2008年 冬

八ヶ岳

阿弥陀岳南稜

2008/03/15--16

南稜上の無名峰を越えてP1へ向う

高校生の頃、阿弥陀岳南稜にあこがれた。
尾根ではなく稜だという。そう・・・稜には急峻というイメージがある。まだ少年だった私は南稜という言葉の響きにあこがれた。
1973年、高校3年生の秋に砂田栄作と立場川本谷を遡行して、暗峡と名づけられたゴルジュの高巻きでルートを失って、阿弥陀岳南稜の青ナギに出たことがある。10月下旬で天気も悪く、無名峰の直下でビバークした。生まれて初めて経験するビバークだった。翌未明、暗闇の中で霧氷のびっしりとついたP3のガリーを無我夢中で登った。頭髪も凍りついた。
あれから35年。いま、高校一年生の息子素直と二人で雪の阿弥陀岳南稜を計画している私がいる。

3月15日(土)快晴

3時半に四街道の自宅を出発する。この時間帯だと首都高の渋滞はないので原村まで3時間で到着できる。しかも自宅で睡眠をとってからの出発となるので、体への負担も軽い。道の駅小淵沢近くのコンビニで朝食の弁当を買い込んで、舟山十字路へ向かう。舟山十字路には8年程前には気がつかなかった頑丈なゲートが一般車両の進入を阻んでいる。
既に数台の車が止まっている。
弁当を食し、仕度を整え7時12分歩き始めた。
ゲートの先から雪道となり、黙々と歩く。2000年の初夏の頃に当時小学校3年生だった素直とこの周辺で探検ごっこをしたことがあるので、地形については詳しいつもりだった。が・・・地形を知っていることがあだとなった。地形を見ながら歩くとトレースを無視せざるを得ない。そんな関係で南稜のコルへ出るルートを間違えて小一時間ロス。トレースに沿っていくと、なんのことはない立派な道標が設置されていた。
立場山への登りはきつかった。雪のシーズンには汗をかかぬよう衣服を調整して歩いているのだが、立場山の登りは汗をかいた。素直は眠いと行って途中の陽だまりで休憩した時に本当に眠ってしまった。高度計が示す標高を励みにして我慢の登高を続ける。
針葉樹林に囲まれた平坦な立場山を過ぎ、少し下ると青ナギである。先行パーティーが既に幕営している。雪を掘って食卓を作り、ビールなどを飲みながら談笑している。素晴らしい天候だから申し分のない午後の過ごし方だろう。
私たちはもう少し先まで行く。
無名峰の登りもきつい。眠いという素直の足も重そうだ。休み休み、少しずつ登っていく。
3月とあって雪も多く、無名峰の山頂も平坦になっており、スコップでプラットホームを切り出せば快適なテントサイトになりそうだ。30年ほど前の12月に砂田と訪れた時には雪が少なく、無名峰の山頂に無理やりエスパースを張ったのを覚えている。
これからたどる南稜上には立場川側に雪庇が張り出しているのが見える。
P1とP2のコルはこの季節、平坦な雪の広場になっており、既に3張りのテントがあって、外でビールなどを呑んでいるようだ。私たちもここにテントを張ることにしてザックをおろす。ヘルメットをスコップ代わりにして整地しアライのエアライズ3を張る。
テントの中に入ってまずは水作り。森林限界を突き抜けた稜線上なので雪も汚れていない。厚手の大きなビニール袋に雪を入れて圧縮、さらに雪を足して圧縮、これを数回繰り返すとずっしりと重い雪の塊ができる。
この雪の塊を砕いて鍋に入れて解かす。完全に解けたところで、チャコシを重ねた大きなジョウゴを使ってプラクティパスへ移し替える。ほどなく7リットルの水が用意できた。
水作りを手伝っている素直はこっくりこっくりしている。柿ピーナッツを食べながらサントリー角をちびちびやる。素直もポリポリ食べる。
お母さんに電話する。
「いま稜線、テントの中でお酒を呑んでる。快晴、諏訪がよく見える」
やることがないので、早めに夕食だ。とはいってもインスタントラーメンだが少し高級なコープのラーメン。見た目は中華三昧に似ている。乾燥野菜を入れる。安いラーメンはまずいが、少し高いラーメンは旨い。当たり前のことだけれども・・・。
食後、睡眠不足の素直はシュラフにもぐりこみ、すぐに寝入ってしまった。
まだ明るいので外に出て景色を眺める。
日が沈もうとしていた。霞がかかって白いベールのようなもやが諏訪盆地全体をおおっている。明日登ろうとしている阿弥陀岳の方角には黒い岩肌を見せてP3が聳え立ち、雪面は夕日を受けて少し桃色がかって見える。
明日も大きく崩れることはないようだ。テントにもどって寝袋にくるまった。明日のことを考える。ここは既に標高2500mの地点だから阿弥陀岳山頂までは標高差300m。一方下山は舟山十字路まで御小屋尾根を標高差1200m一気に下る。阿弥陀岳の山頂から御小屋尾根の下り口までの200mがポイントかな・・・そんなことを考えながらランタンの灯を消した。

3月16日(日)晴れ

まだ暗い5時に起床する。
水筒を寝袋の中に入れておいたので、すぐに水を使うことができる。
寝起きの悪い素直を起こし、寝袋をたたむ。
素直はなかなか覚醒しない。
湯を沸かし緑茶を飲む。
まず、アルファ米に湯を注ぎ蒸らす。次にジフィーズの牛カルビどんぶりをもどし、フリーズドライの豚汁に湯を注ぐ。アルファ米の蒸らしに20分ほど待っていると明るくなり始めた。となりのテント組は早くも出発していったようだ。
黙々とアルファ米を口の中に押し込み、豚汁で流し込む。食後は水分の補給をおこなう。お茶やミルクティーをがぶがぶ飲む。
「お父さんもう飲めない・・・」
手袋の内側に小さな使い捨てカイロを貼り付ける。テントの中で靴を履き、スパッツまで装着してテント本体の撤収以外のすべての準備を整える。外に出てテントを撤収しザックに詰め込む。そしてアイゼンを装着し、ロープを結び合う。
準備を完了し、7時20分にテントサイトをあとにする。昨日に比べると少し風があるようだ。雲海のかなたには富士山も見える。
7時50分P3のガリーへトラバースする地点へ到着。先行パーティーが登ろうとしているところだった。しばらく岳樺のところで順番を待つ。ラストが登り始めたので私も取り付いた。このガリーは傾斜もゆるくアイゼンの前爪をきかせダガーポジションでグイグイ登ることができる。見ていると登山者の中にはダブルアックスを用意している人がいるが、斜度45度から50度程度のゆるい斜面でダブルアックスは失礼ながらすこぶる滑稽である。
登っているとさらに後続パーティーが続いてきた。30年前の冬に記憶していた中間あたりにある岳樺は枯れてしまったようだ。
他のパーティーと相前後しながら稜線へでる。
ここから阿弥陀岳への最後の登りがきつい。
9時42分山頂に到着。山頂の標識がほぼ埋没しているから、積雪は1m近くあるようだ。居合わせたネット山岳会HALUの三人と話をする。その中に同じ勤務先の人がいて驚く。
行動食を口に入れ、10時前に下降を開始する。
魔利支天を越えて御小屋尾根へ下り始めるまでが危険地帯である。ナイフリッジを慎重にたどり、御小屋尾根へ踏み込む。ここで危険地帯は終了し、ここからは忍耐の下降が続く。
やがてハイマツ帯は岳樺の疎林に代わり、そして針葉樹林に代わる。陽射しと共に雪が腐り始め、時々モモまで落ち込むのが腹立たしい。
もう安全地帯なのでそう急ぐこともない。所々でザックをおろして腰をかけテルモスの湯でロイヤルミルクティーなどを作って飲む。針葉樹林が落葉松の植林地帯に移行するともう舟山十字路はそう遠くない。歩いていると狩猟している人たちを見た。激しい犬の泣き声がして乾いた銃声がひびいた。
そろそろ足がもつれ始めた頃、舟山十字路に帰りついた。13時半だった。



青ナギ



無名峰への最後の登り



P1とP2のコルへ下る



P3ガリーで



P3ガリー



P3ガリー



阿弥陀岳山頂へ踏み出す素直

御小屋尾根中間部の下降