2002年初秋

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穂高岳
秋の屏風岩

北アルプス 穂高岳 屏風岩 東壁ルンゼ
2002/9/21--9/23
賀来素明

ドモ、ドモ、ドモという懐かしい挨拶に始まる上田益孝さんの満面の笑顔。
イブシ銀のような雰囲気を漂わせつつも目じりが下がってしまうような木内聡さん。
その二人が我が家にやってきました。
そう、懐かしい昔の極道仲間と山へ行く日が10年ぶりについにやって来たのです。この10年間で山に逝った人、体の一部を失った人、さまざまな人間模様がありましたがそれを忘れさせてくれるような笑顔。
本当は奥鐘にいく予定だったけれども、昨日黒部峡谷鉄道のトロッコ電車が落石により不通との情報を得て、急遽穂高の屏風岩へ行こうというのです。二人の顔をみていると血沸き肉踊る奥鐘から少々役不足の屏風岩になったからといって落胆することはないという気にだんだんなってきました。
「仲間とのひとときを楽しむことに徹しよう」
木内さんの運転で柏駅へたどり着くと私にとって新しい仲間となる尾崎さん、川崎さん、大久保さんが待っていました。
尾崎さんが用意してくれたワンボックスカーに6人が乗り込み、さっそく上高地へGO!
すぐに車内は興奮のルツボと化し、山で飲む予定であった安いウイスキーの封を切って乾杯。上田さん、木内さん、私と三人で並んで座って昔話を酒の肴にチビチビ飲みはじめましたが、どうやらチビチビではなく大酒を飲んだようです。ふと気付くと、あれ?飲みすぎたのかな。ウイスキーがなくなちゃったよ。
あとは白河夜船、グーグー寝てしまいました。

9月21日 晴れ時々曇り

横尾にはずいぶん早い時間に到着。さっそくベースキャンプを設営。このまま宴会かとも思いましたが、時間も早いので取付まで下見をすることになりました。久しぶりの屏風で記憶も定かではなく下見をすることに大賛成。6人で息も絶え絶え状態で一ルンゼを這い登りました。ヒィー疲れたよー。
アプローチでこんなに疲れていていいんだろうか?これじゃぁルートに取り付く余力なんかないって感じで、なんだかとっても不安な気分になってきます。T4尾根の取付の岩小舎に担いできたギアをデポ。
横尾のベースキャンプに戻ってみると15時前。みんな迷うことなく宴会の準備を始めるところに不安がよぎらないことがなんだか不安です。不安をいだきつつ酒のがぶ飲み大会に突入!大久保さん差し入れのお母様の作ってくれた料理のおいしいこと。
えっ?がぶ飲みしていたのは私と大久保さんだけだって?
そうだったかなぁ、木内さんもけっこう飲んでたとおもうんだけどなぁ。少なくとも私は小さなコッフェルで焼酎を飲んでいましたけど、大久保さんは大きなコッフェルで飲んでいました。それだけははっきり憶えています。こんな宴会が15時から夜中までつづき、大久保さんが大酒の犠牲者となってしまいました。
大久保さんの敗因は大きなコッフェルでドボドボと焼酎を注いで、まるでビールを飲むようにストレートで飲んだからだと思います。

9月22日 曇り

3時に起床。
昨夜、大久保さんが飲み過ぎで戦線離脱してしまったので、40歳代は私だけ。私以外のメンバーは50歳代と60歳代。46歳の私が最年少っていうのは、この手の登山ではめったにないよ〜。
私はこのメンバーを「ジパング登山隊」と名づけることに決め、ベースキャンプを出発するときにも「ジパングクラブ出発!」というかけ声で歩き始めました。
ジパング登山隊、いかにアルツハイマーが進行しているとはいえ昨日の疲労困憊に学習し、今日は慎重にペースを守りつつ登っていきました。ヘッドランプを頼りにヨレヨレになりながらも日の出前にT4尾根取付の岩小舎に到着。
岩小舎でかったるいなぁと思っている私のことなどお構いなしでジパング登山隊はバシバシ登攀の準備をしています。しかも動作が妙にキビキビして情け容赦ない雰囲気。けだるいのはどうやら私だけのようです。
さてパーティー編成ですが尾崎さん、川崎さん、上田さんの3人で雲稜ルート。上田さんが登るとなるとギリギリまでフリーなんでしょうね。そのギリギリというレベルが半端じゃあない。一方、私は木内さんと東壁ルンゼ。木内さんは過去二度も東壁ルンゼを登っていて、今回が三回目。雲稜ルートに行きたいなぁと言う木内さんを無理やり東壁ルンゼへ誘う私。すんません木内さん。
正直に告白します。私は東壁ルンゼ「トラウマ」があるんです。なんじゃぁ、そのトラウマってのは?
思い出してもそれはそれは悲しい悲しい出来事でした。涙なくしてはとても語ることができません。1988年正月(正確に言うと1987年12月末)、私は新人を連れて東壁ルンゼに取付いておりました。下部岩壁の1ピッチ目は完全に雪に埋もれ2ピッチ目も半分は雪壁となっておりました。無積雪期でいうところの三ピッチ目のこと。折りしも天候は芳しくなく壁をスノーシャワーが洗い、下から吹き上げる風で雪が渦巻くような状態でありました。リードしていた私は不意にメインロープに引かれて30m墜落したのです。なぜメインロープが不意に引かれたかって?信じられないような理由です。理由を聞いた木内さんが信じられないというくらいですから本当に信じられないことだと思います。
なんと新人が私がリードしているメインロープで突然、ユマーリングを始めてしまったんです。トホホ、落ちるしかありませんよね。岩壁全体が真っ白で空も真っ白。体がぐるぐる回って何が起こったのかがわからぬままに、止まりました。幸運なことに2ピッチ目の雪壁にドサッとグラウンドフォールしたんですね。
さてさて、トラウマの話はこれくらいにしておきましょう。
明るくなって、木内さんとノロノロと東壁ルンゼの取付きへ向かいました。ノロノロしていたのは私だけなのかなぁ〜。木内さんは動作が軽くホイホイ取付きまで下っていきます。
登攀前の妙にけだるい雰囲気。木内さんはロープのキンクを直しながらテキパキと登攀の準備を進めていきます。
昨日の大宴会で「東壁ルンゼのスピードクライミングをしましょう」と私が大法螺を吹いたのが災いしたのかなぁ。
「酒を飲んでも酒に飲まれるなよ」との父の遺訓をしみじみ思い出し、反省しました。
6時前、すっかり明るくなって登攀開始です。1ピッチ目はやさしいのですが妙に緊張しました。3級なんですけど怖いんです。アレアレとランナーをとることもできずに終わってしまいました。
2ピッチ目は木内さんがリードしたんですけれどもフォローの私でさえも出だしの5mが怖くて怖くてションベンちびりそうでした。フォローでションベンちびってどうするんでしょう?
3ピッチ目になって、正気になりました。きっと昨夜の大宴会の二日酔いのアルコールが抜け始めたのかもしれません。
正気になると周辺の状態にも気配りができるようになりました。3ピッチ目のビレイポイントから上を見ると東壁ルンゼの上部に登攀者の姿が見えます。あれぇ?オイラたちが今朝最初に取付いたパーティーのはずなのに上部に登攀者がいるとはびっくり。
上に登攀者がいるとわかったとたんに、落石に対する不安が登攀スピードを高めてくれるようです。A1の人工ピッチを20代の頃のようなスピードで登ってしまいました。
なんだか訳のわからないうちにT3にたどり着きました。ここまでたどり着くともう落石に当たる心配はありません。急ぐ旅でもなし、のんびりと菓子をほおばりながら大休止。昼寝をしたいような気分ですが、先ほどから足が痛くてたまりません。タイトなクライミングシューズを履いているからなのですが我慢の限界を超えつつあります。ザックの中にはアプローチ用の運動靴を持っているんですが、履き替えたい誘惑にとらわれます。下部岩壁でもピッチごとに靴を脱いではだしでビレイしていたんですが、再び履くときの耐えがたい痛み。いっそのこと履き替えちゃおうかなとも思うのですが見上げる東壁ルンゼの上部岩壁は傾斜が急でかなり手ごたえがありそうに見えます。
それでもなんとか我慢して上部岩壁の一ピッチ目を登り、小さなレッジにたどり着いて速攻で靴を脱ぎました。
ハアーと小便をしたときのような安堵感に浸りながら、「上田さんたちは今ごろどうしているのかなぁ。先行パーティーがずいぶんいたから、順番待ちでまだT4尾根かもしれないなぁ」と思って上を見るとすでに扇岩テラスあたりにいるじゃぁありませんか。ジパング登山隊、速いぞ。尾崎さんがリードをしているようですが先行パーティーはあおられているんでしょう。
小さなレッジで木内さんとのんびりタバコをふかしていると、下部岩壁で気がついた東壁ルンゼのクライマーが懸垂下降をしてきました。ソロでした。
木内さんとツルベ式で二ピッチ目、三ピッチ目と登るうちに靴の痛みはもう限界。三ピッチ目で運動靴に履き替えてしまいました。
木内さんがやってくるまでビレイしながら水を飲んでいたら水筒のキャップを落としてしまいました。アッ・・・最初はコロコロ、そして下へ落ちていきました。まだたくさん水が残っているのにどうしたらいいんでしょう。登ってきた木内さんに相談したら「全部飲んでも大丈夫だ、俺が予備の水をたくさん持ってるから」とのこと。
木内さんが相手では私は小学生のようなものです。さして喉が渇いているわけでもないのですが、残った水を全部飲むことにしました。生ビールなら一気に飲むことができるのですが、ただの水をひたすら飲むというのはバリウムを飲むようなしんどさがありました。でも頑張って、全部飲み干しました。
ゲップ!
なんだかおなかの中で多量の水がタップンタップンしています。
ルートはさらに続いていきます。
ここちよいフリークライミングとところどころに出てくる人工登攀。結構快適で楽しい雰囲気です。トポにおける「への字ハング」手前のピッチまでたどり着きました。これは楽勝パターンです。
運動靴に履き替えて足の痛みから開放され、絶好調。アブミも使わずA0とW+のミックスでホイホイ登っていきます。凹角からフェイスへ出てフラフラしているとビレイしている木内さんが「左の方へ行かないとダメよ」と下で言っています。上を見ると左は木が生えています。右の方にはフェイスが広がっていて快適そうです。そのうち左の方へトラバースできるだろうと安易に考えながら右手のフェイスを登り始めました。
ボルト2本にクリップしてマントリングの三連発で幅5センチくらいのフットホールドに立ち上がりました。胸に壁がつきそうな傾斜です。そしてその壁には岩茸がびっしり張り付いています。岩茸がこれだけ発達しているのですから正規ルートではないことは明らかです。この小さなフットホールドからもう一度マントリングをしなければなりませんが、マントリングするにはバンドは少々高すぎます。もう一段フットホールドを上に求めなければなりません。でもいい足場がありません。
いやな雰囲気になってきました。下のランナーまで5mはありそうです。もし落ちたりしたら前傾壁ではないだけに骨の一本も折るかもしれません。クライムダウンして正規ルートへ戻りましょうか?どうしましょう。しばらくああだこうだと考え込みました。こういうときには時間があっという間に過ぎ去っていくものです。
ついに雲稜ルートから見るに見かねた上田さんが激励とも冷やかしともつかないようなコールを送ってくれました。
このコールで我にかえることができました。過去32年間にこんなことが何度かあったのですがそのときの記憶をたどってみました。そうです、岩に乗っている苔や草付をはがすといいホールドが出てきたりするものです。さっそく三つほどはがして背後に投げ捨てました。何も言わずに投げ捨てたので木内さんはびっくりして「落!」と叫んでいます。何も言わずに苔を投げ捨てちゃぁいけません。ごめんなさい。
苔の下から案の定、素晴らしいフットホールドが出てきました。
上田さん!私が今現在五体満足でいられるのもあなたのコールのおかげです。
さっそく安定したバンドに這い上がり、右を見ると5m程のところに東稜のビレイポイントがあるじゃないですか。ほとんど東稜に出てしまったようです。バンドは左右に広がっていて東壁ルンゼの「への字ハング」下の大きなテラスへも風化した花崗岩を少し登りフレークに沿って下降気味にトラバースすると簡単にたどり着けそうです。
「への字ハング」下の草の茂ったテラスで腰をおろし木内さんとタバコをふかしました。
さて「への字ハング」です。ボルト間隔も近く快適なハングです。ハングにぶら下がって木内さんとお互いに写真を撮りあいました。ルーフの出口は次のボルトが抜けておりその上のリングボルトもリングが飛んでいます。やや遠いかなと思いましたが身を乗り出してみると楽に届きました。木内さんも楽しそうに登ってきました。
次のピッチはビレイ点から3ポイントの人工で直上し、あとは草付。ところどころに生えている潅木に木内さんはきちんとランニングビレイをとっています。木内さんの所へたどり着くと「終了点だね」といいます。三級のピッチがもう一ピッチあるはずというような顔をしていると木内さんは「あっちを登ってもしょうがねぇでしょう」といってあごで右の方を指しています。なるほど登攀距離を水増しするだけのピッチで納得。
時計を見るとちょうど15:00。久しぶりの本番ルート。しかしながら冬期ではない東壁ルンゼはあまりにも易しすぎるようで物足りなさを感じなくもありません。でも今日のところはこれくらいがちょうどいいんです。
雲稜ルートにはジパング登山隊が見えます。順番待ちでなかなか上へ抜けることができないようです。コールをかけると意外なほどの近さで話をすることができました。
ひょっとして携帯電話が通じるんではないかとトライしてみましたらアンテナ1本が立ったり圏外になったりしたのですが通話に成功。鉄人土橋さんに電話。先週は鉄人土橋さんは利尻の山頂から私に電話をしてくれたんです。涙が出るほど嬉しかったので恩返しをしなければなりません。
「いま東壁ルンゼの終了点で〜す」
土橋さんはびっくりして喜んでくれました。
数ピッチの懸垂下降でT3へ降り立ち、とぼとぼT4へ歩いていきます。
ふと足元を見ると水筒のキャップが落ちているではありませんか。なんという偶然。おお、お前はここで持ち主である私を待っていてくれたのか。いとしいキャップよ!
これってすごいことですよね木内さん。「ウンウンその通り」と木内さんも同意してくれました。
T4でザックをおろしました。見上げる東壁にはジパング隊の姿は見えません。順番待ちでまだ上のほうにいるのでしょう。T4で寝転びながらお菓子を食べたり水を飲んだりタバコをふかしたりしてボーっとしていました。そのうちジパング隊の声が上のほうから聞こえてきました。ロープがヒュルヒュルという空を切る音と共に投げられ、するするとジパング隊が降りてきました。
T4尾根を懸垂下降していきますが最後のピッチの手前で日が暮れてしまいました。でももう安全圏です。ヘッドランプを灯して一ルンゼをベースキャンプへと下降していくときの楽しさよ。今日もおいしいお酒が呑めるぞと喉が鳴ります。横尾のベースキャンプで乾杯したビールのおいしいこと!
尾崎さんと川崎さんがおいしいうどんを作ってくれました。シューマイやらカマボコやらマーボー春雨やら・・・。次から次へとご馳走が出てきます。
食いまくり〜!です。バクバクくってしまいました。

9月23日 曇りのち晴れ

本当はのんびり歩きたい上高地までの道。
誰だぁ走るようにして歩くやつは。時速6kmで歩くなよー。学生じゃぁないんだから。えっ?私ですか、私が悪いの?だってジパング隊を引き離そうと思って歩行速度を速めると、ジパング隊がついてくるんだもの。だからもっと歩行速度を早めていったら、結果としてこんなことになったんです。悪いのは私じゃぁないんです。ぴったりとついてくるジパング隊員の尾崎さんと上田さんが悪いんです。
上高地からのバスは時間待ちもなくドンぴしゃり。バスが山吹トンネルをくぐって沢渡地域へ入っていくと雲が切れて青空が広がり陽がさしこんでいました。沢渡上の「木漏れ日の湯」で温泉につかり汗を流して幸せを噛み締めながら、みんなでまた登りたいなとつくづく思いました。

それにしても、帰路の車の中で私の肩にもたれかかって眠る友の顔を見て、月日の長さをあらためて感じ入った次第です。

周辺の記録
2016年 穂高岳 屏風岩 東稜 & 東壁ルンゼ
2003年 穂高岳 屏風岩 雲稜ルート