2008年 冬

八ヶ岳

川俣川地獄谷

2007/12/30--2008/01/02

元旦の川俣尾根

この年末年始はどうする?
敦子は試験対策の予備校通いで山にはいけないが、残りの3人は行けるという。昨年の年末年始に敦子と八ヶ岳を縦走したときに雪にもがきながら家に電話をしたら朋子がでて「いいなぁ雪が一杯あって・・・」といったのを思い出す。コンパクトな縦走にでも行ってみるかなと計画していたが、年末を控えて大寒波が来襲すると天気予報では報じられている。
急遽予定を変更してBC形式での計画に変更。場所は八ヶ岳東面の地獄谷。赤岳鉱泉周辺に比べるとぐっと静かな私たち家族だけの山登りができるかもしれない。計画では、まず地獄谷本谷を登って夏は通過できない大滝のゴルジュをアイスクライミングで越えてキレットまで往復して体をなじませ、次に川俣尾根を登って権現岳を往復するというもの。本谷をこの時期に登ろうと言う人はきわめてまれで、川俣尾根にいたっては年間を通じて登山者はきわめて少ないはずである。
朋子も素直も単純に雪遊びができることを楽しみにしている。朋子などは「かまくらを作ろう」とか「雪合戦をしよう」といい、素直は「ソリをするんだ」という。
・・・まあ、いいかということで年末を迎えた。

12月30日(日)雪

早朝、四街道を出たが渋滞がまったくなかったので美し森には8時に到着。
清里では薄日も差していたが、山は灰色の雲に覆われて標高2000mから上部では悪天候のようだ。
出発の準備をしていると雪が降り始めた。降りはどんどん本格的になって子供たちのおつむにも雪が積もり始めた。見る間に駐車場のアスファルトも林道も雪化粧していく。10時になってようやく仕度が整い、家族四人で歩き始めた。
雪を楽しみにしていた朋子だが、どうやら想像していたのとは様子が違うらしいということに気がつき始めたようだ。楽しみにしていた雪だというのに、はしゃぎもせず黙々と雪の林道を歩く。
年末にしては雪の多い今年の地獄谷、トレースを追いながら赤岳沢出合小屋にたどり着いた。小屋の中にはテントが三つ張ってあり、私たちが入る余地はないので小屋の前にテントを張る。設営している間にもどんどん雪が積もっていく。ダンロップのV6に冬用外張りをかぶせて、中にはウレタンマットを二重に敷く。張り終わってから妻と子供たちをテントの中に入れ、水汲みに行く。
地獄谷は赤岳沢出合付近まで行くと冬でも水流が出ている部分があって雪を溶かさないで水を得ることができる。氷点下10度だが小屋から50mほど離れた赤岳沢出合付近には水が噴き出している。大きなタンクに水を入れてテントへ運ぶ。寒さで手が切れるように痛い。入院するような指や足などの凍傷経験があるので、体が寒さに過剰反応するらしく寒冷に弱くなっているのを感じる。
昼食に餅などを焼いて食べ、シュラフにくるまって一眠りする。持ち込んだ寝袋はモンベルのウルトラライトスーパーストレッチ#EXPと#0と#1に20年前のICI石井スポーツのポーラーエクスペディション。もちろん私は一番寒い#1だが、それでも学生時代に使っていたモンクレールに比べれば、ずっと暖かい。
夕方になって夕食の準備を始める。献立はすき焼き。家で使っているすき焼き鍋を持参し、食材も平地で食べるのとまったく同様。豆腐、白菜、ねぎ、生卵、牛肉など重量をまったく考慮に入れずに多量に担ぎ上げてきたのである。山で、しかも冬山でこんな豪勢な食事をするのは初めてだ。全員でおいしく平らげた。
暗くなってから雪の降り方は更に激しくなった。

12月31日(月)雪

一旦、冷え切った足先が温まるまでしばらくは眠れなかったと妻がいう。なるほど湯たんぽでも作ってあげればよかったのかも知れない。
雪の止む気配はまったくなく、際限もなく降り続く。本来は地獄谷本谷をつめてキレットへ行く計画だったが雪崩の危険があり立ち入り禁止状態。かといって冬山初めての家族を旭岳東稜や天狗尾根に連れて行くわけにも行かない。早々に停滞を決める。
小屋が空いたようなのでテントは張りっぱなしにして小屋へ移動。小屋の中のほうが寒い。朋子など寝袋に入ったまま出てこない。夕方になってラジオをつける。外は風が出てきて大荒れの天候だ。
すき焼きの材料がたくさんあるので今夜もすき焼きだが、生卵がカチカチに凍ってしまった。
NHK紅白歌合戦を途中まで聞いて眠る。

1月1日(火)雪

朝になったが、強い風とともに雪が吹きつけている。明日は下山しなければならない。
当初から予定していた川俣尾根を途中まで登ろうと11時に小屋を出る。14時になった時点で引き返すことにして、赤岳沢出合付近でワカンジキを装着し、川俣尾根に取り付いた。登り始めは雪はさほど深くない。時おり突風が雪を巻き上げて視界がなくなるので、冬山気分をチョッピリ味わうことが出来た。少しずつ雪が深くなり始め、膝で雪を崩して圧縮し固めてステップを作るという作業を繰り返しながら登っていく。最初のうちは子供たちを先頭にしてラッセルさせていたが、カンジキがずれたり、足が冷たいとか、「お父さん、ちかれたー」ということで先頭を交代。
樹林の中の倒木を乗り越え、ますます深くなった雪をラッセルしながら登っていくと約束の14時。高度計は2200m。雪を踏み固めて平らにし銀マットを敷いて腰を下ろした。テルモスの湯にほっとする。今まで幾種類かのテルモスを使ってきたが保温力では象印のタフボーイという銘柄の魔法瓶が一番性能が良いように思う。ここまで登ってくると携帯電話が通じる。敦子に電話をする。朋子が「あけおめ」と言っている。最初は「あけおめ?」なんだろうと思ったが、あけましておめでとうを略してそういっているらしい。
下りはあっという間。小一時間で赤岳沢出合まで帰着することができた。
15時過ぎに小屋に到着。誰もいない小屋は静まり返っている。夕食の準備を始めたが小屋の中はだだっ広いぶん、炊事をしても室温があがらずテントよりも寒く感じる。献立は野菜炒め。凍った野菜をざくざく切る。ピーマン、ねぎ、たまねぎ、白菜、キャベツ、ベーコン。ラジオをつけるとNHK地球ラジオを放送していた。普段は日曜日の夕方にやっている番組だが今日は元旦なので特別に放送しているのだろう。日曜日の夕方に放送されるこのNHK地球ラジオという番組は、クライミングで皮がむけチョークで白くなった手でハンドルを握りながらよく聴いた。夕焼けを見ながら聴いたこともあるし、夜道で聴いたこともある。
私は小さなラジオを耳元にあて、今夜もNHK地球ラジオを聴いた。

1月2日(水)晴れ

夜中に風が出て、今日も大荒れかと思ったが、外へ出てみると満天の星空。ようやく冬型の気圧配置が弱まったようだ。
明るくなってからみんなに声をかけるが、寒いので起きようとしない。
朝食は餅を焼く。チーズをはさんだ磯部巻。醤油は大分中津の二反田のもろみ醤油。
赤岳沢出合小屋は地元の高根山岳会が維持管理している避難小屋で、高根山岳会の方々には感謝。また使用する登山者のマナーも良いのでいつでも掃除されている。私たちも時間をかけて掃除をし、わずかに残された他の登山者のゴミもまとめてザックに詰め込む。
11時30分、下山開始。
雪の河原から林道へと下っていくと雪面には血の跡が点々とある。ケモノが怪我をして歩いたようだ。
大量の食料を持ち込んで、ほとんど食べてしまったのでザックが非常に軽くなった。足取りも軽く2時間ほどで美し森駐車場の車に帰着。


テントの中は結構暖かい



ひたすら雪が降り続く



川俣尾根



「おとうさん!今日はアケオメだね」
「ん?」



川俣尾根



小屋のノートを読む
「あっ去年のあっちゃんのもあるよ」



ルンペンストーブに火を入れようとする素直



下山の日になってようやく晴れました



新雪を踏んで下山を開始する


すぐに温泉行こうね