2002年秋

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紅葉の日光

日光 外山の岩場&男体山
2002/10/05--06

紅葉の便りが、さまざまなメディアから目や耳に入ってきます。
いつものことですが、金曜の夜に山へ行きたくなりました。しかも明日は晴れだと天気予報が告げています。
山へ行きたくなるのは毎週のことですが、子供たちを誘うと、部活・塾・ピアノのお稽古・学校の行事・試験前などで、おおかたボツになっています。
今夜もそうでした。
「あした、山へ行かない?」
そんな時に、子供の返事をさえぎるように女房がいいます。もっとも、さえぎらないと子供たちは、全てを忘れて「行く〜!」と手をあげてしまうからです。
「モト君はピアノ、トンちゃんは部活と塾」
「ふう〜ん。じゃぁアッちゃんは、大丈夫なんだ。アッちゃん、山行く?」
「ウフフ、行くよ〜ん。で、どこ行くのお父さん」
「日光かな?」
「ウレシー!じゃあ、おばあちゃんも誘おうよ」
「なんちな、日光ちな。連れちっちょくれぇ」
これで決まり。明日は日光です。で、単純に日光ではつまらない。ウシシ・・・外山の岩場に行っちゃろう。

10月5日 晴れ

突如のことで、仕度に手間取り7時出発。
いつもの通り、一般道で日光に向かうのですが、古賀志はその経路途中に存在します。その古賀志に立ち寄らないで、通過してしまっては後々上田さんたちに叱られるに違いありません。
「ちょっと30分待ってね」
岩場の下まで行ってみました。
今日は11時から先月カラコルムで逝ったSさんを偲ぶ会が宇都宮で執り行われるので、地元の知り合いは、みんなそのセレモニーへ参加しており、誰もいないだろうと思っていましたがやはり誰もいませんでした。
なるほど・・・ハング周辺にチョークがついており、あきれながら見上げました。それにしても恐ろしげなルートばかり。
岩場は見るだけにして車を日光へと向かわせました。
さて、外山の岩場です。最近訪れる人もまばらとのことで、自分の拓いたルートである「脱腸」5.11bがどこだかわからず、右往左往してしまいました。
あぁここか。ずいぶんハングしているじゃぁないの。本当にだいじょうぶなのかな。
さっそくトップロープをセットして懸垂下降しながら清掃作業。終了点のカラビナは10年前に私がセットしたものがそのまま残っています。訪れるクライマーのマナーがいいという見方もありますが、再登者が少ないという見方もあります。
さて、敦子とそれぞれトップロープで3回づつトライ。
敦子いわく「お父さん!これってムズイよ〜」
そうでしょう。ムズイんです。ハングを越えるボルダーチックな四手。ウロコをつかむような悪いフィンガーチップから大胆なデッドポイントで左手のガバをつかんで終わりではなく、マントルを返してからさらに続く垂壁も決して侮れません。
日本の100岩場でも推奨ルートになっており、エロイカを別にすれば日光外山のNo1ルートなんですから、そうですよね上田さん。えっ、そんなことないですって?さいですか。
で、開拓者自らがどうだったのかということですが「いやぁ10年前の俺ってすごかったんだなぁ」と感心してしまいました。当時から11.bは辛すぎるという声もあり、「お買い損ルート」の呼び声も高かったんですが、それにしてもハード。トップロープでムーブをつなげるのが精一杯。これ以上やったら、指を故障しちまうよ。
長女と「ムズイ〜、ムズイ〜」と言い合いながら二時間ほど遊びました。下では母が謡曲の練習をしているようで、その声が岩場まで聞こえてきます。
これくらいにしておきましょう。
さて、次の目的地は温泉です。「やしおの湯」に到着しました。一風呂浴びてさっぱりし、さらに奥日光へと車を走らせました。
フォレスターT/Tb、240馬力、ひぇ〜速えぇ。いろは坂の急坂をグイグイ加速しながらぶっ飛ばしました。
薄暗いうちに志津小屋へ到着。一階は他の登山客で満席状態でしたが、二階には誰も居らず母と長女と三人でくつろぐことができました。

10月6日 晴れ

今日は男体山への登山の日です。いつもの通り4時頃から目が覚めていたんですが、母も長女もぐっすりです。完全に明るくなってたまらず二人を起こしました。
母には3時間で戻ってくるからと言って、長女と男体山へ向かいました。志津小屋の周辺はカラマツの紅葉には数日はやいという状態ですが、見上げる周辺の山々は紅葉真っ盛り。
7:00、朝日を浴びながら長女と登り始めました。
長女は一昨日から喉が痛いとのことで、風邪気味のようで無理はできません。ペースを守りつつ慎重に登って行きました。登るにつれ、広葉樹林は紅葉の時期を向かえ、登山道にも落ち葉が敷き詰められています。その落ち葉についた露に朝日が射し込み、きらきら光って美しい。
それにしても足の軽いこと。額にうっすら汗がにじむ頃、男体山の山頂へ到着しました。時計を見ると8時35分。志津小屋から1時間35分の登高でした。
山頂には小屋があり、営業しているのかなと期待しましたが寂れています。
天気もよく、白根や太郎山、大真名子などの山腹には針葉樹と紅葉の始まった広葉樹がコントラストを描き見事です。標高1800m以下では紅葉はこれからといったところでしょうか。戦場ヶ原から湯の湖周辺では一週間後が見ごろになるのでしょうか。
小屋の前の陽だまりで長女とお菓子等を食べながらしばらく休みました。
さて8時55分、下山開始です。
行き交う登山者とすぐに仲良しになってしまう私。
「お父さん、どうしてそんなに気軽に話ができるの?」と敦子がたずねます。
「ご苦労様とか、疲れましたねとか先に声をかけるんだよ。自分がどんなに楽でも”そうですか別にたいしたことないです”って言ったら、仲良くなれないよ」と答えておきました。
針葉樹の中にところどころ赤や黄の紅葉が点在するというあんばいが最も美しいと思うのですが、ちょうどそのような景色が広がっています。
10時ちょうどに志津小屋へ帰りつきました。
のんびり仕度をして、車へ戻って林道を下っていきました。標高1800m以下は紅葉はこれからといった感じですが、木によっては紅葉を始めており、絡まるツタのなかには真っ赤に色づいたものもあり印象的な林道です。車の速度を落としてゆっくり周辺の景色を堪能していきました。
湯の湖方面へハンドルを切り、金精峠へ向かいました。金精峠は標高1840m。紅葉の最盛期を迎えています。沿道ではアマチュア写真家が大型三脚を据えてあちらこちらでレンズを紅葉の山肌に向けています。
菅沼まで車を走らせ、お楽しみのヤマメの塩焼きを三人で食べました。
オイシイ!
母も敦子も満足そう。
帰りの車の中では三人で大笑いしながら家路を急ぎました。敦子の好きなポルノグラフィティを聞きながら・・・。

参加者:賀来妙子・賀来敦子・賀来素明