2007年 冬

越年山行

冬期八ヶ岳縦走

天狗岳・夏沢峠・硫黄岳・横岳・赤岳・キレット・ツルネ東稜下降
2006/12/30--2007/01/02


キレット 小雪の中の撤収  1月2日朝



1969年に初めて訪れてから春夏秋冬、さまざまなルートで幾度となく私を迎え入れてくれた八ヶ岳。
学生の頃、冬季において最も数多く通った東面の地獄谷流域では十日間ほど雪降る出合小屋にこもって放射状にさまざまなルートを登下降させてもらった。結婚して家庭を持ってしばらくした頃、当時小学校低学年だった長男の素直を連れて赤岳沢出合小屋へ泊まりに出かけた時のこと。月夜のトタン屋根の上をヤマネが走り回り、深夜になって小型の獣がうなり声を上げて小屋を周回。私の胸に顔をうずめながら怯えている長男を抱き寄せながら眠った。ちょうど六月初旬だった。あの谷の新緑の頃の神秘的な美しさはえもいわれぬ。
西面ではやはり大同心正面壁が思い出深い。冬期単独登攀も含めて四回登らせてもらった。最後に登った1992年の2月には下山後、右足の凍傷で聖マリアンナへ二週間ほど入院。長女の敦子とは深夜二時まで冬壁の下降を続けてへとへとになったことも今となってはいい思い出だ。
そんな思い出深い八ヶ岳で長女を連れての越年山行。八ヶ岳においては久しぶりの縦走登山となる。
ところで内陸部にある八ヶ岳の降雪は春先になって大陸の寒気団が緩むことによって発生する南岸低気圧によってその多くが降るので、最も積雪が多いのは3月下旬。今年は暖冬のために大陸の寒気団の発達が悪く12月から幾つかの南岸低気圧が通過した。それゆえ八ヶ岳や南アルプスは年末年始にも関わらず雪が多い。
先週の裏同心ルンゼに続いて二週連続の八ヶ岳行となった。

12月30日(土)快晴

入山地点と下山地点が異なるので、久しぶりにJRを利用しての計画。
千葉発6時38分の特急あずさ3号に乗車。甲府盆地に入ると南アルプスが真っ白に輝きながら空高く屏風のように広がっている。韮崎近くでは甲斐駒の迫力に圧倒される。仲間たちが黄蓮谷に入っているはずなので思わず携帯電話を入れたがつながらない。きっと谷の底にいるのだろう。右手に見える八ヶ岳も広い裾野の上に高く権現がそびえて想像していた以上に真っ白。編笠山の中腹まで雪がついている。
9時49分に茅野到着。駅は改装されており昔の面影は失せている。構内の立ち食い蕎麦屋の天玉そばで朝食。10時20分発の渋の湯行きのバスに乗り込む。運賃は一人1100円。一時間ほどで渋の湯に到着。かなり積雪が多い。陽が差し込まない谷間の温泉旅館で昼食を摂ってからゆっくりと歩き始めたいと思っていたが旅館の玄関には「登山者へ」という貼り紙がある。「ここで休憩するな」というようなことをかなりきつい口調でしたためてある。これまでの登山者のマナーが相当悪かったのだろう。自らの身から出た錆のようにも感じられて我慢して戸外で着替える。旅館で補給しようと思っていたので魔法瓶の中は空。入山時の昼食は特別に用意していないので、キャラメルをナメながらザックに腰をおろし震えていた。自動販売機でもあれば助かるが、それもない。仕方なく小一時間ほどたってから歩き始めた。
すぐに針葉樹林帯の登りとなったが木には多量の雪が載っている。触れてみると表面のやわらかい層の下はザラメ状の氷。このザラメ状の氷が針葉樹の枝と雪との接着剤の役目をはたしているようだ。快晴にもかかわらず、雪が落ちてこないのはこのためだろう。
四日分の食料と燃料などが入ったザックがずっしりと肩に食い込む。休み休みゆっくり登ったがかなり疲れた。
黒百合平にあるヒュッテの前でテントを張る。冬の幕営山行は雪を融かしての水作りから始まる。専用に用意した大きなビニール袋に綺麗な雪を詰め込んで圧縮する。そして更に雪を押し込み圧縮する。これを数度繰り返すとずっしりと重い雪の塊が入ったビニール袋が完成。これをテントの外張りの内部にストックする。順調に水作りが進行したが、最後に大失態。煮えたぎる湯がなみなみと入ったコッフェルをひっくり返してしまったのだ。二十歳の頃に一度だけこのような失敗をしたことはあるが、それ以降一度もなかったのに、トホホ。テントの中は水浸しでシュラフをはじめとして装備の多くがびっしょりと濡れてしまった。この先が思いやられる。
到着した時には氷点下11度だったが、夜11時には氷点下17度にまで下がった。

12月31日(日)快晴

相当冷え込むかと覚悟したが未明になって気温が上昇したようで、氷点下14度。夜が明けてみると少しうす雲が出ている。幕営時の出発は手間取るものだが、冬となればなおさらだ。やっと9時になって出発できた。一旦、中山峠まで出て針葉樹林の稜線を東天狗岳へと登っていく。こんなに長かったかなぁと思いながら登っていくと前方に天狗岳。山頂には数人の登山者が休んでおり、硫黄岳方面からは数人の登山者がこちらのほうへと登ってくるのが見える。
東天狗岳からゆるく下って行き、根石岳へ登り返して根石山荘のあるザレた広いコルを進む。ここから樹林帯に入って少し登って箕冠山から夏沢峠へと下っていくと、風のほとんどない樹林の中にある陽だまりでガスストーブで湯を沸かしランチを摂っている夫婦がいる。
夏沢峠の小屋は閉まっていた。左側には夏沢鉱泉やオーレン小屋方面からのトレースが合流し、右には本沢温泉からのトレースが合流する。小屋の軒下に風がさえぎられたホッとするような陽だまりがある。そこにザックを下ろし私たちも休憩する。
それにしても、ここまでトレースがあったから良かったものの、トレースがなければ深雪のラッセルに輪カンジキを履いていても相当ハードな試練となっただろう。
通年営業の夏沢鉱泉と本沢温泉に挟まれた夏沢峠から硫黄岳への登山はトレースと天候に恵まれれば手ごろなものだろう。今日はまさにそのような日で、数人の登山者がこれから硫黄岳へと向うつもりなのか休憩している。中には明らかに夏沢鉱泉からここまでスノーハイキングにやってきたと思われる夫婦連れもいる。ちょうど正午の陽が快晴の空に高く、ほぼ無風だからハイキングには最適の日和のように思われる。ゆっくり休んでから硫黄岳への肩にあるロボット雨量計へと登っていく。うす雲はいつの間にか消えて、ほぼ快晴。
1971年の晩秋に同じコースを縦走したことがある。幅72cmキスリングザックを背負って歩きオーレン小屋の露営場に家型ビニロンテントを張った。炊事をする水は手が切れるように冷たかった。あのころワンダーのヘッドランプが流行っていて先輩が自慢げに炊事の手元を照らしてくれたことを覚えている。翌日は一変して天候が悪化し、オーレン小屋から直接硫黄岳へと登っていったのだが晩秋の冷たい風雨にまっすぐ歩くこともままならず、赤岳鉱泉へと下降し行者小屋まで行って幕営した。
雪のトレースはやがて針葉樹林から硫黄岳までのなだらかな雪の斜面へと続いていく。ゆっくり登っていくと大きなケルンに導かれながら広い台地のような硫黄岳の山頂部に到着。今日は赤岳の肩にある赤岳展望荘(旧赤岳石室)まで行きたい。そうすればその後の行程がずいぶんと楽になる。硫黄岳から硫黄岳山荘(旧硫黄岳石室)へと続く斜面を敦子と駆け下っていく。硫黄岳山荘は年末年始の期間のみ営業していると聞いていたから、休憩ぐらいはしたいなと思っていたがたどり着いてみると雪に埋もれた屋根がやっと見えているだけで、稜線から窺う限り人の気配はない。
「休憩したいのにどうしよう」
「・・・」
「もし、営業していたら泊まっちゃおうか」
「うん」
小屋の前まで下降し入り口の前に立つ。やはり人の気配はない。アルミサッシの引き戸を引いて見るとスルリと開いた。恐る恐る中に入ってみると暖かい。まぶしい雪の斜面から小屋の中に入ると一瞬真っ暗のように感じるが奥に進むと登山客が数人いる。どうやら営業しているようだ。受付まで行って宿泊の申し込みをする。ストーブによる暖房が行き届いていて暖かい。二階の寝室へ案内されザックを下ろす。小屋のご主人が言うには大晦日なので17時半から忘年会をするという。忘年会?山で忘年会など初めての経験だがいったいどういうものなのだろうと期待が高まる。忘年会までまだだいぶ時間があるので談話室のストーブでカワハギを焼いてウイスキーのお湯割を飲み、足をのばしてくつろぐ。敦子は二十歳になったがまだお酒の味がわからないようで、ポカリスエットなどを飲んでいる。登山客の会話を聞いていると赤岩の頭を「あかいわのかしら」と呼んでいる人が複数いて驚く。山に対する造詣が深くないのかもしれない。三ツ頭は「かしら」と読むがそれ以外は通常、頭は「あたま」と読む。
小屋の登山客は思いのほか多く、あとから到着する登山客も加わって17時にはほぼ満室となった。
さて、お楽しみの忘年会。小屋のご主人の宣誓からそれは始まった。数日前に小屋までスタッフと共に登って来たと言うご主人は
「通常なら夏沢鉱泉から山荘まで2時間ですが、今年は雪が深く6時間かかりました」
という。
そして平成十八年大晦日の硫黄岳山荘の宿泊者はその多くがいわゆる常連だということを知った。つまり越年のために八ヶ岳の稜線の小屋までわざわざ登ってくる人が少なからずいるという。左隣の席についたご夫婦も常連でご婦人は67歳。しかもご婦人は51歳から山登りを始めたという。45歳から山登りを始めた私の山仲間の尾崎さんを上回る。
40人近い登山客が席に着き、酒が振舞われ全員の自己紹介が始まった。越年を稜線の山小屋で迎えるために雪の難路を登ってくる人がいる。そういう山の楽しみ方があることを知った。
宿泊客の中に千葉から来た人が少なからずいた。成田の人で私たち親子をホームページで知っていて憧れていたという紹介をしてくれた時には敦子と二人で顔を見合わせて喜んだ。
司会役の小屋のご主人は40名もの酔っ払いの宿泊客を仕切るのがとても上手く感心してしまう。忘年会の日本酒は飲み放題で、通常21時には停止させる発電機も今夜は一晩中稼動させ続けると言う。私たちは21時には就寝したが深夜まで楽しい談笑が食堂から絶えなかった。

1月1日(月)快晴

いつものとおり4時頃から目が覚めてしまったが熟睡している他の宿泊客をおもんばかると起き上がるわけには行かない。朝食は7時だから辛抱強く待ったが痺れを切らせて敦子と6時に床を抜け出して食堂のコタツに入りに行った。すでに小屋のスタッフが朝食の準備に追われていた。
朝食は心づくしのおせち料理が並んだ。こんな稜線の山小屋の中でおせち料理を用意するためにスタッフはそれなりの食材を背負って登ってきたのだろう。年末年始に宿泊客の多い山小屋ではヘリコプターによる荷揚げも行っているようだが、硫黄岳山荘の宿泊者数では無理だ。決して豪華ではないが背負った苦労を思うと素晴らしいご馳走のように感じる。昆布巻き、数の子、伊達巻、黒豆、蓮根、なます、キノコ、生卵、納豆、ソーセージ、鮭、味付け海苔そして雑煮。これで田作りと御屠蘇があれば文句なしだが出発前にアルコールは呑めない。
今日は、主稜線を縦走し横岳から赤岳を越えてキレットまで行く予定だ。9時前に小屋を出発する。小屋からしばらくはグーテ小屋からモンブランへの斜面のような広い雪の斜面を登っていく。標高もそれなりに高いので息が切れるが、敦子は平然としている。なぜだろう?
登りついた雪のピークでロープを出し、敦子をタイトロープ方式でビレイしながら横岳へと向う。遠くから見ると横岳への最後の登りはちょっとスリリングな感じだが、ハシゴや鎖があって順調に登ることができる。むしろ横岳から地蔵の頭までいくつかある大小のピークを絡む雪の斜面の方がリスキーだ。
赤岳展望荘(旧赤岳石室)が近づく頃に風が強くなってきた。風上に顔を向けることが困難な状況で逃げ込むようにして赤岳展望荘の中に入った。この小屋も暖かくアイゼンを脱いでラーメンを注文。しばし憩いのひと時を過ごした。
赤岳展望荘を出て一頑張りで赤岳山頂。この一頑張りが容易ではない。風に抗しながら幾度となく立ち止まり息を整え登っていく。ふと敦子を見ると鼻呼吸で平然としている。帰宅してからから妻に聞いた話だが、敦子は次のように妻に言ったという。
「お父さんってまずいよ。山の中でハーハー肩で息してるの。あれってメタボリックだからじゃない。治さないと早死にしちゃうよ」
返す言葉もない。
赤岳頂上小屋も年末年始は営業している。赤岳山頂からキレット方面へ下っていく。冬の滑落事故原因の多くがアイゼンを引っ掛けて転倒するものなので、一歩一歩慎重に下降していく。30年前の学生の頃、冬の赤岳沢や天狗尾根を登り終わってから、キレットを走るようにして下降した記憶があったがそれは若い頃の話。敦子をビレイしながら慎重に下降していく。
しばらく下って最低鞍部であるキレットに到着した。鞍部にはダンロップの六人用V6が設営してあり、中から楽しそうな笑い声が聞こえる。テントの外には赤旗の束が立ててある。学生の冬山合宿という雰囲気である。私たちは少しツルネ寄りの樹林の中を幕営地と決めて整地をしてエアライズ3を張った。
テントの中に敦子と入り込み雪を融かして水を作り、談笑しながらラジオを聴く。今日は元旦。フセイン大統領が処刑されたことを初めて知った。それからもNHKの地球ラジオを聴く。この地球ラジオは普段は土曜日の夕方6時頃から放送されているもので冬の岩場開拓が終わって家路につくときにいつも車の中で聴いていた番組である。とても懐かしい。昨日、硫黄岳山荘のストーブで焼いたカワハギとビーフジャーキーを食べながら子供の頃の話をする。敦子と二人でなんとなくいつまでもラジオを聴いていた。

1月2日(火)曇り・小雪

夜中は、風が強く針葉樹林が防風の役目を果たしてくれてはいるが、露営地は稜線の背ということもあって一晩中バタバタとテントの布地が鳴って騒々しかった。天気予報によって少しばかりの天候悪化は覚悟していた。
しばらくは月明かりがテントを照らしていたが、案の定、夜明け前に外へ出ると曇天が広がって星はない。気温は氷点下10度と暖かいが、テントの外張りはバリバリに凍り付いている。風が強くテントの外張りがバタバタと強くはためいている。
「あっちゃん、起きてる?」
「うん、あんまり眠れなかった」
「寒い?」
「寒くない」
起床予定時間の5時までまだ間があるので再びシュラフの中にもぐり込む。天幕が強い風に振動して騒々しいが、暖かい寝袋の誘惑に負けてウトウトとまどろんだ。5時半になってさすがに寝袋から出て敦子を起こす。
「あっちゃん、起きな」
しばらく返事がなかったが数度ゆすりながら声をかけると
「やっと眠りかけてたのに・・・」
とぼやく。
テントを張ったときに最初に行うのが雪を融かしての水作りであれば、起床してから最初に行うのはシュラフのパッキングであろう。これが辛い。せっかく温まっていたシュラフを出てそれを仕舞うという行為は苦行に近いものがある。だが仕方がないのだ。シュラフがあると、コンロで火災を生じたり、シュラフに穴を開けたり、コッフェルをひっくり返したりとろくなことがない。幾度となく敦子を促すがなかなかシュラフから出ることができない。10分ほどかかってようやく敦子はシュラフをたたむことができた。
昨日、あらかじめ用意していたビニール袋の中の雪の塊を融かして湯を作る。この露営地は針葉樹林に囲まれた場所なので融かした水の中に針葉樹の葉をはじめとしたゴミがたくさん入っている。これらのゴミは食品に添加されている化学物質やすすぎ残した洗剤や農薬とは本質的に異なるのでまったく気にならない。最初にぐらぐらと煮立った湯をアルファ米キノコご飯に注ぎ、輪ゴムで封をする。出来上がりまで20分かかるので、それまでの間に水分補給のためにどんどん雪を融かしてお茶を飲む。胃腸が目覚めてきた頃合をはかってジフィーズのカルビ丼に湯を注ぎ、バターを落とす。さらにフリーズドライの豚汁を作って並べる。
今日も朝食が美味い。
食後に食器の洗浄をかねてカップにお茶を注いで飲む。
森林限界を超える稜線では相当強い風が吹いているようでゴーゴーと風音が唸り、標高2600mから上部は灰色の雲に覆われ小雪が舞っている。ツルネ東稜から赤岳沢出合へ下降することに決めて、テントを撤収する。テントの外張りには氷が張り付いてたたもうとするとバリバリ音がする。それでも敦子は少し冬の幕営生活に慣れたようでてきぱきと出発の準備をしてくれる。
8時48分、ツルネに向って幕営地をあとにした。
9時27分にツルネ到着。冬に何度も通った事のある地点なのですべての地形に見覚えがある。今回下降に使用するツルネ東稜は尾根の形状が少しばかり複雑で、トレースのない冬の下降は6回の経験があるが、そのうち2回ほど上ノ権現沢に下ってしまったことがある。そのうちの一度は新雪期であった為に上ノ権現沢の氷瀑を懸垂下降し、ラストの私はダブルアックスでクライムダウンさせられた。
積雪が増えてくれば滝は雪に埋まり地獄谷本谷や上ノ権現沢は雪のスロープになって深雪の処理と雪崩に注意すれば短時間で下降できる。
今日のツルネ東稜は幸いにも先行者のトレースがあり時々腰まで埋まることはあっても問題なく下降することができそうだ。ツルネから下り始めると先ほどまでの強風が嘘のように静まり返り穏やかだ。途中の平坦地でどっかりと腰を下ろし自宅に電話。
呼び出し音が鳴って誰かが出た。
「もしもし、お父さんだよ」
「うふふ・・・」
この笑い声は次女の朋子だ。
「誰?トンちゃんでしょう」
「うん」
「もう安全なところまで下山してるよ。雪がものすごく多くて腰まで埋まってる」
「えー(雪があって)、いいなぁ」と朋子はうらやましがる。
「お母さんは?」
「寝てる」
「まだ寝ているのか・・・、モト君は?」
「塾に行った」
「じゃあ、もう安全なところまで下ってきてるからお母さんに言っといてね」
「うん」
電話口に出た朋子はいつもウフフと笑ってばかりだが今日もそうだった。雪のあることをうらやましがっていた。受験が終わったら山へ連れてきてやろう。
標高2100m付近から雪が少なくなり、2時間少々で赤岳沢出合小屋に到着。懐かしい小屋には誰もおらず、白テンが小屋裏の雪の斜面を駆け登っていった。小屋の中に入って、この小屋と私のかかわりを敦子に話す。小屋のノートをめくってみると2004年4月13日の日付で中西さん夫妻のナメ滝ルンゼ滑降後の記述がある。
それにしてもこの小屋を維持してくれている高根山岳会の方々には感謝だ。この小屋で一泊したいところだが今日中に帰宅しなければならない。後ろ髪をひかれるような思いで小屋を後にする。雪の河原を歩き、林道を歩く。林道の途中で小さな手袋が小枝にさしてあるのに気がついた。すこし歩いたところで足元の雪に埋もれたもう片方を敦子が発見した。
拾い上げて見ると「楊」と書いてある。
敦子と二人でこの小さなミトンの持ち主である小さな子供を想像した。
「きっとモト君みたいな可愛い子だね」と敦子が言う。
「そうだね」
小さなミトンを揃えて枝にさして、私たちは雪の林道をまた歩き出した。


主要装備
燃料:ホワイトガソリン2.5リットル
ロープ:8mm×20m1本
その他:スワミベルト


12月30日
   ※四街道発 6:21、千葉発 6:37 あずさ3号 南小谷行き
   ※茅野着 9:49、茅野発 10:19
   ※渋の湯着 11:15
 渋の湯 11:52
 黒百合平 15:22

12月31日
 黒百合平 8:58
 東天狗岳 10:32
 夏沢峠 12:20--12:48
 硫黄岳 14:17
 硫黄岳山荘 14:33

1月1日
 硫黄岳山荘 8:45
 横岳 9:58
 赤岳展望荘 11:20--12:13
 赤岳 12:55
 キレット 14:45

1月2日
 キレット 8:48
 ツルネ 9:29
 赤岳沢出合小屋 11:45--12:21
 美しの森 14:19
 清里 14:59--15:37
 小淵沢 16:00
   ※小淵沢発 18:05 あずさ32号 千葉行き、四街道帰着 21:08