2007年 秋

北アルプス 黒部川

下ノ廊下 旧日電歩道

2007/10/6--7

白竜峡

黒部川下ノ廊下旧日電歩道。
富山の魚津から黒部峡谷鉄道のトロッコ電車に乗って入山し、黒部ダムへ至り、長野の信濃大町へと抜けるルートを次女朋子と妻と私の三人でたどった。素晴らしいコースだった。天候にも恵まれた。
かつて奥鐘山西壁を登っていると黒部川を挟んで対岸に旧日電歩道が見えたけれど、歩いてみたいと思ったことはなかった。
渓谷の険阻なこと、上ノ廊下をはるかに上回る下ノ廊下。その下ノ廊下を遡行することはとても出来ないが、谷底から数百メートル上に刻み付けられた旧日電歩道から、その一端を眺めることは出来る。
家族で上ノ廊下を遡行すること三度。上ノ廊下の景観と対比したい気持ちもあって秋の連休を利用して下ノ廊下を見物しようと計画した。

さて現在、旧日電歩道は関西電力の管理下にあって、国有地を借用する代償として通行を確保することが管理者に義務付けられている。従って関西電力の負担によって欅平から黒部ダムを経て奥黒部ヒュッテまでの歩道が整備されている。
黒部の冬は厳しいから、毎年のごとく歩道は雪崩によって消失する。これを雪融けと共に順次修復する。年によっては残雪が消えぬうちに雪になるから修復が終わらない年もあるようだ。例年、通行可能となるのは秋の一時期だけのようである。賽の河原に石を積むような作業を毎年繰り返しているといえるかもしれない。
黒部峡谷は国内有数の豪雪地帯であって、その急峻な地形から「ホウ」が発生する。黒部峡谷の冬の過酷な自然環境がいかなるものなのか?私は経験したことがないけれど、吉村昭の小説「高熱隧道」でその一端を知ることが出来る。
ツーリストからみればアイガー北壁もただの崖。しかしそこで繰り広げられた登攀史を知るものとってはただの崖では済まされない。
小説「高熱隧道」は旧日電歩道の歴史的背景を教えてくれる。

10月6日(土)晴れ

魚津から入って、信濃大町へ抜けるので車では不便である。奥鐘へ行くときと同じように上野発の急行「能登」に乗車する。

夜行列車は旅の情感を演出してくれる。先頭車両の最前部の座席に陣取って魚津へ。まだ暗い魚津駅ホームに降りたつ。
ひんやりした空気。黒部奥鐘山西壁へ向うために幾度となく降り立った魚津のホーム。心地よい緊張感がよみがえる。
今日の昼食のおにぎりなどを買うためにコンビニへ行きたいが探す時間がないのでタクシーにお願いして近くのコンビへ。案内されたコンビニエンスストア「サンクス」は魚津上村木郵便局の近隣にあって、魚津駅から300mほどの距離でタクシーで行くほどではなかった。
朝焼けに立山剣連峰が黒いシルエットになって浮かんでいる。
富山電鉄の始発で宇奈月温泉駅へ行き、ここで黒部峡谷鉄道のトロッコ電車に乗り換えて黒部峡谷の奥地である終点「欅平」へ向う。
トロッコ電車は吹きさらしなので、真夏でも寒いほどだから10月の今となってはダウンジャケットでも着込んでいないと震え上がってしまいそうだ。
観光客や登山客でごった返す欅平駅で身支度を整え、歩き始める。
旧日電歩道は標高950m付近を水平に穿たれた歩道で、欅平から標高差にして350mを一気に登らねばならない。この登りは「しじみ坂」と呼ばれるもので小一時間を要するきついものだ。
三人で大汗をかきながら登りきると、そこから登山道は水平となる。その水平さ加減といったら本当に水平で起伏といったものは全くといっていいほどない。旧日電歩道は故に水平歩道とも呼ばれる。
右手に奥鐘山西壁が見える。目を凝らして壁の中を見る。中央ルンゼ・OCC・広島・京都・紫岳会と、それぞれのラインを目で追ってみたがクライマーはいない。日本最大の岩壁だが現在では訪れるクライマーもまれだ。
高い岩壁にコの字型に彫られた歩道はところどころで黒部川を覗き込むことが出来るようながけっぷちを通る。落ちたらひとたまりもない。
しばらく行くと志合谷をトンネルで横断する。このトンネルは細く長いのでヘッドランプを用意して歩く。トンネルの中では足元を小川のように水が流れている。
尾根と谷が交互に入り組み、歩道はそれを水平にたどっているのでなかなか進まない。ふと振り返ると欅平の駅舎がまだ見える。
折尾谷をコンクリートのトンネルで横断し、たそがれ始めた黒部の谷中を阿曽原温泉へと急ぐ。少々うんざりするほど歩きに歩く。道が水平なのがせめてもの救いだ。阿曽原温泉に近づくと道は高度を下げ始めようやく樹林の間から阿曽原温泉小屋が見え始めた。
阿曽原温泉小屋の幕営指定地は10月の三連休ともあって大変な賑わいだ。蛇口の並んだ水場や清潔なトイレ。快適なキャンプ場の端っこにテントを張っていると、隣のテントの人が私に声をかけてきた。ホームページの読者で京都のNさんと大阪のMさんいう方だった。私のホームページの各サイトをよく読んでいらっしゃって「他人とは思えない」と最大級の賛辞をいただいた。本当に嬉しかった。
さて、阿曽原温泉には有名な露天風呂がある。幕営場から5分ほど下ったところに四角に区切った湯船がある。早速入るが、ものすごい混雑。それなのにみんなニコニコしていた。

10月7日(日)晴れ

6時45分、阿曽原温泉を後にする。15分ほど急坂を登っていくと水平歩道に合流し、権現峠のトンネルをくぐって歩道をしばらく歩いて再び下降していく。下りきった谷底は仙人ダムの宿舎の広場。こんな山奥に鉄筋コンクリート五階建ての大変大きな宿舎だ。一階には食堂と大きな厨房があるようで蛍光灯が点いている。四階建ての宿舎がもう一棟あり、その先で一旦トンネルの中に入って通路をたどって仙人ダムサイトへでた。この通路は地熱でサウナのように高温で、「高熱隧道」に思いを馳せてしまう。
仙人ダムサイトで雲切新道と下ノ廊下の歩道は分岐する。雲切新道は今年開通したものでここ仙人ダムから仙人池ヒュッテへ至る。阿曽原温泉から歩いてきた登山客の大半は、この雲切新道へと入っていくようだ。私たちはダムサイトの堰堤を渡って黒部川上流へと向う。それにしても不思議なのはこのダムサイトの左右にはワダチの跡もくっきりと残る林道が走っていることだ。ダムサイトにはトラックも止まっている。しばらく林道を歩き、吊橋を渡って再び斜面を登る。再び水平歩道となり、しばらくは樹林の中を木漏れ日を浴びながら穏やかに歩いていくが、徐々に左側の黒部川の谷底が深くなり樹林帯が切れて、空間に露出するような歩道となった。道の幅は狭く、つまずいたら谷底へ真ッ逆さまに転落してしまう。幸いにも岩壁には針金が張ってあるので、それをつかみながら歩いていく。気を緩めたら重大事故に直結しかねない恐ろしい道だ。朋子にも妻にも声をかけながら慎重に歩いていく。実際、当日この場所で死亡事故が起こっていたことを下山してから知った。
ドキドキするようなスリリングな歩道を歩いていくと阿曽原温泉を出発してから1時間50分程経過したころ十字峡の吊橋に到着。
黒部川本流に左右から棒小屋沢と剣沢が同じ地点で合流し十文字を形成し、剣沢を吊橋で渡る。
十字峡は下ノ廊下の最深部である。吊橋を渡ったところに広場があって、そこで休憩する。2時間そこそこで十字峡までたどり着くことが出来てほっとする。空は快晴で澄み切った秋空が広がり、乾いた日差しが木々を通して暖かく背中を温めてくれる。ザックから水筒を出し、お菓子をほおばる。
十字峡を越えると一旦、黒部峡谷は穏やかな渓谷となる。秋草が歩道に覆いかぶさり、なだらかな斜面に道は続く。十字峡から40分ほど歩くと穏やかな渓谷は一変して険しくなり歩道は白竜峡へと導かれていく。前方には黒部峡谷へと流入する滝なども見え、左岸をきわどいトラバースで通過していく。この白竜峡から黒部別山谷周辺までの間は雪が最後まで残り、年によっては残雪が融けないままに冬を迎える年もあるようだ。通常の年は秋口に雪が融け、それから歩道の修復が可能となる。だから下ノ廊下の旧日電歩道が全線を通じて通行可能となるのは秋の一時期だけということになる。
白竜峡を越えるとすぐに黒部別山谷に到着。10月だというのにこの谷には残雪がたっぷり残っている。
豊富な水があるのでここで昼食とする。バーナーで湯を沸かし、ねぎをみじん切りし、蕎麦を茹で、冷たい残雪からほとばしる黒部別山谷の水でさらしてザル蕎麦だ。美味い!
別山谷を越えると歩道は穏やかになって、谷もひろがり険しい部分は終わったようだ。神経をすり減らすような危険な部分も少なくなり安心して歩けるようになった。後立山側から顕著な沢が落ち込んでいる。これを一つづつ確認しながら歩いていく。午後の日差しが穏やかに差し込んで、黄葉間近の樹の葉を照らしている。ときおり谷の草木をなめるように風が吹き、そよぐ。
そんな中、鳴沢を確認すると鵬翔山岳会の遭難があった岩小舎を通過。これは痛ましい事故だった。想像していたよりも粗末な岩小舎だった。
そしてまもなく内蔵助谷の出合。右手には黒部丸山東壁が見える。すでに岩魚は禁猟の時期かと思うが、人目を避けるようにして漁をしている人がいる。
まだ、午後二時半だが、黒部峡谷の谷底ではすでに日が翳っている。もうだいぶ歩いてきたからそろそろ足が疲れてきたのだろう。朋子と妻に声をかける。
「あと1時間で黒部ダムだよ」
「うん、もう少しだね」
穏やかな歩道は小さな起伏を越えながら谷の中を黒部ダムへと続いている。
午後三時半に黒部ダムの下に到着。
あとはダムサイトまで30分ほどの急登を残すだけだ。橋を渡ってコンクリートの台座に三人で腰をおろして、休憩する。
「はぁ、歩いたねぇ」
「うん、疲れたよ」
「あっちゃんどうしてるかな?」
「勉強してるんじゃぁない」
「モト君は上州武尊に行っているんだったな」
「モト君も天気がよかったから良かったね」
「下山したら、薬師の湯へ行こう」
「うん」
こんなことを話しながら10分ほど休憩した私たちは、ダムサイトまでの最後の30分の急坂に取りかかるために、ザックを背負ってゆっくりと歩き始めた。


お父さん、上から落ちてくる水、飲んでもいい?



この水、おいしいよ



針金から手を離しちゃダメだよ。 うん!



下ノ廊下の瀞



こけたら、100m下へ落ちます



十字峡の吊橋にて



流れを受けてずぶぬれ



秋の日差しを浴びて歩道を行く



通過した白竜峡を振り返る



黒部別山谷では残雪を踏む



頭上からの落石の危険にも無頓着な中高年登山客の一団



別山谷を過ぎて



核心部を越えて一安心の歩道を行く



はぁー歩いたね・・・
黒部ダム直下のコンクリートの台座で最後の休憩


10月5日
  上野 23:33


10月6日
  魚津 05:20--06:00

  宇奈月温泉 06:40--07:32

  欅平 08:47--09:16

  志合谷トンネル 11:44

  大太鼓 12:04

  折尾谷 13:08

  阿曽原温泉 14:47
10月7日
  阿曽原温泉 06:44

  仙人ダム 07:33--07:50

  半月峡 08:55

  十字峡 09:38--09:56

  白竜峡 10:47

  黒部別山谷 11:32--12:27

  内蔵助谷出合 14:25--14:39

  黒部ダム下 15:37--15:41

  黒部ダムサイト 16:17