2010年 秋

北米

ヨセミテ国立公園

Yosemite National Park
2010/09/27-10/04

グレイシャー・ポイントからのヨセミテ渓谷


長女敦子の夏休みは職業柄変則的な時期に取得せざるを得ない。昨年は10月に4日間ほど取得できたので、二人で奥只見へ行った。
今年はどこへ行こうか、いつ取得できる?というような会話は年初から交わされていた。敦子の希望は海外。
ヨーロッパを中心にしてプランを立てた。ドロミテ周辺、シャモニ周辺、グリンデルワルト周辺、あるいは世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼のピレネー越え。
一つ一つプランを打診してみると数年前ドイツのケルンでおこなれたワールドユースデイでホームステイなどした経験のある敦子は「今度はアメリカへ行きたい」という。
北米となるとヨセミテか。
現在の私の状態ではヨセミテへ行っても満足なクライミングはできないが、トレイルを歩くのであれば問題なかろう。よしヨセミテへ行こう。海外へ一度も行った事のない朋子も連れて行くことにしてさっそくサンフランシスコへの航空券を全日空のサイトで手配。国内出張時のネット予約とまったく同様で簡単迅速。料金もHISなどよりむしろ安くこれは良かった。しかも全日空のアメリカ便手荷物は一人当たり23kg2個まで無料で客室内持込手荷物まで入れると50kg程度まで運搬可能だろう。と言うことは3人なので150kgまでOK。これは何でも持ち込めることを意味する重量で大変なメリットだ。
あと予約が必要なのはヨセミテ到着日のキャンプ場の確保。ヨセミテバレーにはフリークライミングの聖地サニーサイドのCAMP4があるが事前予約はできない。当日の朝6時頃から並んで確保しなければならない。したがってヨセミテ初日のCAMP4泊は不可能。ヨセミテにはいわゆるオートキャンプ場があってインターネットで予約ができる。しかしながら予約開始直後にFullとなるらしい。日程の確定した6月の時点ではすでにまったく空きはない状態。ただしキャンセルがあるかもしれないので、毎日予約サイトをチェックする役目を朋子が担う。仕事をしていると携帯電話に朋子からのメールが入る。サイトの空き情報を知らせてくるのだ。初日のサイトとしてアッパーパインズのサイトNo228の確保はすぐにできた。そして9月になってからサイトNo228を連続して三泊確保に成功。4泊目からCAMP4と言うことにして出発日を待った。
レンタカーは前日に予約をすればいいだろうと安易に考えていたが、利用日の数日前に申し込みは締め切られており、残念ながら現地で確保するしかない。
ところで私の休暇も準備が必要。勤務先には5日間のサマーバカンスと5日間のフリーバカンスという休暇制度がある。サマーバカンスは7月から9月の任意の連続した5日間で取得するが、フリーバカンスはいつ取得しても良いということになっている。しかしながら職場のメンバーに影響があるから配慮と準備が欠かせない。重要な会議日程などを鑑みながら敦子の休暇を少しずらせてもらって期間を決定し、早い時期から社内イントラネット上の私のスケジュール表に「この期間は申し訳ありませんが休ませてください」と掲示して9月末を待った。

9月27日(月曜日)晴れ 出国からヨセミテバレーへ

今日は、職場から直接品川発14時50分の成田エクスプレスに乗車して成田空港へ行く計画になっている。
ANAサンフランシスコ行きNH008便は17時10分発。予定では成田エクスプレスの成田到着は15時57分。成田エクスプレスが遅延したらすべてが御破算になる危険なスケジュールである。
休暇の都合上は土曜日に出発し日曜日に帰国するのが効率的かもしれないが重要な会議が今日、月曜日に計画されていた。それは月に一度の経営層への事業報告会である。相手は取締役事業部長のKさん。
報告会の冒頭に本部長のNさんが「賀来さんは報告会のあとにこのままヨセミテへ行くんですよ、いいなぁ」と言ってくれた。一般的にはこのような発言は社内ではありえない。けれどもKさんは大の山好き。それをNさんは知っており、しかもスケジュールがギリギリであることを承知し私を援護してくれたのである。
「それはいいなぁ。僕も二回行ったことがあるよ。ヨセミテは素敵なところだけれど、そろそろ寒いぞ。ハーフドームへのクライミング?ホテルにジャグジーがあって云々・・・」
土日に準備した40分間のプレゼンテーションが終わり、私だけが退席。あわただしく事務所へ戻って田部井君に手伝ってもらって着替えをしてスーツと靴を技術室へ保管願う。
荷物はすべて敦子と朋子の二人が成田空港まで運搬してくれており、私はまったくの手ぶら。成田エクスプレスは通勤時間帯に3本のみ四街道へ停まるので、時々利用している。顔なじみの女性販売乗務員が「今日はめずらしい時間帯にご乗車ですね」と声をかけてくれた。さすがにプロだ。
特段のトラブルもなくNH008便は定刻17時10分に成田を飛び立った。
機内では映画を見る。アイアンマン2、南極料理人、高峰譲吉の生涯の三本。途中で着陸態勢へ入った関係で「高峰譲吉の生涯」だけは最後まで観る事ができず残念だった。覚悟していたよりは短時間でサンフランシスコへ到着することができた。
サンフランシスコ空港へ到着してまずは1ピッチ目はクリアといった感じだが、2ピッチ目が控えている。それはレンタカーの予約とヨセミテへのアプローチだ。レンタカーは最大手のハーツ。トヨタカムリGPS付きをフルインシュアランスで申し込む。フルインシュアランスは7日間で1000ドルを超えており、この時点ではちょっと高額かなと思ったが、その価値と感謝を数日後に知ることになる。振り返ってみて今回のツアーの成否の分岐点はここにあったように思う。
さて、まずはガスカートリッジの調達を目的に空港から30分のREIバークレー店へ行く。MSRとSnowPeakの在庫がありSnowPeak250を6個入手。このREIバークレー店はカムからロープまで一通りのクライミングギアが揃う。
REIを出てからはひたすらヨセミテを目指してフリーウエイを走る。乾燥しきった荒野を制限時速厳守で運転していくのはかなりつらいものがある。つまり眠くなる。時差ボケ解消の秘訣は現地時間に徹底的に合わせるということ以外にないが、それにしてもつらい。このままではあまりにも危険なので途中で細かく20分程度の仮眠を何回かとる。そのせいもあってマリポサに到着した時にはすでに夕方。
マリポサという町はヨセミテの入り口にある最終集落である。日本で言うと安曇村あるいは川上村という感じであろうか。まるで西部劇に出てくるような建物がある一方で、銀行や大きなストアもある。
パイオニアマーケットという大型スーパーで食料を調達。
パイオニアマーケットの駐車場で地図を広げてこれからのルートを確認していると「May I help you?」と窓を開けて大声で話しかける人がいる。私の親友の藤森みたいな男が大型ピックアップトラックを運転していた。アメリカの片田舎で普通にいる善良なアメリカ人を象徴するような笑顔。私は丁寧に「No Thank You」とにっこり微笑み返す。
マリポサからは少し遠回りになるがトンネルビュー経由でヨセミテへ入った頃には完全に日没。途中で料金所のようなものがあり七日間有効なヨセミテ渓谷入園許可料として20ドル支払う。
真っ暗となったヨセミテバリーに車を走らせる。キャンプサイトの予約はしているがこんな時間にチェックインできるのか不安だったがアッパーパインズキャンプグラウンドのゲートは開いており、レンジャーもおらず19時半過ぎになんとかサイトNo.228へたどり着くことができた。サイトナンバー228を慎重に確認しテントを張って備え付けのテーブルで夕食の準備だ。バーナーに火を入れ、フライパンで肉を焼く。三人で手際よく食卓の準備が整っていく。
調理をしながら「お父さんたちは贅沢な時間を過ごしているね」と敦子と朋子に言うと。
「うん、わかる。ヨセミテで料理をしているなんて本当に贅沢な時間をすごしていると思う」と敦子が相槌を打つ。
EPIのガスランタンに照らされたビーフステーキにサラダ。そして真っ白なご飯にレトルトのグリーンカレー。そして赤ワイン。幸せをかみ締めながら食卓を囲んだ。
明日はチェックインと情報収集をかねて休養日と決めて就寝した。

9月28日(火曜日)晴れ ヨセミテ第一日目

夜明けが遅い。しかも渓谷の底なのでことさら遅い。日が射してきて樹林の隙間から巨大な花崗岩の壁。ワシントンコラム東壁の左にあるロイヤルアーチであろうか。
朝食後、車で渓谷内の探索へ出る。ヨセミテ渓谷の中心地はヨセミテビレッジという一角。ここに売店ビレッジストアがある。棟続きでスポーツショップがあるがクライミング用品は置いていない。ビレッジストアで飲料用の水を買う。1ガロン=1.5ドル。最近は猛烈な円高で1ドル82円にまで高騰しているので120円ほどになろうか。
次にCAMP4へ。受付のKIOSKには「CampFull」の表示でサイトは満員であることがわかる。キャンプサイトにはホールバッグやギアなどを整理しているクライマーの姿もある。例のボルダー「コロンビア」はCAMP4のど真ん中にある。「Midnight Lightning」を見上げるとかなり高い。クラッシュパッドを敷きこんでも落ちれば怪我をしそうな高さだ。下降はどうするのだろうかと裏側へ回り込んでみるとそれなりの高さから飛び降りることができなくもない。石渡健君は何事にも控えめな好青年だが、あるとき電話で「Midnight Lightning」を登ったとちょっぴりうれしそうにしていたっけ。日本のクライマーでこのボルダープロブレム「Midnight_Lightning」を知らない人はほとんど存在しないのではないかと思う。私にはもう無理だけれどボルダーグレードで二段とのことで最近は一撃する日本人ボルダラーもいると健君が言っていた。ただし、ハイボルダーなので失敗したらただ事では済まない
次はエル・キャピタンのノーズ取り付きへ。ノーズ、これも全世界のロッククライマーで知らない人はおそらくいないと思われるルート。エルキャピタンの初登ルートで、知名度と言う意味では日本における一ノ倉沢衝立岩正面壁雲稜ルート的存在。もちろん難易度的には比較すること自体が顰蹙をかうほどにノーズが困難なのは言うまでもないが、そのノーズもエルキャピタンの諸ルートの中で最もポピュラーなひとつと言うところがヨセミテの真骨頂。
ノーズの取り付きはCAMP4から4kmほど下流にある。重いホールバックを背負って徒歩で移動するのはちょっとつらい距離だ。車道からノーズの取り付きまで15分。
エルキャピタンの岩をさすったりしながら見上げる。真下から見上げると上部が圧縮されて見えるので1000mの高さが実感しにくい。
クライマーが取り付いている。9月末だというのに気温は高い。太陽は岩を焼き、クライマーはフライパンの上にでもいるようだろう。真夏の奥鐘山西壁と同じような自然条件だ。
ノーズの取り付き点を確認した後は、再びヨセミテビレッジへ。ビジターセンターでクライミングルートのトポを二冊買い、ウィルダネスセンターを確認する。ここヨセミテビレッジには上高地の西糸屋みたいな大きな郵便局すらある。次はシャワーハウスの確認だ。再び車に乗る。ヨセミテは右岸は下流方面へ、左岸は上流方面へそれぞれ一方通行になっており、無料のシャトルバスが巡航されている。ハウスキーピングセンターというのがヨセミテビレッジよりも少し離れたヨセミテロッジの中にある。そのハウスキーピングセンターの中にシャワーハウスとコインランドリーがある。ここにはスーパーマーケットもあって生鮮食料品を除く日常生活に必要な大半のものが夕方18時まで販売されている。ヨセミテで生活していく上での情報を確認できたのでアッパーパインズのキャンプグラウンド・サイトNo.228へ戻る。キャンプグラウンドのゲートにあるレンジャーのKIOSKで一日遅れのチェックインも済ませることができた。
ビレッジストアで買い求めた飲料水や食糧をフードストレージという鉄の箱にしまいこむ。食料だけでなく歯磨きや化粧品など良い匂いのするものも含めて全てだ。車の中に置いておくと車を壊されるという。
誰に?
もちろん熊だ。幸いにもヨセミテに生息する熊ブラックベアーは北海道のヒグマと違って人間を食べないようで、まずは一安心。本州にいるツキノワグマに習性が似ているのかも知れない。
荷物の整理を行って、次にやり残しているのは明日計画しているハーフドームトレイルの出発点の確認。ハイキングでもクライミングでも取り付き点がわからずに右往左往してしまうと言うのは良くあることだ。私も幾度が経験がある。国内で登山をしているときでも、翌日のコースの入り口を確認したりするけれど、それと同じことをしておかなければならない。
ハーフドーム・トレイルの出発点はハッピーアイルという場所。ここはアッパーパインキャンプグラウンドから森を挟んですぐ近くである。地図を頼りに森の中の踏み跡を進むと200mほどでハッピーアイルだ。ハッピーアイル橋を挟んで両岸に立派なトレイルがある。まずは左岸を進むとハッピーアイル「ネイチャーセンター」がある。ここから右岸へ渡る橋は数年前の水害で流失しておりハーフドームトレイルの登り口へは行くことができない。結局ハッピーアイル橋へ戻る。
ハッピーアイル橋の右岸のたもとにはジョン・ミュア・トレイルを示す標識がある。あの有名なジョン・ミュア・トレイルの起点がここだ。
とても暑いので子供たちが川で泳いだりしており楽しそうだ。私たちも河原まで降りて遊ぶ。
いったんサイトNo.228まで戻って、昨日夕方に訪れたトンネルビューを再訪してから、シャワーハウスへ行こうということになり、車に乗る。30分ほどでたどり着くこのできるトンネルビューはエルキャピタンやブライダルベール滝を望むことのできる最高の場所だ。サンフランシスコやロスアンジェルスからの日帰りツアーのバスが立ち寄る。すでに16時半なので観光客も少なくゆったりと大展望を楽しむことができた。
トンネルビューからシャワーハウスへ直行する。シャワーハウスは無料。シャワーを浴びた後にコインランドリーで洗濯。洗剤を含めて2ドル。安い!全てが乾燥しているので夜露が降りることがないらしく、夜中でも洗濯物はすぐに乾く。キャンプサイトへの帰りがけにビレッジストアへ寄ってビールや果物を買う。
サイトNo.228で夕食。敦子の陣頭指揮で調理が進んでいく。なんという幸せ。
まずはたっぷりのサラダ。キャベツとトマトと玉ねぎ・・・それに砕いたクラッカーとチーズ。これにイタリアンドレッシングをかける。体が山モードになっているのでサラダだけでおなかいっぱいだ。そして明日の弁当としてオムライスを作ってくれた。

9月29日(水曜日)晴れ ハーフドームトレイル

明るくなるのが遅い。出発は7時を過ぎた。それぞれハイドレーションシステムをセットしてアッパーパインズキャンプグラウンドを出発する。ハッピーアイル橋を渡りマーセード川右岸の道を始発のヨセミテシャトルバスから降り立った他のハイカーたちと共に歩き始める。しばらく行くと看板がある。そこにはハッピーアイルを基点とする各トレイルの距離がマイルとkmで記述されている。ハーフドームまで11.3km。ハーフドームトレイルの前半は有名なジョン・ミュア・トレイルをたどる。ここはそのジョン・ミュア・トレイルの起点すなわちトレイルヘッドでもある。道はしばらくのあいだ舗装されているが現地人の異様な歩行スピードにつられて敦子と朋子はハイペースでぐんぐん登っていく。私はへとへとだが娘たちは鼻呼吸で平然としている。道はやがて橋を渡って左岸へ移る。この橋のたもとにはコース中唯一の給水施設がある。ここから更に5分ほど舗装路を登っていくとジョンミュアトレイルのオプションコースとも言えるミストトレイルを左に分ける。ミストトレイルはバーナル滝を間近に見ながら歩くコースで滝のしぶき(ミスト)がかかることからミストトレイルと名づけられたらしい。このミストトレイルを使ってバーナル滝の落ち口へのハイキングはハッピーアイルから往復2時間から3時間なのでとても人気のあるコースのようだ。
バーナル滝は見事な直瀑である。屋久島鯛ノ川の千尋滝をスケールアップしたような感じだ。9月末の現在は水量が少なく那智の滝や華厳の滝程度にしか見えないが水量の多い季節には相当な迫力であることが想像される。
道は岩を積み上げて階段になっており、場所によってはコンクリートで舗装されていたり、頑丈な手すりが施されるなど、とても整備されている。筑波山の遊歩道のような道である。バーナル滝の落ち口への最後の登りは岩壁に穿った細いバンド状だが丈夫な柵が設置されて安全上の対策は十分で不安なく登っていくことができる。
バーナル滝を登りきった時に、私と目のあった美しい女性が同意を求めるように「Good Job」と微笑んでくれた。
たどり着いたバーナル滝の落ち口は手すりに守られた展望台のようになっていてはるか下方には先ほどたどってきたトレイルを一望することができた。ここには公衆トイレもあって高尾山へのハイキングレベルで到達することができるが、売店や給水施設などは一切ない。
バーナル滝の上流は緑色の大きな淵になっている。エメラルドプールと名づけられたその淵には遊泳禁止の立て看板が設置されている。エメラルドプールで泳いでいて、何かの拍子でバーナル滝へ引き込まれる事故が続いたのであろう。
ミストトレイルは、この先で再びジョンミュアトレイルと合流して橋を渡って右岸へと移り、ネバダ滝への急登へと続いていく。ネバダ滝は直瀑ではないが高さではバーナル滝をはるかにしのぐ。
滝の左側をジグザグを切りながら延々と登り続ける。忍耐が必要なところだが、今回はハイドレーションシステムを導入しているせいか体がとても楽だ。しかも日本から持ち込んだ粉末スポーツドリンクを溶かし込んでいるのでカロリーと塩分がタイムリーに補給されるので休憩しないで歩き続けることができる。これは驚異的なことである。あらためてハイドレーションシステムの威力を実感せざるを得ない。
ネバダ滝の上にあるログハウス風トイレットで急登は一段落する。まだ15分ほどはスイッチバックの登りは続くものの、やがてリトルヨセミテバレーと名づけられた高原台地の一角に達することができる。リトルヨセミテバレーへの最後の登りで物資運搬の為の馬の行列に追い抜かれた。一般的には物資の運搬と言うことであれば最も効率的なのはヘリコプターによるものであろう。それをあえて馬によるキャラバンで対処する。こんなところにアメリカの底力を感じる。この台地は広大なものでトレイルもしばらくは水平である。左にバックパッカー向けのリトルヨセミテキャンプグラウンドの二階建てログハウス風のトイレが見える。ハーフドームトレイルの往復は十分に日帰りできるが、事前にウィルダネスセンターで許可証を交付してもらって、ここで一泊するというのも楽しげだ。
リトルヨセミテを通過するとトレイルは再び登り坂となる。緩やかなジグザグを切りながら少し登っていくといよいよジョン・ミュア・トレイルともお別れだ。たくさんのハイカーと相前後しながら登っていく。そのハイカーの中にドイツ語で話しながら登っている女性が私たちに日本語で「こんにちは」と挨拶をしてくれた。大学ではドイツ語学科の朋子が「グーテンターク」と答える。引っ込み思案で内弁慶の朋子が勇気を奮って発した一言だった。これをうけたドイツ人女性は大喜び。朋子の通訳によるとボーイフレンドが日本に滞在中で日本へ行ったことがあり、北海道でハイキングをしたり京都などにも行ったことがあるそうだ。
途中で一休みした時に朋子が持っている行動食をザックから出してもらう。何か食べるものを・・・というと「おっとっと」という菓子が出てきた。昨日ビレッジストアで買った高カロリーのビスケットなどは一切持ってきておらず、日本から持ち込んだ「おっとっと」と「ロッテ コアラのマーチ」しか持ってきていないとニコニコしながらいう。これにはあきれてしまった。
道は緩やかな登りが続く。やがてハーフドームが間近に望むことができるようになってきた。ハーフドームの手前にはサブドームという大きなピークがある。遠くから見るとサブドームがあまりにも急傾斜に見え、どのようなラインで登っていくのか不安になるほどだ。しかしながらサブドームの登りはどうと言うことはなかった。階段状の登山道がジグザグにきちんと整備されていた。
サブドームを登り切るといよいよハーフドーム最後の登りが眼前に立ちはだかっている。一般コースとは思えないような危険度をはらんだ最後の200mだ。ワイヤーロープが手すりのように2本並んで頂上へと続いている。これはヴィアフェラータとして登るべきラインである。そのための装備を準備してこなかったことを少し悔やんだ。自宅の玄関で最後の装備チェックをしている時に、いったん入れたスワミベルトを置いてきたのだ。
このラインの危険度をかなり正確に把握でき、その対策もどうすべきかを心得ている敦子は「ここをセルフビレイなしで登るの?」と真剣な顔で私に問う。
致し方ない。ビレイなしで登るほかない。
登り口には多数の手袋が残置してある。手袋をして登るのが普通らしい。しかしながら手袋をするなど考えられない。フリークライミングで手袋をするなどありえないと同じように、このワイヤーをつかみながら登る時にも手袋はありえない。手袋の中で手がずれるので握力が余計に必要となるし、素手の方がフリクションが効いてがっちり握ることができる。敦子も同意見。少々手の皮が剥けようがかまわない。
つるつるのスラブなのでワイヤーだけを頼りに体を引き上げていくほかにない。これが相当な腕力を必要とする。中にはあまりの高度感に途中でうずくまってしまう人や、サブドームの山頂で引き返す人もいる。200mをようやく登りきりハーフドームの山頂へ到着。二つのなだらかなピークがあり、全体としてはサッカー競技場のように広大な山頂だ。奥のピークへ立ってから、手前のピークへ登る。手前のピークからはハーフドームの最終ピッチを登っているクライマーが間近に見える。ハーフドームのレギュラールートは登り切るのに通常2日から3日かかる。いつかクライミングでハーフドームの山頂に立ってみたいものだ。
下山は、恐ろしいほどの高度感にさいなまれながら慎重に下る。日本で販売されているヨセミテのハイキング案内書にはセルフビレイをとるということは一切触れられていない。著者がクライミングを知らないせいだと思う。ハーフドームへ登るおおよそ3割ほどの人が何らかの形でセルフビレイを施している。スリングを腰に巻いて、カラビナをつけるだけで安全は保障される。
下山途中でリトルヨセミテバレーのキャンプグラウンドに立ち寄ってみた。木立の中の静かな場所でトイレも清潔で水場も近いようだ。クライミングもいいけれど、「Into the Wild」のアレキサンダー・スーパー・トランプのようにウィルダネスを歩き続けるというのにも大変心惹かれるものがある。
ネバダ滝の脇を下っていると、これから登ってくる人たちが結構いる。その中に年配のバックパッカーがいた。そうとうへばっている様子で独り言のようにつぶやいているのが聞こえた
「Old year」
私も彼のようになりたいものだ。
ハッピーアイルに帰り着いた頃にはすでに薄暗くなりかけていた。アッパーパインズキャンプグラウンドNo228へ帰り着き、すぐにカムリに乗ってシャワーを浴びに行く。ついでにシャワーハウスに併設されたコインランドリーで洗濯。洗剤が75セントで、洗濯が1ドル25セント。しめて2ドル。入り口にコインへの両替機がある。
アッパーパインズのNo228は三泊分しか予約できなかったので、明日からはサニーサイドのCAMP4だ。CAMP4は事前予約はできず当日先着順なので明日の朝早くから並ばなければならない。今夜はNo228最後の夜になるのでビレッジストアで7ドル45セントの薪を買い焚き火をする。夕食は敦子が美味しいサラダを作ってくれた。トマトとキャベツと玉ねぎとチーズとクラッカーにイタリアンドレッシング。23時までバーボンを飲みながら焚き火を楽しんだ。

ハッピーアイル 7:21
バーナル滝落ち口 8:21
ネバダ滝上 9:16-28
リトルヨセミテバレー 10:06
サブドーム頂上 12:49-13:06
ハーフドーム頂上 13:36-55
サブドーム頂上 14:22-14:30
リトルヨセミテバレー 15:50-16:13
ネバダ滝上 16:39
バーナル滝上 17:16
ハッピーアイル 17:57

9月30日(木曜日)晴れ CAMP4とハプニング

6時半に目が覚めた。もっと早起きをしてCAMP4の予約の列に並ぼうと思っていたのだが仕方がない。
大急ぎで車に飛び乗り、CAMP4の入り口にあるレンジャー詰め所へ行く。すでに7人が並んでいる。これくらいなら何とかなりそうかなと一安心。受付開始は8時半からなので、待っている人は寝袋で寝ていたり、本を読んでいたりする。半袖の私は寒くて仕方がない。となりに並んだきれいな女性が彼女のマットに並んで座るように進めてくれた。
予定よりも早い8時過ぎにレンジャーがやってきて受付を開始した。取れたのは8番のA。つまり8番と言う約30m四方程度のサイトの好きな場所にテントを張り、フードストレージはAを使ってよろしいという意味だ。ひとつのサイトは4張りまでテントを張ることができる。したがってフードストレージもABCDと四つある。ファイヤーリングとテーブルはひとつだけなので4パーティーで譲り合って使う。ざっとこんなシステムとなっている。
一人当たりの料金は一泊5ドルだから我が家は三人なので15ドル。アッパーパインが1パーティー6人まで20ドルだから、CAMP4は設備が貧弱なことを考慮するとコストパフォーマンスは低い。しかもCAMP4は「walk in」すなわち車からサイトまで荷物を運ばなければならない。
あまり良いところのないCAMP4だけれども、利便性やコストパフォーマンスを越えた特別の存在でもある。すなわちフリークライミングの聖地なのである。
いずれにせよ首尾よくCAMP4のサイトを確保できたので、ほっとした気持ちで娘たちが待つアッパーパインズ戻った。
ゆっくりと朝食を摂って11時半から引越しだ。CAMP4のレンジャー詰め所(KIOSK)で一輪車を借りることができたせいもあって、30分ほどで引越し完了。
昼食後さてどうするか、ということになった。ガソリンを給油しなければならないのでいったん麓まで降りようということになった。ついでに買い物もしたいし、Wi-Fiのアクセスポイントをレンタルしてきているのでので、久しぶりにインターネットに接続したくもある。と言うわけで一番近いマリポサの町まで行こうと言うことになった。とはいってもマリポサまで山の中のワインディングロードを走行して46マイルもある。おおよそ1時間半の行程だ。日本から持ってきたテゼのCDを聴きながら走る。
午後3時過ぎにマリポサへ到着。手始めにインターネット接続を試みる。結果はNG。あきらめて次は買い物。パイオニアマーケットへ入る。このスーパーマーケットは大きくて品数も多い。さすがに納豆や豆腐はないけれどジャポニカ米はもちろんインスタント味噌汁すら揃っている。買い物はお姉さんの敦子が仕切る。食べたいものと献立を組み立て、商品をショッピングカートに放り込んでいく。私は遠慮がちにお酒を乗せる。
買い物を済ませガソリンの給油も済ませた。明日はエルキャピタン・トレイルを歩く予定なのでなるべく早く帰って就寝したいところだ。
ヨセミテバレーへとハンドルを切る。
すると路肩にやせた青年がダンボールのプラカードを持って立っている。そのプラカードには「Yosemite Please!!」と書かれている。一目見ただけでわかる。クライマーがヒッチハイクをしているのだ。躊躇することなく路肩に止めて迎え入れる。
彼の名はジェレイミー。コロラドのクライマー。いろいろと話を聞いてみるとクライミングを始めて6年の28歳。初めてヨセミテへ来たのだという。なんだかわくわくするような話だ。私の知る20年から30年前のコロラドの有名なクライマーの名を告げたが、世代が違うようで知らないという。少し肩を落とす。
マリポサから26マイル走ったところで、事件は起きた。
舗装路の右端のエッジで右側のタイヤの内側が裂けて二本ともパンクしたのだ。2本ともパンクしてはどうしようもない。路肩に車を止めてどうしたものかと思案していると、心配した車が次々に停まって話しかけてくる。この山奥では携帯電話も通じない。ある人が携帯電話の通じるマリポサまで行ってレンタルカー会社のハーツへ電話してあげるという。それはありがたいことだとお願いして私たちは草地に座り込んだ。すると間もなくパトカーがやってきた。どうした?と聞く。ジェレイミーが警官と話す英語は早口でよく聞き取れない。結局、警官は任せておけみたいな話になったらしく、ハーツとの契約書を持ってヨセミテ方面へ走り去った。
ジェレイミーにSorryと謝る。すると彼は「とんでもない車に乗せてくれて本当にうれしかった」と言ってくれた。
一時間ほどしてパトカーは二台で戻ってきた。ジェレイミーが警官に「今日は夜勤?」ときいているのを敦子が目ざとくきいていた。答えは「ノー」。
敦子が私に言う「お父さん、お巡りさんは今日、日勤なんだって」
そうか残業か・・・と申し訳なく思う。
警官は言う。「カムリをここに放置しマリポサまで行くからパトカーにすべての荷物を積んで、四人とも乗れ」
携帯電話の通じないこのような山奥では対処の仕様がないということなのだろう。生まれて初めてパトカーに乗る。それも助手席に。それを警官に告げると笑っていた。EOSでハイビジョン撮影をしてみたがとがめられなかった。30分ほど走ったところで「ジェレイミーはヒッチハイカーなので、このまま一緒に連れて行くわけには行かない」ということでパトカーから降ろされてしまった。こんな山奥で放り出されたら大変なことにあるがと心配しながら会話を聞いていると、ヒッチハイカーなどが宿泊できる設備が橋を渡った対岸にあるからそこへ行って泊まりなさいと話していた。これを聞いて一安心。
再びパトカーは走り出す。制限速度は40マイルの道だが、そんなことは無視したようにものすごいスピードで走っていく。
たまりかねた敦子が「窓を開けてくれませんか?」と警官に告げると「わかった。酔ったのかい」と問う。敦子は「少し」と答える。やがてパトカーは、もう見慣れたといってもいいマリポサの町へ入っていった。数時間前にガソリンを給したガソリンスタンドにパトカーは止まった。外に出た警官は携帯電話でなにやら通話を始めた。しばらくしてその携帯電話を私に差し出しこれからはお前が説明しろという。恐る恐る携帯電話を受け取り受話器に耳を当てると、しばらく機械的な通信音がしたあと日本語を話す通訳が出た。
「事故にあわれたそうですが、怪我はありませんか?」
「パンクしただけなので怪我はありません。でもタイヤが2本パンクしたので動けなくなったんです」
「今日はマリポサで泊まりますか、それともどちらか行きたい場所はありますか?」
「ヨセミテでキャンプをしていてマリポサまで買い物に来ただけなので、ヨセミテへ帰りたいのですが、それは可能ですか?」
「可能です。最も近いハーツの営業所から新しい車を手配してお届けします。新しい車をお届けするには2時間から3時間かかりますが、よろしいですか?」
「今夜の内にヨセミテへ戻れるのであればそうしたい」というような会話があって話は決着した。
明日のエルキャピタントレイルはほとんど諦めていたけれど、可能性が出てきたことになる。
信じられないほどに親切だった警官に別れを告げ、ガソリンスタンドでハーツの新しい車が届くのを待つ。
時計を見ると20時10分。こんな山奥の町であるマリポサに新しい車を届けるには3時間はかかるだろうと覚悟を決める。ガソリンスタンドの端っこにテーブルとベンチがあったので、そこへ荷物をまとめ暇つぶしにパソコンの電源を入れた。そうしたところ近くにアクセスポイントがあるらしい。ネットワーク名はnetgear。パスワードなしでログインできた。
妻と連絡を取りたがっていた敦子が急ぎ早にメールを発信する。私は「賀来家のファミリー登山掲示板」へ書き込んでくれた飯田さんへのRes。そしてグーグルマップで現在地の確認。
そうしていると思いもかけず私たちに声をかける人がいる。
彼の作業服を見てびっくり仰天。ハーツの人だった。1時間半しか経過していなかったから、それは不意だった。届けてくれた新しい車は白いカムリ。ガソリンも満タンだ。さぁ御自由にという感じでキーを渡してくれた。フルインシュアランス(Full Cover Insurance)契約の威力であろう。
敦子も朋子も大喜び。チップを弾んでハーツの従業員に別れを告げる。白いカムリに荷を乗せてヨセミテへと戻る道へハンドルを切る。10マイルほど行ったジェレイミーがおろされた場所へひとまず行って彼の回収を試みる。しばらくうろうろしたが位置関係が把握できず断念。
夜道をヨセミテへと走る。26マイルの地点でハーツの人がパンクしたカムリをトラックに積み込む作業をしている最中だった。立ち寄って感謝の気持ちを伝える。
あとはひたすら忍耐で走る。
CAMP4に到着したのは日付もかわった深夜12時半。他のキャンパーに迷惑をかけないように静かに夕食を摂る。
いずれにせよ、これだけのトラブルを経てCAMP4へ戻ることができただけで幸せだ。バーボンを少し呑んで深い眠りに落ちていった。

10月1日(金曜日)晴れのち曇り時々雨 エルキャピタントレイル

今日はエルキャピタンを往復する日だ。
時差で体内時計が狂っているというのもあるだろうけれど、昨夜、就寝が遅かったので起床したのは6時。もちろん真っ暗だ。フリークライマーの朝は遅い。誰もおきていない時間帯だ。
昨日パイオニアマーケットで購入した食材を使って敦子が昼食用のサンドイッチを作る。それから大きなソーセージをフライパンでボイルして軽く炒めジップロックに入れる。
ハイドレーションシステムをセットして8時にキャンプサイトを出発する。トレイルヘッドはCAMP4の駐車場の奥にある。そこは素晴らしいボルダーが点在しているところでクライマーの楽園だ。
エルキャピタンへは、ひとまずヨセミテフォールズトレイルをたどってヨセミテ滝のトップまで行く。ヨセミテ滝はUpperFallとLowerFallの上下二段になっており、トレイルはUpperFallの落ち口まで登っているのだ。
トレイルヘッドからジグザグのつづら折れを50分ほど登っていくと、やがて水平道になる。手すりの付いた展望所のようなところがあって、ここで一休み。ヨセミテバレーが良く見える。
ほぼ水平の道は若干ながら下り道となり、やがて前方にロストアローが見え始める。ロストアローに気をとられて、その左隣がヨセミテ滝(UpperFall)であることに最初は気がつかなかった。水がまったく流れていないので、でっかい壁としか見えなかったのだ。周り中を大岩壁に囲まれている幸せ。左の壁にはクラックシステムが良く発達しており、登ったら楽しそうだ。
ヨセミテ滝の下からトレイルは再び登り坂となる。いくども折り返しながらジグザグに登っていく。道は花崗岩の石畳のように整備されており非常に歩きやすい。
CAMP4のトレイルヘッドで私たちを追い抜いていったひげのおじさんが、もう滝のTopまで行ってきたのか「Hellow Again」と挨拶を交わしながら下っていった。
ヨセミテフォールズトレイルのトップは大きな針葉樹の森の中にある。ザックをおろして倒木に腰をかける。
ここはヨセミテポイントへの分岐点になっており、道標によれば直進するとタイオガロードまで12マイル、ヨセミテクリークキャンプ場まで6マイル、エルキャピタンまで4.7マイル。
一方、右折するとノースドームまで4.7マイル。ヨセミテポイントまで1マイル。ヨセミテフォールズオーバールックと名づけれれたヨセミテ滝の展望台まで0.2マイル。
敦子と朋子は大きな松ぼっくりを見つけて大喜び。
ザックを置いて、手すりが整備された細い通路をたどってバルコニーのような展望台へ向かう。オーバールックとは良く言ったものだ。まさに眼下にはヨセミテバレーが広がり、すぐ下にはヨセミテビレッジやヨセミテロッジがミニチュアのようだ。草原には小さな聖堂が見える。そして対岸にはミドルカシードラル。ヨセミテ滝は何段もの釜が落ち口まで続いている。釜には水が湛えられているが、滝へ流れ出すほどにはいたっていない。たっぷり展望を楽しんでヨセミテポイントへの分岐点へ戻ってエルキャピタン方面へ向かう。ここからの道は北八ヶ岳のような深い針葉樹林帯を歩く。道はほとんど平坦で、アップダウンはほとんどない。だからどんどん進んでいく。間もなくタイオガロードへの分岐点に到着。直進するとタイオガロード。左折するとイーグルピーク、エルキャピタンだ。エルキャピタンまで4.1マイル。緩やかな上下はあるものの、ほとんど平坦な道は腐植土のクッションも心地よくとても歩きやすい。
長い行程だったが、気分的には楽でな気持ちでイーグルピークへの分岐点に到着した。
ここで昼食とする。敦子が作ってくれたサンドイッチとソーセージ。とても美味しい。もうここからエルキャピタンまでは2.1マイルだから徒歩一時間ほどだ。すこし雲が多くなってきたようだが、雨の降り出す気配は感じない。
イーグルピークの分岐点から少し下る。このアップダウンがトレイル中で唯一のもので、70mほど上下する。途中で露岩帯を横断する箇所がある。白い花崗岩につけられたトレイルは見分けにくく、先頭の朋子は道を失ってしまったのが後ろから見ていると良くわかる。注意深く観察すればトレイルを見失うことはないのだが仕方がない。少し軌道修正して正規のトレイルに戻る。エルキャピタンに程近いところで、コース中唯一の清水がある。滝が涸れるようなこの季節でも流れているから、おそらく貴重なものだろう。
針葉樹林帯を進んでいたトレイルはやがて砂礫地帯へと入っていく。樹林は切れ、松の古木が点在する砂礫帯だ。前方には丸い丘がみえる。あの丘がエルキャピタンの頂上だろう。
ところが雨粒が落ち始めた。上空はまだ晴れているが、ハーフドームの周辺には雷雲が発達し、遠くに雷鳴が響く。二ヶ月前に白毛門の山頂で被雷経験のある私は震え上がってしまう。二度目の奇跡はない。雷雲はリトルヨセミテバレー付近に雷雨を降り注いでいる様子が良く見える。これがエルキャピタンへ来たら最悪だ。急いで山頂のケルンの前に敦子と朋子の二人を立たせ記念撮影。風が強まって雨粒が横殴りに吹き付けてくる。連写モードで39ショットを撮影して山頂から退散する。敦子はノーズの終了点まで行きたいというが、雷の恐ろしさを彼女は知らないのだ。
「だめだ、ノーズの終了点にはノーズ経由で行け。早く樹林帯へ退避しろ」
私の剣幕に事情を察したらしく敦子も朋子も走るようにして樹林帯へと急ぐ。
幸いなことに雷雲はエルキャピタンまではやってこなかった。雨もやみ風もやんだ。針葉樹の森の中には再び静寂が戻ってきた。やれやれといったところだ。今回のヨセミテで事故に遭遇するとしたら交通機関でのそれと不意の落石あるいは雷だろうと漠然と考えていたが、まずは雷をやり過ごすことができた。
イーグルピークへの分岐点で二時間ぶりに休憩。腰を下ろしほっとする。この後は、まるで横尾から上高地への下山のようなペースで下っていく。
結局、エルキャピタンの山頂から3時間ほどでCAMP4まで下りつくことができた。
時計を見ればまだ17時。
ジェレイミーが到着しているはずだがとキャンプ場内を捜しまわる。まだどこかの岩場でクライミングをしているのだろうか、それともまだヨセミテに到着していないのだろうか。結局彼の姿を見つけることはできなかった。今夜はヨセミテ最後の夜。できることならばジェレイミーと焚き火などして楽しみたかった。
シャワーを浴びて洗濯をしてからビレッジストアで食材の補充。とはいっても余った食料がたくさんあるので、サラダの材料と薪を買う程度だった。敦子と朋子は記念品に何を買おうかといつまでもショップを離れようとしない。明日の朝、もう一度ビレッジストアでお父さんのカードで買い物をするというと二人ともやったぁというような顔をしてにっこり。
CAMP4最後の夜。敦子と朋子がボールいっぱいのサラダを作り、桃やりんごをむいてくれる。
私はサラダを肴にバーボンを飲みながら焚き火。
私たち三人は22時まで焚き火を離れなかった。

CAMP4 8:00
展望台 8:53
ヨセミテ滝下 9:34-47
ヨセミテポイント分岐点 10:51-11:05
オーバールック展望台 11:13-11:20
ヨセミテポイント分岐点 11:30-11:37
トウラミメドウズ分岐点 11:53
イーグルピーク分岐点 12:39-54
エルキャピタン頂上 13:55
イーグルピーク分岐点 14:51-58
トウラミメドウズ分岐点 15:29
ヨセミテポイント分岐点 15:40
CAMP4 17:03

10月2日(土曜日)晴れ時々曇り サンフランシスコへ

7時に目が覚めた。今日はヨセミテを離れ、サンフランシスコで適当なホテルを見つけて宿泊するつもりだ。
朝食は娘たちは焼いたパンと、バターとジャム。それからサラダに野菜ジュースとオレンジジュース。ただし私は余ったNissinのラーメン。ゴミは金属、ガラス、プラスチックは資源ゴミとして専用のボックスへ。
10時半、CAMP4をあとにする。子供たちに約束したようにビレッジストアへ行って、記念品と土産を買う。いわゆるヨセミテ饅頭やヨセミテクッキーというような日本の観光地にあるようなものはないので、勤務先への土産はサンフランシスコ空港で買うことにする。娘たちも節度ある買い物をしてくれたので決済額は500ドル程度でおさまりほっとする。
ビレッジストアを出てからグレイシャーポイントへ向かう。途中でトンネルビューへ立ち寄ると「JTB公立学校共済組合様」と書かれたバスが止まっていた。トンネルビューの先で左折し、快適な高原の舗装道路をしばらく走るとグレイシャーポイントに到着。レストハウスがあって多くの観光客でごったがえしている。
グレイシャーポイントの展望は申し分のないものだった。位置的な問題からエルキャピタンは見えないがハーフドームを展望するには最高の場所だ。名残惜しいがいよいよヨセミテとお別れだ。GPSをサンフランシスコ空港のハーツ営業所にあわせ出発する。GPSに従っていったんヨセミテバレーまで下りタイオガロード方面へハンドルを切る。途中でタイオガロードから右折し山の中のワインディングロードを走る。この道は日光のいろは坂のようでつらいものがある。ここはGPSに従わず一旦マリポサへ出てハイウエイを行ったほうが良かったと後悔した。やがてドン・ペドロ貯水池を右に見てチャイニーズ・キャンプ、オーク・デールを経てマンティーカへ。ここで大休止。
腹が減ったのでマーケットへ立ち寄る。店の中にはハローウィン用品が飾られている。ポテトチップなどをあまり好みでないジャンクフードを少し買って、外に出る。隣には米国版の100円ショップ=1$ショップがある。敦子がドーナツショップを見つけた。ドーナツショップまで行ってみると廃業している。その先にはマクドナルド。娘たちはマクドナルドでハンバーガーを食べる。私もポテトを少し分けてもらった。ここでレンタルしたWi-Fiルーターの電源を入れる。快適に通信できる。
マンティーカを出て更に走る。夕焼けの中をリバモアを通過。四街道市と姉妹都市であるリバモア。四街道とリバモアとの橋渡しをした谷嶋さんには最近ご無沙汰しているが元気にしているだろうかなどと運転しながら思う。
長大なサン・マテオ橋を渡ってサンフランシスコ地域へと入る。
もう真っ暗だ。いろいろとホテルを物色したが、結局Fishermans'Wharfに近い「Holiday Inn Express」に当たってみることにする。ベッドがひとつしかない部屋だが、それでよければ空いているという。値段はすべて込みで150ドル。HolidayInnなら幾度か泊まったこともあるのでここに決める。娘たちもほっとしたようだ。
部屋に入ると広い。大型の液晶テレビもあって無線LANが完備されている。ベッドは確かにひとつだがキングサイズ。テントでの就寝を考えれば、これなら問題なく三人で寝ることができる。シャワーを浴びて私はバーボンを飲みながら私のBBSに書き込んでくれた飯田さんへRes。
敦子と朋子はベッドの上でふざけっこをしながらキャーキャー笑い転げている。
明日は10時までにレンタカーを返却したい。そんなことを二人に伝えてから消灯した。

10月3日(日曜日)晴れ 帰国

6時半に起床して7時半にチェックアウト。ホテルの駐車場で荷物の整理をする。破棄品を仕分け、飛行機に乗せることを意識して荷物をパッキングする。小一時間をかけて荷物の整理が終わった。すでに8時半に近い。せっかくサンフランシスコへ来たのだからゴールデンゲートブリッジくらいは見ておこうと言うことになりハンドルを切る。あいにくの小雨模様で曇天だ。30分ほどで金門橋へ到着。あわただしく記念撮影を終え空港へと戻る。
全日空の「eチケットお客様控」のサンフランシスコ空港のターミナルの記述は「I」としかなく、重い荷を背負って右往左往。実際のカウンターはインターナショナルの7番だったことを思うとこれは全日空の「eチケットお客様控」の記述が不親切だと思う。
すったもんだしながらもようやく離陸。ようやく帰国の算段となって本当にほっとする。
4000枚を越える写真を整理しながら過ごしていると時間は瞬く間に過ぎ去っていく。日付変更線を逆に越えるので、すでに日本時間では10月4日。

10月4日(月曜日)晴れ

成田は雨だった。雨模様で気温が高く非常に蒸し暑い。乾燥しきったヨセミテが懐かしい。預けた手荷物のひとつが行方不明というハプニングがあった。往路で荷物が行方不明では洒落にならないが、帰国時だからあまり気にならない。そのうち届けてねというような感じで、ひとまず帰宅する。
四街道駅には妻が迎えに来ていた。
明日からまた日常生活が始まる。
またヨセミテへ行ってみたい。そう思った。



二人の娘と過ごすヨセミテの生活 ハーフドームトレイルを行く エルキャピタントレイルを行く