Equipments

使わなくなった道具達

使わなくなった山道具を並べてみた所で、何の役にも立たない。懐古趣味のきわみだろう。
だが、私にはとても捨て去ることが出来ない。そんな道具達を並べてみた。
掲載したいと思って探したが見つからなかった道具もある。たとえば最も初期型のEBシューズやGMGディッセンダーリングなど
おりをみて追加していきたい。


ブタの鼻
私達が確保にブタの鼻を使うようになったのはずいぶん以前のことだった。1970年半ばだったからエイト環でビレイするのがそろそろ一般化しつつあったのだが、私達の仲間内ではいち早くサレワのブタの鼻を使いはじめていた。
また、ランニングビレイをとても重要視していて、現在でいうところのクイックドローをいち早く採用し、20個のランナーを携行することをクラブの掟としていた。
今となっては誰も信じてくれないかも知れないが、ランナウトすることを自慢したり、スリングをシングルのフィッシャーマン結びで作成するような無知なパーティーもまだ少なくなかった時代だった。関東近郊のゲレンデで数多くの岩登り講習会を見たことがあるが、いいかげんなものも少なくなかった。
途中からバネ付モデルが発売され買い換えたりしたが、フリークライミングに転向してからも9mmダブルロープのクライミングではこのブタの鼻を使った。
ルベルソの登場によって引退。
写真のブタの鼻は私の20mの墜落を止めてくれた物と同じタイプのもの。

山洋スポーツのハンマー
初めて買ったハンマー。南博人氏が渋谷で山洋スポーツという山用品店を営んでいたが、そこで購入したモノ。ヘッドが重くバランスも今ひとつだが、大切な山道具の一つである。

カラビナ
まぁ当たり前だが学生の頃はとにかく金がなかった。カラビナもボナッティやカシンで全てをそろえることはできなくて、山洋スポーツの350円?のカラビナを10個くらい買った記憶がある。
うろ覚えだがボナッティのカラビナは680円くらいしたのではなかったかな?

トップのハンマー
かけだしの頃クラブの先輩の佐久間さんから譲り受けたもの。
TOPのGuideと刻印がある。ピッケルと同じようにフィンガーでシャフトに固定されている鍛造ロックハンマー。
国内のほとんどの無積雪期の山行を供にしたハンマー。
私には芸術品のように見え、紛失を恐れて最近は持っていかないことが多い。
現在ルート開拓のボルト打ちにはホームセンターで購入した680円のハンマーを使っている。

ウィランスシットハーネス
ふんどし部分が幅広の青いテープを持つ初期型である。この後のモデルはふんどし部分のテープの幅が狭くなり色も白となった。
アイスハンマーとアックスを使用してのダブルアックスを行っていたことが左右に付けたハンマーホルスターからもうかがえる。ギアラックがベルト周辺についていたが墜落した時に吹っ飛んでしまった。

ロボット
一時期ロボットが流行したことがある。エイト環と異なりロープをセットする時に下降器を落とす恐れもなく、ワンタッチでセットできる優れものだった。
だが2年程で使わなくなってしまった。
雨の日にはロープが濡れるが、そのときにロープに泥が付着する。
例えば衝立の北稜の下降を想像すればよくわかろう。途中の緩斜面でロープに泥がつく。そのロープで懸垂下降を何度も繰り返す。微細な泥は紙やすりのように下降器を削る。写真に映っているロボットだが裏側はロープの痕跡で深くえぐれている。
どのような下降器でも磨耗は避けられないのだが、このロボットはバーが細すぎた。

フレンズ
小川山のイムジン河にあこがれたことがあったな。実際にはイムジン河は小型のワイヤーナッツを多用して登ったのだが、そんな時代に買い求めたフレンズ。
ブラックダイヤモンドのキャメロットに代表されるバーがフレキシブルなワイヤーで可動範囲の広いモデルが一般的になった現在では出番はない。

エバニュー滝谷ヘルメット
高校生時代に初めて買ったヘルメット。越沢バットレスに通っていた修行時代も、初めて一ノ倉を登った時もこのヘルメットだった。
あの頃、国産のハードウエアブランドがいくつかあった。
エバニュー、HOPE、東京トップ

現存するのはエバニューだけになってしまった。

ガリビエールヘルメット
昔の登山技術書を読むと、ヘルメットをかぶせた猿をエレベータのイスに座らせてエレベータを下へ落とすというような実験データを載せて衝撃吸収の重要性を解説していた。しかしながら実際の登攀時に受けるヘルメットのダメージとはかけ離れているように感じ、当時からそのような説明に違和感を覚えていた。
そんなときにこのヘルメットが登場した。仲間内では大木さんが真っ先に買い求めた。ICI石井スポーツの大久保店で店員がこのヘルメットをコンクリートの床に思いっきり叩きつけたところ天井までバウンドしたという。
ブーンといううなりをあげて飛んでくる落石は弾丸のようだ。ヘルメットをかぶっていなければ頭蓋骨に穴があくことは必至。最近流行の発砲スチロールをやわらかいプラスチックでつつんだだけの華奢なヘルメットでは、貫通してしまうのではなかろうか?
ガリビエールのエンブレムがアルミのプレートになっている初期型のモノ。このページで紹介している装備の中で現在でも使用している唯一の道具である。

タニのアイゼン
高校2年生の時に買った初めてのアイゼン。水道橋のさかいやスポーツで購入したが、コレを買った時には一人前の山男の仲間入りをしたような気分になったものである。
砂田も同じアイゼンだったがジョイントの部分が折れてしまった。

シャルレヤニックセニュール
タニのアイゼンをしばらく使ったが大学生になってラプラドのアイゼンに買い換えた。このアイゼンを長い間使っていたのだが、現在はどこかへ行ってしまって手元にない。恐らく仲間の家にあるのだろう。
さてこのシャルレ、セカンドの爪が前に出ているアイスクライミング用アイゼンと思っていたのだが、このアイゼンを使用して滝谷のP2フランケジェードルルートを冬期初登した記録が『岩と雪』に掲載された。岩にも十分に使えるらしい。
ラプラドの爪が丸く磨耗してきたこともあって買った。
アイゼンバンドを工夫したがさほど使い込まないうちにお蔵入り。
なぜ?
1970年代の後半のこと。
フリークライミングに転向してしまったからです。

ニッピンの山靴
高校一年生の時に初めて買った山靴。秋葉原のニッピンで6,000円くらいした記憶がある。
靴以外にもキスリングやシュラフ・ポンチョ・ビニロンヤッケ・ニッカーボッカー・ニッカーホース・ソックス・カッターシャツ・網シャツなども購入したから2万円ほど買ったのではなかろうか。
昭和46年の20,000円はかなりの高額で、家計を圧迫するような金額ではなかったかと思う。母にはとても申し訳なく感じたものである。
この靴は二年間履いたが、山行日数が多く72cmのキスリングを背負っての山ばかりだったのでボロボロになってしまった。

クリマの登山靴
私が通学していた高校は巷でいう所の進学校で2年の卒業生送別山行後に山岳部引退が一般的だった。そのような環境の中で3年生になっても山に夢中な私は完全な落ちこぼれの烙印を押されていた。
そのような高校三年生の時に購入した二代目の山靴。裏だし皮の靴が欲しくて買い求めたもの。この靴を買うために春休みに京葉コンビナートの昭和電工の工場でずいぶん危険なアルバイトをした記憶がある。
本当はローバチベッタかヘンケモンブランが欲しかったのだが、高校生の私にはとても高くて買えなかった。さかいやスポーツで、たしか17,800円だったような記憶がある。ちなみにローバチベッタは24,800円だったような・・・。
1973年ゴールデンウィークの北岳でデビューし、いずれにしてもソールを張替え、修理なども行うほど使い込んだ。この靴で冬山までこなしていた。
本格的な雪のバリエーションに踏み出した頃と一致しており、思い出深い靴だ。

レタポアの登山靴
19歳の時に買い求めたレタポアの山靴。さかいやスポーツで9,000円だったので衝動買いしたことを憶えている。
衝動買いだったが、とても岩登りに適した靴で岩登り専用に使っていた。つま先で小さなホールドを捕らえると靴底が適度にしなり、そのしなり具合でホールドの状態が伝わってくるような靴だった。
現在では恐ろしくてとても出来ないが、この靴でX級のノーロープのソロなどをしていたのだから、よく死なないですんだものだと思う。

チョゴリザの登山靴
アイゼンバンドをきつく締めると足が圧迫されて血行が悪くなり、凍傷を誘発すると考え、大学生になって硬い靴を探した。
アイゼンの前爪で立つので深型の靴が良かろうとドロミテのマジョールかチョゴリザオリジナルにしようと思って現物を比較してみると、マジョールに比べて作りのよさは歴然としていたのがチョゴリザオリジナルのナンガパルバット。
とても硬い靴で、大枚をはたいて買い求めた。
この靴は写真を見てお分かりのように型崩れもほとんどないほど硬い靴でアイゼンバンドを締め上げてもびくともしなかった。
靴底の中央に傷がついているが、これは山スキーのジルブレッタを装着した跡。ワイヤー式のジルブレッタで岩場の下までアプローチしていたのだ。
当時としてはとても高額だったことを憶えているが、すでに大学生で土木工事現場でのボーリングマシン操作のアルバイトも職人レベルに到達しており親のすねをかじらずに買うことが出来た。
くるぶしのところに刻印された四谷のチョゴリザの花嫁のマークに懐かしさを憶える人も少なくあるまい。

ガリビエールスーパーガイドRD
RDというのはルネ・ドメゾンのことである。気に入っていたレタポアの靴底がへたりはじめ、細かいホールドに立ち込みづらくなったので、後継として買った。この靴は当時大流行した靴だが、私にとってはレタポアの方が良かった。その後、クライミングは運動靴で登ることが一般的になり、フリークライミングの荒波に飲み込まれてEBシューズが登場。
この手の山靴は時代遅れとなってしまい、気の毒なことに出番がなくなってしまった靴でもある。

カシオ計算機ALTIDEPTH
1991年だったと記憶しているがカシオ計算機からALTIDEPTHという高度計機能付の腕時計が発売された。すでに高度計測ができる腕時計はシチズン時計から発売されていたが6万円以上と高価だった。その点カシオ製は標高が4000mまでしか計測できないのは残念だったが15000円程度と安価だったような記憶がある。
1991年のヨーロッパ登山用に買い求め、それ以降2003年9月の奥鐘まで全ての山で私の腕にはこの時計があった。ガラス面についたおびただしい傷跡。繰り返しつけられた為にすりガラスのようになってしまい文字を読み取れなくなってしまった。悲しいが引退させざるを得ない。
替わりにソーラー式のProtrekという時計をヨドバシカメラで22,000円で購入した。
・・・しかしながらソーラー式は二次電池の問題を抱えているらしく、1年ほどで充電が出来なくなってしまった。結局のところ通常の電池式の時計が無難なのかもしれない。

※2005年8月19日にProTrekを修理に出したところ、8月26日保証期間外であったにもかかわらず、無料で二次電池を交換してくれた。その後は順調に稼動している。カシオは対応も早い。
※2007年3月、再び故障。フル充電しても高度計測ができない。プロトレックは二次電池が弱点のようだ。電池交換の煩わしさから解放されると思い選んだが致し方ない。ポラールかバリゴあたりに買い換えるしかないか。