自己紹介

年代

東京オリンピックの時には小学校3年生。マラソンの円谷幸吉、重量挙げの三宅兄弟、東洋の魔女、アベベ、ヘーシング・・・全てテレビの前で興奮したことを生々しく覚えております。ちなみに大阪万博は中学校3年生の時のこと。

趣味

15歳以降、山に関連しないことに興味を持つことはほとんどないというカタワ者ですが、家族のこと・職場のこと・自分の体重のことなど悩みは尽きません。
2003年6月に自宅近くに「i.c.e.SportsClimbing」というジムができたので、年間会員になっておりましたが、2005年閉鎖となりました。
このジムができる前は自宅の8メートルの屋外クライミングウォールを登っておりました。いい年こいたオジサンがたった一人で夜中に壁を登るというのは異様な光景でした。ジムを通じて知り合った石渡青年と奥鐘に行くことができたのは良い思いでです。
ジムが閉鎖されたので、自宅の壁も大幅にリニューアルしなければなりません。今年、長男素直が成田高校山岳部に入って、クライミングをしたいと盛んに言っております。屋外壁は夏には蚊に悩まされ、冬はひじの痛み、そして規模が大きすぎる為にどうしてもトップロープ形式にならざるを得ないことなどを考えると、エアコンの効いた屋内ボルダー壁の設置が望まれます。これには家族の猛反対をクリアしなければなりません。
クライミングはボルダリングが中心でプラスチッククライマー化しつつありますが、実は一番好きなのは・・・・沢歩き、縦走や長い本番も結構好きです。

山のきっかけ

中学校二年の国語の教材であった槇有恒の「アイガー東山稜」を当時千葉山岳会に所属されていた山田先生に教えてもらったこと
そして中学二年の時に友達と八ヶ岳の美濃戸まで行ったこと
垂直志向へのめりこんだのは、高校時代の一級先輩に大木友康さんがいたのが原因です。

山の仲間

銚子の開拓や日光の開拓、古賀志、城ガ崎、小川山、穂高など山や岩場で親しくなって今でも一緒に登ります。仲間の多くは千葉・茨城・栃木・埼玉のクライマーで年配者が多く私は勝手に「極道一家」と呼んでいますが50歳代が中心なので「ジパングクラブ」という表現の方が正しいかもしれません。
その中でも圧巻は1960年代に一ノ倉沢の衝立やコップの単独登攀をしたソロクライミングの先駆者である鉄人土橋師匠63歳です。
さらに笠間のエモーション初段の初登者であり、私達の教祖的存在の小見川の上田さん、
土橋師匠のパートナーで山岳カメラマンの斉藤さん、
壁を登れるヒマラヤニストでビッグウォール志向のイブシ銀の木内さん、
大病を経験し現在クライミング休眠中ですが、バリバリのクライマーだった飯田さん、
古賀志のヌシであり渓流釣りの達人でクライミングの達人でもある谷川さん、
エクストリームスキーのためのクライミングという命知らずにも思える石田さん、
長谷川恒男氏とチョモランマ北壁の経験を持ちながら二子山の「乾杯5.14a」初登者であるご存知千葉の怪人こと銚子の島田さん、
島田さんに鍛えられた5.13クライマーの佐原の宮崎さん、
「とある岩場」で不可能視されていた課題を次々にと登りまくり、ただの石ころに命を吹き込んでいく岩間の沖野さん、守谷の矢野さん、
飄々として高難度課題を登る野田の梶谷さん、
奥様とオシドリで幕岩の冬壁まで登ってしまうガイド資格を持つ中西さん
そして45歳のときにクライミングを始めバリバリの本番クライマーになってしまった野田の尾崎さん
このようにすごいメンバーばかりで私はヒヨッコの部類になります。

尊敬する人

第一は亡父ですが、山の世界では松永敏郎さんです。

日本のクライマー

ボナッティもさることながら日本にもすごいクライマーがいます、というかいました。現在ではユージや山野井ということになるのでしょうが、私が現役の頃に憧れた印象深い日本のクライマーを挙げて見たいと思います。
・小谷部全助
・近藤邦彦
・今野和義
・鴫満則
・古川正博

家族

喜寿を幾つか越えた母に
妻、看護学校3年の長女、大学1年の次女、高校1年の長男
合計6人家族

生活の糧

普通のサラリーマンといいますか従業員。大学卒業後二十数年間同じ会社で過ごしております。83年から87年にかけては札幌で転勤生活したこともあります。
現勤務地の品川まで通うのが大変で朝4時30分に起床して5時45分に玄関を出ます。品川のオフィスのデスクにたどり着くのは7時15分。帰りは21時頃でしょうか。陽の短い冬期などは行きも帰りも真っ暗です。中間管理職の悲哀などとよく表現されます.。大変なことも少なくありませんが結構楽しく過ごしています。
出張は他の人に比べると比較的多い方で、出張先で旨い酒と肴に舌鼓を打つのが楽しみにしているのですが、実際には仙台や新潟は当然ながら日帰りで、札幌ですら羽田の始発便で発って千歳発の最終便にやっとで間に合うというようなことも少なくありません。

居住地

大分県中津市生まれですが、千葉県四街道市に昭和39年の11月より居住しております。四街道小学校から四街道中学校、そして佐倉高校に至って・・・ついに山登りに脱線してしまいました。
四街道市はところどころに水田が残り、里山を感じさせる雑木林が点在しています。田舎の雰囲気がまだ残っていますが、いつまで残っているやらと心配になります。
2007年現在、佐倉高校時代の3年H組のクラスメイトである高橋操が四街道市長をしており、それがまた四街道への愛着を高めているのかも知れません。高橋とは半年に一度のペースで酒を飲んでおりますが、彼は高校時代から志の高い男でした。
さて、四街道市はとても住みやすいところですが、山登りの観点から見ると北アルプスや八ヶ岳に行く時の首都高速と中央高速の渋滞が頭痛の種です。
そして通勤もまた然りデス。