ファミリー登山の実際

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2.Step by step

一番目のハードル

最終人家まで10km以上離れた深い山の中で、眠ることができますか?ここではそんな環境で眠ることができるようになることを目的とします。
山の経験がない普通の人にとって、野外で生活すること、それもテント生活を続けることはひとつのハードルになります。薄い布地一枚で隔てられているとはいえ、深い山の中で寝るのに恐れを抱いているのです。人の気配などどこにも感じられない真夜中、暗い森の中から獣がじいっとこちらの様子をうかがっているような・・・。私でもたまには怖くなることがあります。
しかしながら冷静に考えてみると、森の獣たちのほうが人間を恐れ、遠くから様子をうかがっているのは、当たり前といえば当たり前のような気もします。そう、森の動物たちは息をひそめ私たち人間を凝視しているのです。
あなオソロシや!
このハードルを越えるにはオートキャンプという形式がベストだと思います。テントの脇に車があるだけで、気分がぐっと楽になります。そうでしょ?少なくとも私はそうです。
文明の利器"車"---を持ち込んでおいてワイルドな野外生活を楽しもう!なんて不埒なようで少々気が引けますがここは妥協します。アウトドア雑誌などで「道具に頼らないシンプルなオートキャンプをすべきだ」などという主張を読むと笑ってしまいますが、道具の最たるものこそ"車"であり、"車"を持ち込んでおいてシンプルもへったくれもないのです。そういった意味で日常生活に限りなく近い野外生活といった感じです。
おっと、話が脱線してしまいました。元に戻します。
野外生活=オートキャンプ=車=日常生活となれば、女房、子供たちにとって心理的にも抵抗が少なくなります。近くに"車"があるなら 大丈夫かもしれない・・・とはいっても完全に安心しているわけではありません。私の顔色をうかがっています。そんな時、父親の私自らが「やっぱり怖いよね」といいつつも泰然自若を装います。この「自然に対する"恐れ"こそがアウトドアライフの真骨頂」という悟りを会得するのには相当な経験が必要なので、性急な結論を求めることはできません。なにせ1971年から山登りを続けてきたのに、いまだに恐ろしいんですから・・・女房、子供が怖がるのは当たり前ですね。ひるがえって言えば、自然に対する「恐れ」のないアウトドアライフは「何と味気ないのだろう」と思いませんか?。そう思えば女房、子供が怖がることは「望むべくこと」として甘受するほかありません。
そんな恐れを甘受した上で、目的を達成するためのポイントは如何に女房が納得するかにかかっています。母親が楽しいと感じれば幼い子供たちも楽しいのです。ここにおいて「父親が楽しくても子供たちが楽しいとは限らない」という悲しい事実が露呈されます。悲しんでいても始まりません。所詮父親、とにかくホスト役に徹して炊事洗濯を全て行い、母親を落とすこと!家族に楽しいという気持ちになってもらえれば、次のハードルに向かいます。

二番目のハードル

山の中・森の中に分け入っていくということに挑戦します。挑戦といってもオートキャンプをベースとして周辺をピクニックすることから始めます。行程でせいぜい30分以内の起伏のあまりないコースを選びます。途中で遊ぶためにオモチャや昼食、不意の雷雨に備えてタープやウレタンシートなど一式を背負って次女を抱っこして歩きます。途中で長女が眠ってしまうと両手で二人を抱えて歩きます。
このピクニックのコースを徐々に2時間程度にまで引き上げます。大人の2時間行程は幼児を連れてはその三〜四倍かかると計算しています。途中で眠ってしまったり、オムツを取り替えたりと実際四倍かかっていました。
最初の年は一周30分行程の廻目平のパノラマコースでした。翌年はカモシカ遊歩道の涸沢の滝までの30分コースでした。
長男の素直が生まれたりして、カモシカ遊歩道一周の二時間コースを歩けるようになったのは3年後でした。
その間もマラ岩の基部や屋根岩の基部、フェニックスの大岩などにも数度に渡って連れて行きました。岩場の基部で子供たちが退屈しないようにテレビの漫画主題歌などを一緒に歌ったりしました。
慣れてくると「探検ごっこ」というのを行います。これは私自身が庭のように知り尽くした山域で、獣道や廃道をたどってわざと道に迷うということを演出するのです。
そんな時必ず子供たちに尋ねます。
「どっちにいったらいいと思う?」
「右かな?」と子供。
「じゃぁ右に行って見ようか」本当は左であっても子供の言うとおりに従います。
何度か子供に聞くとますます正規の登山道から離れて行きます。獣道はそのうち消えてなくなり原生林の中で立ちすくみます。私がまじめな顔で
「遭難したかも知れんなぁ・・・」と子供に言うと
「どうしよう」と半分泣きそうな顔で子供たちが応えます。
私が「どうしようもないな・・・こんな山奥じゃ誰も助けに来てくれないし・・・、泣いちゃおうか?」というと
「泣いてたすかるなら、僕なんか、とっくのむかしに泣いてるよ」などといいます。
「ヨシ!頑張って脱出しよう、いいね」
「うん」
道中、ケルンを積んだり、笹の葉を折り曲げて目印を作ってありますので、地図とコンパスを頼りにそれを伝わって車まで戻ると子供たちは感激します。

三番目のハードル

森の中を歩けるようになるといよいよです。これはへとへとになるまで歩いても、数週間すると楽しい思い出として振り返ることができるという状態にすることを目的とします。
ここで問題となるのが「子供にとって楽しい思い出とは何ぞや?」ということです。長年山をやっていると「苦しいことこそが楽しい」とか「苦しければ苦しいほど楽しい」などという自虐趣味の世界にどっぷり漬かってしまいますが、これをいきなり家族に要求するのは無理でしょう。
ここでのポイントは簡単にいうと「誉め殺し」です。とにかく誉めて誉めて誉めちぎることに徹します。
例えば、子供が歩くのに飽きて歩行速度が落ちたとします。そんな場合「急ぎなさい」とか「速く歩きなさい」とか「これじゃ日が暮れちまう」などとは口が裂けてもいいません。そんな時には、私の歩行速度をゆるめ、わざと子供たちに追いつかせるのです。そして「あれ?皆すごく歩くの速いな!お父さん追いつかれちゃったよ」などというのです。すると子供たちは急に歩行速度を速めます。そして子供たちにそれぞれ隊長・キャプテン・サーブなどの役職を与え、「さすが隊長、元気がいいな」などと誉めちぎるわけです。この頃になると女房もツボを心得始め、私と一緒になって子供たちを誉めちぎります。
両親に誉めちぎられて楽しくない子供がどこにいるでしょう。誉められたことがうれしくて楽しくてどんどん歩いてくれます。
ただし、ものには限度というものがあります。いきなり長時間歩かせると頼みの母親が「二度と山登りに行きたくない!」という結果になってしまい失敗します。最初のうちは短いコースを選びます。私が選んだのは、大弛峠まで車で上がり、朝日岳を往復するというものです。その後、 瑞牆山、金峰山、甲武信岳など徐々に様子を見ながら行程を延ばしていきます。

四番目のハードル

ここでは車から離れて宿泊することに慣れることを目的とします。
ここまではオートキャンプをベースとして活動していました。テントの傍らに車があると日常生活の延長上のような気がして安心すると前述しましたが、逆にいえば車に頼ったオートキャンプから脱皮し、日常生活とは別の世界に足を踏み入れることを意味します。
車から離れるということは「帰りたいときに帰ることができない」「急病時などに対応が遅れがちになる」ので心理的ハードルになります。
負担をなるべく軽くするために小屋泊まりを利用します。私が選んだのは涸沢ヒュッテを利用しての奥穂高岳往復です。上高地から涸沢まで入る行程は大人の足でも6時間かかりますので、心配しましたが幼稚園児の長男をはじめとして子供たちは何の苦痛も感じていないようでした。走らせないようにするのに苦労しました。涸沢の雪に大喜びしていました。

五番目のハードル

仕上げの工程に入ります。これは本格的なレベルで、テント利用で雨の中を歩けるようにすることを目的とします。小屋泊まりで遭遇する雨とテントで過ごす雨は雲泥の差があります。まったく別物というような感じです。びしょぬれになって雨の中テントを張る。ザックの中身をぬれないようにテントの中に入れる。着ていたものを着替える。テントの中に濡れた衣類を干す。暖かいスープを作りみんなで飲む。こうした一連の作業を狭いテントの中で腰をかがめながら行わなければなりません。
そしてさらに過酷なのが雨の中の撤収。
雨の中の設営と撤収を毎日繰り返す縦走形式をいきなり行うと、みんな参ってしまいますので、とりあえずテントを背負ってのベースキャンプ方式が妥当なところでしょう。
さて、つらい雨の中の設営ですが、最近のテントは優秀なので一旦テントを張って落ち着いてしまうと中は比較的快適です。子供は疲れを知りませんから早めにテント場に到着してテントの中で親子5人でふざけっこをしながら遊ぶということをします。これが子供たちに大好評で、私自身も楽しくなってしまいます。現在中学生になっている長女と次女はいまでも、この家族5人でのふざけっこを楽しみにしています。
本来の目的から鑑みても、経験を積むために行くので雨が降っていることが望ましく、梅雨時期を狙って行います。いきなり稜線で幕営は刺激が強すぎるので、八ヶ岳の行者小屋に幕営し赤岳を往復しました。期待通りかなり激しい雨に3日間打たれ満足な山行となりました。
さて、ここまでくると女房子供たちは「つらいこともあったけど、楽しいね、また山に行きたいね」と言ってくれるようになりました。途中で長男の素直が生まれたこともあり、五番目のハードルを終了したとき長女の敦子は小学5年生・次女の朋子は3年生。初めて廻目平に連れて行ってから、かれこれ8年かかってしまいました。