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4.「わが山々へ」/5.「大いなる山の日々」ワルテル・ボナッティ 近藤等/横川文雄 訳 白水社

いよいよ、重たい著作物の登場です。もうボナッティがどのような位置付けにあるアルピニストかは、言うまでもないでしょう。・・・ところが知らない人がいるんです。本当に仰天しました。
でも、そうかもしれませんね。「ボナッティは古今東西を通じて最強のクライマーである」とダグ・スコットも述べています。
え?
ダグ・スコットも知らないですって?そうですねボナッティを知らないのであればダグ・スコットは知らないですよね。だんだん登山界のシーラカンス状態になりつつある自分を感じます。近代アルピニズムの系譜をまとめて次の世代に伝えることのできる残り少ない「語り部」こそ私なのかもしれません。余計なお世話だ!と言われそうですね。止めておきましょう。
さて、「わが山々へ」と「大いなる山の日々」は別々の本になっていますが、上巻、下巻という位置付けで捉えたほうが良いでしょう。
上巻とも言うべき「わが山々へ」を読んでその内容の重さに打ちひしがれました。
「この思想をそのまま実践したら最初の数回目であの世行きだ!」と茫然としたのです。読んだ当時は私も10代だったので、精神を汲み取るというよりもボナッティと同じような山登りをしなければならないと思ってしまったのです。
上下二巻を通じて山行記録の体裁をとりつつ人間の生き方というテーマがボナッティなりにつづられ、「大いなる山の日々」に至ると「人間の進歩を実現している」とまで言うのです。これがボナッティのすさまじい登攀記録に裏打ちされた考え方だけに、ぐうの音もでないのです。
この考え方は少なくとも昭和40年代のクライマーたちのバイブルともいえるものでした。
実際、私の山の師匠である大木さんもボナッティと同じ考え方を持っているようで、ひとつひとつの登攀に精神的な何かを求めることを私に要求していました。
前置きはこれくらいにして実際の記述の中で印象に残るいくつかのフレーズをたどってみましょう。
ショッキングな記録のオンパレードでどれを取り上げたらいいのか迷うところですが、まずは「わが山々へ」を見てみましょう。多くのクライマーがひきつけられるのは、ドリュの南西岩稜の投げ縄のシーンでしょう。クライマーにとっては、読んでいるだけで冷や汗が出てくるような代物です。
ですが、ここでは別の章を取り上げます。「ブルイヤール氷河の赤い岩稜」の章に記述されている、アンドレア・オジオーニとの第二回目のアタックでのビバーク中の一場面です。

ぼくはオジオーニを起こして、ぼくのプランを説明する。三分後・・・・・ 彼はいびきをかいている!なんて始末の悪い男だろう。ぼくはどなりつけたくなる。それなのに、この食えぬ相手は、これからすこしして、ぼくがお茶を暖めている間に、こんなことを言う。
「よく眠ったよ。なにも天気が悪いのを馬鹿にしているわけじゃないがね、君のほうで心配してくれていたんだから、なにもおれまでくよくよすることはなかったわけさ。第一、気をもんだって、どうしようもないじゃないか。」そして、彼はドウッと笑った。

この「ブルイヤール氷河の赤い岩稜」の章の始めにボナッティはこうも書いています

アルピニストとしての生涯で知り合った数多くの仲間のうちでも、オジオーニは、ぼくにとって最もかけがえのない仲間のひとりである。ぼくらは同じ態度で山を理解していたので、このことが人生においても、ぼくらふたりを兄弟のように結びつけていたのである。

ボナッティとオジオーニは同い年、二人が19歳のときグランドジョラス北壁ウォーカー側稜を登攀して登山界にデビューしたのです。
そして「わが山々へ」の最後の章で、友オジオーニを失いって「わが山々へ」は次の文章で結ばれています。

仲間たちの遺体は、ヴィエイユをのぞいて次々と収容された。「オジオーニは死んだ・・・・・」この言葉を聞いて、おさえがたい悲痛な気持ちに胸をしめつけられる。救援隊が発見したただひとりの生存者の親愛なマゾーは、ぼくに抱きつき、いっしょに泣く。

さて「大いなる山の日々」へ移ってみます。この本の見せ場は驚異的な登攀記録を次々と打ちたて、数々の遭難を生き抜いたボナッティに対する誹謗中傷そして妬みに「アルピニズムよ、さらば!」と決断し「マッターホルン北壁---最後の単独行---」へとつづく一連の章です。しかしながら、私が注目したいのはむしろ「わが山々へ」「大いなる山の日々」の内容からは異質ともいえる「ゼウスの膝もとで」と「寒極」の二つの章です。特に「寒極」は冬のシベリアをテーマとしたもので登攀記録が一切なく、タイガの冬を描写しながら大自然に対するボナッティの憧れがつづられており「アルピニズムよ、さらば!」後のボナッティの歩む道を示唆しているしているように感じるのは私だけでしょうか。
「大いなる山の日々」にはもう一つ示唆的な記述があります。それは本の扉に記載された次の一言です。

---偉大にして古典的な山登りの若き最後の希望であるラインホルト・メスナーに---

リカルド・カシン、ワルテル・ボナッティ、ラインホルト・メスナーへと脈々と受け継がれた東部アルプスの六級クライマーの系譜です。ボナッティは自分の後継者としてメスナーを指名しているのです。