2010年 秋

前日光

夕日岳

2010/12/4-5

夕日岳山頂の展望 男体、真名子、女峰


今週末は鹿沼の山奥で行われるの山仲間の忘年会へ参加することになった。谷川さんたちは古賀志でクライミングをしてから夕方に現地へ入るという。
私たち夫婦は夕日岳へのハイキングを計画した。
朝日岳と言うのは全国にあまたあるけれど、夕日岳というのはめずらしい。国土地理院の地形図では札幌定山渓にもうひとつの夕日岳があるだけだ。
たどる経路は古峰神社からの往復。この一帯は日光修験道として1000年以上の歴史を持ち、日光開山の勝道上人ゆかりの地でもある。

12月4日(土) 快晴

昨日は出勤時間帯に豪雨。それはすさまじいもので雷雨のような降り方だった。しかも気温が高い。異様に発達した低気圧が日本海を北上し、南風が吹き込んだからである。低気圧はいずれ強い冬型の気圧配置を構成することになるだろうから、太平洋側の山々は北風の中に快晴の週末をむかえることが推測されていた。
朝暗いうちに四街道の自宅を出て、8時頃に古峰神社の駐車場に車を止めた。
車外へ出てみると轟音がしている。最初はジェット機が低い高度で通過しているのかと思ったが、強い北風に尾根の高いところの木々が鳴っているのだった。
冬用の手袋をしていても指先がしびれるほどに冷え込んでいる。しっかりと防寒対策を施して歩き始めた。
しばらく車道を歩き、右折して林道へ入る。林道では橋の架け替え工事が行われている。工事のおじさんたちに挨拶をして橋を渡る。
ここから杉の植林地帯を縫うようにして伸びている長い林道歩きが始まった。おなかが減ってきたので、途中で雑木林の中へ踏み入り、沢のほとりで腰を下ろす。杉の植林地帯は薄暗いが、雑木林は葉が落ちきって冬木立となり暖かい陽が差し込んでいる。南斜面のここには北風も吹き込まず、陽だまりのような居心地の良い場所だ。沢の水を汲んで湯を沸かす。再び林道へ戻りゆっくりと登っていく。やがて林道は終点となり、その先へと小道は続いている。沢を右に見ながら薄暗い植林地帯を登っていく。昨日の朝の大雨で山はたっぷりと水をすっているのか、ところどころで水が流れている。地蔵岳への道しるべを確認しながら更に登る。やがて壊れた堰堤で沢を渡りひと登りするとハガタテ平という平坦地で稜線に出た。
冬木立のむこうに男体山が見えている。
正面の木に御札が打ち付けられている。今でも修験の道として歩かれているのだろう。やがて修験道はカラマツ植林地帯を登るようになり地蔵岳に達した。地蔵岳の山頂は冬木立となったカラマツや雑木が茂る明るく穏やかな山頂で石の祠がある。
ここから高低差の少ない稜線を北上する。背の低い笹原が芝生のように広がって道は続く。
まもなく夕日岳への分岐点となる三ツ目へ到着。
強い北風が吹きすさび、体がよろけるほどだ。耳がちぎれるように痛い。高機能タオルをマフラー代わりに頬かむりする。
道には強風に折れた枝が散乱している。
夕日岳の山頂も地蔵岳のそれと同じように雑木林の頂だった。北斜面は樹林が切れており、真正面に男体山がそびえている。右には大真名子山と女峰山。左の前白根から錫ヶ岳の稜線は雪で真っ白だ。奥には日光白根があるはずだが雪雲に覆われて見えない。
北風がビュービューを吹きつけ凍えそうな寒さだ。
山頂の南斜面に露岩があって、風下となるその場所は陽だまりとなっており絶好の休憩場所を提供している。
さっそくウレタンマットを敷いて腰を下ろす。山崎のコッペパン「つぶあん&マーガリン」を妻と分け合って食べる。なんという美味しさ!
ここは嘘のように風がない。ポカポカ暖かく居眠りをしたくなるような陽気だ。しかし時計を見るともうすぐ13時。
谷川さんたちが待っている。ウレタンマットをたたんでザックにしまいこみ立ち上がった。
岩かげから再び山頂へ戻ると相変わらず強い北風。それでも下山はやはり楽。休憩することなく古峰神社まで一気に下降。
15時前に車に帰り着くことができた。
忘年会会場へ行ってみると、土橋さんが薪拾いの真っ最中。奥ではすでに谷川さんたちが焚き火をしながら調理を始めていた。
山登り、その中でもクライミングと言うものは人を滅ぼすような魔力を持っている。40年間山登りを続け、それなりにクライミングをしてきた私の実感だ。職を捨て、家族を捨ててのめり込む。
学級参観、あるいは小学校の運動会の当日の早朝。ぐっすりと寝入っている妻や子をあとにして、静かに玄関の戸をあけて岩場へ向かう。クライミングが家庭よりも優先する。会社を辞めた人もいる。そして事故を起こし体の機能の一部を失ったり、命を落としたりする。
だから私は私の友人たちを極道仲間と呼んでいる。
私の掲示板のサブタイトルに「いつもご家族の方々や職場の方々、そしてご近所の皆様に本当にご迷惑をおかけ致しております」とあるのはそのような意味をこめているつもりでもある。
日の暮れる頃には続々と極道仲間が集結。茨城、千葉、栃木、そして宮城。
宮崎さんが「飯田さんにも声をかけたんだけどなぁ」と朴訥な語り口で言っていた。そういえば昔は島田さん・木内さん等山岳同人「一同心」のメンバーと古賀志で乞食のような宴会をしたものだ。

くしくも今日は木内さんの命日。星のまたたくそれは美しい夜だった。

12月5日(日) 快晴

明るくなってから起床し、朝食をいただいてから後片付け。すべてが完了してから家路に着く。
上田さんの案内で帰りがけに地元住民の家に寄った。そこのおばちゃんが「上田さんいつくるのかな」と待っていたのが良く理解されるような受け答えが二人の間で行われ、刺身用の冷凍鹿肉をいただく。これ本当です。つまり谷川さんたちがそれほどまでに地元住民たちと良い関係を築いているという査証でもある。古賀志で幾度か持ち上がった登攀禁止処置をなんとか回避できているのも谷川さんによる地主への対応によるものだ。
谷川さんにはお世話になりっぱなしで柚子、柚子胡椒、湯のみ、サトイモ、ネギ、大根、白菜、ニンジン、岩魚の焼き枯らしのお土産までもらう。まるで大分へ帰省した時に伯父や伯母がしてくれるような事態で恐縮。シメは手作りチーズ工房。美味しいコーヒーと濃厚なチーズを賞味し家路に着いた。
早い時間帯だったため、高速道路に渋滞は一切なく四街道には13:00に帰着できた。


古峰神社 08:34
840m地点(朝食) 09:06-40
ハガタテ平 11:00-14
地蔵岳 11:50-12:02
三ツ目 12:14
夕日岳 12:32-51
三ツ目 13:06
地蔵岳 13:19
ハガタテ平 1337
古峰神社 14:55





周辺の記録
2006 晩秋 奥日光 湯元から刈込湖、切込湖、光徳へ 11/11 家族と
2006 奥日光 白根山 3/25--26 家族と
2005 奥日光 中禅寺湖ハイキング 10/29 家族と
2005 日光 稲荷川 雲龍瀑 2/6 家族と
2004 日光 奥白根山 3/27--3/28 一人
2003 栃木 古賀志 忘年会 12/7 仲間と
2003 初秋 岩場めぐり 日光外山の岩場&古賀志 9/14--15 若人と
2002 日光 女峰山 10/12 家族と
2002 日光 外山の岩場と男体山 10/5--6 家族と