2000年夏

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夏の思い出

北アルプス 表銀座〜槍ヶ岳〜奥穂高岳縦走
2000/8/1から8/8
四街道小学校6年 賀来朋子

4年前から毎年夏休みに北アルプスへ家族で登山に行っている。
去年、穂高に登った後に「来年も山に行きたい人、手をあげて!」と父がいったので、みんなで「はーい」と手をあげた。
今年は、姉と私の塾の日と父の夏休みがかさなっていたので、「今年はちょっと無理かな」と父が言っていた。
6月に弟が父に八ヶ岳へ連れていってもらって、シカの角を山の中で拾ったり、道のないところを探検したりして、楽しかったとはしゃいでいた。いいなと思った。だから夏休みの登山は楽しみにしていた。
母が父におねがいして、父の夏休みをずらしてもらい、みんなで行くことになった。

8月1日(四街道を出発)

7時に塾から帰ってくると「お風呂に入りなさい」と言われた。弟はもうお風呂に入っていてはしゃいでいた。しばらくして姉も塾から帰ってきた。父と母はザックに荷物をつめていた。8時30分に出発した。

8月2日(中房温泉から燕山荘)

起こされたら穂高駅の近くの駐車場だった。眠くて自分の靴をはくぐらいしかできなかった。中房温泉に向かうタクシーの中でねむった。5時40分に中房温泉についた。2年前は雨だったのですぐ出発したけど今年は、登山口で鮭のおにぎりとカロリーメイトの飲み物を食べた。
カロリーメイトの飲み物はとてもまずくて気持ち悪くなった。6時30分に出発した。
父はテントやガスボンベ・なべ・ザイル・米など重い荷物を持っているけど私たちは父よりずっと軽いのでついつい登るスピードが速くなって、何度か「速すぎるよ」と言われてしまった。軽い荷物の登山客は、私たちをどんどん抜かしていった。私たちはゆっくり登った。
7時15分に第1ベンチについた。初めての休けいだ。第一ベンチから50mくらい下に小川があったのでタオルをぬらした。小川の水はとても冷たくて気持ちよかった。小川まで弟と競争したからつかれた。
私たちの前を大学のワンダーフォーゲル部の人が通った。先頭の人が「足元注意」というと次々伝言されて最後の人が「はい、了解」と言うのを私たちは笑いながら聞いていた。
8時20分に第2ベンチについた。中学生の団体がきてベンチが足りなくなってしまった。
下りてきた人が「そこすべりますよ」と注意したけど大学生のワンダーフォーゲル部の女の人がすべってひっくり返った。それを見ていた父が「足元注意」といったので私たちも次々と言っていって母が「はい、了解」といった。笑ってしまった。
11時50分に合戦小屋についた。まずこの小屋の、うどんを食べた。でもまずくて残してしまった。うどんを食べている間は雨が降っていたが、止んだので出発した。前回は雨がすごくてここでテントをはった。行く途中替え歌を歌って歩いた。
燕山荘のテント場が見えてきたら弟が「もう少しだがんばろう」と声をかけた。
3時20分に燕山荘についた。カミナリが鳴って雨が降っていたのでテントの中でしりとりなどをして遊んだ。
6時30分ご飯はフリーズドライのカツ丼だ。携帯用テレビで天才テレビくんをを見た。
みんなが寝ていたら夜中の12時半頃、弟が変な声を出していたので父がライトをつけたら少しはいていた。つかれたのだろう。

8月3日(燕山荘から西岳ヒュッテ)

4時に起きた。5時にご飯を食べたが弟だけはウイダーinゼリーを飲んだ。
晴れていて槍ヶ岳がよく見えた。6時10分出発。途中富士山を見ながら歩いた。
8時40分休けい。弟が「痛い」といったので見に行ったら弟が腕を押さえていた。あぶにさされたらしい。切り通し岩という所を過ぎて高校生達を追い抜いた。男の生徒がすごくつかれていた。高校生はすごく大きな重たそうなザックをせおっていた。姉が「何がはいっているんだろう」といったら「きっと、玉ねぎやキャベツなんかを丸ごともっているんだよ」と父がいった。
少しこわい岩場やクサリがあったけど11時に大天井ヒュッテについた。他の登山客はご飯を食べたり休けいをしたりしていた。私たちは、おにぎりとコーンスープを食べた。食べた後に弟と砂に絵をかいて遊んだ。
弟は、父のストックをもってヒュッテの近くの山に登ったりして走り回っていた。他の登山客に「無駄な体力使ってるなぁ」と言われていた。しばらくしてさっき追い抜いた高校生が来た。うでにすりむいたあとがあった。岩場でころんだらしい。高校生たちはベンチでインスタントラーメンをつくりはじめた。そして大きなザックから、本当に玉ねぎを出してラーメンにいれていた。父の言ったとおりだった。
12時ごろ大天井ヒュッテを出発した。
しばらくしてなんでもない道で姉が歌いながら歩いていたら、石につまずいてころげ落ちた。よそみをしていたらしい。ビックリ平というところでヤッホーと叫んだ。こだまがひびいた。もう一度ヤッホーと叫ぶと今度は人の声で「ヤッホー」とかえってきた。だれかが返事をしてくれた。
お天気がよくて水を飲みすぎて足りなくなってしまった。後 2時間くらい歩くのに残り1リットルになってしまったので少しずつ飲む事にした。と中で大学生のワンダーフォーゲルの人たちを追い抜いた。とてもつかれているようだった。休けいしてるときにその中のリーダーの人が来て、西岳ヒュッテまであと何時間くらいかかりますかと父にきいた。「あと30分くらいですよ」と父がこたえていた。大学生はすごくよろこんでいた。そして「ヤッホーといってましたか。僕がこたえたんです」といっていた。
3時45分に西岳についた。天気がよくて、槍ヶ岳や穂高がよく見えた。平らで広々とした所にテントをはった。はったあと、テントの中でみんなで昼ねをした。テントの中から前穂高と涸沢がきれいにみえた。6時30分槍ヶ岳の肩の小屋に灯りがついて槍ヶ岳のシルエットがきれいだった。

8月4日(西岳ヒュッテから槍ヶ岳肩の小屋)

3時に起きた。外に出て空を見たらとてもきれいに星が出ていた。ねむくてしかたがなかった。まだ暗かったけどテントをたたんでいたら明るくなってきた。
5時に西岳ヒュッテを出発。ながいハシゴをおりて少し歩いて休けいした。朝日がすじになって遠くの山が良く見えた。ちいさな虫がたくさんとんでいた。
6時30分水俣乗越。これからは、1998年の地震で道がくずれたので新しいルートになっているそうだ。木でつくったハシゴがいくつもあった。木のハシゴを登ったところで休けいをした。そこで父がマップケースをみつけた。はいまつの上においてあった。愛知の高校生の物だった。中を見るとインターハイの地図とか、計画書だったので持っていって後で送る事にした。そこから長い下りの鉄のハシゴがあった。コンクリートで固められていた。下をのぞくとすごく高くて急だったので落ちそうで心配だった。ハシゴを降りると2年前の地震でくずれた登山道が右に見えた。
10時ヒュッテ大槍についた。ヒュッテのテーブルでスパゲッティを作ってたべた。のんびり休けいしすぎたので急いで槍ヶ岳の肩の小屋に行った。
12時に槍ヶ岳の肩の小屋についた。おととしと同じ14の所にテントをはった。テントをはってから中で休んでいたら、雨が降ってきた。雨が降ったので今日は槍ヶ岳には登れないと父がいった。2時ごろ父と母は水を買いに槍ヶ岳の肩の小屋へ行った。
父と母が肩の小屋へ行った後、すごい雨とカミナリになった。私たちはテントでアメをなめていた。
父と母はなかなかもどってこなかった。カミナリがひどかったのでテントまでもどれなかったそうだ。父と母が肩の小屋で雨やどりをしているときに、槍ヶ岳に登っている人たちがみんな急いで下りてきたそうだ。でも下りないで登り続けた人が3人だけいて小屋の人が「下りてこい」と何度いっても下りてこない。もっと雨とカミナリが強くなってからやっと下りてきた。すると小屋の人に「もうくるな、死ぬ気か」とどなられていたという話を聞いた。「アホだ」と父はいっていた。

8月5日(槍ヶ岳から南岳)

4時40分に起きた。きのう登れなかった槍ヶ岳に登ることになった。7時に槍ヶ岳に向かった。
槍ヶ岳の下りるルートも地震でくずれていて登るルートと下りるルートが同じになっていてとてもこんでいた。2年前に登ったときには下りている途中で雨が降りだし、とてもこわかったけれど今回はやさしく感じた。2年前に頂上にあった「槍ヶ岳3180m」という木の板はなくなっていた。10時に下山した。
きっさ店でネクターとクロワッサンを食べた。とてもうれしかった。
テント場までもどってテントをたたんで、 11時に出発した。今日もカミナリになるかもしれないと父はすごく心配して「急がないとカミナリになるよ」と休けいもあまりさせてくれなかった。中岳の頂上で雨が降り出した。雨やひょうが降ってきてカミナリも鳴っていた。ひょうが手にあたっていたかった。雨は冷たくて体は冷えきった。山には雪がたくさん残っていた。小屋が見えてきたときにはとてもうれしかった。
1時45分やっとのことで南岳小屋についた。ビールを飲んでいる人が席をゆずってくれた。2時前だったので食堂でラストオーダーのカレーを食べた。あめがひどかったので、父と母がテントをはっている間私たちは小屋で待っていた。テントの中でぬれた物をかわかしていると雨がやんで太陽がみえた。ぬれた服やくつしたをテントの外にひろげてかわかした。
6時30分、かさがたけの夕焼けや雲海がきれいだった。「虹がきれいだよー」と言う父の声に私たちはぬれた靴をがまんしてはいていった。近くに太い虹がでていた。あしたは大キレットというあぶないところを歩くので早くねなさいといわれたけれど、楽しくて歌をうたったりして、ねたのは8時になってしまった。

8月6日 (南岳から北穂高)

2時30分に起きた。6時出発。昨日は午後から雨にうたれたので今日はお昼までに北穂高につかなければならない。
出発前に、いつでもザイルをつけられるように、母も子供も体にカラビナをつけた。弟は最初からザイルで父とつなげてもらった。
最初は岩を下っていった。「石を絶対に落とすなよ」と父に言われたので私たちはしんちょうに下った。2時間くらい歩いてから登りになった。長谷川ピークというところにでた。長谷川ピークの下りで、前に女の人と男の人のが歩いていた。ルートをまちがえていた。歩く所は細い岩場で右も左もガケになっていて少しこわかった。A沢コルというところについた。休けいをした。A沢のコルからの登りで、さっきの女の人と男の人が石を落として、危うく母にあたりそうになった。みんなびっくりした。すごくこわいところだなと思った。
少し登った所で父が「ここがひだ泣きだよ」と教えてくれた。ここで子どもは3人ともザイルをつけてもらった。ひだ泣きで、父が岩をとんとんと足でたたくと洗たく機ぐらいの岩が落ちた。父が「落―落―」と叫んだ。岩は谷にむかって落ちていった。すごい音と砂ぼこりだった。こわくて足がふるえてしまった。ひだ泣きを登って外人とすれちがった。その外人に「4年生」と聞かれたと思って弟が「3年生です」と答えた。本当は「アーユーレィディー?」と父に言ったらしい。みんなで大笑いしてしまった。
山の右側はすごいがけになっていた。落ちたら死ぬと思った。父が「ここが滝谷というんだよ」とおしえてくれた。父が若いころ登った滝谷も「地震ですこし形が変わってしまった」といっていた。
10時45分に北穂小屋についた。11時スパゲッティとじゃがりこを食べた。レストランのようにおいしくて小屋の人もとても感じが良かった。すると腰の曲がったおとしよりが菊の花を持って小屋に入った。後ろにNHKのカメラマンがマイクとカメラを持って、うつしていた。「むかし山で死んだ人のお墓まいりにきたんだね」と母がいっていた。
北穂小屋で記念にきれいなバンダナを買ってもらった。もうすぐ12時になるのでテントをはることになった。北穂高のテント場は小屋からとても遠くて、と中に雪があった。すべりながら歩いていたら弟がすべってこけた。雪のあるところの近くにテントをはった。まわりは岩がゴツゴツしているけれどそこだけ平らで石がなかった。テントの中で遊んでいたら雨やひょうが降りはじめた。なべに雨の水をためてつかうことにした。すぐに5はい分の水がたまった。「雪をとかしたり、小屋まで水を買いに行かなくてすむ」と父と母はよろこんでいた。夕方になって雨がやんだ。
弟のザックのせなかのところに花火をビニール袋にいれてしまってあった。弟は毎日「今日は花火をしないの」といいつづけていた。山の高いところでのキャンプは今日がさいごなので、花火をすることになった。暗くなるまで待って7時10分に弟がとても楽しみにしていた花火をした。山で花火をするのは初めてだった。とても楽しかった。

8月7日(北穂高から奥穂高岳・涸沢・横尾)

3時45分に起きた。6時に出発。父に「涸沢小屋でソフトクリームを食べるまでは、今日も気をぬかないで歩いてね」と言われた。今日も全員カラビナをつけた。
岩場がつづいていたけどあまり大変じゃなかった。あっという間に穂高岳山荘についた。穂高岳山荘は今回で3回目だ。
小屋にザックをおろして奥穂高の山頂に向かった。去年は強い風と雨の中を奥穂高へ登って前穂高から岳沢まで歩いてヘトヘトになったが、今年はザックをせおっていないのでとてもはやく登れた。途中でリスのようなかわいい動物が近くに走ってきた。びっくりした。父が「オコジョだよ」とおしえてくれた。茶色くて小さくてとてもかわいかった。だんだんガスがでてきて、山頂についたときに雨が降り始めた。山頂には3分くらいしか、いられなかった。
走って穂高岳山荘までもどった。
穂高岳山荘ではカレーを食べた。カレーを食べていたら雨がつよくなってきた。去年を思い出した。出発前にみんなカッパを着た。
すぐ雨の中出発した。でもすぐに止んで暑くなってカッパをぬいだ。歩きながら涸沢小屋のソフトクリームをもうすぐ食べられると楽しみにしていた。
1時40分に涸沢小屋についた。去年とちがって、小屋の中でも休けいできるところを作ってあった。みんなでソフトクリームを食べた。おいしかった。ソフトクリームを食べながら父は「ほっとした」と何度もいっていた。
食べおわってから下った。今年は雪が多くてと中で雪の上を歩いた。本谷橋というつり橋のところで雨が降りはじめた。本谷橋も今年はりっぱになっていた。早く帰りたいのでできれば徳沢園まで行きたいねといっていたけど、父も母もつかれたので横尾にとまることにした。へいたんな道なので走っていった。と中でびようぶ岩というところが見えた。父は冬に何度も登ったことがあるそうだ。登った場所をたくさん説明してくれたけど、でもどこのことをいっているのかよくわからなかった。
横尾についた。横尾大橋という橋がとてもりっぱになっていた。たくさん人がいた。父はへとへとだったのでテントは母と私たち子供たちで準備をした。父が「お父さんの役目はこれでおわったから、ビールを買ってきてくださーい」といったので、みんなでビールとジュースとおかしを買いに行った。少し蒸し暑かったので私と弟は外の方がすずしいので外で食べた。2年前に横尾にとまった時には食べる物がほどんどなくなって、おかしとスープだけで夕食をたべたけど、今年は父がお米を15kgもせおってきたので、たくさん残っていた。
父が「今日のコースは大人の足でも8時間かかるのに11時間で歩いたのはみんなえらいね」とほめてくれた。
みんなテントに入ってねた。

8月8日(横尾から上高地)

5時に起きた。7時35分出発。早くお風呂に入りたかったので走った。
8時40分徳沢園でおでんとソフトクリームを食べた。徳沢園の食事はいつもおいしくて楽しみにしてた。やっぱりおいしかった。徳沢園で、かわいいオコジョのバンダナを買ってもらった。上高地に近くなると人が多くなった。
11時上高地。河童橋のお店でおみやげをかった。上高地からバスに乗った。バスは10人しか乗っていなかった。新島々で電車に乗りかえた。松本でJRの電車に乗り、穂高駅についた。ひさしぶりにデリカにもどってきた。とても安心した。それから車で穂高温泉に行った。1週間ぶりのお風呂だったので、すごく気持ちがよかった。
温泉でさっぱりしたあとロイヤルホストにいった。2年前はドリアを食べたけど、こんどはハンバーグセットをたのんだ。とてもおいしかった。
帰りの車の中で遊んでいたけどいつのまにかねてしまった。11時ごろ四街道についた。
その後愛知県の刈谷北高校の先生から、マップケースが届いたと電話と手紙が来た。とても喜んでいた。なんだか、わたしもうれしくなった。

参加者:賀来素直(小学3年)、賀来朋子(小学6年)、賀来敦子(中学2年)、賀来幸子、賀来素明