7月末の日曜日。小学校5年の息子と四街道のイトーヨーカ堂の立体駐車場内を歩いていると突然、土橋さんから携帯電話。自宅から電話しているのかな?と思っていると、
「いま北鎌平です」
そういえば前週に土橋さんが「昨冬、北鎌尾根にやむを得ず破棄した食料がゴミ化しているかもしれないので回収に行く」といっていた。そのとき私は思わず「子供たちをつれて北鎌に行くかもしれない」と答えていたが、本当にゴミの回収の為に北鎌尾根に行ったのだ。もうびっくり仰天である。
排気ガスとアスファルトの熱気で胸が悪くなるようなイトーヨーカ堂の立体駐車場であったが、高山のすがすがしい澄み切った空気に触れたような気がした。
今年の夏山のプランにはいくつかの候補があり、北鎌尾根はその中の一つにすぎなかった。子供たちもそこそこフリークライミングが上達しているし、私も小川山には10年前に開拓途中でほったらかしにしている岩場がある。あれが完成したらナチュラルプロテクションの混在した素晴らしい三ツ星ルート間違いなしであり、正直に言うと小川山へ傾きかけていたのだ。
が、この電話で決まり!よし、北鎌に行こう。
さて、このようなインターネット上のホームページに記録を公開するとなると「子連れでどのようにして登ったんだろう?」と知りたい人も少なくないだろう。そこで準備の実際についていくつかポイントを記述しておこう。
1.模型の作成
これはどんな登山でもいえることだがメンバーに計画の概要を把握させることが第一歩である。目標山域の地形とコース概要を子供たちに理解させる。一番いいのは模型を作らせることである。この手法は32年前の山をはじめて一年目に知ったもので、シーズンオフに翌年の夏山合宿の予定山域の粘土模型を先輩達の指導のもとに作らされた。タタミ1畳分の大きさの槍穂高連峰粘土模型。これで地形の概要を体に覚え込ませることができた。このようなやり方を教えてくれた当時の諸先輩に感謝しているし、実際5年程前に長女に槍穂高の粘土模型を作らせていた。今回北鎌尾根部分を拡大してあらためて息子につくらせた。
2.ビレイシステム
フリークライミングではビレイに関して採りうる最良の方法を二重三重に追求する。しかし高山の危険は墜落だけではない。天候、安全地帯までの距離などを考慮するとビレイだけに完璧さを求めたとしても「墜落はしないが悪天候など予期しない危険」につかまってしまう。高山のビレイはこのようなさまざまな危険要素を天秤にかけたバランスの上に成り立っている。
従って今回のビレイシステムは「リスクを把握した上でのバランスの産物」として長男のみ全行程タイトロープ方式とし、ところどころに出てくるリスキーな二・三歩に関しては、随時二人の娘をお助け紐形式、10m以上にわたる部分についてはフィックスロープ+アッセンダーを使うことにした。いわゆるユマールは容易にロープを解除できる構造で重量もかさむため今回ワイルドカントリー社のロープマンmark2を用意した。これによりロープをフィックスするだけで子供たちを登らせることができる。ロープマンmark2の仕様によりロープ径は9mmを用意することにした。またビレイシステムの弱点であるトラバースを極力避けるために独標も直登ルートを登る予定にした。また、ロープの結び方やビレイシステムの説明を高校一年生の長女に繰り返し教え、覚えてもらった。さらにロープマンの特性を理解してもらうためにユマーリングを子供たちに体験させた。
3.水の確保
ビレイシステムの管理下で我が家の子供たちが北鎌尾根を1日で抜けることは無理だろう。稜線上で2泊を覚悟して準備を行った。具体的にポイントとなるのは水の確保である。悪天候による停滞であれば雨水を確保できるが、天の恵みばかりをあてにはできない。20リットル分のポリタンクを用意した。水を担いだ場合でも私のザックの重量が50kgを超えぬようにザックのネット重量が30kg前半程度に収まるように食料、装備を調整した。
4.子供たちの登攀能力
これは自宅の人工壁を登りなれているのでまず心配ないだろうが、念のため子供たちでも5.10程度は登れるようにしておいた。
長女の敦子は部活動の山行で黒部立山から一昨日、帰ってきたばかりだ。中二日休んですぐに北鎌尾根だから山三昧の夏休みで私が高校生の頃とおんなじである。
さて、朝早くおきて準備をしていると土橋さんが見送りに来てくれた。氏は二週間前に槍沢ロッジから北鎌尾根を日帰りしているのだが、今日も朝早くからトレーニングをしてきたという。本当に信じられない体力だ。しかも60歳!パートナーでもある斎藤さんは海外出張中だそうだが、会いたかったな。土橋さんからは二週間ほど前の北鎌の最新情報を聞くことができた。冬用のデポの場所も詳しく教えてくれ、必要ならデポされているガスカートリッジを使っても構わないと言う。しかも子供たちにお土産までいただいてしまった。
9時に出発準備が整ったが、今日は毎週恒例の日曜日のミサである。わが家族はヘルマンブールと同じくカトリック信者でもある。カトリック西千葉教会の日曜日第二ミサが終わって掃除を手伝ってから山に向かうことにして自宅を出発する。
11:30に西千葉を出て、途中で幕張のモンベルへ立ち寄って不足している装備類を調達し、高速道路を飛ばし夕方16時半には沢渡へたどり着くことができた。車は沢渡上の「木漏れ日の湯」前の自動ゲート式駐車場に停めた。ここなら下山時にすぐに温泉に入れる。17時23分のバスに乗車し上高地へと向かう。バスはガラガラで10人程度しか乗っていない。穂高は雲に覆われ薄暗い上高地に到着した。さっそく小梨平へとおもむきテントを張る。
6時出発。朝食は前日コンビニで買い求めたプリンを二個づつ食べる。とにかく初日にばててしまうと落胆が激しいので、慎重に歩き始めた。天候もまずまずでゆっくりとしたペースながらも順調に明神、徳沢、横尾と進む。槍沢ロッジから初めて緩やかな上り坂となりほどなくババ平に到着した。13時半である。子供たちにテントを張ってもらいのんびりしていると時折小雨がぱらついてくる。7月から常念小屋にDoCoMoのアンテナが設置されたせいかババ平から携帯電話が通じる。土橋さんに電話をするとインターネットで天気予報を調べてくれて電話をいただいた。あまり芳しくないようだ。とにかく重量のかさむ食料から先に食ってしまおうということで、夕食は白米を炊いてレトルトのカレーを食べた。夜半にやや強い雨が降り、こりゃ今回はダメかな?
雨が降っているので出発を遅らせ7時半にババ平をあとにする。雨具を着るほどではないが時折雨が降っている。大曲まで30分でたどり着き、水俣乗越への急登に取り付く。登るうちに雲が上がり始め夏の太陽が射し込みはじめた。途中ですれちがった中高年のおばちゃんに息子はみかんをもらった。4人で分けて食べる。
10時に水俣乗越到着。ババ平で重量のかさむ食料を食べたので、だいぶザックが軽くなっているはずだがそれでも30kgオーバーである。短い登りだったが結構疲れた。乗越からも携帯電話が通じる。
昼食のおにぎりをほおばり、ハーネス、ヘルメットを装着しロープを結びコンティニュアスでいよいよ天上沢へと下降を開始する。出だしから踏み跡がありなんら問題ない下りである。どんどん下っていくと「KD」と記された赤布が木の枝に結んである。二週間前に土橋さんがつけておいてくれたものだ。下に見える雪渓への下降点を示しているのである。赤布の右手の草付に踏み跡があったのでこれを利用して雪渓へ降り立つことができた。
降り立った雪渓は傾斜がゆるく谷も浅く比較的安全な状態だ。子供たちは雪渓の上をキャーキャー言いながら下っていく。ふざけているのではないかと思うくらいにスッテンコロリンと転ぶのである。ちょっと信じられないような気もするが、この傾斜で転ぶのが子供たるゆえんでもあるのだろう。コンティニュアスでローピングしているのでたびたびロープを引いて子供たちの体勢が崩れるの防ぐ。雪渓はずいぶん長く、河原に降り立ったところで大休止。雪渓を見上げると猿がいるので子供たちは大騒ぎである。お姉ちゃんたちがホイホイと岩から岩へリズミカルに下っているのに比べ、背の低い小学校5年生の長男にとって河原の大きな岩を一つ一つ越えていくのは難儀である。
万が一の退却時のために、沢の分岐点がややわかりづらいので目印の赤布を結びつけながら下っていく。
15時になって北鎌沢出合に到着した。誰もいない。出合から30mほど下流の天上沢左岸の林の中の砂地に天幕をはった。とても気持ちのいいところだ。裏手の斜面が万が一の増水時の避難ルートにもなるし流木もふんだんにある。水は北鎌沢を5分登っても得られるし天上沢本流を10分下ってもいい。私が本流へ水汲みに行っている間に子供たちがテントを設営してくれていた。子供たちがこのように自主的に仕事をこなすなんて、ほんの二、三年前までには考えられなかったことだ。いまでは自分達がしなければならないことを率先してやってくれるのだ。てきぱきと子供たちが立ち働いているのを眺めていると子供たちも本当に成長したなと幸せな気分になってくる。
のんびりしていると単独行と二人連れの計2パーティーが北鎌沢の押し出し上に天幕を張った。
突然、近くにヘリコプターの爆音が聞こえ始めた。貧乏沢から大天井ヒュッテの上空さらに北鎌尾根の上空を旋廻後、私たちのすぐ上でホバーリングをしている。私たちの様子をじっと見ている。
夕食のご飯が炊き上がるまでの間に4人で焚き火用の流木集めをする。カラカラに乾燥した木が河原にはたくさん落ちている。焚き付け用としてアルミ容器に入ったロウソクを持参したがこれは正解だった。このロウソクは10個入り100円で、近くのホームセンターで買い求めたもので軽量安価。すぐに火をおこすことができた。
食後に子供たちがお待ちかねの花火をする。長男のザックの背中に85円の花火を二袋忍ばせていたのである。一人4本づつのささやかな花火大会だったが大喜びである。
晴れているのだが、今日も気温が高い。あまり天候が安定していないのだろう。明日は少し早めに出発することにしてテントに入った。
3時半に起床し、5時50分に出発する。天候悪化の兆しが雲に見てとれる。150m登って休憩というペースでじっくり北鎌沢のコルを目指すことにする。
見上げる北鎌沢は今年の4月の景観とはずいぶん違う。雪のある時期の北鎌沢右股は緩やかに右へカーブしながら稜線へと突き上げていた。ところが夏に見上げる北鎌沢はヤブにおおわれみすぼらしいほどである。気にしてもしょうがないと歩き始める。時々、右股の分岐がないかどうかを確認しながら、バテないようにゆっくりと足元を見つめながら登っていく。あれ?標高2,150mまで登っちまったよ。こりゃ右股との分岐を見落としたに違いない。子供たちを待たせ、上流へ50m登って見ると雪渓が現れ左股へ入り込んでしまったことがはっきり確認できた。私たちの後から二人連れが登ってきたが「ここは左股じゃないですか」というと「いや右股に間違いない」と主張する。わからんやつらだ。仕方がないので二人連れを残して私たちは下降を開始。
右股の分岐点へ戻り、大休止。
雪のある時期には明瞭な右股も無積雪期には貧相なガレに過ぎない。しかも一見したところ左股と並行に流れ込んでいるような形になっている。出来れば今日の幕営地を独標手前のコルにしたかったのに、こんな体たらくではとても無理だ。独標手前のコルからならば1日で槍ケ岳まで抜けられる。もし北鎌沢のコルで幕営することにでもなれば、稜線上で二泊する可能性があると言うことだ。そう考えるといっそうのこと気落ちしてしまった。
土橋さんの話によれば、二週間前は右股の屈曲点で岩から染み出す水を集めるのに時間がかかったとのことなので、右股上部での給水は期待しないでここで水を補給する。稜線上での二泊の可能性が出てきたために私が10リットル、長女が4リットル、次女が3リットル、長男が1.5リットルをそれぞれ背負う。総計18.5リットルで十分すぎるほどの水の量だ。これで稜線で2ビバークできる。
しかしながらさすがに重い。私のザックは40kg超という状態。歯を食いしばって登りつづける。子供たちも必死になって登ってくる。フィックスロープのある大きな岩が上部に二つあるがそれぞれビレイを行う。しかしまぁ何というザックの重さだ。だんだん周辺のヤブがひどくなり空も曇り始めブヨの大群に襲われはじめた。子供たちが悲鳴をあげる。虫除けのシールをヘルメットの前後に貼るとようやくブヨの数が減り始めた。上部のインゼルを横断して右のルンゼへ入り、ザレたルンゼからコル手前のリブを登る。リブから踏み跡となりコルへ飛び出した。子供たちも本当に疲れきったようだ。帰宅してから長女が言うには「北鎌沢右股が一番辛かった」というほどのものであった。コルで大休止。表銀座の山なみにもガスがかかり始め、強い風と共に小雨がぱらつき始めた。まだ12時半だが小雨を口実にしてここ北鎌沢のコルで今日は幕営することになった。子供たちのほっとした顔。でも一番ほっとしたのは間違いなく私である。
天幕を張り終えたのちも3パーティーがテントの前を通って北鎌尾根を登っていった。誰か来たなとテントのチャックをあけて見ると顔の周りに雲のようにブヨをまとわりつかせている。テント内へブヨが入り込むことを恐れ慌ててテントのチャックを閉じた。
天候は急激には悪化せず、時折強い風と小雨がパラつく程度で行動には差し支えのない状態が夕方までつづいた。夜半から雨は本降りとなった。
朝起きるとかなり強い雨だ。子連れで雨の中ではとても北鎌尾根を登ることはできない。早々に停滞を決め込む。
水を節約するために雨水をコッフェルに貯めようとするが短時間のうちに満たされた。一日中、子供たちはテントの中で歌をうたったり、笑い転げたりして楽しそうだ。特に二人の娘にとっては小学校5年生の長男がことさら幼く感じられるようで、一日中笑いつづけていた。テントの中で北鎌沢のコルから槍ケ岳のコースにおける危険パターンを具体的に例をあげて子供たちに何度も繰り返し言って聞かせる。そんなときには大笑いしていた子供たちも真剣になって私の話をきく。
「アッちゃん怖いよー」
「トンちゃんは絶対に落ちないもんね」
「ぼく、落ちちゃうよー」
「お父さんが一歩一歩に声をかけるから注意してね」
そんな雨の中を登山者が次々にテントの前を通過していく。数えてみたら夕方までに23人にもなった。徳島のパーティーと郡山の単独行の人とはしばらく話をすることができた。雨は一向にやむ気配はなく、気圧も下りっぱなしでもう一泊するかもしれないなと思い始めた。夜中に何度もテントから空を見上げ天候をチェックしつづけたが、深夜になって星空が一部に見え始めた。
「お父さん、眠れない」
と敦子がテントの奥で言う。
「大丈夫だよ、今日はお昼寝をしたからさ。安心して目をつむっていなさい」
「うん」
しばらくすると敦子の寝息が聞こえてきた。
快晴ではないが一応晴れた。急いで仕度をととのえ、5時半に出発する。今日中に槍ケ岳を越えたいのは山々であるが、まず無理だろう。北鎌平の手前のコルまでたどり着ければ御の字だ。つまり飲料水を背負っていく。ひぃー重い。
稜線上の踏み跡は登山道状態で歩きやすい。天狗の腰掛の登りで5mほどの露岩がある。岩をむんずとつかみ体を引き上げようとするとザックの重みに耐えかねて背中の筋肉がメリメリと音を立てているような感じさえする。ここは子供たちをそれぞれビレイする。
ほどなく天狗の腰掛にたどり着いた。ここから岩稜地帯が始まるがさほど難しくはない。8時に独標のコルへ到着。期待以上のペースでたどり着いて気分を良くしてしまった。独標のコルで大休止をとりお菓子などを食べてくつろぐ。独標は直登ルートを登る予定なのでゴールデンウィークの時と同じように天上沢側へ這い松をかきわけて回り込む。取り付き点までの這い松帯はたった5mだが子供、特に背の低い長男には大変な苦労であったようだ。取り付き点に到着すると、なんのことはない一般ルートから簡単に通じており、がっかりした。
見上げる直登ルートには私が4月に縛りつけた蛍光グリーンの布が色あせてゆれている。子供たちを取り付き点に座らせ、ロープをフィックスするために登りはじめた。これだけの重さのザックを担いでいると出だしの一歩が難しく感じられる。うまい具合にハンドジャムが決まり乗り越す。直登ルートの核心部はこの最初の3mである。ゴールデンウィークには出だしの3mは雪に埋まっており、リッジに這い上がる手前の垂直に近い雪壁の方が難しかった。これを越えると湿った泥の凹角となり程なくリッジの上に出る。ロープを固定し、子供たちをロープマンで後続させる。出だしの3mは大丈夫かな?と案じていたが3人とも難なく登ってきた。
「難しくなかったかい?」「ううん、平気だよ」そうかそれは良かった。
次のピッチはナイフリッジである。北鎌尾根としては岩も硬くやさしいが落ちたらただでは済まないし、高度感もある。全行程を振り返ってみるとこのピッチが一番快適で楽しいピッチだった。このピッチを味わうことができただけでも直登ルートを選択した甲斐があったというものだ。同じようにロープをフィックスし子供たちを次々に登らせる。結局、独標は3ピッチほどロープをフィックスしたことになる。
11時に独標の頂上へ到着。頂上には3人用テントなら十分に張れるほどの平坦地がある。ここで大休止。4月には携帯電話が通じなかった独標だが今回はアンテナ2で通話ができた。さてこの独標から小一時間が核心部である。4月に通ったときの記憶がまだ残っているせいもあって順調に通過することができた。ただし2回ほど子供をビレイ。あとは徹底して稜線上を行く。一見懸垂下降が必要に見える部分でも注意深く観察すればクライムダウンすることができる。
よくトラバースで苦労したという話をきく。これは私の想像に過ぎないが、一般的には長丁場の北鎌尾根を独標まで登ってきて疲れ果てているパーティーも少なくないのではなかろうか。独標の標高は2,899mにも達しており、しかも独標から岩稜地帯が終了する北鎌平手前のコルまで標高差100mしかない。となるとピーク間のコルをつないでトラバースしたくなるのが人情というものだろう。そして千丈沢側や天上沢側をみると踏み跡が見える。これはひょっとして楽ができるのかもしれないと踏み跡をたどっていく。その後に待ち構えているのはやばいトラバースである。もろい斜面でのトラバースはビレイシステムの弱点でもあり恐ろしい体験を味わうことになる。
独標から一時間程度の間は確かに不安定だが、それを過ぎてしまうと稜線上の踏み跡は登山道状態となる。そうなると行程ははかどり始め、後続するパーティーを子供たちは一気に引き離していく。
15時20分、4月に土橋さん、斎藤さんと幕営した北鎌平手前のコルに到着した。これはいいペースだ。この分だと今日中に槍ケ岳を越えることも十分可能だ。ザックを下ろして休憩していると小雨が降り始めた。アンテナ3で土橋さんと携帯電話で連絡をとる。
小雨も一時的なもので終わったので、北鎌平へ向かう。ここからは4月に土橋さんに先導してもらった通り千丈沢側をトラバースしながら北鎌平の少し上へ出た。16時20分に大槍の直下までたどり着いた。ここで今日中に槍ケ岳を越えられることが見えてきたので担いでいた水を捨てる。子供たちが「あぁ・・もったいない」という。ゆっくり残ったお菓子などを食べて再び土橋さんに電話する。
「子供たち、がんばったね。」と我がことのように喜んでくれた。
そうこうしている内に後続の6人パーティーが追いついてきた。子供が座っているのでびっくりしていた。しかも途中から引き離されたので「どうやって登ってきたんですか?」などと質問されてしまった。6人パーティーに先に行ってもらう。
いよいよ最後の登りである。4月には不安定な雪であったことが記憶から離れず、ここから再びロープをフィックスする事にする。稜線から天上沢側をみると見覚えのある大岩が見える。4月にはこの大岩の左手を登ったのだが、先行パーティーが登っており石を落とされそうなので今回は右手を登る。雪のない時期の大槍の登りは一般ルートよりも易しく感じられるほどだ。実際そうだと思う。慎重にフィックスを繰り返す。ちょっと丁寧にやりすぎたようだ。時計が18時を回ってしまいおまけに冷たい雨が強く降り始めた。
18時30分槍ケ岳の山頂に到着。すでに薄暗くなり始め、大粒の冷たい雨がヘルメットをたたく。足元が見えるうちに槍ケ岳の肩まで下降したいものだが、最後の最後になって事故を起こしたくない。槍の下降も慎重にビレイをしながら下っていく。肩のヘリポート脇へたどり着いたときに完全にまっくらになった。とりあえず安全圏にたどり着いてほっとしたが、急いでテントを張って子供たちを休ませなければならない。
肩の小屋には立ち寄らずそのまま槍沢を下降し殺生小屋へ向かう。
19時30分ようやっとのことで殺生小屋へ到着した。外のベンチに子供たちを待たせ、小屋でキャンプの受付をする。
「私がテントを張り終わるまで、子供たちを小屋の中で休ませてもらえませんか?」と従業員にお願いすると快く引き受けてくれた。しかも食堂のストーブの周りに椅子を用意してくれた。ありがたいことだ。子供たちにはホットミルクを注文し私はビールを飲む。本当にほっとした瞬間である。一息ついて私だけでテントを張る。手が凍えて思うように動かない。下着までびしょぬれでガタガタ震えながら設営を完了し子供たちを小屋へ迎えに行く。子供たちは従業員と仲良くなってストーブの周りで楽しそうに遊んでいる。
「どんなお話していたの?」
「どこから来たのって聞かれたから北鎌って言ったらすごく驚いていたよ」
「それでね、素クンにサインしてっていったから素クンがサインしたの」
「そうだよ、この小屋で働き始めてからいままでで一番すごいパーティーだっていってたよ」
「そうかい、それはよかったね」
テントの中にランタンを吊るすとパーッと真昼のような灯りにテントの中は満たされ、急に暖かくなった。4人とも下着を含めて全てを着替えた。すぐに夕食の仕度をする。ガスストーブに点火するとさらにテント内はポカポカになった。夕食はマーボー春雨ラーメン。体が芯から温まってほっとした。長男は眠くて仕方がないようだが、上の娘二人ははしゃいでいる。就寝前に土橋さんと自宅へ電話連絡を入れ、夜22時になってランタンの灯を消した。
快晴の朝を迎えた。テントは昨夜の雨でびしょぬれだが幕営場までは太陽が射し込まない。ゆっくり仕度をして7時に殺生を後にする。幕営場内で15日にお会いした徳島のパーティーとばったり再会。ほんのちょっと話をしただけなのになんだかとても懐かしい気分だ。
あとはただひたすら歩くだけだ。早く沢渡の「木漏れ日の湯」で温泉につかり、松本の洋食レストラン「どんぐり」で食事をしたいものだと子供たちと話しながらゆっくりと下って行った。
長男の素直が夏休みの宿題として作成した「ぼくの登山日記」を掲載しています。
やはり食べ物の話が多いようです。
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