のF1が見え始めた。
高さ50mの恐ろしいような滝だ。とても直登はできない。九郎右衛門の出合に近づくとF1は尾根に隠れて見えなくなる。
雨は本降りでなんとも気が滅入る。出合の河岸段丘で高巻きの準備をする。この高巻きが最後の関門である。
事前の下調べでは出合から数十メートル蓮華谷を遡った地点に入ってくるルンゼを登るとある。一目見てわかる明瞭なルンゼがあって間違えようがない。傾斜は急だがさほど難しそうには見えない。ただし中間部に比較的新しい倒木が引っかかっており、この倒木がオーバーハングのようにルンゼをふさいでいる。倒木の下でロープを結ぶ。倒木の枝がザックに引っかかって身動きが取れない。ノコギリで枝を切断し、枝をくぐるトンネルを作る。倒木の上に達し、家族全員をビレイする。
倒木より上部は笹に覆われた斜面の中にルンゼは続く。浮石が多いので落石に用心しなければならないが、技術的にも易しく、万が一落ちた時の危険度も低いのでビレイの必要性は感じなかった。
更に登っていくと尾根の背に出る。笹がびっしりと繁茂しており稜線には踏み跡はまったくない。お互いに5mも離れると見えなくなるほどの密度だ。ここから九郎右衛門谷の沢底へは傾斜のゆるい笹薮が続いている。背の高い笹につかまりながら慎重に下る。
九郎右衛門谷の沢底に降り立った。数メートル下にはF1の落ち口がある。F1の断崖へは紙一重の着地点であったことがわかる。
雨はますますひどくなり、雨具をたたく雨音でお互いの声が聞き取りにくいほどだ。
このような状況から一刻も早く脱出したいと思い、足を速める。
九郎右衛門谷は、黒部源流の赤木沢や那須の井戸沢に似た花崗岩の好ましい沢だが、この雨ではとても楽しむ気持ちにはなれない。
小一時間ほど登ったところで雨は小降りになった。そしてしばらくすると雲を通して太陽のぬくもりを感じ、「おや、天候回復の兆しか」と思っていると雲が切れて青空が広がり始めた。
子供たちから歓声があがった。
あそこの滝の前で昼食にしよう。
美しい花崗岩の30m滝の下でザックを降ろす。
夏の日差しの下で、ここ九郎右衛門谷の水で冷やしたザル蕎麦を食べることを私は計画に組み入れていた。一番大きなビリーカンで湯を沸かし、600gの蕎麦をゆでる。食料計画の中にしのばせていた「ハウス生わさび」を出す。そしてこのためにだけに用意してきた一本のネギを妻がナイフで刻む。子供たちはコップに麺つゆを注ぎ蕎麦の茹で上がるのを待っている。
冷たい渓の水に蕎麦をさらし、さぁザル蕎麦の出来上がり。お母さん蕎麦湯も用意しましたよ。
そして、あっという間に600gの蕎麦はなくなった。
昼食後もしばらくは滝が続いた。天候が回復し、美しい風景にも目が行くようになった。
前半は滝の多かった九郎右衛門沢も後半になると徐々に傾斜はゆるみ、流れが穏やかになって苔むした岩に覆われるようになった。
両側の山稜も穏やかにせまり、いよいよ源流が近いことがわかる。
すると妻が素っ頓狂な声をあげた。「わぁー、モグラだぁ。モグラが泳いでる」
こんな自然条件の厳しい高地でモグラがいるとは思えないが、妻はモグラだと主張する。これだけ熱心に主張するからには間違いなくモグラだったのだろう。
沢は小川になってお花畑の中を蛇行していく。青空が前方に広がっていきなり太郎平のキャンプ場に出た。
気持ちのよいサイトが広がっている。どこかの大学のワンゲル部の8人用ダンロップが一つ張ってあるだけだ。そのとなりに私たちの小さなテントを張る。稜線での幕営があるのでタープのほかに別途テントを持参していたのだ。
テントを張り終わってから、皆で黒部五郎小舎へ遊びにいく。小屋は大賑わいで中高年登山者の笑い声が満ちていた。それぞれが好きなものを買って食べてもいいということにしていたから、朋子も素直も大喜で、お菓子を買ってジュースを飲んでいる。私はもちろんビールを呑んで、ワンカップを2本抱えてテントにもどった。
そうこうしている内にテントがどんどん増えて、夕方にはテントサイトに隙間がない状態となった。あたりはガスにつつまれ、遠くのテントの明かりがにじんでいる。
ラジオをつけると明日は天候が崩れるという。明日は三俣蓮華、双六、鏡平を経由して新穂高へ一日で下りきってしまう予定である。もう予備日は一日だけしか残っていないから多少の雨なら行動しなければならない。やむをえないと覚悟をしてランタンの灯りを消した。

8月16日(土)晴れのち雨

起床した。雨は降っていない。ガスは立ち込めているが晴れている。雨を覚悟していただけにうれしい。天候が崩れる前になるべく進んでいたい。食料をほとんど食べつくしザックはずいぶんと軽くなった。まずは三俣蓮華へ向かう。
三俣蓮華へ向かう道は潅木帯を越えてから高山植物のお花畑になる。北アルプス最深部の山々に囲まれながら稜線を歩く。三俣蓮華からは山腹のトラバース道を経由して双六小屋へと向かう。
このトラバース道は1972年佐倉高校山岳部夏山合宿でたどった道だ。そう、あの時16歳だった私が大きなキスリングを背負って歩いた道だ。あの時と同じ岩を同じように今日52歳の私が踏みしめていく。
一方で素直も二週間ほど前に成田高校山岳部の夏山合宿で同じこの道を歩いている。素直も50歳を過ぎたころに同じように歩いているのだろうか。
双六小屋に到着するころから、雲に覆われ始めた。双六小屋で早い昼食とする。好きなものを小屋に注文して食べる。私はラーメン、妻はうどん、朋子はお汁粉とおでん、素直は牛丼。
抜戸岳への稜線で雷鳥の雛を見た。そして鏡平へ急下降。鏡平山荘はいつ来ても泊まりたくなるような素敵な小屋だ。
小屋前のベンチでひとやすみし、そのあとはただひたすら下る。
だんだん雨雲が垂れ込め始め林道まであと15分というところで雨に捕まった。まもなく情け容赦のない豪雨となった。
意地悪なわさび平小屋の指導標のコースタイム表示。ずぶぬれになってさわび平小屋にたどり着き、無愛想で心使いの乏しい小屋の従業員に残念な思いもしたが、うどんやカレーライスを食べた。
雨は一向にやむ気配がない。
薄暗くなり始めた新穂高の観光案内所にたどり着いても豪雨はやまなかった。夕暮れ時の雨の新穂高。人影もまばらだ。
携帯電話でタクシーを呼ぶ。
20分ほどしてタクシーがやってきた。タクシーの運転手は地元の人だったが金木戸林道の奥地まで行くのは初めてだという。運転手も含めた5人が乗車したタクシーは幾度か腹をすりながら闇夜の林道を走る。
この運転手は、私たちを車まで送り届けてくれたあとも、夜の林道走行を案じ、見守ってくれるように要所で私の車を待っていてくれた。
飛騨の人のぬくもりに触れた。私はハザードランプの点滅でタクシーに感謝の気持ちを伝えて別れた。
そのあと私たちは日常生活の待つ街に向かって安房トンネルを抜け、いつもの木漏れ日の湯で汗を流し、松本のファミレスで食事をして家路についた。



初日のビバークサイト



二日目、いよいよ双六谷の遡行が始まった


渡渉は楽だった



スノーブリッジを越える



西日をあびながら



停滞日のくつろぎ



炊事はそのほとんどを焚き火で行った



雨がやんで喜ぶ妻と子供たち



九郎衛門谷は花崗岩の美しい谷だった



登りやすい滝が続く



そろそろ源流も近い



最源流は草原



最終日に稜線のチングルマを撮影



三俣蓮華岳山頂



三俣蓮華岳からのトラバース道
昭和47年高校2年生16歳の私が歩いた同じ道を
今、52歳の私が家族と歩く



抜戸の稜線で出会った雷鳥の雛たち
このうち何羽が冬を越えることが出来るのであろうか