2009年 秋

会津丸山岳

只見川 袖沢支流北沢からメルガ股沢下降

2009/10/10-14

山上の草原には池塘が青い空を映す

夏休みを取り損ねたハードな総合病院勤務の看護師 敦子。
労働基準法を無視したような毎日を送っている彼女だけれど、ようやく10月になって5日間の休暇がとれることになったという。
彼女の休暇に合わせて私も休暇をとって、遅ればせながら二人で秋山合宿をすることになった。山へ行く前にワクワク、ソワソワしながら机上登山を繰り返しプランを練るのは楽しい。無限に夢が広がっていくような気さえする。
私の山登りの一番弟子で体力抜群の敦子と一緒ならそれなりのところへ行くことが可能だ。敦子とは私が定年退職したらグランドジョラス北壁を再登したり、エルキャピタンを登ってみたいと思っているくらいなのである。
そんな敦子と一緒に登れるのだから久しぶりに高山の匂いを嗅いでみたい気もする。剣から北方稜線あるいは「下ノ廊下」の峡谷へ入り込むのも良いし、東北の紅葉の森に埋もれるようにして無人小屋をたどりながら歩くのも良い。あるいは上越国境稜線の笹原を夕陽に横顔を紅く染めながら歩く姿を目に浮かべたりもする。
しかしながら、これらの想像はある意味、登山道を前提としたものである。
ところが登山道を前提として想像するのではなく、地形図を元にして想像すると登山道の呪縛から一気に解き放たれ、想像は更に大きく無限に膨らんでいく。それは異次元の世界と表現しても良いくらいで、登山道という面の中の線で表現される二次元の世界から、地形という立体で表現される三次元の世界への移行と表現しても良いかもしれない。
さらに言えば、季節という時間軸を加えるとそれは四次元となる。四季折々、同じ稜線でも表情は異なる。山の楽しみ方はまさに無限である。そんな視点で地形図を見ていると空想の山登りの世界で時を忘れてしまう。
そんなことを繰り返しているうちに10月になってしまった。秋山合宿が目の前に迫っているというのに、あそこもいい、ここもいいと行きたい所ばかりで、具体的な計画書をいくつも作っては見たが、なかなか場所が決まらない。
で、どこへ登るかの決定打となったのはとあるポスターの存在だった。
JR東日本では「新潟 ディスティネーション」と銘打ったキャンペーンを実施していて各駅に大きなポスターが貼ってある。そのポスターの一枚に私は釘づけになった。次のような説明文がある。

"どこにもありそうで、どこにもない眺めだ。
新潟県「奥只見銀山平」
明らかにはじめての地だという感覚。海外のような開放感さえあるが、紛れもなく日本だ。奥只見湖の西、銀山平は越後駒ヶ岳を背に黄金色に輝き秘境の雰囲気を増幅させる。誰かに教えたい気もするが、秘密にもしておきたい。そんな光景との出会いだった。"

このポスターは9月から掲示されており、先月奥只見の恋ノ岐川へ赴いたのもこのポスターに触発されたと言っても良いくらいだ。
とにかく奥只見銀山平へ行ってこの景色を自分の目で見てみたい。
さて、ようやく決まった計画とは・・・奥只見ダムまで車で入り袖沢支流の北沢から会津丸山岳に登り、メルガ股沢を下降して車まで戻り奥只見ダムサイトにほど近い銀山平へ立ち寄ろうというものだ。通常は二泊三日のコースだが三泊四日プラス予備日一日の贅沢ともいえるゆったりとした日程。
会津丸山岳には2007年秋妻と素直の三人で「大幽沢 東の沢」を遡下降しているので二回目の訪問になるが、言うまでもなく丸山岳には登山道がない。登山道のある多くの沢のように遡行終了で一安心というわけにはいかない。だからこそ会津の秘峰と呼ばれているのであろう。しかも遡行する谷も下降する谷も私にとっては未知の谷。
一方、装備・食料計画については軽量化にはさほど神経質にならず、ある意味では贅沢三昧。たとえ稜線で猛吹雪となっても数日間は耐えられるという冬季用豪華装備。ザックは私が26kg、敦子が22kgという沢歩きとしては異例の重量となった。

10月9日(土)

敦子は夜勤明け。夜8時に四街道を出発する。
敦子はマイケルジャクソンのコミュニティサイトを持つほどの大ファンで、車の中で流れるのもマイケルジャクソンである。
渋滞は一切なく、12時過ぎに小出インターチェンジを出る。インターチェンジ近くの「駅の道・湯之谷」で仮眠。ここはすぐ近くにコンビニもあって非常に便利なところだ。奥只見ダムまでもそう遠くなく、前夜の入山時の仮眠場所としては理想的な立地条件にある。

10月10日(日) 晴れのち雨

明るくなってテントの外へ出てみると、曇り空。テントをたたみ、コンビニで朝食と昼食になるおにぎりを購入し、奥只見ダムへ向かう。
長いシルバーラインのトンネルを潜り抜け、奥只見ダムサイトへたどり着いてみると晴れている。
車上荒らしが心配なので民宿「とんじろ」近くに車を止め、ダム下へ向かう舗装路を歩く。以前はとても長く感じた道だが、今日は天気も良く、アブもいないので歩いていても楽しい。敦子と二人でおしゃべりをしながらテレテレと歩いてゆく。橋を渡りトンネルをくぐって袖沢林道へと入っていく。南沢の分岐点の橋で休憩する。
2005年の夏山合宿の時もここで休憩した記憶がある。あの時は雨でしかもアブ、そして濁流のような増水状態だった。ずいぶん昔のことのようにも思えるがたった4年前のことに過ぎない。
橋の脇でザックに腰をかけて、湯之谷のコンビニで買ったプリンを食べる。ごみは帰りに回収することにして、藪の中にデポして出発。
途中で乗用車が上流からやってきた。
運転していたおじさんが「白戸か?」と聞く。「いや北沢から丸山岳だ」と答えるとすくなからず驚いていた。袖沢乗越から白戸川メルガ股沢を遡行するのが一般的だからだろう。
袖沢沿いにどんどん歩いて行くと、前方から5人ほどの登山者がこちらへ向かって歩いてきた。船橋勤労者山の会のパーティーだった。仕入沢の入り口を探していた。袖沢乗越からメルガ股沢経由で丸山岳へ向かうという。仕入沢へ向かう踏み跡のところで別れる。ここは4年前に幕営した思い出の場所でもある。たしかに藪があって対岸の仕入沢は小さな沢なのでわかりづらい。
さらに林道を行く。北沢が流れ込む対岸の林道で沢支度をして袖沢を徒渉する。北沢は「えっ?」と声が出そうなほどに小さな流れで袖沢に合流していた。
秋の水は冷たい。それでも上ノ廊下の雪解け水よりは、まだましか。
しばらくは単調な河原が続く。
ちょっと飽きてきた頃、両岸が狭まりゴルジュとなる。水深は浅く、流れもさほどのことはないのだが、水が冷たい。秋の寒空の下でずぶぬれにならざるを得ないゴルジュの通過はしんどいものがある。敦子もずぶぬれになってしまった。
易しいけれど変化にとんだゴルジュ帯だけに水のぬるい時期であれば楽しい遡行となったに違いない。
ゴルジュを超えると再び単調な河原歩きが続く。空はいつの間にか曇り空となり今にも泣きだしそうだ。
すると前方に大きな滝が立ちふさがった。三段15m滝である。水量が多いせいか迫力がある。一段目は直瀑に近く堂々としている。近くへよってみると一段目は容易に左側の湿った凹角を登ることができることがわかる。
一段目を登ったところで雨が降り始めた。本格的な雨である。
二段目は倒木をまたぎながら水流を右側へ渡り、右のブッシュへと登る。出だしのつるつるのスラブは問題ないのだが、三歩ほど上の泥のステップへの立ち込みが雨でぬかるみ滑る。落ちると一段目の落ち口にある滝つぼへドボン。この滝つぼに落ちると脱出は難しそうだ。しばらく逡巡していたが意を決して立ち込む。
幸運にもスリップは免れた。
あとはブッシュにぶら下がりながら簡単に上へ抜けることができる。持参したピンソールを履くか簡単なフックを持ってくればよかった。もちろんお助け紐を出して敦子をビレイする。
三段滝の上で渓相は一旦落ち着きを取り戻す。一か所何の変哲もない滝で苦労する。大きなごろた石の滝だが正面は登れない。左の巻き道は雨でどろどろで滑る。このトラバースで落ちると、たとえビレイしていても後続者はグラウンドフォールしてしまう。たかが3mだが侮れない。私が危険なトラバースをして先行し、上から敦子をビレイする。ザックを荷揚げしてから、直登させようというのだ。オーバーハングしているので敦子も非常に苦労した。おかげで敦子のシャツは泥だらけだ。
標高900mを超えるころからやや傾斜が強くなり、ゴロタ石の重なる段々を登っていく。整地すればビバークできそうな場所が点在し始める。雨も降っていることだしそろそろ良い幕営サイトを見つけて腰を落ち着けたいところだ。
標高1030m付近で水流が三条にわかれて落ちる7m滝が前方に現れた。この滝のすぐ手前に先人のビバーク跡がある。整地がされているので好都合だ。この三条7m滝の上にも良いサイトがありそうだが、今日はこの物件で手を打つことにしよう。
荷を下ろし、テントを張って、その上をタープで覆う。雨がバラバラとタープを打つ。
全身濡れて体の芯まで冷え切っている。体は一旦冷え切ってしまうとなかなか温かくはならないものだ。特に臀部は氷のように冷たい。それでも乾いた衣類に着替え、温かい夕食を食べ、酒を飲んで、最後にプラティパス水筒にジョウゴを使って熱湯を入れて湯たんぽを作り、それと一緒に冬用の羽毛シュラフに潜り込めばポカポカだ。
ぐっすりと眠ることができた。

10月11日(月) 雨のち晴れ

シュラフの中でまどろみながら雨音を聞いていた。時計を見ると3時半。
雨か・・・・
4時になると目覚まし時計がわりの携帯電話のアラームが鳴り始めた。私たち家族にとって山中での目覚まし音として定番になっているハリーポッターの挿入曲「ホグワーツのクリスマス」
雨音を聞きながら夜の白むのを待つ。
しばらくして明るくなり始めた。雨はやまない。
この冷たい雨の中を全身ずぶぬれになって歩くのは避けたい。日程に余裕があるので停滞を決める。
停滞の日はある意味楽しい。雨の中でたき火をしたり、いろいろな料理を作ったりして遊ぶ。敦子は高級チーズをいく種類も持ってきており、それを賞味しながらウイスキーを呑むのも幸せだ。
最高傑作だったのはミズのきんぴら。ミズは周辺にたくさん茂っている。これの茎をきれいに水洗いし5cmほどの長さに切る。サラダ油で炒めて微量の化学調味料をふる。よく炒め終わって火をとめる直前に醤油をたらししてなじませ完了。好みに応じて七味などをふる。しゃきしゃきしとした歯ごたえが何とも言えない。
ミズのきんぴらをもっと美味しく食べる方法を二人で想像した。サラダ油の代わりにごま油を使い日本酒かみりんをたらしたらもっと美味しいだろう。いやいやサラダ油で炒めて最後にほんの少しバターと醤油を落としたら風味抜群になるかも。などと敦子と想像を巡らせるのも楽しい。
ミズは丹沢でも奥多摩でも沢であればどこにでもたくさん生えている山菜である。この山菜がとても美味しいことを教えてくれたのは谷川さんだ。飯豊の山奥で谷川さんはミズをあえたスパゲッティーを作ってくれたっけ。
ミズが素晴らしいのはこんな秋が深まった時期でも、茎が瑞々しく適度な歯ごたえがあるということ。しかもアクを抜く必要がない。夏に秋田の森吉へ行った時に米内沢の農協でミズを売っていたのを思い出す。
秋といえばキノコである。若いころからクライミングばかりに夢中だった私は山菜やキノコの知識に乏しい。キノコに関しては細田さんに教えてもらったナラタケとブナハリタケ、そしてナメリスギタケ、ナメコ、マイタケならわかる・・・たぶん。昨日も巻き道などで藪の中を歩いているときにキノコをさがしながらきょろきょろした。しかしながら収穫はなかった。
お昼過ぎに雨がやんだ。午後二時頃になると青空が広がり始めた。残念ながら谷底までは日差しは届かない。
たき火の炎の向こう側に流れる北沢の流れ。かわいらしい流れである。夜の帳が下りてきた。
私は横になってたき火を見ながらミズのきんぴらを肴に日本酒を呑む。
明日はきっとよい天気になるだろう。

10月12日(火) 晴れ

ホグワーツのクリスマスソングが鳴った。4時である。5時に起床することにしていたので敦子は起こさず、湯を沸かしてお茶を飲む。
5時過ぎに敦子を起こし、朝食の準備。昨日の冷や飯でお茶漬けを食べる。さらにお弁当のおかず用にシャウエッセンを炒めた。
荷が重い。
6時55分出発。
幕営サイトの目の前にある三条7m滝は右側を簡単に越えることができた。滝の上には良いサイトが点在している。周辺の木々はこれから紅葉の盛りを迎えようとしている。谷底には陽が差し込まず、薄暗く寒い。吐く息も白く手もかじかむほどだ。早く陽が差し込まないかなと待ち遠しい思いで空を見る。
大きな岩の転がる谷を小一時間ほど進むと10m滝が現れた。
ザックをおろし滝を観察する。直登は不可能だ。左を大きく高巻くかとも思ったが、右にチムニーがありこれを登ることができるようだ。
ここで初めてピンソールを履く。これを履けば高巻きは無敵のはずだ。20分ほど休んでから取りつく。出だしの数メートルの足場が悪い。チムニー内に入るとやや脆いもののホールドも豊富で登り易いのだが、問題は背中の大きなザック。これがつかえてとても登りにくかった。もちろんロープを出して敦子をビレイ。敦子はするすると登ってきた。
この滝を超えると二股に到着。右俣には5mの滝がかかっている。5m滝を登り右俣に入ると、にわかに滝が連続し始めた。どの滝も手ごろな難度で暖かい季節であれば十分に面白いだろう。だが、この季節に冷たい流水をかぶりながら登るのはできれば避けたい。
まずは段々になった10m滝。滝の左の凹角を登って越える。
次はゴルジュの中にねじれながら流下する7m滝だ。右に登路があるが出だしがサンドイッチクラック状で大きなザックがつかえて登れない。中段まで一旦荷揚げし登る。中段からはザックを背負う。上部はつるつるの樋状でこれが落ち葉と相まって滑る。途中に比較的新しいハーケンが残置されているが、グラグラ動き効いてはいない。もちろん上からお助け紐で敦子をビレイする。これを超えたところでようやく谷底まで陽が差し込み始めたようで、陽だまりでザックをおろし冷え切った体を温める。
すぐに7m滝。この滝のラインどりは見たところ水流の中らしい。全身ずぶぬれ間違いなしなので、巻くことにする。滝の少し手前左側の溝に取りつく。傾斜がきつく泥で滑って非常に登りにくい。一旦ザックをおろして灌木に飛びつくなどして登っていくが、足場が悪いのでハンギングビレイで敦子を確保。トップを入れ替えできぬほど体勢が悪く手間を食った。20mほどトラバースしてから10mの懸垂下降で谷底へ戻る。結局この滝を巻くだけで一時間を要した。
ほっとして、陽だまりで昼飯。湯を沸かし、弁当を広げる。シャウエッセンの弁当が美味い。
昼食後は小滝がいくつか続いた。
中には楽しませてくれるものもあり、私は思わぬ不覚をとってドボンと深い釜にはまる。せっかく濡れないように頑張ってきたのに頭の先までずぶぬれになる。それを見て敦子が大笑いする。
連瀑帯が一段落すると、いつしか沢はかわいらしい流れとなって小さく蛇行しながら源流の趣を漂わせ始める。
秋の午後の日差しを背に受けながら、のんびり遡行していく。変化に乏しいせいかやや退屈なひと時が過ぎていく。
いいかげんに飽きてきた頃、二股に到着。
遡行ルートとなっている右俣は10mの滝になっている。滝自体は登れないので右の灌木の生えたリッジに取りつく。
これを過ぎると左右から灌木が覆いかぶさるようになっていよいよ最源流部へ突入だ。傾斜も徐々に強まって、どんどん高度を上げていく。すでに16時。今日は丸山岳の山頂部の笹やぶの中で幕を張ろうと考えているので、水枯れの兆候の出てきた沢の水を6リットル汲んで担ぐ。
水が涸れ、傾斜の強い最後のどんづまりに達した。源流部は笹やぶの中に消えていた。やむなく右の笹やぶへ突入する。これがひどい藪で、おまけに大きなザックが灌木に引っ掛かって身動きがとれない。私たちはクモの巣にかかった昆虫のようだ。ガスがでてきて陽も陰ってきた。このまま藪の中で夜を迎えるなどということは考えたくないが、ひょっとすると・・・と心配になってきた頃、稜線にでた。
あたりにはガスが流れ、もうすでに薄暗くなっていた。
本来であれば笹を鎌で刈り払いサイトを整備しようと思っていたのだが、真っ暗になり始めたこの状況ではそれはできない相談だった。笹は一旦刈り払っても回復力が非常に強いので、数年で元に戻る。しかし湿原地帯の草原は一旦ダメージを受けると回復は困難である。そのため草原への幕営は避けたかったのだ。
右の「東の沢ヨシノ沢右股」方面へ少し行けば草原があることを記憶していたので5分ほど藪をこぐと笹やぶが途切れた。
あたりには静かにガスが流れていた。おとぎの国にでも迷い込んだような幻想的な風景の中に小さな草原があった。
ザックをおろし遠慮がちに草原の端っこにテントを張った。
ときおりガスが切れて遠くの山並みが残照の中に浮かんでいたが、まもなく真っ暗になった。ヘッドランプの灯りを頼りにテントを張り終わった。すぐに中に入り、夕食の準備。いつものカレーを食べ、暇つぶしに携帯電話を出してみた。私のムーバは圏外表示。ところが敦子のフォーマはアンテナが立つ。
「お母さん、いま丸山岳の山頂だよ。ごはん食べた。うんいい天気・・・」
敦子は妻と話している。
秘境といわれるこの丸山岳で携帯電話が通じることを知って、私はちょっぴり残念な思いがした。
ランタンの灯を消すと、沢の音も風の音も鳥の声も聞こえない。
「静かなり、ただ静かなり」などと井上靖「氷壁」の一節を思った。

10月13日(水) 晴れのち雨

稜線の朝は早い。5時前から黎明を迎えた。
快晴である。
7時前に歩き始めた。笹やぶを抜け、稜線沿いに丸山岳本峰へ進む。夜露でびっしょりと濡れる。
秋空を映す二つの池塘のあるピークから、さらに稜線伝いにいくと平らな丸山岳山頂である。
草原と笹の混じった低灌木があって、その低灌木の中に隠れるようにして三角点がある。展望は360度。二年ほど前に岳人編集部の岩城さんとここで会ったことを思い出す。9月15日発売の岳人10月号ではトムラウシのツアー登山客の遭難についての記事を岩城さんが書いていたが素晴らしい力作だった。
あまりのんびりもしていられないので、さっそく下山。ちょっとした水たまりが底なし沼状態で泥だらけになる。
会津朝日岳方面へと続いている稜線を進むが、すぐに藪となった。地形図と対比しながらメルガ股沢への下降点を探っていく。メルガ股沢源流部の斜面を確認し、下降に移る。笹の繁茂が激しく、それが絡みついて、苦労する。ようやく流水溝にたどり着く。やっと藪から解放され、ほっとする。
あとはどんどん下降していく。前方に田子倉ダムが見える。30分ほど下っていくと20mほどのナメ滝に出た。クライムダウンすることにして敦子がまず下り始めた。すると敦子はザックを背にしてウォータースライダーをやってのけた。これにはびっくりした。大丈夫かと声をかけると「うん平気」という返事が滝下から返ってきた。
大急ぎで左岸の笹と灌木伝いに下って敦子に合流すると、実際のところはスピードのコントロールができなくなって相当恐ろしかったようで「チョーこわかった」などと言っている。ここはロープを出して敦子をロワーダウンさせるべきだったと私自身が非常に反省した。
さらに下っていくと7m滝。これは懸垂下降する。滝の下へ立ってみるとここは二股になっており、左右ともに滝を持っていた。下降した滝は右俣にかかっていた。
更に下降していく。どんどん標高がさがっていく。懸垂下降を要する滝がさらにもう一つあって、これを下り終えると沢は徐々に傾斜を緩めていく。
晴れあがっていた空はいつの間にか雲に覆われはじめ、いつしかぽつぽつと雨が降りはじめた。
時計を見る。このまま下山を続けてもダムサイトの車にたどり着く頃には暗くなりそうだ。天気予報では大きく崩れることはないようなので秋山合宿最後の夜はメルガ股沢でむかえることにして下っていく。
ところどころに小滝があってそのいずれもがミニゴルジュを形成しておりかなり濡れる。しまいには全身ずぶぬれ状態になった。雨は本格的にしとしと降りはじめた。
秋の雨は冷たい。吐く息も真っ白だ。良いサイトがあればなるべく早く幕にしたいと思いながら下っていく。
三角点沢出合の少し手前に良いビバークサイトがあったので、時間は早いがここで幕を張ることにしてザックをおろす。このサイトは右岸にあり先行者によってきれいに整地されかなり広い。ゆったりとタープを張った。メルガ股沢はここから下には滝はない。流れ自体もかわいらしい。食料はふんだんにあるので食べ放題だ。時間をかけて玉ねぎを煮込み美味しいカレーの出来あがり。食後に敦子とおしゃべりをしたが、もうすでに次はどこへ行きたいという話題が中心だ。
しとしと雨も日付が変わる頃にはやんだようだ。

10月14日(木) 晴れ

ゆっくり出発する。5分ほど下っていくと三角点沢出合。さらに1時間半ほど単調な河原を下っていくと袖沢乗越へとつながっている小さな沢の出合に着いた。この沢は出合に5mの滝をかけてメルガ股沢に合流している。
ここでメルガ股沢とはお別れだ。階段状の5m滝を左側から越える。滝の上に整地されたビバークサイトがあって釣り人が残したのであろうブルーシートが打ち捨てられていた。
ところどころに踏み跡のある沢を40分ほど登っていくとブナの茂る袖沢乗越に到着した。
乗越からはそのまま仕入沢へと下るのではなく、数十メートルほど丸山岳方面へと続く踏み跡をたどっていくとごく自然に仕入沢への下降路へと導かれていく。下り始める地点の稜線上はビバーク可能な地形だった。踏み跡は急下降ながらもかなりしっかりとしていて30分ほどで仕入沢の底にたどり着くことができた。
いよいよ秋山合宿の最終コーナー仕入沢の下降だ。難しい個所はないはずだが、ちょっとしたことで怪我をするというのは大いにあり得ることなので、気を引き締めて下っていく。途中の岩棚では大きな蛇が日向ぼっこをしていた。
安全を期して懸垂下降を一回。倒木が多く歩きにくい沢をどんどん下っていく。長く感じるのは疲れがたまっているからだろう。やがて平坦になった沢の中を下っていくと前方に袖沢の流れが見えた。袖沢に出てみると川幅は今までとちがって圧倒的に広く、空も広い。明るく開放された感を覚える。
袖沢は美しい流れだ。袖沢をひざ下の徒渉で左岸へ渡り、林道へ這い上がってザックをおろす。2005年に袖沢の増水が引くのを待つためにテントを張ったのはまさにこの場所だった。
これで実質的には秋山合宿は終わった。あとは長い林道を歩くだけだ。
沢装束を解き、運動靴に履き替える。クッションの効いた靴底をもつ運動靴の履き心地の良さにちょっぴり感激する。
沢へ入っているこの五日間の内に紅葉はずいぶんと進んでいた。ブナを中心とした紅葉の木々の中を秋の日差しを受けながら林道を歩く。
敦子はマイケルジャクソンの「Heal the World」を口ずさみながら歩いている。私はそろそろ仕事のことが気になり始め少し遅れ気味についていく。
南沢の橋のたもとに隠してあったプリンの容器からなるゴミを回収し、下界との境界となっているトンネルを抜け、長い坂道を登っていく。ゲートの前までようやくたどり着くと、工事関係者の車が偶然やってきてゲートを開けてくれた。
民宿「とんじろ」前に停めてあったアウトランダー号に乗り込み、今回の秋山合宿のもう一つの大きな目的である銀山平へと向かう。
ダムサイトに並ぶ土産物屋や食堂には一切立ち寄らず、銀山平へとただひたすら車を走らせる。
シルバーラインのトンネルの中の交差点を左折して外に出ると、そこはもう銀山平である。
あいにくの曇り空で寒々とした秋の夕暮れ。
あの写真の撮影場所はどこだろうと、注意しながら走る。石抱橋を右に見てすぐに赤いアーチの鉄橋があった。この赤いアーチを見て、写真の左端にほんの少しだけ写っている鉄の構造物がこれであることに気がついた。ということは、撮影場所は石抱橋ということになる。すぐに車をバックさせ石抱橋へと戻る。車を止めて石抱橋の上から北の又川上流方面を見る。雲に覆われて越後駒ヶ岳は見えないけれど持参した写真と見比べるとやはりここだった。あの写真は石抱橋の上から撮影されたものだった。
天気の良い日にもう一度ここに立ってみたいものだ。
今回の秋山合宿のもう一つの目的は達成された。白銀の湯につかり、小出の街で食事をして、家路につく。小出の街並みは私たちが遠くから来た旅人であることを感じさせるもので印象的だった。
平日の夜の高速はガラガラにすいており、21時過ぎには家に帰り着くことができた。

近年まれにみる満足度の非常に高い山行だった。開高健が愛したという奥只見銀山平。近いうちに再び訪れてみたいと強く思った。
後日談だが、数日間にわたって岩をつかみ続けると指先が角質化する。それが為、敦子は下山後一週間ほどは患者さんの血管を探し辛いと嘆いていた。私は足の裏の皮がむけ、一週間して指先の皮がむけた。
すなわちザックが重すぎた。


参考資料
白山書房1998年発行「日本の渓谷97」
まほろば山岳会(浦和浪漫山岳会)年報19「渓」


10月10日
北沢下流域の流れは穏やかだ



10月10日
しばらくでゴルジュとなる
この季節に胸まで濡れるのはつらい



10月10日
三段15m滝



10月10日
三段15m滝の中段で敦子を手招きする
「いいよおいで」
と呼ぶ声も滝の轟音にかき消されがちだ


10月12日
最初にあらわれる10m滝
右手の窪からチムニーを登る



10月12日
二俣から滝が連続する
この滝はねじれながら流下する7m滝
それにしてもザックが大きすぎます



10月12日
このスラブはつるつる



10月12日
濡れることを嫌って巻いた滝
巻くのに1時間かかった



10月12日
源流の趣が漂う



10月12日
最後の10m滝
右の灌木の生えたリッジを登る



10月13日
右のまあるい山が丸山岳



10月13日
山頂で憩う
右手の鋭い山稜は会津朝日岳



10月13日
メルガ股沢への下降点を探りながら進む
このあと猛烈な密藪となる

10月13日
敦子がウォータースライダーをやらかした20mナメ滝



13日の幕場の前のメルガ股沢のせせらぎ



10月14日
左から落ちている細い滝が袖沢乗越へと続く沢



10月14日
メルガ股沢を足下に滝を登る



10月14日
石抱橋からの北の又川上流方面の眺め