2008年 春

北アルプス

奥穂高岳

2008/05/03--05

快晴の空の下で

5月5日の毎日新聞の朝刊のトップに「雪のカンバス 点・点・テント」と題して涸沢の空中写真がカラーで掲載されている。
新聞に限らずこの時期毎年のごとくテレビなどのマスコミで残雪の涸沢テント村が季節の風物詩として紹介されることが少なくない。
雪山の最後を飾る5月の大型連休ゴールデンウィークの北アルプス。
白い稜線を渡ってくる春風が雪焼けした頬に心地よい。夏並みに日も長くなって一日の行動は自由度を増し、雪山を楽しむには絶好の季節だ。
今年もゴールデンウィークは穂高の涸沢で過ごそうというのは正月に決まった。八ヶ岳地獄谷の無人小屋の中で寒さに凍えながら春の日差しを想像したのである。
三年連続となる春の穂高。ただし病院での激務と格闘中の敦子は残念ながら参加できない。

5月3日(土)快晴

前夜21時30分に四街道を出発したが、雨の高速道路は渋滞で動かず。延々7時間を要して沢渡に到着したのは4時30分。運転していた私は一睡もしていない。辛い一日になりそうだ。
すでに明るく、車に満載された装備、食料を各人のザックにパッキングしていく。現在最も重い荷を背負うのは成田高校山岳部長17歳の素直で、次が19歳の朋子。52歳の私はその次だ。
6時30分頃のバスに乗車して上高地へ。上高地のバスターミナルで仕度をしていると見知らぬ人から「賀来さんでしょう」と声をかけられた。ホームページの読者の人だった。これから北鎌尾根へ行くのだという。
あわただしいバスターミナルで朝食のおにぎりを食べ、靴紐を締めなおす。
今日は涸沢までの長丁場。本谷橋に到着した時に充分に余力を残しておけるようにペース配分に配慮しながらゆっくりと歩き出した。
明神、徳沢と順調に歩き、横尾に到着。横尾山荘で昼食としてラーメンやカレーを食べる。横尾の吊橋を渡って、屏風岩を左手に見ながら一ルンゼ押し出し対岸から樹林帯へ入る。しばらく夏道に沿って樹林帯の中を歩き、本谷橋で谷に降りる。
積雪量が多いので谷は充分に雪に埋まって本谷橋からは谷沿いに登ることが出来た。横尾本谷を右に見てからだんだんつらくなる。
すると素直と朋子が「先に行っていい?」と言う。
「いいよ」と許すとぐいぐい登り始め、だんだん遠くなり、豆粒のように離れてしまった。
更に登って標高2000mを超える頃からは歩数を100歩づつ数えながらひたすら忍耐の登高を妻と続けた。朋子と素直は涸沢野営場の雪原で1時間近く待っていたようだ。せっかくだからテントを張っておいてくれればありがたいのだが、敦子と違って朋子と素直にはそこまでの気は回らない。空いた腹をかかえてただひたすら父と母を待っているだけである。
水道やトイレのある涸沢ヒュッテから多少遠くても平坦であることを優先して設営場所を探す。まずまずの場所を見つけ冬季用外張りをかぶせたダンロップV6を張る。

5月4日(日)快晴

未明3時頃から野営場はざわめきだした。
テントの吹流しから上半身を出して空を見上げる。星が見える。快晴の朝を迎えたようだ。
周辺を見渡すと各テントには灯りがついて朝餉の準備を始めているらしい。山のほうへ目を転ずるとすでに早出のパーティーのヘッドランプの明かりが北尾根へ向う斜面中腹に見える。
簡単な朝食を済ませ、アイゼンを装着して6時過ぎに私たち家族も登り始めた。この時期の奥穂高への登路は夏と同様ザイテングラートを使う。昔は小豆沢などを紹介している雑誌記事などもあったが雪庇崩壊によるブロックを含めた雪崩の通路になるので私にはとても使う気になれない
テントサイトからザイテングラートの末端まで雪面を一直線に登っていく。標高差100mほどを登ると一旦プラトーとなり一休み。そこから夏と同じようにザイテングラート末端の岩場の上へと小豆沢側から登る。岩場の上から尾根の形状は明瞭となり、傾斜は一段と増す。
登っていると見覚えのある人にあう。勤務先の取引関連会社のOさんだった。山登りが好きなのだという。
白出乗越までは標高差700m。区切りの良い標高差200mごとに休憩する。
見下ろす涸沢のテント村。妻、朋子、素直と私の四人で並んですわり
「あれが我が家のテントだね。おばあちゃんやあっちゃんはどうしているかな?」
などと話しながらお菓子を食べ、水を飲む。
ときおり春の風がラガーシャツのニット地を透過して汗ばんだ体を吹き抜けていく。爽やかで気分が良い。
穂高岳山荘には9時丁度に到着。山荘前の陽だまりで大休止。ぽかぽかとあたたかく昼寝でもしたくなるようだ。
アイゼンのゆるみを点検して奥穂高へ向うために腰を上げる。
奥穂高への登路の核心部は夏は下部の岩場だが、積雪期は岩場の上の急傾斜の雪面である。
学生時代、冬に西穂から奥穂へ従兄弟の三喜雄ちゃんと歩いたことがある。ジャンダルムを越えてたどりついた奥穂の山頂は暴風雪だった。降り積もった新雪に体重を乗せると斜面がそのまま動き出すような条件で、ロープを出して真剣勝負で下降したあの斜面である。
一昨年2006年に敦子と登った時も直前に多量の降雪があったため、この斜面の条件は良くなかった。
そんな体験があったので今回この斜面だけのためにフィックス用に50mロープとユマールを持ってきていた。だが心配は杞憂に終わった。ここ数日降雪がなかったためステップが深く掘られ雪面は階段状をなしていた。
この雪面を越えると傾斜は一気に緩み、振り返ると槍ヶ岳がそびえていた。なだらかな雪原状を息を整えながら登っていく。10時20分、奥穂高岳山頂到着。
大展望が広がっているのは言うまでもない。妻も子供達も春の日差しを浴びながら岩に寄りかかって休んでいる。寒さは全く感じず、春のそよ風が吹くだけでむしろぽかぽかとあたたかい。30分ほどもゆっくりと山頂で休み10時50分下降開始。
登りにミスをすることは少ない。アイゼンの後ろ爪をスパッツに引っ掛けて転倒するのは下降時である。さらに急斜面の下降ではピッケルバンドやスリングに引っ掛ける。ミスをしないように口うるさいほどに幾度も注意を促しながら下っていく。
岩場まで下降してくると一安心。慎重に岩場を下って11時35分に穂高岳山荘の建つ白出乗越に降り立った。
再び山荘前の陽だまりで日向ぼっこ。
アイゼンを外し、正午に下山を始める。
春の強い日射に雪が腐り、ときどき膝までもぐって歩きにくい。小豆沢へ下らないように条件をつけて朋子と素直が先に下る。
涸沢での最高の楽しみは、涸沢ヒュッテの売店やテラスで、春の穂高を眺めながらおでんを食べたり、ビールを呑んだりすることだ。妻も子供達もそれを楽しみにしている。テントに戻ってから靴も脱がずに涸沢ヒュッテへ行く。おでんを好きなだけ買い求め食べる。私はそれを見ながらビールを呑む。
真っ青な皐月の空にヒュッテのこいのぼりが泳いでいる。春の涸沢の申し分のない昼下がりだった。

5月5日(月)曇り時々雨

昨夜のうちから天候が崩れ、本日の悪天はすでにわかっていた。ガスが涸沢を被いはじめ、薄明るくなるころには雨もぽつぽつ降ってきた。予備日は残っているが下山と決める。
7時下山開始。アイゼンは不要。35分で本谷橋、さらに50分で横尾。時おり雨粒が落ちる。
徳沢で昼食。妻と素直はカレーライス、朋子は野沢菜チャーハン、私は山菜そば。古池を過ぎる頃に本格的な降雨となり始めた。
明神ではソフトクリームを食べ、河童橋へと急ぐ。
幸運にも待ち時間なしで沢渡行きのバスに乗車できた。
いつものとおり木漏れ日の湯で汗を流し、今年の春山合宿を終えた。


     ★2006年ゴールデンウィーク「涸沢から奥穂高岳」の記録
     ★2007年ゴールデンウィーク「涸沢から北穂高岳」の記録



お母さんガンバッテ!
入山初日の涸沢への登高が一番つらい



二日目の朝、出発準備







下降



問題の雪壁も安定していた



おでんがおいしいね



私たちアイスクリームが大好き!



下山の日、ガスに煙る涸沢にて



モト君もアイスが欲しいのね?
あとで半分あげるヨ

雨模様の河童橋までたどり着いて