山岳連盟の会合などの席で登攀を“トハン”と読まれてギョッとしたことが何度かあります。前穂北尾根四峰を指して”ヨンポウ”、屏風の頭を指して”ビョウブノカシラ”と呼んでいるのはご愛嬌という感じですが、“トハン”は勘弁してもらえませんでしょうか。

言葉について

高須 茂著「登山談義」より

ある百科辞典の編集部で“日本”の読み方を“にほん”とするか“にっぽん”とするかで頭を悩ました末、“にほん”に統一することになった。

そう決めるまでに、その編集部では“日本”を名称につけている各種の団体について、正式な名称としては、どちらの読み方を用いているか問い合わせて見たそうだ。もっとも電話で返事を求めたので必ずしも正式に確認されたとはいえぬようだが、とにかく“にほん”と“にっぽん”と二様に読み方が、広く共存していることが明らかにされている」云々、 ----これは某月某日の朝日新聞の「今日の問題」の冒頭であるが、なるほど“日本”の読み方は、ニホンサンガクカイ、チュウブニッポンシンブンの例をひくまでもなくたしかに二通りある。が、これはジパン、ヤパン、ジャポン、ジャパンの外国語が示すように、P音のはいる方が根源的な読み方であるかもしれない。-----戦時中、「ジャパン・タイムズ」が「ニッポン・タイムズ」になったように、一時、この読み方は“ニッポン”に統一されたはずである。が、戦後に、制定されたこの国の憲法は“ニホンコクケンポウ”であった。

どうも日本語というのはむつかしい。

登山用語の中にも、これと同じような例がある、たとえば、“登”という文字は、登山の場合には普通“ト”と読む。しかし、そのほかではほとんど“トウ”である。“登攀”や“登頂”をトハンとかトチョウとは読まない。トウハンであり、トウチョウである。試登、登降、登壇、登載、登臨、登竜門、すべてトウである。登高も正しくはトウコウである。登をトと読む例外は、登山と登城があるだけである。----ところが、若い人々が登山の話をしているのを聞くと、そのほとんどが、トハンとか、トチョウとかいっている。登山がトザンだから、これは無理のないことであるが、ラジオやテレビのアナウンサーも、NHK以外のそれはたいていトハンであり、トチョウである。
地名にいたってはびっくりするような読み方をしている例が少なくない。梓川をシンカワ、守門岳をモリカドダケ、剣の東大谷をトウダイコク、殺生小屋をサッショウゴヤなどといっているような極端な例もあるが、これはいうまでもなくアズサガワであり、スモンダケであり、ヒガシオオタンでありセッショウゴヤである。しかし、八幡平をハチマンダイラ、天狗平をテングダイラ、葱平をネギダイラなどと読んでいる例はしばしばである。これをハチマンタイ、テングビラ、ネブカビラと読ませるのは、今日ではもう無理なのかもしれない。黒部の平ノ小屋など、正しくはダイラノコヤで、濁るのが本当である。
シロウマではわからなくとも、ハクバといえばわかるように、バンドコロではわからずバンショの方がわかる当世である。
「国立公園読本」というグラフを見ていたら、“秩父多摩国立公園”の部に、甲信武ガ岳、国師ガ岳というのがあったが、五万分の一地形図もこのごろはこれにならっている。しかし、これはコブシダケでありコクシダケが本当である。「甲信武ケ岳伝奇」などという小説に使われていただけである。なお、八ヶ岳を八ガ岳、槍ガ岳などと、固有名詞にまで新仮名遣いにするのは不快である。便利主義もここまでくると情けない気がする。
北アルプスの抜戸岳をヌクトダケ、大天井岳をダイテンジョウダケと読む人が多いが、これはヌケドであり、オテンショウである。徳本峠はトクゴウトウゲ、涸沢はカラサワであるが、これをときどきトクモトトウゲとか、カレサワと呼んでいるのを耳にすることがある。これほどポピュラーになった地名でも、このありさまである。
(中略)
オジカ沢ノ頭とか、マミエ尾根ノ頭とかいう頭をカシラと読んでいる人もあるが、これはアタマである。これは枝尾根や沢の源頭にあたる隆起で、主峯でないのが普通である。山を人体にたとえて、カタ、コシ、ハナ、アシなどという一連の言葉があるが、アタマもその一つなのである。
踏跡はトウセキではなくフミアト、乗越はノリコシでなくノッコシ、御室はミムロではなくオムロ、・・・・などと書いているときりがない。
(中略)
なるほど言葉は生き物である。いつまでも古い読み方にとらわれる必要はないかもしれない。しかし、新しい読み方がみな間違いで、それがほとんど無智からきているのだとしたら心細いではないか。
国会の選良(?)たちでさえ、オイカサラマサヨサン(追加更正予算)とか、エケチット(エチケット)などという日本語をふりまわしているこの国のことである。村会あたりになったら、とんでもない言葉がいりみだれるのはしかたがないことかもしれない。しかし、我利我利のボスどもはともかく、本当に登山にうちこみ、正しい記録を書こうという人びとなら、もう少しこの方面にも神経をつかうべきであろう。

高須茂著 「登山談義」 東京中日新聞出版局1963