2010年 夏

奥秩父

笛吹川 東沢 釜ノ沢西俣

2010/09/04-05

両門の滝の釜にて涼をとる
撮影:田部井裕介

今年の夏は113年ぶりの猛暑と報じられ、毎日熱帯夜が続いている。9月になっても一向に治まる気配はない。
勤務先で汗だくになって仕事をしていると、二週間前のあのさわやかなナルミズ沢が思い出される。清らかな渓流の水を飲み、米をとぎ、ビールを冷やし、水浴びをする。
今すぐにでもあの清らかな水をヘルメットに汲み上げ、ユデダコのようになった頭からかぶりたいくらいだ。
そんな思いは田部井君も同じだったようで、昼休みに同僚たちにナルミズ沢の写真を見せていた。
ナルミズ沢で楽しみにしていた焚き火。残念ながら薪となる流木は多くの遡行者に採りつくされ一本もなかった。
次は流木のたくさんある、焚き火のできる沢へ行こう。

9月21日(土曜日)晴れ

5時に八千代台駅近くの集合場所を出発。稲城から相模湖周辺にかけての渋滞を回避しうるぎりぎりのタイミングで八王子料金所を通過。
7時10分、雁坂トンネル橋脚下の駐車場到着。駐車場では出発準備をしているパーティーがいくつもある。中には昨夜のうちに入ったのかテントを片付けているグループもいるが、それらのほとんどがヘルメットを持っているのが見える。これらの登山者の全員が人気ルート釜ノ沢へ入ることはほぼ間違いない。私たちも手早く荷造りを終え歩き出す。
快晴。
広瀬二俣のつり橋を渡り、しばらく行ったところで河原に降り立つ。いつもの場所である鶏冠谷の手前で沢装備を整える。視界の範囲内だけでも2パーティーが前方に見える。5分ほど河原を歩いたところで左岸の旧登山道へ入る。深い森の中を滝を重ね険しいゴルジュとなって蛇行する東沢を眼下に見ながら先を急ぐ。先行する2パーティーはいずれも女性だけで編成されたもので、それぞれ二人組みと三人組。とくに三人組はなかなかの健脚で山ノ神でようやく追いついた。ザックのまとめ方などいでたちを見るとかなり山なれた様子だ。
山ノ神からは炎天下の単調な河原歩きが始まる。
多量のビール、日本酒、ウィスキーで膨らんだザックが肩に食い込む。汗びっしょりになって、具合良く日陰になっている乙女の滝下で休む。滝の水をコップで飲む。冷たくてうまい。その昔、ここに山小屋があり、山中にはトロッコ軌道跡すら残っていることを告げると田部井君は驚いている。さらに彼が感嘆したのが東のナメ。ザックをおろし、ナメの上部が良く見えるところまでスラブを少し登ってみる。この東のナメの上にはいったい何があるのだろう?行ってみたいな、などとしばらく見とれる。
釜ノ沢出合でも日陰を求めて大休止。「釜ノ沢」と記された白いプレートが木にくくりつけられ、そのプレートの脇から清浄な清水が大量に湧き出ている。
釜ノ沢へ入り、魚止めの滝の左のスラブに取付く。強烈な日差しで熱せられた岩は火傷をするほどの高温で5秒と触っていることができない。魚止めの滝から千畳のナメ最後の滝まで10分。釜ノ沢の見せ場はとても短い。気温は高く、重いザックは肩に食い込み、熱が体にこもっているようでたまらない。両門の滝の5分ほど手前で、どうにも我慢がならずザブンと体ごと水に浸かってユデダコ状態の体を冷やす。両門の滝の釜でも同じように肩まで水に浸かる。
両門の滝は西俣と東俣の合流点である。右が東俣で、通常東沢の遡行というとこの東俣を指す。往時は甲武信岳への唯一の登路とされ昔の登山地図には登山道の破線が記されていたくらいのメジャーな存在だった。
一方の西俣は10年ほど前の白山書房「東京周辺の沢」改訂版に紹介され、広く一般に知られるようになったのはそれがきっかけではなかったろうか。この「東京周辺の沢」では西俣を「遡行の楽しさは東俣を凌ぐ」と評価している。ただ両門の滝で左から合流してくる西俣の滝は東俣のそれに比べてはるかに急峻で取付きにくそうな印象を遡行者に与える。
さっそく左側から高巻く。浅いザレた窪付近の斜面を適当に登り、落ち口へと向かう右上する幅広いバンドをトラバースしていく。バンドの終点から2mの岩の段を這い上がると落ち口へと続く斜面となる。この岩の段で落ちるととんでもないことになるのでホールドの一つ一つを確認しながら慎重に登ることが必須。
実際、強引に登ろうとした田部井君はつかんだ岩が崩落しあわやという場面があった。ビレイしていたとはいえ肝を冷やした。ワイルドな山中では、流れるような速さで登ることよりも、一つ一つのホールドを確かめることを最優先させて登るようでないと長生きはできない。田部井君も勉強になったと思う。
両門の滝の高巻きを終え落ち口に立ってみると、細い流水溝を水が曲がりくねって落下している。落下する流水の向こうには東俣側の両門の滝が見える。一方上流側は大きな滝もなく傾斜のゆるいナメ滝が続き穏やかな渓相である。水に微量の鉄分が含まれているのか岩盤が黄土色に染まっており一種独特の景観である。登るのが楽しくなるような小滝をいくつか越えて行くといつしかナメ滝帯は終わりを告げ、倒木の多いゴーロが始まる。東俣にも広河原という似たようなゴーロ帯があるけれど右手の苔むした針葉樹林帯の中に歩きやすい小道があって、なかなかロマンチックだ。西俣には残念ながらそんな小道はなく、辛抱強くゴーロを歩いていく。
標高1600mあたりまで来ると針葉樹林帯がゴーロの中に侵出し始め、素晴らしいビバークサイトが点在。この近辺でビバークすると本当は良いのだが、まだ日も高く、できればなるべく高いところまで登っておきたい。我慢して先へ進んだが、一変してよいサイトは見当たらなくなり少々不安になる。1760mの二俣に到着。ようやく二俣の30m手前の右岸に小さなサイトを見つけ、ザックを下ろす。
緑の苔が一面に敷き詰められふかふかの絨毯のようだ。まるで敷布団の上にでもいるような感触。さっそくタープを張って、ビールを冷やして、一夜の宿の完成。すると後続パーティーがやってきた。8人の大部隊。40mほど上流にビバークサイトを決めたようだ。
まだ14時半と時間はたっぷりある。ナルミズ沢のときは水浴びをしたが、ここは針葉樹の森の中で、水もナルミズ沢よりも冷たく、とても水浴びをする気にはなれない。仕方がないのでビールを飲みながら横になる。いつの間にか眠ってしまった。16時になったので米をとぎ、焚き火を始める。薪となる流木や倒木は無尽蔵にある。沢での焚き火の仕方を田部井君に教えながら火を熾す。火床が整ってきたところを見計らってビリーカンを吊るす。火を見ながら横になっているのは本当に幸せだ。焚き火の香りも心地よい。
サーロインステーキ800gとシャウエッセンソーセージを二袋。霜降りステーキを塩コショウで焼く。激ウマ!
とても全部を食べきれないので、二切れを明日の弁当用にキープ。今回はかさばる弁当箱の代わりにジップロックで代用しようという初めての試み。袋の中に飯とサーロインステーキ、シャウエッセンを入れる。
それからレトルトカレー。いつもとは違ってグリーンカレー。これもおいしい。敦子お勧めのタイ風カレー。ココナツミルクの甘さの後に激しい辛味が口内を襲う。これがまたなんともいえない。お酒を全部飲まないと明日も背負わなければならないので、リミッターを解除して呑んだが、さすがに呑みきれなかった。最後は眠りこけてしまったようで、後片付けは田部井君がやってくれたようだ。

9月5日(日曜日)晴れ時々曇り

シュラフカバーで寝入ったが熟睡できた。いつものとおり4時におきて薄明るくなるのを待つ。
ここは針葉樹の森に囲まれた深い谷底。なかなか夜が明けないので、しびれを切らしてランタンに灯を入れる。とたんに明るくなった。なんという贅沢。かつてはろうそく一本が普通だったのに。
コッフェルで湯を沸かそうとしていたら田部井君も目を覚ました。
さっそく焚き火。昨夜の燃え残りに火を入れると好ましい焚き火の香りが下流へ向かって静かに流れていく。
まず目覚めの紅茶。ほんの少しだけ砂糖を入れてカップ2杯づつ飲む。胃が目覚めた頃を見計らって湯銭したグリーンカレーを冷や飯にかけて食べる。冷や飯も熱いカレーをかけて食べるととてもおいしく食が進む。
今日の行程はあらかた予測がついているので、さほど急ぐ必要もない。ゆっくりと粉末の「永谷園あさげ」を飲み、それから日本茶を飲む。
やがて完全に夜が明けランタンの灯を消す。
丁寧に焚き火の後始末を終え出発する。
8人パーティーのビバークサイトへ行ってみると焚き火にビールの空き缶やゴミを投げ込んだらしい。銀紙など燃えカスを収集する。
谷筋をゆっくり登っていくとすぐに1840m二俣。この二俣は気がつきにくい構造をしているので迷い込むことはないだろう。そしてすぐに1890mの二俣。この二俣はきわめて明瞭。右沢のほうが水量は多いが、左沢のほうが沢床は低い。一般的には沢床の低い方が本流の場合が多い。白山書房の「東京周辺の沢」でも左俣を本流と表現している。私たちは水師へ向かっているので右沢を選択。出合の小滝を越えると沢の傾斜は次第に強まり、いくつもの小滝を軽快に越えていく。慎重に登路を見極めれば特に問題となるような滝はなかった。
再びゴーロ。
今回、参考とした白山書房の「東京周辺の沢」の遡行図。執筆者の関本快哉氏の記述はきわめて正確で申し分ない。
やがて連瀑帯へ再突入。簡単な小滝を越えていくと特徴的なインゼルとなった滝に到着。ちょうど朝日が差し込みはじめたところだ。このインゼルで実質的な遡行は終了することが関本快哉氏の記述でわかっている。
インゼルの上で休もうよ。
出発してから1時間40分しか経過していないけれど、昼食の弁当を食べることで意見の一致をみる。
塩コショウで味付けしたサーロインステーキの何と言う美味しさ。シャウエッセンも最高!熱い味噌汁をすすりながら食べると更に美味しさが倍増する。
インゼルから10分ほど登ると顕著な二俣だが、ガスでもかかっていると気がつきにくいかもしれない。右の沢は水量豊富だが沢床は高く、すぐに右手の針葉樹の急斜面を登りたくなる様な地形。一方、左の沢は沢床は低く水量も少ない。前方は倒木に覆われみすぼらしい。関本快哉氏の記述では右の沢へ入って倒木帯の手前から右斜面を登って水師へ至るとなっている。
ここはあえて情報量の少ない左手の沢へ入る。
倒木を越えて先へ進むとまもなく水涸れ。沢靴を脱いで運動靴に履き替える。ところが伏流だったようですぐに水流が復活。足元に気を配りながら歩くけれども、針葉樹の森の中は苔の絨毯なので歩きやすい。倒木を左右に迂回しながら登っていくといつの間にか沢の形は消えて苔の斜面となる。急登だが歩きやすい。
背の低い針葉樹に石楠花が混じり始め、少し藪っぽくなったと感じていたら稜線の登山道に出た。
高速道路のように感じられる登山道を甲武信岳へと登っていく。水師を越えたところでザレと岩が露出した気持ちの良い斜面があったので一休みする。あいにくガスがかかって展望がよくないが釜ノ沢の東俣や鶏冠尾根、遠くに乾徳山の山腹が見える。雲の湧くさまは夏の午後のようだ。
千曲川からの道が左から合流してくると百名山を目的とした登山客達とすれ違うようになる。甲武信岳の山頂には数人の人々が休んでいる。その多くが千曲川から登ってきたようで、思い思いに登頂の満足感をかみ締めている様子だ。
水を分けてもらうために甲武信小屋へ立ち寄る。ザックをおろしくつろいでいると昨日、山ノ神で追い抜いた女性三人パーティーが到着した。とても明るくて愉快な三人組だ。訊いてみると京都から6時間運転してやってきたという。京都周辺の沢に比べると美しいという。山へ行くたびに首都高の渋滞を超えなければならない地理的条件にある千葉を嘆いたりする自分が恥ずかしくなった。
下山は戸渡尾根。木賊山の山頂を経由して下っていく。標高が下がってくるに従い暑くなってくる。トロッコの軌道跡を田部井君に見せたくて徳ちゃん新道の分岐点で左折し「近丸新道」へと入る。
ユデダコ状態でヌク沢徒渉点では水浴び。
朽ち果てかけたトロッコ軌道跡。このレールの上を森林鉄道が走っていたのは1933年(昭和3年)から1968年(昭和43年)まで。木材や硅石の運搬を目的にトロッコを馬に牽かせたという。カラマツ林の黄葉の時期にはさぞ印象的な風景となることだろう。
笛吹きの湯で汗を流し、勝沼の金源という中華料理店で台湾ラーメンを食べて家路に着いた。中央高速は50kmの渋滞で6時間を要した。田部井君と車の中で山の話をしているととても楽しく、6時間の渋滞も短く感じられた。時々、今頃どの辺を走っているのかなと京都の三人のことが思い出された。


9月4日 9月5日
西沢渓谷駐車場 7:26 1760m二俣 6:55
ホラの貝入り口 8:46-51 1890m二俣 7:38-59
山ノ神 9:16 インゼル 8:48-9:29
乙女の滝 9:39-51 2055m二俣 9:38
東のナメ 10:03-13 稜線 10:38
釜ノ沢出合 10:59-1128 水師 10:56
両門の滝下 12:33-46 展望の良いザレ場 11:01-17
両門の滝上 13:03 甲武信岳 11:40
1760m二俣 14:22 甲武信小屋 11:51-12:08
木賊山 12:26
戸渡尾根分岐 12:31
徳ちゃん新道分岐 13:27
ヌク沢徒渉点 14:10-37
西沢渓谷駐車場 15:31


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周辺の記録
2010年7月31日釜ノ沢東俣
2007年8月25日釜ノ沢東俣
2004年8月1日ホラの貝ゴルジュ