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親しい仲間で個人のホームページを開設しているのは小野さんだけでしたが、最近少しづつ増えてきましたので、大幅にリニューアル!

友人のホームページ

栃木のクライマーと仲が良い。なぜだろう?私が思うには要因の一つは上田さんだと思う。上田さんの奥様の実家が宇都宮にあるということが古賀志に行く回数に影響を与えたのは否定できない。むろん柴田君が壬生町に居住していたり、千葉には岩場がなく古賀志へ行かざるをえないと言うものがあるにはあったが。
そして受け皿として古賀志に谷川さんがいた。谷川さんの存在は本当に大きいと思う。古賀志の常連で谷川さんを知らない人はおそらくいないのではあるまいか。そして栃木のクライマーとの交流は更に密になっていった。

フリークライミングジム DeadPoint
小野巳年男のホームページ。私がしばらくフリークライミングから遠ざかっていた時期の年賀状に「片足になっても登ってるぞー!」という書き込みとともに片足で登る写真が・・・。しばらく事情が飲み込めなかった。その後、事情を知るにいたり安易なコメントがはばかられることを思い知る。
現在は山形に住んでいるが、以前は福島に居住しており福島から白いジェミニで銚子や湯河原、城ケ崎までやってくる当時からすごい根性の持ち主。もともと抜群に上手く仲間内では島田貞雄に対抗できる唯一の存在であったが、片足になっても自己の限界を目指す姿には感動を禁じえない。
思わずジョリュジュ・リバノスに対する賛辞を思い起こさせてくれる。
即ち「小野巳年男の後に小野巳年男なく、小野巳年男の前に小野巳年男なし」
小野巳年男に幸あれと願う。
上だくらぶ
45歳で山登りを始めたという団塊の世代の希望の星である尾崎さんのホームページ。現在、仲間内で質・量ともに最も高いレベルで活動している一人は尾崎さんでしょう。ご自身は「泳ぎ続けていないと死んでしまうマグロと同じなだけさ」と謙遜しているが活動量が半端ではありません。いわゆる本番クライミング志向で古賀志などでアイゼンでクライミングしている人がいたら、それは尾崎さんかも。
このホームページを読んでいれば千葉県と栃木県の極道仲間の近況はおおよそ把握することが出来るといっても過言ではないと思います。
なお「上田くらぶ」という団体が日山協や労山に実在するわけではありません。上田さんにちなんで命名したようです。ご自身は千葉岳連加盟団体で野田市に本拠を置く憬稜登高会会員。なお、憬稜登高会には千葉県山岳連盟や日山協で私がお世話になった大先輩の方々がたくさんいらっしゃいます。
Mountain & Surf
石田さんのホームページ。彼のまわりにはいつも楽しい笑いがたえることがない。サーフィンからエキストリームスキーの世界へ足を踏み入れ、冬山を滑るなら山の技術を習得したほうが良いと考えて一同心に入会したのが運のつき。島田さん、木内さん、上田さんに鍛えられてメキメキ上達しクライミング全てのジャンルをこなす。近年、谷川岩魚師匠の影響で渓流釣りを活動の一つとして取り入れようとする仲間が多いが、石田さんもその一人。つまりアウトドアフィールドの達人なのである。ホームページの語り口は軽妙で、読んでいて楽しく、頭の回転の速い人だなぁとつくづく思います。
ここの所Blogが充実で、夜中にこっそり読んで、笑い転げております。
宇都宮アセントクラブ
千葉と栃木のクライマーとは古賀志を通じて交流が深い。筆頭は谷川岩魚師匠であるが、宇都宮労山の仲間たちともよく遊ぶ。近年、宇都宮労山から分離独立した宇都宮アセントクラブのホームページ。田村さん、安藤さんを始めとしてみんなお友達。

山・クライミング関連の個人ホームページ

アルコウ会78年度卒業生
千葉市稲毛区の長沼原町の県道66号線沿いにある住友重機の正門前の三差路から四街道市鹿放ヶ丘の遠近五差路へと向かう道路がある。北東へと向かうその道はしばらく市街地であるが間もなく道の両側には木が生い茂り始め頭上を覆う。そして緑の中を大きく上下に起伏しつつ直線道路は1.2km続いて遠近五差路に至る。
その起伏の入口に落花生とトウモロコシの畑がある。その畑には7月下旬になると焼トウモロコシの小屋が開く。おおよそ一ヶ月ほど開いているその小屋は8月の下旬には店じまいする。
今年も海の日(2009年7月20日)に営業を開始したことを知った。
私はこの焼トウモロコシを食べる。そしてある人のことを思う。
長女敦子にとっては「人に必要とされる人間」であることの幸福を初めて教えてくれた大切な人。そしてあの日、放心したように涙を落していた敦子の後姿。
私は時折読みかえし、他者への思いやりの心を最後まで持ち続けたこの人が天の使徒のようにも感じられ、そのたびに胸を詰まらせる。
山を愛し家族を愛しそして愛されたYさんの「いのちのブログ」
上坂淳一さんのホームページ
鉄人土橋師匠からご紹介を受けた上坂さんのホームページ。渋い大人の山登りの数々。山を良く知る人間から見ると小手先のテクニックだけでは解決できない記録の価値がわかり、脱帽である。
ボルダ―の初段が登れるかどうかという価値観とは一線を画するハイレベルの記録が並ぶ。
私には難度が高すぎて真似ができないのが残念。鉄人土橋師匠の世界に通じる玄人の世界であり、私のような子供が立ち入る世界ではない。

ファミリーハイキング関連

子供との山登りは丹沢にしても屏風岩にしても、基本的にはファミリーハイキングそのもの。のんびり楽しく余裕を持って登ります。
そんな愉快な山登りに関するメーリングリストに加入しています。とてもほのぼのとした便りが届くので楽しみにしています。その中で知り合った皆さんのホームページ。

ファミリーハイクと山スキー
勝沼在住の近藤さんのホームページ。家族との楽しい記録と大人のオヤジの哀愁ただよう記録が混在。オヤジの哀愁を感じさせる記録にひたすら共感する私です。ネットで知り合った近藤さんですが池袋の飲み屋でリアルのご対面を果たしております。
そのうち是非ご一緒したいと思っております。

ジム関連

ミストラル
島田貞雄の弟子の柴田君が経営するクライミングジム「ミストラル」のページ。
私のホームジムだった「i.c.e.SportClimbing」に比較すると規模が破格。特にリード壁の規模には圧倒されます。島田さんや上田さんが「みんなでミストラルへ行こう!」と言っております。
ミストラルは我が家から52kmの距離にあります。スポーレは56km。したがってミストラルのほうが近い。しかしこれは距離の問題ではない、仲間がジムを経営しているのだからミストラルへ行くべし!という話。・・・ちなみにi.c.e.は我が家から5kmでした。
ハイハイわかりました木村先生。ミストラルへ行きます。でもグレードが辛すぎるような気がするんですが・・・。え?なおしたって。
そうですか?うそばっかし!
船橋ロッキー
オーナーの田村さんとは古い付き合い。田村さんがジムを開設した時には本当に驚いた。誰もが「千葉ではクライミングジムの経営は不可能」と思っていた。今でも楽ではないだろうが、あの当時にジムを始めたという勇気がたいしたものだ。千葉におけるフリークライミングジムのまさに先駆者。

山のショップ

ヨシキスポーツ
大昔、千葉で登山用品を求めるとなると「ウチヤマスポーツ」でした。ウチヤマスポーツは千葉山岳会の内山さんが経営していましたが、クライミングギア類は品揃えが十分ではなく、私たちは東京まで行って装備を買っていました。
1970年代当時は都内にたくさんの登山用品店があり「四谷の欧州山荘」、「水道橋のチョゴリザ(後に四谷へ移転)」などにはよく行ったものでした。
そんな中で津田沼にヨシキスポーツがありました。時々立ち寄ってはいましたが京成津田沼駅のビル内というロケーションでしかも専門的なギアは扱っていない・・・当たり前ですね。国鉄沿線の私にとっては不便な店という存在でした。
それがJR津田沼駅近くに移転。1989年千葉岳連でクライミングコンペを開催し、その時に吉野社長に商品の提供をお願いすると快く引き受けてくれ、それ以降恩義に感じてよほどのことがない限り、ヨシキスポーツで買い物をしています。
1000円高かろうが安かろうが恩義に報いるのは大切ですね。専門ギアに関しては取り寄せてもらっています。数百円のリベットハンガーのオーダーに対しても嫌な顔一つしないで、取り寄せてくれるありがたい存在です。
登山用品店やメーカーの変遷に関しては、あらためて記述したいと思っております。

相互リンク

相互リンクを申し入れていただいた、ありがたい方々のサイトです。

Appealing_K
質の良い道具を長く使い続けたい。登山を共にしたくなるような上質の道具。実用性一点張りの合理性と感性に訴えかけるような道具だけがもつ高いレベルでの矛盾。そんな道具にめぐり合えたら20年、30年と使い続けたくなる。
30年近く前にICI石井スポーツで買い求めた帆布と皮革で製作された容量30リットル前後の一本締めのザック。国内のほとんどすべてのクライミングで私の背にあったザック。一ノ倉沢でも、滝谷でも、奥鐘山でも、丹沢の沢歩きでも、いつも私の背にはこのザックがあった。
このザックが一昨年、壊れた。留め金やピッケルホルダーなどが壊れて自分で修理したことはあるが、一本締めの革バンドが切れ、しかも布地がボロボロと裂け始めたのである。さすがにお蔵入りさせるしかない状態となった。
質の良いザックがほしい。
そんな中で偶然見つけたザックメーカーがある。ザックメーカーという表現は正しくないかもしれない。山にのめりこんでいた男が自分の使いやすい道具を自分で作っているうちに他人に売るようになったというような表現のほうが的を得ているかもしれない。動機がイヴォン・ショウィナードと一致する。
製作者は小勝さんという。山岳ガイドの傍らザックを作っているというべきか。このホームページで「ルックザック25」見た瞬間にこれだと思った。
納得できるザックが見つからなければ自分で改造するしかないかなと思っていたが、その必要性はないかもしれない。
小勝さんにこれから製作をお願いしようと思っているが、手元に届いたら実際に山で使って、使い心地などをあらためて報告したい。
家族で山遊び
我が家と同じように、子供たちと一緒に登る長野県にお住まいの田中さんのサイト。
サイトを拝見すると長いクライミングとの係わり合いの中で家族との山登りに至った様子がわかり、山やクライミングに対する嗜好が私に近くとても親しみが持てる。
1970年代後半から始まったフリークライミングの波は、フリークライミングの歴史の中で語られることが多く、従来からの山登りの歴史の中で語られることはあまりない。1970年代後半の日本のクライミング界は行き着くところまで行き着いた閉塞状態で、フリークライミングへの回帰は自然な成り行きだった。多くの若者たちがより充実したクライミングを求めて人工登攀を排除しフリークライミングに没頭した。それは当時の雑誌「岩と雪」のクロニクル欄を読んでいればよく理解できる。だから当時「岩と雪」に少なからず影響を受けていた人たちにとっては、従来からの山登りと現在のフリークライミングとは連続線でつながっており、フリークライミングに対する違和感と言うものはまったくない。
このような若者たちは現在40代後半から50代後半の中高年になっていると思う。そのようなオジサンたちを私は「岩と雪世代」と呼びたい。そう、田中さんは私と同じ「岩と雪世代」のようだ。
それにしても、お住まいのロケーションが素晴らしい。千葉在住の私としては羨ましい限り。2007.03.11記述

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