ファミリー登山の実際

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1.女房の協力を得る方法

私の女房は、結婚まで山登りの経験がまったくありませんでした。
1985年に転勤先の札幌で結婚し、翌年の1986年札幌で長女:敦子が生まれました。北海道生まれで北海道育ちの女房は、生まれたときから大自然に囲まれて育ち、田舎育ちの人間共通の都会志向をいくぶん持ち合わせた、ごく普通の女性でした。この女房を山登りに連れ出すことがまず最大の難関でありました。
1987年7月、私は4年半の札幌転勤生活に終止符を打ち、東京へ帰還しました。当時、私はフリークライミングに夢中で、毎週のように、いや年間125日の通常の休暇と20日の有給休暇の全てを費やして、関東周辺の岩場へ通っていました。当然のことながら女房子供をほったらかして・・・。自宅の階段の吹き抜けに設置した高さ5m張出し2mのクライミングウォールを毎日2時間も登っていると、その腕前を実際の岩場で試したくてたまらず、有給休暇をとってまでものめり込んでいたのです。
そんな女房子供を当時入れ込んでいた小川山廻目平へ連れて行ったのは1989年の5 月連休が最初でした。いままで家庭に見向きもしなかった私が何ゆえ一緒に連れて行ったのか?・・・それは子供でした。山の中に居ても「可愛い敦子や朋子はどうしているだろう?会いたいな」と思うようになり、いてもたってもいられなくなってしまったのでした。でも、クライミングはしたい!ではどうしたらいいのか?「そうだ、山に家族を連れて行けばいい。一の倉沢や黒部奥鐘山に行くわけでもなしフリークライミングのゲレンデだからベースキャンプで滞在するだけでも山の素晴らしさに女房はきっと満足するに違いない」と考えたのでです。
「とにかく楽しいから」ということで強引に連れて行きました。私は9日間の滞在期間中、クライミングにほうけて非常に楽しい毎日でした。フリークライミングの楽しさもさることながら、山に居るだけで幸せな私は、信濃川上周辺まで買出しに行くと遠くに白銀の八ヶ岳を望むことができ、廻目平では厳しい寒気が山にいることの実感を強めてくれ、落葉松の林や針葉樹の森の中にいる幸せに有頂天になっていました。しかも子供がいる!あの可愛い敦子と朋子がいる。屋根岩で一日遊びほうけて夕方廻目平のベースキャンプに戻ってくる。「お母さん!おなかへった」こうして楽しい9日間が過ぎ、大いにリフレッシュしてゴールデンウィークが終わりました。
夏がやってきました。夏休みの9連休、私は当然のように「また、あの素晴らしい廻目平に行こうよ」と女房に言いました。女房はハッキリと「うん行こう」とは言ってくれません。だんだん夏休みが近づいてきます。私は女房の葛藤などお構いなしにどんどん計画を進めていきます。
そんなある日だまっていた女房は泣きながら言ったのです。
「電気もない、洗濯機もない。家にいるより大変な山になんか行きたくない!あなたは楽しいかもしれないけれど私は、洗濯機もガスレンジもない中で小さな子供を抱えて楽しいはずないでしょう?」
「え?」
そういえば女房は飯を電気釜でしか炊いたことがなく、ガソリンコンロに点火もできないのです。その上、オムツの取替えと授乳をしなければならない0歳の次女の朋子。どこにふらふら行ってしまうかもわからない2歳の長女の敦子に目を離すことは一瞬たりともできません。手の切れるような水での洗濯、皿洗い。家にいるよりも条件の悪い中での家事。山に行くと家にいるよりも疲れ、とてもリフレッシュどころではなかったのです。
反省しました。全てを私が請け負うことを約束したその年の夏の廻目平。女房も大満足の9日間でした。
どのように変わったのでしょうか。その後の夏の典型的な一日をざっと紹介してみましょう。
朝は4時30分起床、もちろん私以外の家族はみんな眠っています。山仲間との怪しいクライミングでは夜中の2時に出発することもあるので、山にいるとこんな時間でも苦になりません。テーブルに朝食の配膳が終わるのが6時前。
子供は食事の時間が長い!やっと7時頃食べ終わり食器の片付けと皿洗い。皿を洗っているとクライミング仲間達が次々と私たちのテントの脇を岩場へと向かっていきます。
「いやぁご苦労さん」と労をねぎらってくれる上田さんや島田貞男さんのような人もいれば、
「よ!ゴキブリ亭主」などと冷やかしながら笑っていく福島の小野巳年男さんのような人もいます。
8時頃やっと朝食の後片付けと、シュラフ干しと洗濯がおわり、クライミングギアをかついで仲間たちの後を走って追います。
岩場で3時間ほどクライミングに熱中し、11時頃テントにいったん戻ります。昼食を作りみんなに食べさせ、皿洗いを終えて今度は子供たちの相手をします。日中の強い日差しの下で水遊びやブランコを遊び・・・。午後3時に再び岩場へと向かいます。
岩場からテントへ再び戻ってくるのは夕方6時。さっそく夕食の準備です。クライマーの夕食は質素なものですが女房子供たちにはそういうわけにも行きません。頑張って作ります。夕食が終わり食器の片付けも終わってくつろいでいると、三々五々クライミング仲間が酒を持って私たちのテントに集まってきます。早寝が山の鉄則ですが夜9時頃まで話し込んで夏の廻り目平の一日が終わります。
夏の廻目平生活を女房は次のように評価するようになっていました。
「涼しくて、蚊もいないし子供たちにアセモもできない。家事の大半を亭主がしてくれるので本当に楽。これなら毎年行ってもいい」