2004年秋

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黒部 奥鐘山 洞窟の七日間

2004/9/18--24

今年も二人でどこかへ行こうと石渡健君と約束をしていました。ちょっぴりヨセミテへ行きたかったのですけれども休暇や費用、そして最大の阻害要因である私自身の登攀能力の問題から今年も奥鐘ということになりました。
そうしたら
「後輩を一人連れて行ってもいいですか?」
ですって!
若人を二人も連れて山にいけるなんて最高。その日がくるのを毎日楽しみにしていました。
休暇は飛び石連休をうまく利用して9月18日(土)から26日(日)まで8泊9日とたっぷりと用意することができたので、良いコンディションの中で好みのルートを登ることができるでしょう。若人二人は一足先に北岳バットレスへ行って、そのまま奥鐘へと向かい、二日ほど先行して岩小舎へ入ることになりました。

9月17日(金)

大急ぎで勤務先より帰宅し、装備のチェック後食糧と酒の買出しをして、汗だくになって四街道発21時46分快速東京行きに間に合いました。
3人分の食料を全て私が持ち込むということになっているので総重量は恐らく70kgを越えると思われる荷物。
ザックに入りきらなかった荷は大型のナイロンバッグに詰め込んだのですがこれがものすごく重くヒーヒーいいながら急行能登6号車に乗車しました。

9月18日(土) 晴れ→雨

健君たちが欅平駅まで迎えにきてくれているはずで、元気な二人が待っていてくれるかと思うとわくわくします。
トロッコ電車で年配のご夫婦と一緒になりました。私の大荷物をみてびっくりしています。
「お一人で、山登りですか」
「仲間が欅平で待っているんですよ。26日まで山奥の洞窟で寝泊りして焚き火をしたり岩魚を釣ったりして遊ぶんです。」
「ど、洞窟?」
洞窟と聞いて目を丸くしています。それはそうでしょう。テントに泊まるというのは想像できても洞窟に泊まることは容易には想像できない様子です。洞窟という言葉に石器時代の原始人を連想しているようです。出発前に勤務先のメンバーに話したときにも彼らも同じようなリアクションでした。洞窟というのが相当インパクトがあるようです。
さてトロッコ電車は欅平駅の長いホームに滑り込んでいきます。重たい荷物をやっとのことでホームに下ろして、そのままホームに置きっぱなしにして子供のようにスキップしながら若人の待つ改札口へ急ぎました。
いました、いました。若人二人が。石渡健君と後輩の横須賀洋介君です。
でも様子が少し変です。
事情を訊くと、
一昨日16日に欅平駅へ入ってステーションビバーク。昨日17日に雨の中奥鐘山西壁下の岩小舎を目指すも、黒部本流の水量が多く徒渉に失敗して流されてしまったというのです。そして退却。やむなく欅平駅で二泊目を過ごしたとのこと。
しかも初日に欅平駅の軒下で泊まっていたら駅員さんにしかられて、二日目も泊まらざるを得ないことになりびくびくしていたら、駅員さんが部屋の中に入れてくれて、お酒をたくさんご馳走してくれたのだそうです。
今年は福井、新潟など集中豪雨、台風の上陸などが連続し9月に入っても天候不順の日々が続いています。連日の雨で上流の仙人ダムには相当な量の水が蓄えられ、その水を放水しているのでしょう。
若人二人それぞれに荷物を持ってもらい、どれどれ行ってみようかという感じで出発しました。歩き始めてすぐに先月の上ノ廊下の最終日に鏡平からの下降で痛めたヒザがズキズキし始めました。荷が重くヒザの痛みもあって通常のハシゴルートでは辛すぎるだろうとトンネルを経由しないでホームから直接、工事用の旧い車道へ出て下降しようともくろんでいたのですが、若人二人がもっと素敵なルートを発見したようです。私も工事用の旧い車道はできれば使いたくありません。だって、欅平駅の駅員との関係がこじれてしまうからです。二人についていくと、それは新黒部第三発電所への階段の途中から右へ右折して狭いビルの隙間をたどるルートでした。こっち、こっちという感じで二人に導かれ黒部川の河原に立つことができました。
黒部川の河原に立って見下ろすと水が濁っていて川底が見えません。水量もかなりのものです。それでも昨日に比べると大幅に減水していると若人達が口を揃えて言っています。洪水のため黒部川の様相はかなり変貌しており、腹までの徒渉があったトロは土砂に埋まってヒザ下の徒渉で通過できました。
それでもところどころに現れる激流で徒渉のコツなどを若人達に説明しながら中央ルンゼの取り付き直前の段差までやってきました。ここは通常ロープが残置されているのですが、全てきれいさっぱりなくなっていたので、持参したトラロープをフィックスしました。
なつかしの岩小舎に到着して驚きました。岩小舎の中にはうずたかく流木が散乱しているのです。いったい何があったんでしょうか?もちろん増水してこの岩小舎まで水に浸かったのです。三人で流木をきれいに片付けて何とか使えるようになる頃には汗びっしょりになってしまいました。
さて、これからどうしよう?ということになりました。横須賀君はあさってには帰宅しなければならないということなので、中央ルンゼにでも行ってみようかということになりました。ギアをそろえ、ザックを背負って出発しようとしたら健君がお腹がへって仕方がないといいます。
ザックをおろして食事のしたくです。スパゲッティを1kgゆでました。まさかとは思っていたのですが全部食べてしまったのには本当に驚きました。スパゲッティとうどんは10kgすなわち100食分もってきているのですが、ひょっとすると足りなくなるかもしれないと少しばかり不安になりました。
仙人ダムの放水が止まったようで黒部川の水は澄み水量も激減しています。苦もなく中央ルンゼの取り付きへ至るブッシュの前まで来ました。一致和合のハングから水がボタボタ滴り落ちてきます。中央ルンゼはこのブッシュの踏み跡をしばらく登って、露岩の下でロープを結びます。ですから取り付きまでしばらくブッシュを登らなければなりません。
で、私が先頭で登り始めました。ところがブッシュの中は水びたしで、足場はぬかるんで滑り落ちそうです。もともと近藤・吉野ルートにしか興味のない私は降りてきて
「すごくやばいぞ、やめよう。それとも健君やってみるかい」
「賀来さんがやばいっていうんだからやめておきましょう」
「それじゃ、岩小舎へもどって岩魚釣りでもしようか」
ということで取り付き点までも行かないうちにもどることになりました。まだ日も高く夜行列車の寝不足もあって岩小舎の中でしばらく横になってから竿をだしました。
岩小舎上流の志合谷付近まで行って見ましたが洪水で地形が大きく変化して昨年の岩魚釣りポイントは跡形もないような状態です。紫岳会ルート取り付きの凹状地形の右端にあった温泉付近にも巨大な岩が堆積して掘削不能状態になっています。それでも横須賀君と私がそれぞれ一匹づつ良型を釣り上げ、焚き火で塩焼きにして食べました。
夕方になってまたもや雨が降り出しました。岩小舎の洞窟の中は湿気がひどく、天井は結露していて、ところどころで水滴が滴り落ちて寝袋を濡らします。濡れている天井を乾かしたい気持ちもあって岩小舎の中で焚火をしました。
横須賀君はとても礼儀正しい青年で、初対面でしたが今日一日で好きになってしまいました。

9月19日(日) 晴れ→雨

昨夜の雨も上がり天気も回復したのでもう一度中央ルンゼに行くことにしました。横須賀君が明日下山しなければならないので、とにかく壁に触ろうということになったわけです。
昨日よりはだいぶ状態もよくなっているようです。リードは全部健君にお任せして、15時になったら下降を開始するお約束をして登り始めました。
アプローチのブッシュも慎重にロープをつけてトラバースしました。途中で健君がトランシーバを拾得。先月アルパインクライミングメーリングリストで流れていた有持さんの落し物でしょう。
草付を左上へ30m登って潅木にでて、ヤブの中を直上し潅木から右へトラバースし凹角を登るのですが、ぬれておりとても悪く感じます。実際、ブッシュの繁茂も激しくルートファインディングが難しいこともあり健君のロープも伸びがよくありません。
健君のビレイも横須賀君がしますので、私はとっても暇です。時々、横須賀君と楽しくおしゃべりしているとあっという間に時間が過ぎ去っていきます。健君の苦労も知らずにいい気なものです。
健君が楔の切れ目の下に到着したのは15時。15時になったら下降するお約束でしたのでここまで。懸垂下降に移ります。二人に下降の手順を改めて説明して下降開始。下降していたら雨が降り出しました。
黒部川は仙人ダムの放水が始まったようで茶色く濁り、渡渉も大変でした。
岩小舎にもどって焚き火大会。流木はふんだんにあるのでいつまでも燃やしつづけました。焚き火を見つめながら若い二人の話をうなずきながら聞くのはとても楽しく、お酒を飲みながら夜の更けるのも忘れてしまいました。

9月20日(月) 晴れ→雨

今日は横須賀君が下山する日です。横須賀君は帰りたくないと駄々をこねます。大学の授業にでるためには、今日中に下山しなければならないのです。授業に出ないと留年の可能性もあるというので、下山するように私は諭しました。
一方、健君と私はいよいよ近藤・吉野ルートに取り付くことにしました。作戦では昼ころから取り付いてブッシュラインまで登ってビバークし、翌日終了点まで登って上部岩壁へ入り、適当なところでもう一泊し、奥鐘山山頂まで行こうという魂胆です。
天気は回復していますが、壁は濡れてギラギラ光っています。
下山する横須賀君を見送ります。ダムの放水が始まる前に欅平にたどりつけますようにと祈りながら岩の上に登って彼が見えなくなるまで手を振りつづけました。横須賀君も何度も立ち止まって振り返り手を振ります。
健君はうんこをしにいってなかなか戻ってきません。ものすごく長いうんこタイムをへてやっと戻ってきたときには横須賀君は中央ルンゼ取り付き直下の段差を下ろうとしているところで、すぐに見えなくなりました。
あぁ行っちゃったなぁと少し寂しい気持ちで岩小舎までもどりました。ちょっぴりセンチメンタルな気持ちで装備の最終チェックです。今回は奥鐘山の頂上まで行くつもりなので水をたくさん持ち上げなければなりません。その量は一人4リットル。
壁が乾くのを待つ意味もあってゆっくりと準備をしていると、三人の登山者がやってきました。最近人の少なくなった日本の本番ルートの中でも特にクライマーの少ない奥鐘山西壁に私たち以外のクライマーがやって来るとは思ってもいませんでしたので驚いてしまいました。三人は中央ルンゼにいくようでした。
昼食を摂ってから登攀を開始しましたが、すでにダムの放水が始まっており、取り付きへの徒渉は危険水位ギリギリの状態でした。昨年OCCルートを登ったときに使った1ピッチ目が近藤・吉野ルートの正規ラインだということは事前調査で知っていましたので、昨年と同じライン取りで同じようにして登りました。
昨年と大きく異なるのはツルベ式の登攀だということでしょう。つまり健君が奥鐘の正面壁のリードをするのです。昨年のOCCルートの登攀は、健君にとって初めての本番ルートだったので、私が全ピッチをリードしました。それが彼にはほんのちょっとだけ心残りだったようで、下降してから
「次はリードしたいです」
とニコニコしながら遠慮がちに言っていました。その念願がかなったわけです。
さて、近藤・吉野ルートですが興味の大半は30年前の近藤さんの改造ボルトの形状とそれらを含めたプロテクションの状態です。
でもそのことは今回は伏せておきましょう。完登もしていないのに一番重要なことを語るべきではありません。
今回の報告では、第一ハングで紐が切れたということと、第二ハングの下で六角ボルトの頭に立って投げ縄を使ったということだけ記しておきます。
さて、第二ハングで投げ縄をしているときに雨が降り出しました。見る間に壁が濡れていきます。ハングの先端から滝のように水が落ちてきて私もパンツまでびしょぬれになってしまいました。第三ハングの下にもぐりこみ、雨宿りをしながら健君をビレイしました。
健君が登って来ました。
こんなにビショ濡れでは、このあと2ビバークを費やして登攀を続行する気にはとてもなれません。休暇もまだたっぷりありますので明日以降に出直すことにして、さっそく下降を開始しました。
まず下降支点にバックアップをとり、バックアップをとった状態で健君に途中でブッシュに引っ掛かっている荷揚げ用の荷と共に第一ハング下まで下降してもらうことにしました。荷揚げ用の荷を体に連結して振り子で第一ハングの付け根のビレイポイントにしがみつくというやっかいな下降でしたが、健君はこれを何とかやり遂げてくれました。
健君が無事に下降できたのでバックアップをはずして私も下降します。
取り付きまで戻ってみると、雨なのに黒部川の水位は減少しています。雪代や集中豪雨の時を除いて黒部川下ノ廊下の水位は雨に左右されるというよりもダムの放水に左右されることを身をもって体験しました。
岩小舎に戻って衣類を乾かす為に焚き火をしました。連日の雨で洞窟の中も結露が激しく天井から水滴が落ちてきます。寝袋も湿って気持ちが悪い状態です。
休暇はまだたっぷりありますので、明日は晴れていても登るのをやめて休養日にすることにしました。湿っているものを乾かし、気分転換の為に名剣温泉の露天風呂に行こうということになりました。

9月21日(火) 晴れ→豪雨

晴れています。休養日なのでいつまでも寝袋の中に入っていたいのですが、その寝袋が湿っています。石の上に広げて乾かしました。
ダムの放水が始まる前に欅平へ下り名剣温泉で露天風呂に入ろうということになり出発しました。ダムの放水も始まっていないので水量も少なく、しかも荷物を背負っていないので20分で新黒部第三発電所までたどり着くことができました。時間もたっぷりあるので黒部川から欅平の駅までのルートが他にないものかと探検することにしました。結局、欅平駅と黒部川の河原をつなぐルートは四つあることがわかりました。そのうち三つはすでに利用していたものでしたので、新たに発見したのは一つということになります。新たに発見したルートを利用して欅平駅に上がり売店で缶ビールを買って二人で呑みました。一息ついて欅平ビジターセンターという所に行きました。ビジターセンターの入口の壁には周辺の立体模型があります。その立体模型の前で親子が
「ここはどこかなー」
と話しています。洞窟に住んでいるという話をして驚かせるチャンスです。一緒に立体模型を見ながら立体模型の説明を親子にしました。私が黒四ダムから立山・剣をはじめとして周辺の詳しい説明をするので親子は私の話に引き込まれているのが良くわかります。そして最後にこう言うのです。
「ここに奥鐘山というのがあるでしょう。この下の洞窟に泊まっているんですよ。予定では8泊するつもりなんです」
「洞窟に泊まる?」
洞窟という言葉の響きに対して予想通りのリアクションで心底ブッたまげています。
観光客をからかっているのではありません。説明をしているだけです。その説明の最後に洞窟に寝泊りしているという事実を付け加えるだけなのです。
さて、名剣温泉に行きましょう。
欅平に隣接する猿飛温泉ではなく敢えて名剣温泉というのには理由があります。
健君のお爺様とお祖母様が逗留したことがあると言うのです。是非行ってみたいとは昨年の奥鐘行の時からきいていました。
名剣温泉は欅平から車道を20分ほど歩いたところにぽつんと一軒で建っています。湯は無色透明で、手作りと思われる露天風呂が祖母谷を見下ろすような位置にしつらえてあります。
小屋番の人と少し話をしました。
「私も昔はクライミングをしていました。モダンにいたんですよ。最近は奥鐘に来るクライマーもほとんどいなくなりましたね」
と言っていました。JMCCをモダンと表現するところにちょっぴり郷愁を感じてしまいました。
風呂から上がって、欅平駅のみやげ物屋でビールとカンチューハイとアクエリアスをたくさん買い込んで昼過ぎに岩小舎へと戻りました。
午後から岩魚つりに出かけました。でもまったく釣れません。黒部川を上流へどんどん遡っていきました。志合谷の出合を越えてかなり先まで行きました。この近辺も風光明媚なところで、別の機会にもっと奥まで行ってみたいと思いました。岩小舎へ戻るときにはダムの放水が開始されたようで苦労しました。
昨年、奥鐘の壁の中で携帯電話が通じることを知って驚いたのですが岩小舎近辺では無理だろうと思っていました。でもひょっとしてと思い河原から家にかけてみると、時々電波状態が悪く途切れることもありましたが通話ができました。これを見ていた健君が
「iモードで天気予報をみましょう」
といいます。まったく思いもつかなかったアイデアです。というか私がボーとしていただけなのかもしれませんけど。
さっそくやってみました。日本気象協会のサイトに接続できました。それによると23日木曜日には天気も回復すると予報しています。すこし安心しました。
夕方近くなってまたもや雨が降り始めました。それもかなり激しい雨です。壁が滝になり始めています。夜中には雷が鳴り始めました。今日登っていたら壁の中で悲惨なビバークになっていたことでしょう。休養日にしてよかったと胸をなでおろしました。

9月22日(水) 雨→曇り

朝からかなり激しい雨です。仕方がないので寝袋の中でぐずぐずしていましたが9時に起き上がってスパゲッティなどを食べました。
一時間おきにiモードで天気予報を見るのですが情報が更新されるたびに予報内容がコロコロ変わります。雨が晴れになったり晴れが雨になったり。しかも24時以内の予報内容がこのような調子です。
それでも24日金曜日以降は晴れるということなので作戦を立て直すことにしました。奥鐘山の山頂まで行くことはあきらめ、24日に下部岩壁に対してラッシュをかけることにしました。そのために明日は下部岩壁の最初の2ピッチにロープをフィックスすることにしました。
夕方になって雨も上がったので健君はボルダリングなどをして遊んでいました。

9月23日(木) 曇り

朝起きてみるとどんよりとした曇り空ですが、iモード天気予報では明日は晴れると予報しています。
今日は第一ハングの下までロープをフィックスして、ハングのヒサシの下に主要装備をデポするだけの予定ですので余裕があります。放水で増水している黒部川を渡って登り始めました。さすがに近藤・吉野の第一ハングまでのピッチは三回目ですから動作やピンの位置を覚えています。花崗岩のスラブに萩が生い茂っています。我が家の庭の萩はまだ咲いていましたが、奥鐘では花のシーズンは終わってしまったようです。健君の待つ第一ハング直下のビレイポイントにたどり着きました。
アンカーを見ると改造ボルトのハンガー穴の縁が錆びで鋭角になっているところへ直接スリングを通しています。カラビナを介して取り直すように健君に告げました。そのときに健君はザックをぶら下げていたカラビナを移動したようです。そしてそのカラビナはきちんとスリングに通っていなかった。
スローモーションを見ているようでした。ザックが落下していきます。ザックの中には健君の個人装備と水と食料・コンロ・コッフェルなどが入っています。この地点から物が落ちると黒部川の本流に着水します。ザックは水に浮きますから下流へ流されてしまうでしょう。健君はしばし呆然としています。
でも急いで懸垂下降して黒部川を走って下り、ザックを探せば見つかるかもしれません。
「健君、急いで下降してザックを追いかけよう」
ということでビューンと二人で懸垂下降しました。もちろんロープはそれぞれのピッチに一本づつフィックスながら下りました。それから黒部川の本流に沿って下流に走りました。ちょっとした淵に巻き込まれているかもしれませんから、注意深く観察しつつとにかく走るのです。私はヒザが痛いので健君から遅れてしまいます。ダムの放水が止まっていたのが幸いでした。中央ルンゼ取り付き付近の段差をもどかしい思いで下り奥鐘前衛壁下の淵でなにやら黒いものを発見しました。最初は流木かもしれないと思いながら胸まで水に浸かりながら近づいていくとザックでした。ザックを引き上げました。ザックは大きく裂けていました。中は空っぽでした。中身は全部流れて行ってしまったようです。
健君を呼び戻そうと大声を出しながら下っていきますが、黒部川の流れの音にかき消されて届きません。ビッコを引きながらしばらく走ってやっと声が届きました。
そして、手持ちの装備で登攀を続行できるかどうかを相談しました。しばらくは二人で落ち込んでいましたが、食料と水を入れるペットボトルを欅平で買い足せば何とかなりそうだということになり立ち上がりました。もともとヒザが痛かったところへ無理をして走ったせいでしょう、腰まで痛みが走ります。ずぶぬれになって欅平駅に這い上がってみやげ物屋で食料となるお菓子などをたくさん買い込みました。汗臭く、髭も伸び放題で全身ずぶぬれの男がビッコを引きながらお菓子ばかりをたくさん買うのですから、お店の若い女性が不気味がっています。
で、わたしは彼女にいいました。
「私たち、どこから来たと思います?」
「さぁ」
といいつつ身を引いています。
「ここから1キロ上流の奥鐘山の洞窟から来たんですよ」
「洞窟?」
「先週から洞窟に泊まって遊んでいるんです。それで食べるものがなくなったんで、おなかがへって買出しに来たんですよ」
「えーっ、きゃはは・・・面白そう」
と若い店員は笑い出してしまいました。
自動販売機でスポーツドリンクのペットボトルをこれまた大量に買いました。もちろんビールとカンチューハイも忘れませんでした。
お買い物袋をぶら下げて黒部川を遡って岩小舎へ帰ります。なんとなく薄暗くなってきました。念のためにiモード天気予報で調べてみると明日からは天候が回復し月曜日まで晴れると告げています。最後の最後になって今回の山登りもハッピーエンドになりそうです。不安の中にもわくわくしながら眠りにつきました。

9月24日(金) 晴れ→豪雨

いよいよ登攀開始の朝がやってきました。河原に出て空を見ると晴れています。
見上げる奥鐘山西壁はくろぐろと私たちにおおいかぶさるように高くそびえています。下部岩壁終了点付近の樹木は思いのほか近くに見えます。
念のためにもう一度iモード天気予報を見ました。すると昨夜の予報から内容が一変しています。今日の昼頃から天候は崩れ、回復は来週以降と言うものでした。
「?」
これだけ雨が続くとブッシュの保水能力も飽和状態でスラブが乾くのに半日は必要です。そして登攀自体に一日半。
今日から下山日まで雨が続くという予報を前にして悟りました。どうやら今回は運がないようです。ゆっくりと岩小舎の中へ入って健君に天気予報の内容を伝えました。
健君はものすごくがっかりしています。私も同じです。
でもしかたがありません、休暇は二日残っていますが、今回は運がなかったのです。ロープを撤収して下山することにしましょう。
フィックスロープを伝わって第一ハングのデポ地点に這い上がって支点に
「雨のバカヤロー」
と書いた赤リボンをしばりつけて下降しました。
岩小舎で荷物の整理をします。横須賀君が帰ってしまったこともあり入山時よりもザックが重くなりました。
ダムの放水が始まったようです。流れは激しく水は濁っています。激しく痛むヒザをかばいながら徒渉していきます。
宇奈月で温泉に入り、外に出たときに雨が降り始めました。豪雨というようなすさまじいものでした。駅前の食堂でビールの乾杯をしてカツどんを食べました。
魚津は滝のような雨。健君はこれから新潟へ出て明日の朝のフェリーで小樽へ、そして私は千葉。
健君は長い旅になります。駅の売店で駅弁を買って列車の中で食べるようにと手渡します。
健君の乗車する普通列車がホームに入ってきました。
「またいっしょに行こう」
「よろしくお願いします」
雨のホームで握手をしました。健君の乗った普通列車のドアが閉まります。
手を振ります。健君がお辞儀をしています。後は列車が流れて行きます。
今度会えるのはいつだろうと思うと柄にもなくセンチメンタルになってしまいます。

滝のような雨が降り続く、健君のいなくなったホーム。
ふと我に帰って私も越後湯沢へ向かう列車に乗り込みました。

2004年、若人達と私の奥鐘が終わりました。




参加者:横須賀洋介、石渡健、賀来素明

参考文献=
・山と渓谷社1975年12月1日発行「岩と雪」46号-地域研究・黒部奥鐘山西壁