2003年夏

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ぼくの登山日記

北アルプス 穂高岳 屏風岩東壁
雲稜ルート
2003/8/9--8/14
賀来素直

幼稚園の時から毎年夏休みは槍ケ岳や穂高にいっている。今年は6年生なので、小学校最後の夏休みだ。
「今年の夏山はどこに行こう。やさしい所と難しい所どっちに行きたい?」とお父さんが聞いた。
僕は「難しい方がいい」と答えた。
「難しいところを登るのなら練習しないとダメだ」とお父さんがいった。それから家のクライミングボードでアブミの練習をした。本物の岩場に行って懸垂下降の練習を20回もした。
そして今年の夏は穂高の屏風岩に行くことになった。
「屏風岩に登る小学生はめったにいない。もしかすると日本で初めてかもしれない」とお父さんが言った。
塾で行けない朋子お姉ちゃんがおばあちゃんとお留守番なので、敦子お姉ちゃんとお母さんと僕とお父さんで行くことになった。
朋子お姉ちゃんが行けないのでとてもさみしかった。

8月9日 暴風雨

台風10号がきているので上高地に着いたら雨がザーザー降っていた。
急いでビジターセンターに行った。ビジターセンターで雨宿りをして荷物をみんなでわけた。中を見学したあと重たいザックを背負って雨の中を歩き始めた。
2時間歩いて徳沢に着いた。
徳沢ではソフトクリームとカレーと山菜そばを食べた。体中びしょぬれで寒かったけどおなかが一杯になって温かくなった。
お父さんとお姉ちゃんは歩くのが速いので先に行ってテントを張ることになった。僕とお母さんは遅れて歩いていった。
横尾に着いてみるとお父さんとお姉ちゃんがテントとタープをはっておいてくれた。濡れた服を脱いでテントの中に干した。ランタンに火をつけたらテントの中がとても温かくなった。乾いた服を着てタープの下に座った。タープの下で夕ご飯を食べた。夕ご飯は牛丼でとても美味しかった。

8月10日 晴

今日は屏風岩に登る日だ。真っ暗なうちに起こされた。朝ご飯はお茶づけだった。
朝ご飯のあとで、ザックの中にお菓子、水筒、雨具、ヘッドライト、フリース、クライミングギアを入れた。出発する時お母さんが横尾の橋を渡って見送ってくれた。
森の中をどんどん歩いて横尾の岩ごやというところについた。ここで川をわたろうとした。川はゴーゴー流れていた。
お父さんが「台風10号で水が多いので今日は渡れない」と言った。そこから川を渡れる場所を探して下のほうへ行った。出発した場所の近くまで戻って渡れそうな場所を見つけた。最初はお父さんとお姉ちゃんは靴を脱いで裸足で渡った。でも冷たくて足が痛いので靴をはいた。僕は最初から靴をはいていた。
河原を歩いていくと1ルンゼの入り口に着いた。
その1ルンゼを登り始めた。岩がゴロゴロあった。屏風岩が見えてきた。でっかい屏風岩には誰も登っていなかった。
もっと登ると雪渓が見えてうれしくなった。走って雪のところまで登っていった。雪渓から冷たい空気を感じた。「雪渓の下の穴に入ると雪が崩れて死ぬぞ」とお父さんがいった。僕はこわくなった。雪渓の下には水がたくさん流れていて水筒に水をくんだ。
そこから登ってT4尾根の登り口に着いた。
ハーネスをつけてロープをつけてヘルメットをかぶった。お父さんが登り始めた。
お父さんが「モト君、登りなさい」と言ったので登り始めた。緑色のロープがあったけどつかむとのびるからのぼりずらかった。お父さんが「ロープはつかまないで登りなさい」といった。
登っていったらお父さんがいて、僕はすぐにセルフビレイをとった。お姉ちゃんが登ってきた。「とてもこわかった」とお姉ちゃんが言った。
それから易しいところを登っていくとT4に着いた。
T4は大きなテントを張れるくらいの広さだった。草がいっぱいあって虫がたくさんいた。ねころんでお菓子を食べてスポーツドリンクを飲んだ。
「今日は東稜を少し登ってからテントに帰る」とお父さんが言った。
東稜を登るためにT2という所に行くことになった。
「草で覆われていて道だと思っていたら実は崖かもしれないから気をつけなさい」とお父さんが言った。そしてお父さんは僕とお姉ちゃんに「すごい所をよこぎっているんだよ。もし落ちたらどうなるかわかるよね」と5回くらい言っていた。難しいところはお父さんがロープで引っぱってくれた。
T2に着くとそこは小さなテントが張れるくらいの広さだった。
お父さんが登り始めた。
僕が地面に絵をかいてアリと遊んでいたらお姉ちゃんが「お父さんがどうやって登るのか説明しているのをちゃんと聞きなさい」とおこった。
すぐに僕が登る順番になった。少し登ったら上のハーケンに手がとどかなくなった。がんばったけどとどかなかった。
お父さんが上から「何しているの」と言ったけど登れなかった。
お姉ちゃんは僕を見て笑っている。
僕は泣きたくなった。
そうしたらお父さんがロープで引っぱりあげてくれた。でも体が岩に背中を向けて変なたいせいになっていた。ハーネスが足にくい込んでとても痛かった。
お父さんが引っぱりあげてくれたあと、上にお父さんが見えた。そこからはフリークライミングだったので簡単に登れた。
お父さんのとなりにすわった。へとへとに疲れた。北鎌尾根や北岳バットレスよりも100倍疲れた。
お姉ちゃんも時間がかかった。お姉ちゃんもとても疲れていた。お姉ちゃんも北鎌尾根の100倍疲れたと言っていた。
お父さんが「疲れるのは変な登り方をしているからだ」といった。
それから懸垂下降をした。懸垂下降はたくさん練習したけど怖かった。T2についてT4へ横断してT4尾根を懸垂下降した。
明日また来るので、重たい荷物をどうくつの中においていくことにした。ザックが軽くなった。
お姉ちゃんとハリー・ポッターごっこをしながら1ルンゼを下っていった。
1ルンゼをくだった所に大学生の人がテントを張っていた。朝は川を渡れなかったので心配したけど「もうわたれるよ」と教えてくれたので川を渡った。
森を歩いてあかるいうちにテントについた。
早く帰ってきたのでお母さんはビックリしていた。
スパゲッティミートソースとペペロンチーノをお父さんが作ってくれた。とてもおいしかった。
あした晴れていたら、また屏風岩へ行くとお父さんが言った。
疲れていたのではやくねた。

8月11日 雨のち晴

雨がザーザーふっていた。雨と風がすごかった。夜中に起きてタープが飛ばされないようにしっかり固定したとお父さんが言っていた。
雨なので屏風岩には登らない。ずうっとねていてもいいのでうれしかった。
朝ご飯にホタテご飯を食べた。
お昼頃雨が止んだ。ぼくとお父さんとお母さんで散歩に行った。1ルンゼ入り口の近くの河原に行った。道端の大きな岩でボルダリングをした。僕は河原で石を投げた。最初はあまり飛ばなかったけどお父さんとお母さんに投げ方を教えてもらったら遠くまでとんだ。
屏風岩に登っている人を発見した。お父さんが「昨日はあそこまで登ったんだよ」と教えてくれた。
テントに帰ってきてカレーを食べた。
その後花火をした。キャンプ場にいた子供に花火をあげたら喜んでいた。

8月12日 雨のち晴

朝は雨がふっていたけど、ご飯をたべていたら止んだ。お父さんとお姉ちゃんが散歩に行って帰って来たとき、お父さんがお友達をつれてきた。
お父さんの山のお友達の安藤さんと松本さんが来た。お父さんが安藤さんにガスボンベをもらった。ガスボンベが足りなくなりそうだったので、お母さんもよろこんでいた。
安藤さんと松本さんはお父さんと一緒にコーヒーを飲んだ。もう下山するので消臭スプレーと汗拭きティッシュをくれた。とてもうれしかった。
きのうアブミでとても疲れたので「二人とも登り方が変だ。変な所をなおさないとダメだ」とお父さんが言った。
練習をすることになった。木にアブミをかけて一番上にたって手を伸ばす練習をお姉ちゃんと20回した。
最初はアブミの一番上の板に乗るのはとてもこわかったけど、最後はこわくなくなった。
アブミの練習が終わってテントに帰ってプリンを作った。
プリンが冷えて固まるまで河原に遊びに行った。木の枝を拾って遊んだ。
拾った枝の中に釣竿に似た形の枝があったので釣りをしている真似をしていたらお姉ちゃんがお父さんを呼んだ。
「お父さん、魚がつれたよ」
お父さんは、走ってきて「本当に魚が釣れたのかと思った」と言っていた。
キャンプ場の小屋番の人が66日間で日本百名山を登ったとお父さんが教えてくれた。その人は平田さんというおじさんだった。
平田さんが書いた本が小屋に売っているので僕が買いに行った。平田さんは買った本にサインを書いてくれた。
そして明日は晴れるよと言った。
夕ご飯はタコ飯だった。
お姉ちゃんと僕は「朋子お姉ちゃん」にとてもあいたくなった。

8月13日 晴

2時13分に起こされた。麻婆春雨ラーメンを食べた。2時45分に出発した。
真っ暗なのでヘッドランプをつけていった。
横尾の橋を渡ってすぐ川を渡った。道のない河原を1ルンゼに向かって歩いていった。
真っ暗で道がないのでとても歩きにくかった。
川の中を歩いて1ルンゼの入り口についた。
少し休んでから1ルンゼを登っていった。どんどん登って雪渓の所に着いた。まだ真っ暗だった。
そこで水筒に水を入れようとしたけど水が流れてなかった。雪渓からぽたぽた落ちるしずくを何時間もかけて入れた。とても寒くてガタガタ震えた。
少し明るくなってきてT4尾根を登り始めた。
「張ってあるロープはつかまないで登れ」とお父さんが言った。つかまなかったら楽に登れた。
登っていたらゴゴゴゴ・・・というものすごい音がした。下を見たら大きな雪のかたまりがゴロゴロと落ちていった。雪渓が崩れて大きな穴があいた。
「もし雪渓の下にいたら死んでいた」と思った。
それからT4に着くと太陽が照って熱くなり少し気持ち悪くなった。スポーツドリンクを飲んで、少しねころんだら楽になった。
T4で道具を体につけて準備をした。
「今日も大きな屏風岩にうちの家族だけしかいない」とお父さんが言った。
それから雲稜ルートを登り始めた。
最初にセルフビレイをとった所が怖かった。僕は「ファイト一発」といいながら登った。お父さんのところに着いたらほめてくれた。
「おとといボルダリングした岩のところにお母さんがいるよ。こっちを見ているよ」とお父さんが教えてくれた。人が立っているのが見えた。とても遠くてはなれているので小さかったけどお母さんだった。
下を見たらほかの人がT4尾根を登ってくるのが見えた。
そこから右の方へトラバースした。足場がなくて難しかった。右へトラバースしたあと左へトラバースしながら登った。ここはやさしかった。左上にお父さんが見えた。登りついたところは扇岩テラスというところだった。
扇岩テラスは広くて安全でほっとした。僕は靴をぬいで、ねころんだ。お姉ちゃんが登ってくる間、気持ちよくて眠ってしまった。
お姉ちゃんが登ってきたので、お父さんが扇岩から登りはじめた。
そうしたら急にガチャンと音がしてお父さんが上から僕たちめがけて落ちてきた。
僕はもうお終いだと思った。「わー」と大きな声を出した。お姉ちゃんも「きゃー」と言った。
お父さんは僕たちの目の前まで来た。それをお姉ちゃんがロープで止めた。お姉ちゃんの体が引っ張られて空中にぶら下がっていた。
見たらお父さんが10メートルくらい上のところにぶら下がっていた。
「フィフィをかけた細いひもが切れた」とお父さんが言っていた。お父さんは、けがをしていなかったのでまた登りはじめた。
次に僕が登った。アブミの一番上の板に立って、手を伸ばしても次のボルトに手がとどかないところがあった。そうしたら、お父さんが少しロープを引っぱってくれたのでとどいた。
登ったところはとても狭かったので、すわれなかった。セルフビレイにぶら下がったらハーネスがくいこんで足がいたくなった。
お母さんの方をみたら、お母さんは岩の上に座っていた。おーいと声を出したかったけど、遠いので聞こえないと思って声をださなかった。
お姉ちゃんも頑張って登ってきた。
「ここから10mが雲稜ルートで一番難しいところだから頑張れ」とお父さんが言った。
お父さんの次に登っていった。足場がだんだん狭くなって右へトラバースする所が難しかった。
ロープにぶら下がることができないのでとてもこわかった。
登っていったらお父さんが見えて安心した。草がぼうぼう生えたところでお父さんが待っていた。
ここから、だんだん易しくなってきた。
少し登ったら大きなテラスがあった。
お父さんとお姉ちゃんは足が痛くてたまらないといって靴を脱いでいた。チョコレートと柿ピーを食べてスポーツドリンクを飲んで休んだ。
また少し登ったら大きなテラスがあった。「アブミはもう使わないのでザックにしまっていいよ」とお父さんが言うのでしまった。お父さんが「あと少しで終わりだからがんばりなさい」と言った。アブミがなくなったのでほっとした。
最後のところは平らな滑り台のような所だったけど右側に割れ目があったから簡単だった。
滑り台のような所を登り終わって懸垂下降を始めた。
お姉ちゃんは足が痛いから懸垂下降は靴をぬいで、はだしになった。「はだしはとても気持ちがいい」と言っていた。
「エイトカンがハーネスについていなくてたくさんの人が死んだ。ロープがはずれて死んだ人もたくさんいる」とお父さんが言った。
お姉ちゃんがちゃんとなっているかどうかを調べてくれたけど、「エイトカンがちゃんとハーネスに付いていなかったらどうしよう」とか「止まらなくなったらどうしよう」とか思って怖かった。
おりたところには、いつもお父さんが待っていてくれた。
T4に着いたときは、とてもほっとした。もうすぐ帰れると思った。T4で懸垂下降に使わない道具をザックにしまった。「お腹がへっていると事故がおきやすい」とお父さんが言ったのでみんなでお菓子とゼリーを飲んだ。途中で暗くなるかもしれないのでヘッドライトをヘルメットにつけた。
T2を見たらテントが張ってあってビックリした。
T4尾根の下の雪渓まで後もう少しのところでヘッドランプをつけた。暗くなっていたけどT4尾根の下降は2回目だったのであまり怖くなかった。
雪渓のところで道具をしまった。それからまっすぐな1ルンゼを降りていった。暗かったので時間がかかった。
下っている時にカンカンカンと音がした。お父さんが「ハーケンを打つ音だよ」と教えてくれた。こんなに真っ暗なのにまだ登っている人がいるなんてビックリした。
下の河原に着いたらテントが張ってあって中から人がぞろぞろ出てきた。ぼく達をずっとライトで照らしていた。お父さんが「雨が止んでから時間がたっているから川を渡れるだろう」といって川を渡った。
お父さんが僕の手をつないでわたった。水がおなかのところまできて、たおれそうだった。
びしょぬれになって横尾の岩ごやの登山道についた。ボルダリングをした岩にはもうお母さんはいなかった。
真っ暗だった。もう安心だねといって三人であくしゅをした。
横尾の橋をわたったらお母さんが橋の前で待っていた。お母さんが走ってきた。僕も走った。僕はとてもうれしかった。
お母さんが「ご飯ができているよ」といった。テントにいくとパエリアがあった。スープとパエリアとペペロンチーノを食べた。
キャンプ場の平田さんがとても心配してなんどもテントに来たとお母さんが教えてくれた。
「今日は、朝2時45分に出発して21時15分に帰ってきた。だから18時間30分登り続けた。今までで一番がんばった。みんなえらい。明日はおうちに帰るぞ」とお父さんが言った。
あしたは朋子お姉ちゃんにあえるのでとてもうれしくなってきた。

8月14日 雨

雨がザーザーふっていた。雨が強かったのでなかなか出発できなかった。
出発する時に平田さんにみんなで「おせわになりました」といって出発した。平田さんはニコニコしていた。
おうちに帰れるのでとてもうれしかった。敦子お姉ちゃんもうれしいといっていた。
雨が降っていたけど上高地まであまり疲れなかった。
上高地に着いたら沢渡行きのバスがすぐあったので乗った。僕はその中で気持ち悪くなって眠った。
車は温泉の玄関前に止めてあったので車にザックをおいてすぐに温泉に入った。温泉は最高だった。
車で松本の「レストランどんぐり」に向かった。
「レストランどんぐり」は去年も行きたかったけど行けなかった。今年は行けるといいなとお姉ちゃんと話していた。だから行けてとてもうれしかった。
僕はピザとフライドポテトを食べた。とても美味しかったけどすごく多かった。お父さんもお母さんも多いといっていた。お姉ちゃんは食べ残してしまった。
車の中で寝ておきるともう家についていた。
車をおりようとしたら、車のところまで朋子お姉ちゃんがきた。
僕はとてもうれしかった。
参加者:賀来素直(小学6年)、賀来敦子(高校2年)、賀来幸子、賀来素明
★保護者注:本人が自らキーボードを打って作成したテキストに私が写真を貼ってUPしております。