ファミリー登山の実際

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5.岩場の技術について

とにかく子供は何をするか予想もつきません。たとえば槍ヶ岳の穂先を登っていて、次女は手にアブが止まっただけで、「キャー」といって手を離してしまうのです。ある時には先頭を歩いていた長男が登山道の石ころにとまっていたハエに驚き子供三人が将棋倒しになったこともありますし、前穂の吊尾根でロープに荷重がかかったなと思って振り向くと長男が崖にぶら下がっていたなんてこともありました。歌を唄いながら歩いていた長女が突如左側のお花畑に転落したこともありました。
ここで事故を未然に防いだのがビレイシステムです。私の採用するビレイシステムはヨーロッパアルプスのガイドがモンブランやマッターホルンなどに客を案内するときに使っている方式です。
彼らが登る山は本格的なものなので 50mロープを使用しますが、北アルプスの縦走では重いし、長すぎて必要なときにすぐに取り出すことができません。
何らかの理由でスクラップにした径9mmのクライミングロープを長さ6mから8m程度で切断し、それを子供のハーネスと連結。登りでは私が先頭を行き、下りでは子供を先行させます。
このときに大事なのがロープをたるませないということです。軽い緊張状態にしておくことで、子供の微妙な動きがロープを伝わって手に達します。手のひらの中で微妙に動くロープに神経を集中させます。そうすることで後ろにいる子供がどのような動きをしているかを知ることができるのです。
ただしこの方式で、トラバース時に同時に二人をビレイしなければならないときには、ロープワークに細心の注意が必要です。例えば子供たちを後続させている場面を想像してください。私に近い一人が落ちたときにロープがクロスして、後続のもう一人を巻き添えにしてしまう可能性があるからです。これは逆の場合でも同様です。
このような場合には二人の子供の間に確保者である父親が入ります。そうなると、前後二人の子供に同時に注意を払う必要に迫られます。しかも子供ロープをたるませないように軽い緊張状態にしておくことはほとんど不可能です。わかりますよね、不可能だということが。登りなら登り、下りなら下りとはっきり識別できるのであればこのような悩みは生じないのでしょうが、トラバースでは悩みの種です。
登山道の多くの部分が斜面のトラバースで構成されていることを考えるとトラバースで二人の子供を同時に確保するのはそれほどの自信と確実性が求められます。日本山岳協会の指導常任委員やクライミング常任委員を経験している私でも、二人を同時にコンティニュアスで確保することが出来るのは極めて限られたケースであると思っています。逆にいえばトラバースでは同時に二人をコンテニュアスで確保せざるを得ないような事はしてはいけないということになります。
二人を同時にコンティニュアスで確保可能な典型的な例はクライミングルートに近いコース、そうです槍の穂先への登頂などの極めてまれなケースに限られることを理解していただけると思います。
ではトラバース時にはどうしたらいいんでしょうか?落ちたらお陀仏というようなコースであれば、迷うことなく子供三人を通過させるために三往復するということです。それ以外に解決策はありません。
さて、登りや下りで距離が長いときには、コンティニュアスクライミングよりもスタカット・クライミングの方が効率的で確実なので 8mmの30mロープを使用します。登りでは私が先行し、子供三人がそれに続き最後に女房がフォローします。下りでは女房を先行させ最後に私がクライムダウンします。高さが15m以内の場合には30mロープを二つ折りにして輪を作り、ベルトコンベアのようにして女房・子供を登らせます。
長いクサリ場ではクサリの終端にこぶを作りビレイが開放されないようにしてから、子供のハーネスをロッキングカラビナでクサリに連結するというようなことも併用します。
いずれにしても縦走路というものは厄介なもので、あまりビレイにこだわりすぎるとコースタイムを大幅に超過してしまい目的地に達することもできません。通常は一番年下の長男と一日中ロープを結びっぱなしにしています。安定した歩きやすい登山道でも、こけたらおしまいというような場所では長女・次女をビレイします。このとき大切なのは登山道が歩きやすいかどうかが問題なのではなく、落ちたらどうなるか?という基準で判断します。そういった意味で大キレットから涸沢岳のように歩きにくくていかにも危険というような登山道は判断がしやすいのでむしろ扱いやすく、奥穂・前穂間の吊尾根などは歩きやすいが落ちたら死亡事故というような登山道は要注意です。縦走路の安全確保はそういった曖昧さをもっており、本格的なクライミングルートのほうが私は扱いやすいと思っています。
なお、自宅にクライミングボードがあり、家族で登っていますが、難しいムーブをこなせる事と登れる事はイコールではありません。難しいムーブをこなせることは、必要条件の一つに過ぎず、何が危険なのかを知ることこそが重要であり、それに対処するための一つとして具体的なロープの扱い方を父親が習熟している必要があります。
もし、この「賀来家のファミリー登山」を読んで、お子さんを本格的なコースに連れて行きたいと思ったならば、一度父親が冬に例えば大同心正面壁などを単独で登ってから実施することをお奨めします。リーダーまかせのクライミングはあまり身に付きませんから・・・。