2001年初夏

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八ヶ岳地獄谷天狗尾根

天狗尾根---赤岳---ツルネ東稜下降
2001/6/30から7/2

友人で勤務先のプロジェクトの首謀者で同期でもある島本勉に年初から「今年はリフレッシュ休暇だからどこかに行こう」とさかんにモーションをかけられていた。だが私は、海外の山に行きたくもあり、あいまいな返事でお茶を濁し、薄らとぼけていた。
だが島本は何度もしつこく「いつ行く?」と迫ってくるので、だんだんとぼけきれなくなりつつあった。
海外の日程が決まらず、ぐずぐずしていたのが災いしたのかもしれない。
ある日、島本が聞こえよがしに職場で西田さんに言っている。
島本:「西田さん、一緒にどこかに遊びに行こうよ」
西田:「賀来ちゃんと一緒に行けばいいじゃない」
島本:「だって誘っても賀来が連れていってくれないんだよ」
ずいぶん人聞きの悪いことをいうもんだ。
「わかったよ、それじゃ天国のように楽しいところに連れて行ってやる」ということになった。

さて、今回は本格的な登山となるので島本は装備を調達しなければならない。
6月19日にまずは寝袋と雨具をモンベルで買った。子供が遠足前のおやつを買うようなワクワク感がたまらない。日を改めて津田沼のヨシキスポーツで本物のザックを買うことになった。その夜は酒を飲んだ。翌日は二日酔いで頭が痛かった。
ヨシキスポーツに行った6月28日は私が赤坂の日本オラクル社で夕方まで拘束されており、ヨシキスポーツの閉店時間に気をもみながら列車の中で携帯電話すると、島本は会議を放り出してヨシキスポーツへやってきた。入れ込んでいるのである。
例え島本の装備でも玄人好みの渋いザックでないと私自身が納得できないので、候補は「ダックス」「アライテント」「ブラックダイヤモンド」の中から選ぶことに決めていた。モンベルやミレーなどは候補外。結局ブラックダイヤモンドに決まった。もちろんその夜は津田沼で酒を飲んだ。空になるジョッキの数に比例するように更に気分は盛り上がり「いったいどうなることやら」という不安すらも忘れ去るほどの熱狂状態に突入していった。

6月30日(土) 天候:雨【四街道→鎌ヶ谷→清里→美しの森→地獄谷林道→赤岳沢出合小屋】

朝、鎌ヶ谷の島本宅へ寄り中央高速で一路八ヶ岳へ向かう。あいにくの雨だ。
清里の蕎麦屋で昼食をとり、美しの森から本格的な林道へ入る。地獄谷へ面した林道途中で車を止め、支度をする。間違って女房の雨具を持ってきた私だったが、女房は太っているので上着だけは何とか着ることができた。見ていた相棒はゲラゲラ笑う。
徒渉の繰り返しがあるので、足回りは渓流足袋とし、ブーツはザックにしまった。本格的な風雨だが、この程度であれば増水も徒渉の限界点を超えるほどにはならない。
徒渉ポイントにケルンを積みながら地獄谷をさかのぼっていく。森の中の下地は雨でしっとりと濡れた苔でびっしりと埋め尽くされ、アニメーション「もののけ姫」のしし神の森のようでもある。
目的の「赤岳沢出合小屋」は雨の中に煙ってひっそりと建っていた。粗末な無人小屋である。
小屋の前に二人でたたずみ、戸を開けた。窓のほとんどない小屋の内部は薄暗いのだが、今日は更に暗い。二週間ほど前に息子とこの小屋に宿泊したが、その時のままで小屋は私たち二人を歓迎してくれた。この二週間、だれも訪れた人はいないようだ。
濡れたザックをおろし、早速ストーブに火を入れる。
相棒が酒の肴をたくさん担いでいた。その酒の肴を次々と出す。ランプに灯をともし各種アルコールをちびちび飲む。昨日までオフィスで得体の知れない Oracleと格闘していたことが嘘のようだ。オイルサーディンなるしろものを初めて食った。ストーブの上でグツグツ煮て熱々のホクホクのやつを口にほうり込む。思わず顔がほころんでしまう。相棒はスパムという缶詰が美味いから今度食ってみろという。出合小屋は車を下車してから徒歩一時間程度なので多少の荷物も苦にならない。小屋自体は粗末なものだが薪ストーブはあるし、ここを利用するクライマーたちのマナーが良いのか小奇麗である。
小屋のトタン屋根を雨が激しく打ちつづける。そんな荒ぶる自然の中で二人だけで暖かいストーブを囲むことのできるという幸せ。
山の話、友達の話、旅の話、昔の話...。
薪がパチパチとはぜ、夜更けまで山の雨とガスが出合小屋を洗っていた。

7月1日(日)天候:快晴【赤岳沢出合小屋→天狗尾根→赤岳→キレット→赤岳沢出合小屋】

4時起床、昨夜の雨も上がり良いコンディションである。5時15分出発。今日は天狗尾根経由で赤岳へ登頂しキレット・ツルネ東稜経由でこの小屋へ戻ってくる予定だ。
赤岳沢から天狗尾根に取り付く。天狗尾根は主に積雪期に登られることが多く、下半部は笹が生い茂り、踏み跡もハッキリしない。尾根の稜上に出るまでが一苦労だった。尾根上へ出ても笹が踏み跡を隠し、なかなか楽しませてくれる。荷物が軽く天気も良いのがせめてもの救いだ。のんびり休憩をしながら登っていく。第二岩峰でロープを出す。落ちたらお陀仏というトラバース後、草付きを這い上がる。プロテクションが貧弱でかなり神経を使った。
見上げる大天狗の岩峰は衝立てのように立ちはだかっている。そこをルートは巧みに縫うようにとられている。小天狗へと回り込むところは這い松が密生し消耗するヤブコギに一汗かかされた。
縦走路に出てここから一般登山道となる。高山植物が路傍に咲きカメラで撮影しながら赤岳へと向かう。とにかく人に会わない。山頂付近でやっと他の登山者を見ることができた。
疲れのせいか赤岳山頂まで遠く感じた。山頂で記念撮影をしたあと頂上小屋で昼食とする。
展望のきく食堂で清里方面を見下ろしながら、ラーメンと缶ビールを飲む。この後の長い下山ルートを思うとビールは飲まないほうがいいのだが、どうしても飲みたいという。それに安易に同調してしまう自分が情けないやら、ビールが飲めてうれしいやら。
食堂には本沢温泉のパンフレットがあって、次回は「ここに行きたい」という。なるほど日本最高所にある温泉だが私も行ったことがない。秋になったら仲間内で訪れることにしよう。
頂上小屋を出たのはちょうど13時、ここからキレット小屋まで標高差400メートルを一気に下る。不安定なガレ場も冬には雪に埋まり走るように下れるのだが、夏場はそういうわけには行かない。慎重に一歩一歩足を進めるほかない。頂上小屋で飲んだビールが効き始めたのか膝がよれているのが自覚できる。
キレット小屋は、閉鎖中だったが庭にコマクサが満開となっており、二人で歓声をあげた。すでに15時近く、10時間近く行動してきたわけだ。さすがに疲れがでてきて、腰が痛くなってきた。人っ子一人いないキレット小屋の前に腰を下ろし、タバコを吸う。タバコの切れた私は相棒にめぐんでもらった。
ツルネ山頂からは、天狗尾根の全貌を望むことができた。ここから見る天狗尾根は岩場が露出しておりいったいどこを登ったのかと思わせるほどに迫力がある。とうてい登攀は不可能のようにさえ見えるのだ。
冬期に何度も下降したことのあるツルネ東稜だが、上の権現沢へ迷い込むこと再三だったので心配したが、雪のない今は殆ど登山道と変わりなく、不安なく下降することができた。
だんだん薄暗く黄昏れてきた。地獄谷の河原に降り立った時にはすでに17時を過ぎていた。薄気味の悪い洞窟を横目で見ながら走る。このような洞窟に薄気味悪さを覚えること自体がなんだか楽しい。大自然への恐怖は空調のきいた都市生活ではなかなか実感できないからだ。
出合小屋の戸をあけた。静まり返った小屋内は朝私たちが出発した時のままだった。時計は17時30分を指していた。
なんと12時間行動。相棒は「疲れたヨ」というが疲れるわけだ。12時間も歩いたんだ俺だって疲れたというのが本音だ。それにしても初めての本格的登山で12時間行動はちょっとハードすぎたかもしれんな。
とるものもとりあえず、渓流で冷やした缶ビールをクィーっとやる。う旨い!
早速、ストーブに薪をくべ、酒を飲む。ストーブの上でするめをあぶったりできるので、すこぶる満足である。
薪の燃えさかる炎をぼんやりと見つめながら、心地よい疲労感をかみしめているうちに眠くなった。寝袋の中に入りウイスキーをちびちび飲んでいたが、やがで泥のように眠りこけていった。

7月2日(月)天候:快晴【赤岳沢出合小屋→地獄谷林道→清里→鎌ヶ谷→四街道】

相棒との二人きりのテントの一夜は何度もあるが、私のすごいイビキに「怪獣」とか「恐竜」とかいつもは言うのに、今朝、目覚めたときには何も言わなかった。私のイビキが気にならないほどにぐっすりと眠ることができたのだろう。
今日は下山日。さすがの私も筋肉痛となってしまった。
晴れ上がった空に大天狗が聳え立っている。徒渉の水もぬるく感じ、梅雨明けのような青空が広がっている。気持ちのよい風が沢を駆け上がり、木々の梢を揺らしていく。その風が頬にあたり心地よい。ボケーっと河原の岩に腰をかけてたばこを吸う。
真っ青に晴れ渡った空を見上げ、
また来たいな。今度は仲間たちを連れてこよう」と相棒と意見が一致した。

参加者:島本勉、賀来素明