2008年 秋

八ヶ岳

権現岳・編笠山

2008/11/8--9

狼煙場・青年小屋間で編笠山のしらびその森をバックに



稜線から見る阿弥陀岳、硫黄岳、横岳、赤岳

写真を愛好する勤務先の若人である田部井さんと山に行こうということになった。
どこへ行きたい?と尋ねると賀来さんにお任せしますという。
いろいろなプランを考えたが、田部井さんは名古屋支店勤務、一方で私は千葉から行く。列車の接続も考慮に入れなければならない。
そして選んだのが小渕沢から登る編笠山。11月4日に青年小屋に電話を入れると「今日が小屋閉め」とのこと。青年小屋は冬期小屋を持っている。冬期小屋は暗くて寒いけれど、若い人と一緒ならそんなところでも楽しいものだ。
冬期小屋に泊まることにして、冬山を想定して準備を進めた。

11月8日(土)曇り一時小雪

四街道5時20分の始発電車に乗る。
出かけに見た天気図では、秋の高気圧が南岸の前線を押し下げ日本列島をゆるやかに覆い始めるように思えたが、残念ながら灰色の空が広がっている。
晩秋の曇り空の下を「スーパーあずさ1号」は紅葉の山を背景にして疾走する。
9時少し前に高曇りの薄ら寒い小淵沢駅のホームに降り立った。ひんやりとした冷気が肺の中に沁みこんでいく。
ホームの端にザックを背負った若者が立っている。田部井さんである。普段、ネクタイ姿を見慣れているせいか新鮮に感じる。いつもは一眼レフに交換レンズをたくさん担いで山に登っているけれど、今日持ってきたのはIXYデジタルだけらしい。
小淵沢駅の周辺にはコンビニがないので、タクシーにコンビニへ立ち寄ってもらう約束をして乗り込む。黄金色に黄葉した落葉松林の中をタクシーはグングン登っていく。
観音平には9時半に到着した。数台の車がとまっているものの人の姿は見えない。
標高1560mのこの地点ではすでに黄葉は終わっており、鉛色の空の下で、木々の装いはすでに初冬の表情である。
梢を渡る北風がゴーゴーと鳴っている。冬近い山へ来たことをずっしりと感じる瞬間である。
乾いた落ち葉と霜柱を踏みしめながらゆっくりと歩いていると雪が風に乗って流れてきた。
落葉松林をぬけ、シラビソの森に入る。苔のじゅうたんがひろがる静かな森の中の道をゆっくりと山の話などをしながら歩いていく。
途中から編笠山を右に迂回するように青年小屋へ向かった。
青年小屋の冬期小屋はきわめて粗末なものだった。テントのほうがよっぽど快適だが、し方がない。窓がないので入り口の戸を開けっ放しにしておかなければ、真っ暗で何もできない。持参の寒暖計をみると零度。底冷えのするような寒気を感じる。一段落して水汲みに行く。冷え込んできるので水場が涸れているのではないかと案じたが、細いながらも水は流れていた。
まだ14時過ぎだが、寒いので寝袋に入る。二人とも寝入ってしまい、再び起きたのは17時。ランタンに灯を入れ夕飯の仕度をする。
米を水に浸し、酒を呑みながら準備をする。飯が炊きあがったところで玉ねぎとシャウエッセンソーセージを煮込み、ハウス・ザ・カリーを加える。
翌日の朝食と昼食の準備を終えてからカレーを食べた。食後はカワハギを焼きながら酒を呑む。山登りという遊びは自らの感受性と想像力を楽しむ遊びでもある。だからこそ山登りに附随するように山岳文学や山岳写真などの芸術作品が存在するのだろう。そんなことを思いながら消灯したのは19時半。
真っ暗闇の中にトタン屋根を鳴らす風の気配に耳を澄ます。明日の天候を思いながら深い眠りに落ちていった。

11月9日(日)曇り

いつもの習慣で四時前に目が覚め、外に出てみると星は見えない。今日も曇天のようだ。再び寝袋にもぐり明るくなるまで、うとうとした。
7時になって起き上がり、昨夜用意しておいたおじやとラーメンを食べる。湯もたくさん沸かし水分補給に飲む。
天気はしばらく持ちそうなので、権現岳を往復することになった。
8時過ぎに、外へ出る。
青年小屋から見ると権現岳と権現小屋は案外近くに見えるが、手前には狼煙場(ノロシバ)が立ちはだかるように大きい。樹林帯を突っ切って森林限界を超え、鎖の設置された岩場を登っていく。ギボシをトラバースして固く閉ざされた権現小屋を横目で見る。
権現岳の山頂へ立った。冷たい風が強く吹きつけていたが、鉛色の空の下には大展望が広がっていた。
谷を挟んで大きなピラミッドが二つ聳えている。左のピラミッドは阿弥陀岳である。広河原沢奥壁と南稜が一体となって岩の固まりのようだ。一方右のひときわ大きいピラミッドは赤岳である。赤岳と私の間にあるキレットは大きく落ち込んでいる。そのせいで赤岳とキレット最低鞍部との標高差が大きくとれているのでまるで独立峰のように見える。
その横顔は端整で美しい。
眼下には地獄谷の権現沢右俣が蛇行しているのが見える。学生時代に大木さん、砂田の三人で冬の三ツ滝ルンゼを登ってこの山頂までやってきたことがある。真下のはずだが、と覗き込んだが山頂直下はあまりにも急斜面のために見下ろすことはできない。
背後には南アルプスの鳳凰三山、北岳、甲斐駒ケ岳、仙丈岳。そして中央アルプスがあって御岳、乗鞍、槍穂高、爺、鹿島槍、白馬三山へと山並みが続いている。
夢中でシャッターを押し続けた。
青年小屋へ戻ると冬期小屋の中で単独行者が休んでいた。少し話をした。群馬の人だった。15分ほどして単独行者は権現岳へと出発していった。後片付けをしようとするとガスバーナーの忘れ物。田部井さんが後を追ったが、俊足の単独行者の姿はもう見えなかったという。観音平の駐車場に泊まっている群馬ナンバーの車のボンネットへ置いておくことにして、私たちも出発した。
来る時には迂回した編笠山の頂を経由しようと斜面を登る。編笠山と南アルプスの間にはさえぎるものがない。八ヶ岳の裾野がなだらかに続き、釜無川を挟んで甲斐駒や鳳凰三山が屏風のように展開している。
小淵沢から富士見高原、原村にかけては落葉松の植林地帯が広がっており、これらが黄葉の盛りを迎えている。
北原白秋の「落葉松」の詩を思いながら、あの落葉松林の中を歩いたらどれだけ素敵なことだろうか。
観音平もそろそろ近いというところで、ガスバーナーの持ち主である単独行者がおいついてきた。青年小屋から権現岳まで45分だったというから驚くほどの健脚である。田部井さんがガスバーナーを渡す。
単独行者はまた走るようにして下っていった。
そして観音平に私たちが到着したのは13時45分。タクシーを呼ぼうとしたら先に下山していた単独行者が「送りましょうか?」と声をかけてくれた。好意に甘え、温泉「延命の湯」がある「道の駅こぶちざわ」まで送ってもらう。
「延命の湯」で一風呂浴び、小淵沢駅で田部井さんと別れた。
彼は名古屋へ向かうためにひとまず塩尻方面へ、私は16時5分発の「あずさ24号」に乗車。
荻窪駅での人身事故の影響もあって四街道の自宅へ帰りついたのは20時半だった。



冬期小屋



夕食



阿弥陀岳・広河原沢奥壁


穂高から槍への稜線


狼煙場の鎖場



権現小屋



編笠山への登りで青年小屋を振り返る



編笠山から見る南アルプス


11月8日 11月9日
観音平 9:30 青年小屋 8:15
青年小屋 13:00 権現岳 9:30
青年小屋 10:15--11:00
編笠山 11:30
観音平 13:45