2011年 初夏

八ヶ岳 川俣川地獄谷

ツルネ東稜

2011/06/04-05

赤岳沢出合小屋でのくつろぎ

昨年作った職場の親睦団体「7aハイキングクラブ(7aHC)」4回目の山行。東日本大震災でしばらく間が空いたので一泊して計画することになった。
ジョン・クラカワーの「Into the Wild」でクリスが四ヶ月を過ごしたアラスカの原野にぽつんとある「マジックバス」
八ヶ岳地獄谷赤岳沢出合小屋は僕たちのマジックバスだ。以前からそう思っていた。
そうだマジックバスに泊まりに行こう!
一人で行ったら寂しいところだけれども、皆で行けばまるで十五少年漂流記。
行きたい人手を挙げてー、「ハーイ」

6月4日(土)晴れ

ほぼ快晴である。梅雨の晴れ間の土日になった。
石川パーキングエリアに集合。石川パーキングエリアは『ぷらっとパーク』と称されるパーキングエリアで、高速道路外との往来ができる通用門を持っているので、集合場所としては都合が良い。ここから二台の車に分乗し一路八ヶ岳を目指す。もちろん車のサウンドシステムからは「IntotheWild」の挿入曲が流れている。
須玉ICで国道141号線へ出て「スーパーやまと」で買出し。まるで小学生が遠足のためのお菓子を買う時のような気分で、なんとも楽しい。夕食はあれにしよう、朝食は・・・などとみんなニコニコ顔だ。
八ヶ岳山麓の高原地帯を木漏れ日を浴びながら車は走る。大きな美し森駐車場には数台の車があるだけだった。
さっそく共同装備と食料の分配をして11時半頃歩き始めた。カラマツの新緑に囲まれながら静かな林道を歩いていく。川俣川地獄谷へと続く林道は最近整地されたようで路面の状態が良くなっている。おそらく地獄谷に砂防ダムを追加したのだろう。案の定、かなり上流に真新しい砂防ダムが二つできていた。砂防ダムのところまで造成された林道のおかげで地獄谷の河原歩きは大幅に短縮され入山が楽になった。
雪融け水と昨日までの雨の影響で、通常は伏流の部分にもしっかりとした流れが形成されている。これを飛び石伝いに数度わたるのがスリリングだ。なれないメンバーもいるのでドボンするかもしれないと案じていたが全員無事通過することができた。
15時前に赤岳沢出合小屋到着
いつもの通り、整理整頓された室内。小屋の備品を充実させようと利用者が担ぎ上げてくるらしく調理用の大きな鉄板が真っ赤に錆付いて立てかけてある。合板張りの床には銀マットが敷き詰められているのはありがたいことだ。
荷を解いて一休みしてから、明日のツルネ東稜の取り付き点の確認の為に偵察を行う。途中には「コイワザクラ」が咲いている。西丹沢では5月半ば頃に咲く花でとても可憐だ。ツルネの取付き点を確認し小屋へ戻るといよいよ夕食の準備。
今回は私が木炭とバーベキューコンロ2台を背負ってきた。アプローチが簡便なここだからこそ、かような贅沢ができる。
まずは肉の下ごしらえ。豚バラのブロック1.5kgをスイスアーミーナイフで厚さ1cmから2cmに切り、塩コショウをまぶす。野菜もふんだんに用意されている。狩野君がオピネルのナイフでザクザク切っていく。他のメンバーも手分けして炭を熾したり、水汲みに行ったり。
薄暗くなってきたのでガスランタンを灯す。なんと用意したガスランタンは4台。やわらかい光が小屋の中を満たす。外にいる誰かが「わぁ、小屋の外に窓からランタンの明かりがもれてくるのがいいなぁ」と言っているのが聞こえた。
雪山賛歌の歌詞に「煙い小屋でも黄金の御殿 早く行こうよ谷間の小屋へ」という一節があるが、まさにそのような感じだ。
炭火で焼く豚バラは脂分が落ちてしつこさがなく美味だ。みんなおじさんだから節度ある飲酒でほろ酔い気分となる。明朝は3時起床の約束をして21時頃ランタンの灯を消した。

6月5日(日)曇り時々晴れ

3時起床。朝からしっかりと飯を4合炊く。昨夜食べ残した野菜炒めと肉に、狩野君が用意してくれた秋刀魚のかば焼きと味噌汁。白飯は全て食べつくした。
すっかり明るくなった4時40分、ツルネ東稜へと出発する。あいにく空は曇っており稜線付近は暗雲である。
ツルネ東稜はところどころで繁茂した笹やぶの中を進む。踏み跡が笹に隠されているからまるで道がないように見える。目印のテープもあるけれど、笹の下に隠された踏み跡部分は地面が少し硬いので、足の裏の感触でルートを確認しながら追っていく。
ところどころで急斜面があらわれる。ごく普通の斜面だが経験の浅いメンバーはこれを見てびっくりしている。私はびっくりするメンバーを見てとても新鮮な気持ちになった。40年以上も山に登り続けて、このような新鮮な感動を忘れてしまった自分自身が、感受性といった意味では退化したことを自覚した。
「7aハイキングクラブ未体験ゾーンへの突入ですね」そんな会話が交わされる。
そうだ、1971年の6月に谷川岳に登った時には私にとってすべてが未体験ゾーンだった。刻一刻と変わる状況の一つ一つに15歳の私は感動したのだった。あの時の気持ちを私は忘れていた。
標高2000mを超える頃から遠くに風の音を聞く。どうやら稜線は西側からの強い風が吹いて荒れ模様のようだ。条件が良ければツルネから権現岳を往復する予定だったが、ツルネ往復にとどめておいたほうが無難だろう。それをメンバーに告げる。
だんだん周辺の針葉樹の背が低くなり、いよいよ森林限界が近いことを知らせている。樹林の中には残雪が残り、ところどころで踏み跡を隠している。
残雪を踏みしめ更に高度を上げていくと這い松があらわれはじめる。森林限界、すなわち稜線である。
地獄谷側はほとんど風がなかったが稜線に出たとたん、強い風が吹きつけてくる。ガスで視界は全くない。
ツルネの語源は知らない
ツルネの標高点であわただしく記念撮影してすぐに下山開始。
「つまづいて、オットットと、土俵をわるようにして稜線から落ちました」・・・などということが十分に考えられるので声をかけながらゆっくりと下降していく。
1時間半を要してツルネ東稜の取付き点まで戻って大休止。ザックを投げ出して開放感にひたる。みんなよく頑張ったなと思う。
小屋まで戻ったら昼食の準備。「日清のラーメン屋さん」(塩味)にネギやもやしをたっぷり入れる。インスタントラーメンだけれどとても美味しい。
食後は小屋の掃除だ。「7aハイキングクラブが利用すると山小屋がきれいになる」と言われたい。他の登山者が残したゴミも含めて回収。備品にトングがなかったので私たちが持ってきたトングを寄付する。
出発の準備が整ったのは11時半。名残惜しい小屋を後にする。昨日に比べると地獄谷の水量は激減し、下流部では伏流となっている。飛び石伝いの渡河も楽になった。
楽しかった山小屋の余韻にひたりながら美し森へと新緑の林道を歩いた。次に登りたい山のことなどあれこれと話しながら歩く林道はさほど苦痛ではない。
少し冷却が必要なほどに山に対してヒートアップしている7aHCのメンバーたち。嬉しいけれど少し心配でもある。
スパテイオ小淵沢で汗を流し解散した。

さて、来月はいよいよ富士登山だ。
吉田口の馬返し一合目からの登山計画だから相当な苦労が予想される。強い人、弱い人さまざまだろうが山頂を踏むことができなくともパーティーとしてベストを尽くしたい。
個人として頂に立つことにも価値はあるが、互いに支えあい、仲間として絆を深めあうことにも意味があると私は思う。

参加者:小山、鎌田、狩野、野武(あいうえお順、敬称略)

走行距離:454km、ガソリン消費量:39リットル


2011年6月4日土曜日
美し森駐車場 11:26
林道終点 12:35
赤岳沢出合小屋 14:50
2011年6月5日日曜日
赤岳沢出合小屋 4:40
ツルネ 7:38-42
赤岳沢出合小屋 9:44-11:27
林道終点 12:17
美し森駐車場 13:45

下の画像をクリックするとオンラインアルバムが開きます


周辺の記録
2011 八ヶ岳 硫黄岳から横岳 2/26 同僚と
2011 八ヶ岳 赤岳 1/2-3 家族と
2008 八ヶ岳 しらびそ小屋・黒百合平 12/6--12/7 家族と
2008 八ヶ岳 編笠山・権現岳 11/8--9 若人と
2008 八ヶ岳 赤岳主稜3/22 家族と
2008 八ヶ岳 阿弥陀岳南稜3/15--16 家族と
2008 八ヶ岳 赤岳3/2 家族と
2008 八ヶ岳 我が家の冬山合宿「地獄谷」12/30--1/2 家族と
2007 八ヶ岳 ニュウ・しらびそ小屋12/1--12/2 家族と
2007 八ヶ岳 冬期八ヶ岳縦走12/30--1/2 家族と
2006 八ヶ岳 裏同心ルンゼ 12/23 家族と
2006 八ヶ岳 赤岳主稜 2/18 家族と
2005 八ヶ岳 スノーハイキング 裏同心ルンゼ 1/3 家族と
2003 八ヶ岳・小川山 青年との晩秋の山 11/29--11/30 若人と
2001 八ヶ岳 天狗尾根 6/30--7/2 友と
2001 初夏 八ヶ岳 地獄谷〜天狗尾根〜地獄谷 家族と
2000 八ヶ岳 広河原沢 家族と
1998 八ヶ岳 地蔵尾根〜赤岳〜地蔵尾根 家族と