2010年 春

北アルプス

北穂高岳 東稜

2010/05/01--04

「ゴジラの背」のソフトクリームを越える

今年のゴールデンウィークは涸沢。
敦子は仕事、朋子は就活、素直は予備校。したがって妻と二人。
昨年の5月ころといえば、大怪我の回復も芳しくなく、平坦な林道を2kmほど歩くのが関の山だったけれど、今年はようやく涸沢へ戻ってくることができるようになった。
20代の時の右足首粉砕骨折は現在でも時々痛むくらいだから、チタンパイプとネジがはいっている今回の患部が痛むのは仕方がないけれど、こうして雪の穂高に囲まれることができることに、まずは感謝しなければなるまい。

5月1日(土)晴

準備で夜更かしをしたせいか寝坊した。本当は3時出発の予定だったが、3時間遅れの朝6時に四街道を車で出発。首都高は順調に抜けたが、八王子手前から25kmの渋滞。途中で帽子を忘れたことに気がつき、梓川高校近くの農協で調達。
沢渡周辺は、芽吹きの直前だった。下山する数日後には若葉となっていることだろう。
今回は、ゆったりとした涸沢テント生活をしようと贅沢にもDUNLOP_V6を筆頭に、豪華装備と食料燃料を持ち込み私のザックは30kgを超えてしまった。
河童橋から歩き始めたのは13時半過ぎ。重荷にあえぎながらナメクジのようにのろのろと歩く。明神で月見そばを食べる。日の翳った梓川の河原には凍りつくような冷たい風が吹きぬけて、荒涼とした風景をみせている。17時半過ぎに横尾到着。
燃料と水が豊富なので、スパゲッティをゆでた。
レトルトのナポリタン、クノール「完熟トマトまるごと1個分使ったポタージュ」
それから横尾山荘で井筒ワイン。
食後はアルコール50度のキリンウィスキー富士山麓をちびちび呑みながら、妻の職場の話を聞く。

5月2日(日)快晴

今日は涸沢までなので、ゆっくり朝寝坊する。
朝食は再びスパゲッティを茹で、これをインスタントラーメンの中に入れてラーメンのスープで食す。食後、あまりにもザックが重過ぎるので、食料の一部を横尾にデポすることに決定。ラーメン5袋、うどん600g、玉ねぎ1個を袋に入れ、朽ちた倒木の陰に隠す。
8時出発、横尾大橋を渡る。
重荷にギシギシとザックがきしむ。上高地周辺の雪解けは例年より早い様子だったが、標高1800mあたりからは雪はむしろ若干多いようだ。
2000mを越えたあたりで穂高の稜線が見え始める。真っ白。
最後の標高差200mがきつい。
14時半過ぎに疲労困憊の状態で涸沢へ到着した。
かつてないほどのテントの数。テントを設営している間にも、朝方上高地を出発した登山者が続々と登ってくる。
ヒュッテでビールと日本酒を買う。
5mm厚のウレタンマットが敷き詰められて暖かく、広々とした快適なテントの中で、ごろりと横になって足を伸ばし、妻とビールで乾杯。
夕食はカレー。いつもの「具なしカレー」ではなくベーコンや野菜の入ったヤツ。
シュラフはモンベルULSSダウンハガー 「EXP」と「#0」
夜中に暑くてチャックを開けて寝る。夜中に多少風が出た。
明日は北穂東稜。

5月3日(月)快晴

朝食はカニ雑炊。白飯は煮込むとドロドロと糊状になって不味い。一工夫が必要かもしれない。
東稜はゴジラの背で渋滞が予想される。よほど早く出発するか、むしろ遅く出発するかだ。遅く出発すれば雪の状態は悪くなる。
雪の状態が悪くなることを承知の上でザックにスノーバー2本とロープを入れて出発する。すなわち7時。
あえぎながら北穂沢を登っていくと、私たちよりも遅く出発した男性二人組の東稜パーティーがいて、追い抜いて行った。
2600m地点の台地で、右手の東稜の稜線へ向かうトレースが分かれている。私たちもアンザイレンし、トレースを追って、東稜へと向かう。
タイトロープ方式で妻をビレイしながら一気に登って行く。稜線直下はピッケルのピックを使うような急斜面。
稜線に出ると槍ヶ岳が見えた。
東稜の稜線上は、ナイフリッジで、広場のような場所はないが、ピッケルを深く打ち込んでセルフビレイをとって休む。風が時折強く吹き、バランスを崩しそうになるので慎重に登って行く。小さなピークをひとつ越えると、先行パーティーが次のピークで休んでいる。おそらくゴジラの背の通過渋滞であろう。
私たち夫婦も斜面をカットして腰を下ろせるステップを作る。
一時間ほど待ったが、すばらしい展望に魅了され、長いとは感じなかった。
バリエーションルートとしては初心者入門コースの東稜だから、ビレイシステムを理解していないような人たちもやってくる。見ているほうが恐ろしくなってくる。
通称「ゴジラの背」は涸沢側にキノコ雪がソフトクリームのような雪庇となって張り出しており、その上を歩くから、ものすごい高度感。
ピッチは5mから10m程度と極力短く切り、日山協の指導常任委員時代に考案者の松永敏郎さんから直接教えを受けたスタンディングアックスビレイで妻を確保する。
最後の大きなキノコ雪を下って、恐ろしげな雪稜を越えると核心部が終わる。グランドジョラス北壁の下降路に使用したイタリア側からの一般コースにゴジラの背を10倍くらいスケールアップしたような雪稜があったことを思い出す。
下りついたところは「東稜のコル」。目の前には北穂高岳へと向かう最後の雪稜が続いている。コルには年配の二人組みの登山者が休んでいた。この「東稜のコル」から北穂沢へは登下降できる。私たちもほっとして大休止。
北穂高岳への最後の雪稜は気持ちが良かった。タイトロープで妻をビレイしながら、吸い込まれそうな真っ青な空に向かって白い雪稜を登っていく。本当にヨーロッパアルプスの一角にでもいるようだ。なんという幸せな気分だろう。
雪稜を登りきるといきなり北穂小屋へと出る。小屋のスパゲッティを楽しみしていた妻。さっそく注文するとラストオーダーは13時。時計を見ると13時30分。何かほかに食べるものはありますか?と尋ねるとカップヌードルだけだという。がっかりする妻。私も少しがっかり。しかたがないので持参したお菓子などを食べ、30分ほど休んで下降を開始する。
下り始めの急斜面はロープをつけて下降。
2時間ほどかけテントまでたどり着き、装備を整理していると私に声をかけてくる人がいる。
なんと職場の田部井青年ではないか。
連休は涸沢へ行くということは聞いていたが、現地で実際に会うとは驚いた。写真撮影を趣味とする田部井青年はいわゆるハイアマチュア。大きな我が家のテントに招いて、酒を飲んで飯を食い談笑する。青年のカメラを持たせてもらったが、ボディー自体が金属の塊のようでとても重い。私が持っているエントリークラスのEOSKissはプラスティックボディで軽い。それから会話の中で田部井青年のお父様と私が同い年であることが判明。敦子とさほど年も違わないのに落ち着いてしっかりした話しぶりに妻も驚いていた。
夜空は満天の星空。天の川が見えていた。

5月4日(火)晴

眠い。朝食は前日のご飯にごく少量の水を加えて加熱し、別の鍋で雑炊の素をもどして沸騰させる。これを椀に入れたご飯にかけてお茶漬けのようにして食べる。ご飯粒がぱらぱらとしていて美味しい。食後はコーヒーを飲みながら妻の職場の話を聞く。これが結構楽しい。
さて、今日は下山日。朝起きると曇っていたが、出発するころには天候も回復し初夏の太陽がギラギラと照りつけ始めた。8時過ぎに下山開始。一昨年は1時間半で横尾まで下ったのだが、今日はそうは行かない。調子の悪い左足をかばいながら3時間を要して横尾へ到着。デポした食料を回収し、うどんを茹で昼食とする。
あとは上高地まで足の痛みをこらえながらひたすら忍耐。直射日光が強く、まるで真夏のような暑さである。徳沢園でソフトクリームを注文したが、今日は注文過多でソフトクリームの機械が止まってしまったという。そして古池を過ぎ、明神でスポーツドリンクを飲む。
河童橋へたどり着いたときには、すでにたそがれ時。梓川の川風に吹かれながら17時05分発の沢渡行きバスに乗ることができた。
入浴は沢渡大橋右岸の「梓湖畔の湯」700円なり。高速道路の渋滞は小仏トンネルを先頭に20kmで、通過に100分かかるとのことだったので、釈迦堂PAで翌朝2時40分まで仮眠。四街道には4時30分に帰着することができた。走行距離626km。

★2008年ゴールデンウィーク「涸沢から奥穂高岳」の記録
★2007年ゴールデンウィーク「涸沢から北穂高岳」の記録
★2006年ゴールデンウィーク「涸沢から奥穂高岳」の記録
★2002年ゴールデンウィーク「北鎌尾根から槍ヶ岳」の記録


快適な宿ではあったが重かった



東稜へ向かう先行パーティー



ソフトクリームを下る



下ってきた雪稜



左上に見える北穂小屋へ続く雪稜



雪と岩の世界



北アルプス北部の山々



雪に埋もれた北穂小屋