2008年 冬

上高地

雪の上高地

2008/03/08--10

最終日、釜トンネルを下ると雪はミゾレに変わっていた

敦子が冬の上高地へ行きたいという。冬の上高地で写真を撮りたいのだという。
冬の上高地には屏風岩や北尾根の行きかえりに幾度となく訪れているが、最近はとんとご無沙汰だ。最後に冬の屏風岩を登ったのは1988年だと記憶しているから20年ぶりの冬の上高地ということになる。
敦子も来月から社会人なので、ちょっぴり質素な卒業生送別山行といった意味も込めて私も一日休暇をとり妻も一緒に行くことになった。
さて、沢渡と中ノ湯の間の道は1970年代の後半から整備され始め新しい橋とトンネルによって直線化と道路の拡幅が行われた。1997年には安房トンネルが開通し冬季の車両通行が可能となった。これにより徒歩3時間を要した沢渡から中ノ湯までの雪道は、タクシーでアプローチできるようになり、入山初日に横尾まで入ることがさほど難しいことではなくなった。
さらに数年前には釜トンネルも新しくなり雪崩の危険地帯を歩かないで済むようになった。
タクシーの車窓からは30年前に私たちが歩いた梓川沿いの曲がりくねった細い道が廃道となって見ることができる。

3月08日(土)快晴

毎日21時に帰宅して5時半に家を出る生活では食事、入浴、睡眠時間を除くと家にいて自由になる時間は30分から1時間程度。山へ行く準備がなかなかできない。いつもの通り朝4時に起床して、装備の最終チェック。食料は松本で調達することにして自宅を出発。
昼前に松本に到着し、ICI石井スポーツ松本店で新しいガスランタンを購入。松本電鉄上高地線の下島駅近くのAコープで食料調達。沢渡ではスノーシューをレンタル。
沢渡から先は車の通行可能だが、路肩駐車は禁止されているので、沢渡に駐車する。タクシーを呼び中の湯へ向かう。結局中の湯に到着したのは午後3時過ぎ。明るいうちに小梨平へ入れるかどうか微妙な時間だが、快晴なので助かる。
15時半になって出発。新しくなった釜トンネルは内部に照明がついて明るくコンクリートで固められているので漏水がない。漏水がないので路面凍結もない。緩やかな上り坂となって1.3kmほどトンネル内を歩く。
30分かけてトンネルの出口に到着。
昔はトンネル内に雪が吹き込まないように出口がムシロなどでふさがれていたが、現在は出口から先も車道は除雪がされている。除雪された道には車のわだちもあって許可された車両が通行しているようだ。以前の釜トンネルでは、上高地側の出口の先に雪崩の通路をトラバースする箇所があって緊張したものだったが、その部分はトンネルで通過してしまったようだ。
大正池旅館の手前で梓川の対岸へ向かう除雪された車道と別れ、昔ながらの雪道を歩く。大正池旅館は営業しているかなと思ったが休業中。立ち止まると陽が翳ってきたので胴震いするほど寒い。
帝国ホテルの冬季番人が常駐しているはずの木村小屋で休憩しようと思っていたが閉鎖中なのか深い雪に阻まれて近寄ることができない。
ここで田代橋方面から除雪された車道が合流し、その車道は河童橋の手前の公衆便所の工事現場まで続いていた。このような車道の除雪が例年行われるようになったのか、それとも工事現場用に今年限りのものなのかはわからない。
18時ぴったりに河童橋に到着。中の湯からちょうど二時間半の道程だった。大半が除雪された車道歩きだったので荷の重さにもかかわらず、妻も元気だ。
さっそく小梨平キャンプ場へ向かうが当然深い雪に埋もれていて夏の喧騒がうそのように静まり返っている。厳冬期でも凍りつくことのない清水川の水が飲料に適している。風よけになる場所を探すとちょうど冬期用トイレの建物の前に条件の良いサイトを発見。二晩の宿となるテントを張る。
私たちのほかには5張りほどのテントがあって、皆それぞれに夕餉の仕度をしているようだ。日がとっぷりと暮れてから気温がぐんぐん下がり始めた。
テント本体と冬用外張りの間に十分な空間ができるように張り綱をしっかりと調整する。我がテントの夕食はAコープで買い求めた豚トロの焼肉と野菜炒め。酸欠を懸念してベンチレーターと出入り口を全開にしてガソリンバーナーに点火。飯も真っ白に炊けてうまい。
食後、各自好みのホットドリンクが用意され、それをゆっくりと飲む。ホットドリンクを飲みながらランタンの灯りのもとで敦子と妻が楽しそうにおしゃべりをしている。私はそれを聞きながら雪を入れた焼酎が満たされたチタンマグカップをゆっくりと口に運ぶ。
もうどれくらいの時間が経ったのだろうか。腕時計を見ると21時。「そろそろ就寝の時間だよ」と促すと
「そうだね、寝ようネ」と妻が言う。敦子も疲れていたのか「うん」という。
厳冬期用のシュラフにそれぞれがくるまり、ランタンの灯を消す。私も頭だけをシュラフの外に出して、シュラフのジッパーを閉めた。

3月09日(日)快晴

快晴の寒い朝を迎えた。氷点下16度。
小梨平は六百山の日陰になって朝日が届くのが遅い。8時過ぎになってみんなを起こし、清水川へ水汲みに行く。清水川は河童橋近くで梓川へ合流する小川で六百山の湧水が直接流れとなったものである。だからこの川の水は井戸水と同じように冬でも温かく感じる。
朝食を済ませ、仕度を整え10時45分テントをあとにする。今日は、梓川の右岸を上流へと明神まで歩くつもりなので、梓川の右岸へ渡る為に、ひとまず河童橋へ行く。
穂高がまぶしい。
中の湯から日帰りで上高地へ入ってきた人たちが何人か腰を下ろしてくつろいでいる。河童橋で右岸へ渡り、白樺荘の先でスノーシューを履く。
明神を経由して徳沢へと向う梓川右岸の道は治山のための作業用林道であり、横尾山荘、徳沢園などへ物資を運搬するための補給路でもある。この治山用林道が完璧に除雪されている。
その治山用林道と梓川に挟まれるようにして遊歩道がある。積雪期では遊歩道は、はっきりとはわかりづらいが、絶好のスノーハイキング日和ということで、先行者のトレースがある。そのトレースを追い、雪の遊歩道へ入る。
3月なので雪はある程度締まっており、スノーシューをはくほどでもない。時どきすれ違うハイカーもほとんどの人がツボ足だ。今日のような雪には軽くて取り回しの容易なカンジキのほうが楽だろう。
河童橋からまもなくで夏は湿原と思われる広い雪原に出た。夏は踏み込むことの出来ない湿原も、雪に覆われたこの時期には自由に歩き回ることが出来る。雪原の奥には岳沢を抱え込むようにして穂高が真っ白になってそびえている。
ここから清流の淵を見ながら針葉樹の森に入っていく。いつもなら薄暗い針葉樹の森も快晴の春の陽光が木漏れ日となって差し込み明るい。
除雪された治山用林道がすぐ脇を通っているので、林道に出てスノーシューを脱ぐ。スノーシューが煩わしくなったのだ。しばらく歩いていると明神岳の末端にかなり大きな氷柱が見え始めた。こんな春の日を浴びながらあの氷柱を登ったら楽しいだろうな、アイススクリューは何本必要かな?などと思いながら眺める。
まもなく明神橋が見え始めた。
明神池へ立ち寄り、社務所で昼食。
明神橋を渡って明神館へ行く。明神館は雪に覆われていた。
冬の屏風岩に通っていた頃、沢渡からラッセルに難儀して河童橋で日没となり、ついに明神でビバークしたことがあった。ここで岩崎とビバークしたっけなどとしみじみと眺める。
またある時には河童橋までたどり着くと、雪原に「立教 池沢」と記されたキスリングがおいてあった。2月の上高地に来る人などほとんどいない時代だった。立教大学山岳部OBの池沢さんがいるのか?と思っていると彼がやってきた。池沢さんは大木さんの同期なのである。お互いにびっくりしたことを思い出した。
明神から小梨平へと戻る。明神から小梨平まで小一時間。
小梨平はひっそりとして誰もいない。昨日はあった数張りのテントもない。今日は日曜日だから、みんな下山してしまったのだろう。私は明日の月曜日を休暇にしているので、もう一泊できるのだ。
まだ日は高い。
ひとまず、テントの中に入ってくつろぐ。餅を焼く。スライスチーズをはさんだ磯辺巻きは飛び切り美味い。
おなかが一杯になったところで、敦子と二人で河童橋まで遊びに行く。だあれもいない河童橋周辺で写真を撮ったり、梓川の岸辺に降りたりして時間を過ごす。陽がかげりはじめてテントに戻る。敦子はテントの中に入らず、雪遊びを始めたようだ。雪だるまを作っている。私は水汲みに行ってから、とろとろと居眠りをする。
明るいうちから夕食の準備を始めた。
今日もご馳走だ。野菜と肉がたくさんある。焼肉と野菜炒め。食後にコーヒーやお茶。私はもちろん焼酎の雪割り。
昨夜はとても寒かったが、今夜はさほどでもない。
就寝のときにランタンの火を消すと小さな静寂が訪れた。
耳を澄ますと小梨平の落葉松のこずえ高くに風がゴーゴーとうなっている。上空は風が出てきたようだ。明日は天候が崩れるのかもしれない。

3月10日(月)雪

案の定、夜半から雪が降り始めた。テントに降り積もっていく音が続いた。今日は下山だけなので朝寝坊が許される。妻も敦子もぐっすりと眠っている。
明るくなって、外を見た。木々が雪化粧して真っ白。テントの周りも深い雪に覆われている。
陽が差し込む頃になって、二人を起こす。
シュラフをたたみ、さて朝食だ。たっぷり残っている野菜とベーコンとチーズでポトフの上高地風。そして一袋残っているシャウエッセンを焼き、昨夜の冷や飯で雑炊。
雪の降りしきる中、出発する。トレースが雪に埋まり、ときおり踏み外して腿まで雪に埋まって難儀する。河童橋では公衆トイレの改修工事の真っ最中。こんな雪の日にも工事をしている。この工事がゆえに除雪されているのであろうか。工事用の車両が入っているのだ。
帝国ホテルの前で、再び細い雪道に入り、大正池旅館の先で、除雪車道へ戻る。釜トンネルまで入ると一安心。釜トンネル出口には中の湯連絡所があって休憩が出来る。妻と敦子をここで休憩させ、私は車を取りに行くために歩いて沢渡へ向う。2kmほど歩いたところで、工事用らしきトラックに乗せてもらう。
助かった。
「沢渡に車を止めないで、中の湯周辺の路肩に止める登山者が多くて閉口している。あなたのように沢渡に車を止める人が大半だが、一部の人の違法駐車に除雪が出来ず、トラックが通過できないで渋滞になる。そんな違法駐車のほとんどが関西ナンバーなんだよ。」と笑いながら運転手が言う。大阪は駐車違反のマナーが悪いとテレビで観たことがあるが、山でも同じなのだろうか。
沢渡で下ろしてもらい、車を回収して釜トンネルへ向う。たどり着くと小屋番と一緒に妻と敦子がシャベルで雪かきをしていたのには笑った。北海道生まれで北海道育ちの妻は雪かきに慣れている。どうして?と聞くと屋根の雪が落ちて通路がふさがったらしい。
松本の本郷食堂へ寄ったが、残念ながら始業前であきらめて家路についた。



初日、釜トンネルへ入る



春を感じる



素晴らしい氷柱



明神の社務所でカップラーメンの昼食



雪だるまを作って遊ぶ敦子



誰もいない河童橋



我が家のベースキャンプ



豚とろ焼肉



ランタンに浮かび上がる



下山の雪道



降雪の中を釜トンネルの入り口に到着

釜トンネルの出口