1999年夏

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夏の登山

北アルプス奥穂高岳〜前穂高岳縦走
1999/8/18から8/23
四街道小学校5年 賀来朋子

毎年夏休みは北アルプスに家族で登山に行っていますが、今年はいとこの五年生のかずくんもいっしょに登山に行きました。登る山は北アルプスの穂高岳です。2年前にも一度登ったことのある山ですが、その時は山小屋にとまったので、らくだったけれど、今年はテントを使うのでザックが重くなりそうで心配です。
前の日の夕方にかずくんが来て、夜に父も会社から帰って来ました。
一階のざしきで登山の準備しました。
それぞれ自分のねぶくろと着がえとぼうかんぐと行動食をザックにつめました。
それと私は水タンクやトイレットペーパーなども持ちました。
雨ぶたの上に銀マットをつけました。テントやコンロ・食料は父が持ってくれました。
私がねたのは12時だけど父と母はまだ準備をしていました。
かずくんは初めての登山なのでねむれなくて2時まで起きていたそうです。

8月18日(四街道〜松本〜上高地〜横尾)

3時に起こされて全員車に乗りました。
行き先は上高地です。途中、松本で足りない道具を買いました。
沢渡に車を止めてタクシーで上高地まで行きました。
ザックをせおってカッパ橋まで歩きました。
カッパ橋で少し休けいして水を飲みました。穂高がよく見えました。これからあの山に登るなんて信じられないような気がしました。
今日は横尾にテントをはる予定なので、らくです。のんびり歩くことにしました。
2時間歩いて徳沢に着きました。徳沢は緑の原っぱでとても気持ちのよいところです。
毎年ここの食堂で食事をしたりアイスクリームを食べたりしています。
今年も徳沢園でみんなでソフトクリームを食べました。
今日は暑いので冷たい物を食べてすっきりしました。
かずくんはザックになれていないので「かたがいたい」とずっといっていました。
それにおかしを食べようとしてかずくんのザックを開けたらおかしのかわりにお米が入っていておかしが入っていませんでした。
かずくんは泣きそうになったけど父が「山では食べ物を全員で分けて食べるのだから安心しなさい」と言ったら安心した様でした。
横尾に着いたらハトが人がたべたあとの食べかすを食べていました。横尾は去年の夏に槍ヶ岳へ登ったときに下山してからテントをはったことがありました。去年テントをはった場所の近くにテントをはりました。
父や母がテントをたてている間にすわれそうな石をさがしていすにしたり、テーブルにしたりして、お外に食堂を作りました。6人分のいすがわりの石を運ぶのは大変でした。食堂の準備が終わったら、ささの葉で遊んだりしました。
夕食は牛丼でした。これは最初の日なので少し重いレトルトを使いました。すごくおいしくてきれいに食べました。
もっと遊んでいたかったけれど明日は涸沢に登るので8時にねました。

8月19日(横尾〜涸沢)

六時半に起きました。最初は山のかげになって、日があたらず、寒かったけれどだんだん日がのぼって暑くなってきました。
父と母がテントをかたずけてる時にトンボが虫を上手に丸めて食べているのを見ました。
荷物をせおったときに「ふー。」とため息がでてしまいました。
母、弟、私、かずくん、姉、父の順番で出発しました。しばらくのあいだは平らな道でした。2回きゅうけいしたら、すぐにつり橋まできました。
川の水が冷たかったので手を洗ったりザバスをひやしたりしました。
あせがひいたので出発しました。
これからいよいよ登りです。
と中、涸沢ヒュッテが見えてきた時に、ハーフにみたいな人が「見えてからたいへんなんですよね。」
とつらそうな顔をしていっていました。
ヒュッテに着きました。
私は1度きているし道にもみおぼえがあったのでそんなにつかれませんでした。
ヒュッテのテラスをとおって、テント場に行きました。テント場にはたくさんのテントがはってありました。テント場は石がゴロゴロしていて、でこぼこです。テントがうまくはれるか心配です。
キャンプ場のうけつけの所に穂高の7,8月の事故件数がかいてありました。
死亡者4人とかいてあるのを見て父とかずくんは「5人目にはぜったいにならないようにしような」
といっていました。この穂高で7月8月の二ヶ月間で4人も死んだなんて、危ない所だな。わたしも気をつけようと思いました。

8月20日(涸沢〜北穂南稜鎖場〜涸沢)

5時に起きました。
ご飯の後は毎日、日本茶を飲みます。家では飲まないのになぜか山ではおいしく感じます。
今日は北穂高に登り、北穂高の山頂近くでテントをはる予定です。でも、なんだか天気がくずれそうです。
テントをかたずけて出発しました。と中で木いちごを見つけました。
赤くておいしそうなので食べてみたらとてもすっぱかったです。
急な登りを少しづつ登っていくと、だんだん天気が悪くなってきました。
クサリ場の前までくると、急に雨がふりだしました。急いでカッパを着ました。ザックの中の着替えもビニールのゴミ袋の中に入れました。
しばらく待ちましたが、雨が強くなってきたので登るのをやめて下山することにしました。
とても残念でしたが少しほっとしました。登るのは大変でしたが下るのはらくでした。姉とおしゃべりしながら歩きました。下のほうまでくると、雨はやみました。でもクサリ場は黒い雲の中で見えません。
涸沢にもどってテントをはる場所をさがしました。きのうは石がデコボコしていて、背中がいたくなったので、よくさがしました。涸沢小屋のほうに平らな場所がみつかりました。石もなくて地面がでていてすごくいい所でした。水場まで少し遠いので父が10リットルのタンクで水を運んでくれました。
母は、みんなのぬれた服をテントの中でほしてくれました。そしてかわいた温かい寝袋を6個ならべてくれました。
みんなで宝さがしをしました。テント場には小さな忘れ物が落ちています。フォークやせんたくばさみをみつけました。かずくんはドラゴンの頭を見つけました。
父に聞いたらビールの注ぎ口だそうです。
まだ3時ですが夕ご飯です。
ご飯をたいて、フリーズドライの牛丼と親子丼とマーボー丼を作りました。私は親子丼を食べました。とてもおいしかったです。
食後にまた遊びました。
2年前に来たときにはヒュッテの下のほうにも雪がたくさんあったのに、8月下旬なのでテント場のずっと上の遠くに雪渓が見えました。
私とかずくんと弟で雪渓の見える所まで行こうと出発しました。
大きな石をいくつもこえながら、歩いていきました。
すると急にガスがかかってきて周りがみえなくなりました。
どうしようと急に心細くなりました。急いで歩きました。テントに戻ろうと思いました。でもどっちがテントだかわかりません。みんな泣きそうになりました。
ガスの中から父があらわれました。
父に「そうなんすんぜんだよ。」と言われてしまいました。弟はもう泣いていました。
明日どこへいくかは明日の朝天気をみてきめることにしました。

8月21日(涸沢〜白出乗越)

天気図によると今日もいい天気ではないようです。
今日はテントをおいて、何も持たずに奥穂高岳を往復しようか、それともテントをせおって前穂高に登って岳沢まで行こうか父と母が相談していました。
なぜならこの天気じゃ岳沢まで10時間かかるからです。
今日はとりあえず奥穂高岳の近くのテント場まで行くことになりました。まず涸沢小屋のテラスまで登りました。テラスでアイスクリームを食べました。
涸沢小屋からザイテングラードという道を歩きました。2年前は疲れた道でしたが、今年はらくでした。アイスクリームを食べたからかなと思いました。
石のゴロゴロした道を登って、と中でおにぎりを食べました。食べていると上のほうから、またガスがおりてきました。ガスの中を登りました。
ガスの中を登っていくと、奥穂高山荘が見えました。2年前にはたくさん雪があったのに今年はありませんでした。
奥穂高山荘の広場にたくさんの人が休んでいました。山荘で記念にタオルを買いました。水は1リットルで150円でした。10リットル買いました。
テントはヘリポートの近くにはりました。平らなところで安心しました。
テントをはったとたんに雨がふってきました。どしゃ降りでした。歩いているときにふらなくてよかったと思いました。
テントの中でランタンをつけてみんなで遊びました。雨の音で話し声も聞こえなくなるほどで、雷が鳴っていました。でもテントの中はあたたかくて、明るくて、気持ちがよくて、いつまでも遊んでいたいなと思いました。
明日は奥穂高・前穂高をこえて、岳沢まで行く予定です。子どもだと10時間かかると父がいうので早くねました。

8月22日(白出乗越〜奥穂〜前穂〜岳沢)

5時に起きました。
雨はあがっているけれどいつ雨がふってもおかしくない天気でした。ガスであたりはまっしろでなにも見えません。
父と母がテントをかたずけている間に子どもは山荘にいってあたたかい飲み物を買って飲みました。
寒かったのであたたかい物を飲んで体があたたまりました。
まずは奥穂高の山頂にむかいました。
風が強くて寒かったのでぼうかんぐを着てザックをせおって出発しました。
山荘からすぐに、はしごとクサリがありました。急ながけでした。弟は父にロープをつけてもらいました。父は「これはヨーロッパアルプスのガイドと同じやり方だよ」と教えくれました。
雨がふってきました。風が強いので、雨は横や下からふってきます。
奥穂高の山頂に着きましたが、ガスがかかって、なにも見えません。
山のけしきをかいてる石の前で写真をとりました。
奥穂高山頂から前穂高へ向かって出発しました。
50mちかくあるクサリ場をくだりました。
一人一人安全な所まで下るのでとても時間がかかりました。
私たちがおりるのをたくさんの登山客の人達がまっていました。
「ここのなんしょですよ」とだれかがいっていました。
かず君は、風と雨が強くて泣いてしまったので長ズボンと長袖の服を着ました。そしてビニールのゴミ袋をシャツのように穴を開けて着て、その上からかっぱを着ました。
弟も長ズボンをはきました。
道はせまくて、右はがけのようなところを歩いていきます。一度、弟はがけから落ちて父のロープにぶらさがってしまいました。雨が強くふっていて風も強いのですが、私はゴアテックスのジャケットを着ているので寒くありませんでした。
きゅうけいの時、ガスの間から前穂高の北尾根が見えました。父はクライミング用の45mロープやカラビナを持ってきていました。天気がよかったらみんなで北尾根を登る予定だったと教えてくれました。小さいころ家にあったクライミングウォールで遊ぶのが好きだったので登ってみたいなと思いました。
やっと紀美子平に着きました。
ザックをおろして、そのまま前穂高に登りに行きました。前穂高の山頂への道はクライミングでした。急だったけどすごく面白くてどんどん登って行きました。
休憩のときにあったおじさんといっしょに登りました。そのおじさんは山が好きで去年やっと引退して時間ができたので、穂高の縦走をしにきたと言っていました。佐賀県から来たそうです。
頂上でおじさんに写真をとってもらいました。私たちもおじさんを写真にとってあげました。おじさんはガスでなんにもみえない残念だと言っていました。おりてからおじさんが先に岳沢に下っていきました。おじさんは四時ごろつくけど私たちはきっと六時ころになると思うよと告げました。おじさんはヒュッテで待っているよと言って行きました。
ここから岳沢へは、危ない道なので子どもはハーネスをつけました。
道は石がごろごろしている上にせまくおまけに雨ですべりました。クサリ場に出たときにつるつるすべるので、とても恐かったです。かずくんはすべってハーネスにぶら下がってしまいました。ハーネスがなかったら、下まで落ちていたと思います。
そんな道がえんえんと続きました。
やがて私の足は重くなり、つるつるすべる石に足をとられなんどもしりもちをつきました。かず君は「道じゃぁねえよ」とぶつくさ言っていました。私は疲れてしゃべる気にもなれませんでした。だんだんみんなからも遅れて、最後尾の母といっしょにつるつるすべりながらおりていきました。
父とかずくんは、下山したらギョーザとラーメンを食べたいと話していました。私はそんなことよりも早くテント場に着かないかなと思っていました。
遠くに赤いテントが見えました。もうすぐだというのに、なかなか着きませんでした。
キャンプ場についたときには、全員もう一歩も歩けない感じでした。
テントを立てたら中で休みました。だんだん元気が出てしゃべりました。父と母はヒュッテに受け付けに行きました。父が帰ってきたら「おじさんがヒュッテのテラスで心配して待っていたよ」と言っていました。
姉と父は水をくみに行きました。父もくたくたで動作がにぶくてみんな元気に動けません。
ご飯を炊いている間に弟が眠ってしまいました。
みんなお腹がぺこぺこで、その日のマーボー丼は最高でした。そして食べおわったらみんな眠ってしまいました。

8月23日(岳沢〜上高地)

今日は晴天です。
きのうの疲れもとれました。
朝、5時に起きました。すると弟が気分を悪くしてしまいました。私たち三人は母にヒュッテまで探検して遊んできなさいと言われたので、ヒュッテまで行って、ヒュッテの近くの石のたくさんある所で岩に絵をかいたりケルンを作ったりして遊びました。
父が呼んだのでテントにもどりました。
もどってみると、きのうの雨でぬれた服が石の上やテントの上にほしてありました。
弟も少しよくなっていたので、父が「雪のところに行こう」と言ったので、母はテントで待っていて、ほかのみんなで行きました。
いままで暑かったのに、雪の近くにいくと急に寒くなりました。雪に乗ったり、けずったりして遊びました。父が雪のかたまりを落としてばらばらにしてくれたので、みんなでわけてテントまで持っていきました。雪をひかげのところにおいて、アメやラムネや父のウイスキーなどを冷やしました。冷えるのを待ちながら、ザックに荷物を入れました。あとで食べてみると冷えてとてもおいしかったです。
雪を少し持って、12時10分に出発しました。
とちゅうで天然クーラーというところがあったので、そこできゅうけいしました。そこにはたくさんのあながあって、そこからすずしい空気がでていました。そこのこけは、とてもきれいで「もののけ姫」のししがみの森のようでした。
あとは上高地までひたすら歩きました。
河童橋をわたって、ザックを置いておみあげを買いにいきました。帰るときバスターミナルにはすごい行列でならんでいたので、あきらめてタクシーに乗りました。タクシーの運転手のおじさんが河童橋のゆらいを教えてくれました。川にかかっている橋が流れて、向こう岸の宿の人がわたれなくなって、そこの主人がこちらがわにロープを投げて、とまり客はロープをつたわって、こちらがわにわたってきたそうです。ゆかたをたたんで、帯で頭の上にしばりつけ、ぶんどしでわたってきたすがたが、カッパににていたので河童橋といわれるようになったそうです。
6日ぶりに沢渡の駐車場にとめてあるデリカに到着しました。本当にほっとしました。かずくんと父はギョーザ、ギョーザと言っていました。それをまねして弟もギョーザといいます。
私も姉も母もまず最初に、温泉に入って、きれいさっぱりしてから、レストランでおいしい食事とデザートを食べたいと思っていました。男三人組みは、温泉に入らないで、どうしてもギョーザとラーメンが食べたいというので、松本で別々に食べることにしました。
私たち女組は松本のロイヤルホストで食べました。男組はラーメンとん太へ行きました。
おいしいハンバーグとデザートにパフェを食べました。
大満足でした。
もうおそくなったので、おふろは高速道路の諏訪温泉に入りました。五日ぶりにスッキリしました。
四街道についたのは、夜中の12時ころでした。とても疲れたけどまた行きたいなと思いました。

参加者:青木和也(小学5年)、賀来素直(小学2年)、賀来朋子(小学5年)、賀来敦子(中学1年)、賀来幸子、賀来素明