2004年夏

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奥秩父
笛吹川東沢 ホラの貝ゴルジュ 敗退

2004/8/1

「今度の土日は甲府の実家へ戻らなければならないんだ。だから東沢あたりがいいな。ホラの貝にでも行くかい?平水なら易しいよ。塩山まで迎えに行くから」
「うん、行く」
めずらしく西走する台風10号。速度も毎時15kmと遅く近畿地方の南岸に停滞状態にある。金曜日から土曜にかけて山には雨が降ったようだが日曜日は天候も回復するようなので出かけることになった。

8月1日 晴

会社へ行く時に千葉駅でいつも見る千葉始発の特急あずさ3号。
「この列車に乗れば松本に行けるのかぁ、いいな」などと思いながらいつもは見送っているのだが、今日はこの列車に私自身が乗る。
塩山駅の改札口に細田さんが待っていた。
細田さんの実家の車で東沢出合に入る。広瀬ダムができる前から東沢には春夏秋冬何度も来ているが、ここ20年程はご無沙汰しており、雁坂トンネル完成にともなう周辺の変貌には驚かされた。
駐車場で身支度をして歩きはじめる。途中の堰堤の水量を見て
「これは水量が多いぞ」
と細田さんが言う。
水量が多いことは最初の滝で思い知らされた。先週、勝沼の近ドさんがホイホイ登ったと言う滝だが、釜は白く泡立ち泳ごうとするが流れもきつい。水を50ccほど飲んでしまいあきらめて巻く。
このあとも一箇所登れない滝があり高巻きでショルダーを使ったり、深い釜を泳いでボルダーチックなマントリングで岩の隙間を越えるなど遊びながら歩いていく。今日はいつものウエーディングシューズをやめて渓流タビを履いてきたせいかすこぶる調子が良い。ラバーソールを履いているような感覚で岩を攀じることができる。
ホラの貝の入口に到着した。ここまでまったく飽きさせないような楽しい課題の連続でウキウキするような気分である。
目の前のホラの貝の入口は流れの緩い深いトロになって太陽の光がさしこんで神秘的な色になっている。花崗岩の渓谷特有の美しい色。よくエメラルドグリーンとかコバルトブルーとかラムネ色と表現されることが多いが、ラムネ自体は無色透明。ラムネのビンの色に似ているという意味であろうがそれとも違う、ブルーでもグリーンでもない。子供の頃にビー玉を空に透かしてみたことがある。その色に近いと私は思う。
河原には陽が差し込み白い花崗岩が眩しい。ザックをおろして一休みする。近藤さんはここで焼酎を呑んだらしいが、私は本流の水をマグカップに汲んで飲む。清らかな美しい水。こんなことは先週の一ノ瀬川では考えられないことだ。
ホラの貝ゴルジュ三回目の細田さんも美しい水の色に
「ここは一つ泳いで見たいね、いいかい賀来さん」
という。
昨日購入した30mのモンベルのフローティングロープを曳きながらグイグイ力強く泳いでいく。甲府育ちなのになんでこんなに泳ぎが達者なの?
それはそうだろう、東北や新潟のマニアックな沢を中心に登っているのだから泳げなければ話にならないにちがいない。
細田さんは「奥鐘に行く賀来さんこそマニアックだ」というが「八久和なんぞにいく細田さんの方がマニアック」だと思う。
水中眼鏡を通してみるトロ場の深さに神秘的な美しささえ感じながらロープに曳かれて細田さんの待つレッジにたどり着いた。
たどり着くと
「ここだよ、ホラの貝は」
と細田さんがいう。
評判のアブミトラバースというのは「ここか」と見上げる。豊な水が深そうな釜に落ちてゴルジュの中に水煙りが舞っている。釜の右半分はは白い泡が渦を巻いており、ここへ落ちたら渦に巻き込まれそうだ。
「ではやってみましょうか」
と言いながら登り始める。ピトンスカーに細田さんから借りたアングルハーケンを打ち込み、それから「アーして、コーして」などなどをこなし少しフリーをまじえて最後のスリングをつかむ。
この場所の最大の問題点は下に渦巻くサラシ場である。ここに落ちたら水を相当飲むだろうと思うと体が萎縮する。私が落ちたらすぐさまロープを引き寄せてもらう手はずになっており、そのためにランナーはセットしないで登る。
さて、ルートを登り終わって最後に落口の流れを横断しなければならない。この流れを横断する一歩が出ない。ものすごい水流で足をついた瞬間に足をすくわれそうな危険を感じ、しばらく逡巡する。相当な時間を逡巡し意を決して飛ぶ。何とか対岸のスラブにしがみつくことができた。振り返ると滝の飛沫が霧のように巻き上がり虹がかかっている。
細田さんも順調に登って二人で外傾したレッジに立つ。目の前には深い釜が控えており、釜への水の流入部分は細く絞られ特に流れが速く大きなサラシ場になっている。遡行図にあるチョックストン滝である。
細田さんが言うには、前方のサラシ場まで到達できれば、そこは水深が浅くなっており立つことができるという。水中眼鏡にシュノーケルのいでたちで泳ぎはじめる。
「ふっ深い!」
水中眼鏡を通して釜の中を見る。水が清らかで、陽が差し込んでいるので全てが美しく見渡せる。それにしても恐ろしいほどの深さだ。
一回目のトライは釜の深さに気おされたといった状態で出口にたどり着く前に流れに押し戻されてしまった。
気を取りなおして二回目のトライ。右から大きく迂回するように泳ぎ水中を見る。ゴルジュの出口から流れ込む水流が空気を巻き込んで泡立ち前方が良く見えない。しかしながら深い釜はサラシ部分の直前で垂直に立ち上がっており細田さんの言う通りの地形であることが良く分かった。水中眼鏡をとおして前方右にはアンダーホールドが見える。
あそこまでなんとかたどり着くことができれば、次のホールドがあってサラシ場の上に立つことができるかもしれない。
必死で泳ぐ。
指の第一関節が水中のアンダーホールドを捉えた。ぐっと体を壁に引き寄せる。アンダークリングで水上に体を出して頭上のホールドをつかむ。上体を水面に引き上げると足が岩からはなれ、流れに下半身がさらされふわぁっと壁から体が剥がされた。
無酸素運動を続けたので息があがっている。これ以上は無理だとあきらめて細田さんにロープを曳いてもらう。
「この水量では無理だよ」と言いながら細田さんがトライする。グイグイ泳いでいくが釜の出口の水流にはとてもかなわない。しばらく粘っていたがあきらめて戻ってきた。
こりゃ敗退だなぁと意見の一致を見る。
で、敗退の前にもう一回やらせて欲しいということで、私が再トライ。先ほどのアンダークリングから頭上のホールドをとることはしないで、釜の出口のカンテに手を伸ばす。
カンテに手が届いた。甘いカンテだが水流に抵抗しながらホールドをまさぐっていると第一関節までかかるホールドを捉えることができた。これはいけるかもしれないと左足でカンテにヒールフックをしようと前方へ出す。そのとたん水の抵抗が左足にかかり体が開くようにして壁から離された。泡の中で少し水を飲んだが細田さんがすばやくロープを曳いてくれたので事なきを得た。
しかたがありません。敗退です。
さてどのようにして下降しましょうか。サラシにハマルのがもっと危険なのでライフジャケットを着けた私が先に釜に飛び込み後続の細田さんを曳くと言う作戦。ザックはあとからロープに結んで投げ込む事にして釜を見下ろす。釜は左岸は白く泡が渦巻いているが右岸は流れの緩いトロ場になっている。
トロ場めがけて飛び込む。
ドッボーン!
ガボガボガボ・・・・、ゲホゲホゲホ・・・。
今度は鼻に水が入ってしまって鼻の奥というか頭が痛い。それでも水がぬるいのがせめてもの救いだ。
次は細田さん、と見ていると急流に足を取られた細田さんがスローモーションのように滑り落ちた。流れにのって白く泡立つ渦の中に落下。ロープを曳く。
上に私のザックが残されてしまった。登りなおして取りに行っても良いが登山道を使ってホラの貝ゴルジュの終了点まで行って、下降して回収しようということになった。上部の様子を見物できるグッドアイディアである。もし水量が多くて下降が困難な場合にはもう一度ここまで戻って登りなおせばいい。
左岸の登山道はホラの貝を高巻いているのでかなり上まで追い上げられる。15分ほど歩いて河原に下り立ち東沢本流を下る。10分ほど下ると遡行図にあるU字溝の上に出ることができた。ここがホラの貝ゴルジュの実質的な終了点だという。
だが滑り台のようなU字溝は水流が強く、その下流もサラシ場になっておりとても下降できそうにない。
「こりゃぁさっきの釜を仮に突破できたとしても結局沢通しにここまでくるのは無理だな」
下降はあきらめてホラの貝の入口に戻る。もう一度アブミトラバースを行ってザックを回収して河原で休む。
午後の陽射しも傾き始めた。ちょうど斜めになった陽射しがゴルジュの中に射し込んで水煙に当たってチンダル現象になっている。
もっと山の中にいたいなぁと名残惜しげに自ら水に体を沈めて空を見る。
「次は一泊したい」
「そうだな」
遊びほうけた休日の終わりは、祭りの終わりにも似て物悲しかった。


四街道発6:28
千葉発6:37(特急あずさ3号)
塩山着8:52
東沢出合着9:32、発9:53
ホラの貝ゴルジュ入口着12:29、発12:40
アブミトラバースの滝下着12:45、発12:55
アブミトラバースの滝上着13:11
敗退決定13:50
ホラの貝ゴルジュ終了点14:31
ホラの貝入口帰着15:47
駐車場着17:03
塩山発18:27
大月着18:53、発19:04(特急あずさ32号)
千葉着20:49、発20:57
四街道着21:05

利用ガイドブック=白山書房2000年5月10日発行「東京周辺の沢」


参加者:細田浩、賀来素明