2004年陽春

フリーベンチャー事始め

日光 白根山

2004/3/27-28

2月にフリーベンチャー(旧商品名:フリートレック)を購入。このミニスキーは、そもそも土橋さんと斎藤さんお勧めの代物で、見た目には流行のファンスキーのように見える。普通のファンスキーとの相違点は歩くときには山スキーのようにビンディングのかかとを開放するすることができ、滑降するときにはビンディングを固定する。しかも専用のシールとクトー(スキー用アイゼン)、さらにやわらかい靴の足首部分を固定するためのアタッチメントまでも用意されている。
こいつを使って残雪の谷を滑って雪稜を登り、さらに谷をすべるなどという夢のようなことを想像するだけでもとても楽しい。
26日の金曜日に職場から帰宅してテレビを見ていると土日の快晴を予報している。春山の絶好のチャンスである。行かずばなるまい。

3月27日 快晴

朝起きたのは5時だったが、昨夜の帰宅が遅く何の準備もしていないので道具をそろえて食料を荷台に積み出発したのは8時。途中で食糧の調達などをしながらクライマーのけもの道と称される間道をくねくねとハンドルを切り、自治医大を過ぎると広い水田の彼方に日光男体山から足尾山塊が陽をあびて残雪が輝くように聳え立っている。
いろは坂から中禅寺湖の湖岸の道を湖面にきらめく陽の光をあびながら竜頭の滝から戦場ガ原を突っ切って湯ノ湖の湖畔をハンドルを切ると残雪の山々を背景に湖が真っ青な空の下に明るく佇んでおり、まるで北海道の5月のようである。
こんな風景を見ることができるだけで、来てよかったなとつくづく思う。すでに時計は13時をさしており、乾いて暖かくなった駐車場のアスファルトに装備をひろげ、のんびりザックにつめていく。
スキー場のリフトに乗って楽をさせてもらう。好都合なことに新装なった第四リフトが運行していたのでスキー場のてっぺんまで上がることが出来た。
春の陽をあびながらスキーを足につけ急斜面を登り始める。予想はしていたが難しいものだ。雪に足をとられてこけつつも半分意地になって登りつづける。だいぶ頑張ってへとへとになりザックを雪の斜面に投げ出して下を見下ろす。すぐ下にリフト終点の小屋が見える。まだ50mも登っていないようだ。やっぱり練習もしないでいきなりやってもダメらしい。スキーをあきらめてツボ足で登る。
稜線に出てから再びフリーベンチャーによる歩行を試みる。稜線にでると傾斜が緩いのでスリーベンチャーの歩行もそれなりにさまになる。つぼ足では腰まで潜るような雪面を足をスライドさせながらスイスイ登ることが出来る。ワカンジキと違ってスライドできるのでとても楽だ。ところが斜面が急になってくるとシールをつけていても後ろへスリップしてしまう。こういう時にはキックターンをしながらジグザグに登るのだろうけれども、ビンディングのかかとを開放した状態でのキックターンが上手く行かない。キックターンの最中にコケて深雪に埋まってしまう。雪まみれになりながら立ち上がり、そして転び、また立ち上がる。何度もコレを繰り返す。これも修行だと思って歯を食いしばって登っていく。
前白根周辺は地肌が露出していたのでスキーを脱ぐ。前白根山から直角に左折したなだらかな稜線を歩き途中から右手の斜面をトラバース気味に下降していく。ほどなく小屋が見えてきた。雪山を歩いていて谷間の小屋にたどり着くと、雪山賛歌の歌詞にあるような小屋をだぶらせて思う。雪をかぶった山小屋の屋根が見えた時に今回もそう思った。
今日の泊まり場である五色沼避難小屋は、以前来た時には二階から出入したのだが、今回は一階の入り口が利用できる状態で今年は雪が少ないようだ。先客は男二人、女二人のパーティーで、中に入ってザックをおろすと味噌汁をふるまってくれた。
小屋の中は薄く暗くて顔は良くわからないが、話し声を聞いているとその内容は若い人特有の話題で微笑ましく心なごんでしまう。
銀マットを敷いてシュラフを出して烏賊げそを肴にしてウィスキーをチビチビやっていると、一人の登山者が到着。宇都宮の人だという。私が寒い寒いと言いながら酒を飲んでいたら、使い捨てカイロをくださった。腹部に貼って就寝する。

3月28日 快晴

夜が明けてから、小屋を出発する。今日は斜面が急なのでフリーベンチャーは小屋に置いて行く。
岳樺の疎林をゆっくり登る。途中で森林限界を超え若い四人パーティーは私を追い抜いてどんどん登っていく。アイゼンに装着したハンドメイドの雪よけプラスチックプレートもすこぶる快調で得した気分で満足感に浸りながらジグザグ登高していく。斜面を見るとスキーのシュプールが綺麗な弧を描きながら上から下へと繋がっている。相当上手い人なのだろう。うらやましいけど私にはとても無理だなぁ。
山頂の一角に出たが風もさほど強くない。だだっ広い山頂を最高地点まで歩いて行く。
山頂で四人組に追いつきカメラのシャッターを押してもらう。
下降はところどころシリセードなどをしながらぐんぐん高度を下げることができて楽チンである。五色沼避難小屋へ戻って荷物をザックに詰め込む。
前白根からフリーベンチャーをはく。緩やかな雪面を少し滑って転倒。苦労して起き上がりすぐに転倒。はぁ・・・イヤになってくるが何事も修行だと自分に言い聞かせる。それでも途中で少し傾斜の強い所があって、スキーのままだと谷へ落ちてしまいそうだったので脱ぐ。
稜線から湯元スキー場への樹林の急斜面はスキーを担ぐ。湯元スキー場のゲレンデについたら整地された雪面をスキーで滑ることが出来るだろうと楽しみにしながらアイゼンをつけてガシガシ下る。
第四リフトの終点にたどり着きスキーをセットしようかと思ったが、斜面を見てここを滑るのはとても無理であることを悟った。途中までゲレンデの端っこを歩いて下り傾斜が緩やかになってからスキーを履く。
で、結果は・・・メタメタのボロボロ。登山靴では足くびがぐらぐらでエッジを効かせることもできず、横滑りすらままならない。それを無理をしてエッジを効かせるべく足で踏ん張りカタツムリのようにのろのろと下る。スキーヤーがビュンビュン私の脇を疾走していく。第四リフトの終点からなんと一時間半もかかって、しかもへとへとになってスキー場の下までたどりつくことが出来た。


実のところ私は20代のころ札幌転勤生活で5シーズンの冬を過ごし、それなりにスキーは出来るのですが、今回は完敗でした。
完敗したときには道具のせいにするのが一番です。そこで道具に起因することを考えてみますとフリーベンチャーというよりも足くびの固定が全く出来ない登山靴が原因のように思います。使用した靴は13年前にシャモニで購入したアゾロで、すでに加水分解でベロなどが割れて喪失してしまっている代物でした。硬いプラブーツや兼用靴であればまた違った印象だったかな?と思っております。
兼用靴を買おうかなぁ、でもやっぱりメタメタだったりして。