1998年夏

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親子五人で行く表銀座から槍ヶ岳

昨年の奥穂高に引き続き、今年は表銀座からの槍ヶ岳登頂を家族で実施。
全行程を幕営とし一応、スタカットクライミングができる装備を持参。
子供は自分の個人装備のみ背負うこととし、重量は各自3sから5s、女房は10s
私が基本的に全てを担ぐことにして30s。
行程の歩行時間は標準コースタイムで4時間/日以内で計画。子供の場合は標準コースタイムのほぼ倍の時間を見込む必要がある。但し岩場などでは子供は木登りでもしているつもりなのか、遊び感覚で猿のように登ってしまう。難度が高くなればなるほど子供の歩行スピードは上がるが、先に行かせると転んで転落することもあるので、林道以外は先に行かせることはしない。

8月1日

前夜のうちに出発予定だったが、会社から帰宅したのが24時では、その夜のうちの出発はとても無理だ。のんびり昼から千葉をデリカで出発。
夕方、JR穂高駅に到着。穂高温泉で汗を流し、河原でキャンプ。
会計:穂高温泉大人300円×2 子供150円×3

8月2日

穂高駅よりタクシーにて中房温泉へ向かう。途中より激しい雨。中房温泉に到着した時点ではどしゃ降りの状態。まったく憂鬱になる。
全員GoreTexの雨具を着用して出発。
雨脚が激しく登山道はぬかるみ状態。
私には簡単な段差でも小学一年生にとっては胸までの高さになる。息子はその段差をマントリングで登って行く。時には露出した木の根にヒールフックなどもしている。ぬかるみの登山道でマントリングの連続をするのだから、顔まで泥だらけだ。ときおり薄日の差すこともあるのだが、すぐに雨脚が強くなる。
合戦小屋に到着すると、小屋番から「燕山荘のキャンプサイトは満員状態で幕営は不可能」といわれる。女房の顔をみると「ラッキー!ここでテントを張ろう!」というような顔をしている。
合戦小屋のヘリポートにて幕営。ヘリポートには山小屋の物資が山積みになっており、高圧電線で柵がしてある。熊よけである。
雲が切れ安曇野が見渡せる。ひょっとして梅雨明け間近なのかと期待をしたが、夜間さらに激しい雨となった。
会計:タクシー6,940円 山菜うどん600円×4=2,400円 ビール350ml500円 幕営料500円×5=2,500円 水7g1,400円

8月3日

どしゃ降りとはこの事か。うんざりするが歩き始める。大天井へいく予定だったが燕山荘で幕営。
燕山荘はきれいな山小屋である。燕山荘の主人赤沼さんが非常に従業員に厳しい人で、便所もフロアもピカピカだ。女房は従業員に指示している赤沼さんを見て「酔っ払って従業員にからんでいる宿泊客か?」と思ったそうである。
時折雨も止みガスが切れるようになったので明日の天気を期待して寝る。
夜9時過ぎまで騒いでいた、大分大学ワンダーフォーゲル部に私が大分弁で「ヌシャ何時じゃとおもっちょるんか!バカタレ!はよ寝らんか!!」とどなるという一幕もあった。
真夏の3000mの高所では朝2時起床、4時出発が常識。なぜなら午後から雷雨がくるので目的地へは午前中に到着していなければならないからである。つまり日没と同時に就寝する掟になっている。21時まで騒ぐとは言語道断だ。
会計:カレー840円×2+牛丼840円×34,200円 ビール350ml540円 幕営料500円×5=2,500円 ガスカートリッジ580円×2=1,160円 水10g2,000円 たばこ230円×3

8月4日

私は2時に起床し、出発の準備をする。時折雨粒が天幕をたたく。
朝食を済ませ、とりあえず燕岳を往復。北燕岳まで足を伸ばす。雨はさほどでもないがガスが濃い。
天幕に戻りしばらく様子を見る。雨が天幕の布地を叩き出発する決心を鈍らせる。少なくとも今日中に大天井岳まで行きたいので、9時30分重い腰をあげる。子供たちが腹が減ったという。燕山荘に立ち寄りカレーライスと牛丼を食う。いつまでもストーブに当たっていたいが決心して、11時に燕山荘を出発する。
蛙岩まではかなり激しい雨に打たれる。飛騨側の稜線では風が強いが信州側に回り込むとウソのように風がない。
切通岩の下降でロープ使用。
さすがに夏山だけあって、風にぬくもりを感じる。GoreTexの雨具は素晴らしく快適だ。これだけの重荷を背負うと通常は蒸れて、雨よりも汗で全身ズブヌレになるのだが、歩行速度が子供ペースで極めてスローというせいもあるだろうがパンツも乾いている。スペアの衣類に着替える必要性を感じさせない。GoreTexは発売当初の1970年代から使用しているが、今までは冬でしか使ったことがなかったので本当に驚いた。
それからもう一つ驚いた装備があった。ストックである。過去の経験から冬でも通常の歩行ではピッケルよりスキーストックのほうが有効だとは感じていたが、このような縦走登山で本格的に使うのは始めてだった。素晴らしい効果で30sの重荷をたいしたストレスなく担ぐことができる。腿の筋肉を収縮させる瞬間にダブルストックで地面を軽く押し付けるのである。なれるまでに多少コツが必要だが、習熟してしまえば、こんな楽なものはない。しかも下降時に膝を保護するのにも抜群の効果がある。今後の一般登山ではダブルストックを手放せそうもない。なぜ以前から使わなかったかと後悔することしきりであった。
大天荘の幕営指定地は非常に快適。下が砂地で水平だ。但し便所が汚い。町営なので全てが役所仕事。茶髪にピアスのアルバイトでは便所掃除等いいかげんにやっているのだろう。燕山荘と比較すると雲泥の差だ。
会計:カップヌードル400円×5 ビール500ml 700円 幕営料500円×5=2,500円 水7g1,400円

8月5日

2時に起床すると時折、天幕に雨粒が当たっているが、そのうち星が見えはじめた。大天井岳を往復する。槍ヶ岳が良く見えた。
天幕に戻り、携帯テレビで気象情報を見ると梅雨前線が北陸から東北地方へと停滞し、太平洋高気圧の勢力が今一つ弱いようだ。
大天井岳から大天井ヒュッテのコルまでは子供にとっては歩きにくい道だった。貧乏沢への下降点を過ぎ稜線へ出ると白い砂地の気持ちの良い道が続いている。このような登山道の連続が表銀座コースの醍醐味なのだが昨日は雨の中の行動だったので、楽しむ暇もなかった。今日は展望もきき、最高である。赤岩岳のトラバース道をたどる頃になって再び、雨...。ガスも濃くなってきた。信州側のトラバース道で西岳を通過し「ヒュッテ西岳」に到着。
西岳の幕営地で幕営。ここは民営の「ヒュッテ西岳」が管理しているので便所がきれいで、サイトも素晴らしく文句のつけようがない。天幕を設営し終わる頃から雲が切れ太陽が顔を出し始めた。天幕の真正面に槍ヶ岳が聳え展望がすこぶる良い。ブロッケンも信州側にくっきりと見ることができた。
久しぶりの晴天に濡れたものを乾かすことができ、ほっと一息つけた。子供たちも文句一つ言わず黙々と歩いてくれた。
会計:牛丼1,000円×2 カレーライス1,000円×2 ラーメン800円 ウィスキー小瓶1,500円 幕営料500円×5=2,500円 水10g2,000円

8月6日

今日は槍ヶ岳山荘までの予定だ。標高差もあり岩場もあるので、一年生の息子とロープを結ぶ。息子には手製のフルボディーハーネスを着用させ、ヨーロッパのガイドと同じ確保方法を行なった。私自身、日本山岳協会の常任委員として全国の指導者達には「松永方式」や「大阪方式」を指導してきたが、エキスパートと初心者というように力量が明らかに違う場合にはヨーロッパのガイド方式が妥当だ。なぜなら初心者が墜落を止めることは不可能だからだ。「大阪方式」は12本爪アイゼンの出歯がやっと刺さるくらいの冬富士のアイスバーンでも99%止めうる素晴らしいものだが、「大阪方式」に熟練したエキスパート同士であることが前提となる。
さて、子供の確保だが、岩場自体がいかにやさしくとも、小学一年生くらいの年齢では何をするのか予測が付かない。ちょっとした事で転ぶからだ。実際昨日は登山道の石ころからハエが5匹飛び立ったというだけでキャーと先頭を歩かせていた小学一年生が驚き、続いて訳も分からず小学四年生の次女が驚き、最後に将棋倒し状態で小学六年生の長女が転ぶという珍事が発生した。
ガイド方式でロープを結ぶと安心して登ることができる。これだと私が余裕をもって登ることのできるのであれば、たとえ一の倉沢であっても小学一年生を登攀させることが可能となる。
さいわい30sのザックを背負ってもほとんど疲労を感じないくらいに体も山になじんできており、昼前11:50に槍ヶ岳山荘に到着することができた。
天幕で一休みして槍ヶ岳の穂先へ登ることにした。
通常は30分で登頂できるのだが、先行する某大学のワンダーフォーゲル部20名が奇妙に遅く2時間を要してしまった。
槍ヶ岳の山頂はあいにくのガスで全く展望はきかない。長年、北アルプスといえば冬の穂高における岩登りを中心に活動してきた私にとって槍ヶ岳は実に26年ぶり二度目の登頂だった。26年前は非常に狭く感じた山頂もあらためて眺めると結構広い。
下降途中でまたもや雨。しかもかなり激しい雨である。全身ズブヌレ状態で天幕まで戻る。雨はさらに激しくなり時折雷鳴が響く。風も強く天幕が煽られる。
しかしながら今回持参した天幕はダンロップの6人用で不安はない。10年ほど前の同型のモデルはフレームが極端に弱くポキポキとフレームが折れたものだが今は改良されそのようなこともない。
雨粒が天幕の布地をたたく音で時々、話す声も聞こえなくなる。
会計:バンダナ700円×2 ワイン2,000円 幕営料500円×5=2,500円 水10g2,000円

8月7日

雷鳴が轟き、どしゃ降りの中で天幕の撤収。子供たちは槍ヶ岳山荘の喫茶室に避難させホットミルクを飲ませる。女房と天幕をたたみ、ズブヌレの装備と共に私のザックの中に押し込む。水をたっぷり含んだザックはずっしりと重い。最悪とはこの事か?
稜線は飛騨側から激しい風が吹き付けている。たばこが切れて困っていた私は、槍ヶ岳山荘の小屋番からハイライトを一箱譲ってもらい、意気揚々と槍沢へと下山を開始する。
槍沢側に下ると風は止んだが、雨脚は更に激しいようだ。息子の服装を直そうと前かがみになったら、私の雨具に溜まっていた雨水が滝のようにザアーと息子に流れ落ちた。坊主の岩小屋で小休止。子供たちを岩小屋の中に入れ、休憩とする。こんなひどい雨は久しぶりだ。登山道は川のようになり両側の稜線からは何本もの滝が出現して壮観である。
ババ平近くになって薄日が差し始め、雨も小止みになり始めた。槍ヶ岳登頂のベースキャンプとして最適な位置にあるババ平は幕営指定地になっており立教大学のグループが大型の天幕を設営していた。そういえば20年ほど前に立教大学山岳部の夏山合宿に客人として参加したことがあった。滝谷や屏風岩・奥又白で遊びほうけたことが楽しく思い出される。みんなロッククライミングはへたくそだったが、50kgを超える特大のキスリングを背負うとバケモノのように強くて楽しい連中だった。あの頃の部員たちはどうしているのだろうか?すでに2名が故人になってしまったことは知っているが、あとの連中は今でも山登りを続けているのであろうか。その後部員不足で存続の危機にあるとうわさに聞いたことはあるが...。
雲が大きく切れ、真夏の太陽が照りつけるようになった。ここでずぶぬれになった全ての装備を岩の上に広げ、乾かす。さすがに真夏の日差しは強く、30分ほどですべてがカラカラに乾燥した。午前中のどしゃ降りの雨でここババ平に幕営していたパーティーは今日の槍ヶ岳登頂は断念したようで、みんなのんびりと昼寝などをしている。さわやかな風が吹き降ろし高山植物の葉を次々と裏返して行く。
さて、装備も乾いたので、さらに下る。しばらく歩くと槍沢ロッジである。ここまで来ると針葉樹の森となる。槍沢ロッジは小屋泊りの一般登山者でごった返している。非常に感じのいい小屋で、風呂まである。ここをベースにして槍ヶ岳に登頂するのであれば、斉藤副隊長や杉浦司令長官でも登れるかもしれないと思った。
ここからは針葉樹の森の中の平坦な道をひたすら上高地目指して歩きに歩く。
槍見平付近まで来たところで、ドーンという衝撃とともに地面がゆれた。小学六年生の長女はびっくりして「お父さん、なぁに?」ときく。近年梓川では大規模な浚渫工事が行なわれているので発破の音かと思った。
夕刻、横尾に到着。横尾国設野営場にて幕営。冬には何度も泊まったことのある横尾だが、夏に泊まるのは始めてだ。快適な野営場である。
夜、何度となく地鳴りがして、一度は振動で付近の崖から岩の崩落する音までが聞こえた。火山性の地震だろう。焼岳が噴火するのか?
交通機関もストップするのだろうか?徳本峠経由での下山も考慮に入れる必要があるな、などと考えながら眠りについた。
会計:ホットミルク350円×3 幕営料500円×5=2,500円 水10g2,000円

8月8日

のんびり出発。がけの下を通過するときには地震で岩の崩壊があるかもしれないので、走る。
徳沢で昼食。
ここも芝生のすばらしい野営場になっている。時折強い風が草原を走りぬけ、その風に落ち葉が舞う。冬にしか幕営したことのない徳沢だが、いつの日にか夏草の茂る牧草地「徳沢」で幕営する日も近いことだろう。
上高地に近づくとハイヒールの観光客とすれ違うようになる。
河童橋はいつもの通りごった返しているが「2月の静寂さ」との落差を知る私は、この雑踏すらもなんら気にならない。
あの静寂は「心静まるもの」でもあり反面「寂しいもの」でもある。人っ子一人巡り会うことのない2月の穂高で雑踏を待ち焦がれるという人間の矛盾を私は肯定する。
バスで新島々まで行き、松本電鉄で松本まで、さらにJRで穂高駅までもどった。夕暮れ時、JR穂高駅前広場で私たちを待っている三菱デリカ号へと帰り着き、私たち家族の長い山旅を終了した。


私たちはその夜のうちに奥秩父廻目平へ移動し、8月13日までオートキャンプを行い、フリークライミングと周辺の山々への登山をゲップがでるほど堪能した。

参加者:賀来素直(小学1年)、賀来朋子(小学4年)、賀来敦子(小学6年)、賀来幸子、賀来素明