2011年 夏 ヨーロッパアルプス

  

8月28日(日)快晴 シャモニ・フォルクラ峠・マルティニ・シャンペ・サンベルナール峠・アオスタ・フェレの谷・プランパンシュー・クールマイユール・シャモニ

明るくなる前に目が覚めた。すでに今回の旅が始まって二週間が過ぎていた。
いよいよ最終コーナーである。
朝一番で何をするか。まずは帰国の途に着くまでの二夜を過ごす為のホテルの確保であろう。テントをたたんで教会広場のツーリストオフィスへ行く。教会前の広場は「ウルトラトレイル ドゥ モンブラン」のゴールになっており盛り上がっている。
ツーリストオフィスはまだ開いていないが窓口付近はWIFIが可能。さっそくいくつかの候補の中から三ツ星の「プルミエ」を予約。妻と二人分で一泊9000円とはなんという安さ。
宿が確保できたので遊びに行こう!ということになった。妻を案内していない場所はたくさんあるけれど、今日はイタリア側のクールマイユールを訪れることにして出発。
モンブラントンネルを使えばクールマイユールへは短時間でダイレクトに行くことができるが、時間もたっぷりあるのでフォルクラ峠を経由して一旦スイス領内のマルティニへ出て、そこからサンベルナール峠を越えてイタリアのアオスタの谷へ入ろうという目論見だ。
フォルクラ峠へ向かう道は「ウルトラトレイル ドゥ モンブラン」のコースが交差し、選手が車道を横断する箇所が何箇所かある。そんなところでは車を止めて応援する。フォルクラ峠は中継所になっていてサポートする人たちが選手を拍手で迎えていた。私たちもしばらくの間、見守っていた。
フォルクラ峠からマルティニまでブドウ畑の中を下り、小さな売店で食料を調達する。今日は日曜日なので大型スーパーマーケットは開いていないからだ。
ここからいきなりサンベルナール峠へ向かうのではなく、ちょっと寄り道をする。それはシャンペという湖である。20年前に細田さんとツールドモンブランを歩いたときに湖のほとりの山荘に泊った。その湖へ立ち寄った。ここも「ウルトラトレイル ドゥ モンブラン」の通過点になっており救護用の大型テントなどが張ってあった。ゆっくり湖を楽しんでからサンベルナール峠へと向かう。
以前来た時には峠の直下を貫くトンネルを使ってアオスタへ抜けたが、今日は旧道を使っての峠越えを選んだ。幹線国道から峠越えの道へ入ると車の通行は極端に少なくなる。森林限界を越えた高山地帯を道はS字を描いて登っていく。草原と岩の斜面には放牧小屋が散見されのどかなアルプ地帯を構成している。
サンベルナール峠の頂上には大きな湖がある。日本では大きな湖を持つ峠をみたことがないがヨーロッパでは珍しくない。樹木は一切生育しておらず、じゃっかんの草と岩の世界だ。周りの峰にはスラブも散見され、中には鋭いピークとなっている頂もある。そして湖畔には石造りの古風なホテル、レストラン、売店があって、駐車場には大型オートバイや車がたくさん止まっている。サンベルナール峠はセントバーナード犬で有名で湖のほとりの売店では犬のぬいぐるみを売っている。
峠からイタリア側へ入る。少し下ったところに、石のスレートで屋根を葺いた放牧小屋が見える。あまりにも気持ちのよさそうな草地、ちょうど剣沢や涸沢のようなところだったので車を止めてマットを敷いてランチにする。朝方マルティニの小さな店で買った食材を。フライパンで炒めたりしながらゆっくりと休む。それからドロミテキャンプ場の最終日の雨で濡れてしまったタープを乾かす。
ランチのあとはアオスタの谷へと下る。クールマイユールの街へ入ったのは15時過ぎ、そのままフェレの谷を遡り、プランパンシューへと向かう。
1988年8月12日にグランドジョラス北壁ウォーカー側稜を登って下ってきて最初にたどり着いたのがプランパンシューの村はずれにある小さな聖堂だった。その聖堂で妻と祈りたいがために再びヨーロッパへやってきたといっても良いくらいだ。
今日の聖堂はドアが開け放たれ、ろうそくが灯されていた。
クールマイユールの街中も妻と歩いた。シャモニに比べるとちょっぴり高級リゾートという雰囲気で、とあるホテルの庭では美しい女性がハープの生演奏をしていた。村はずれのグリベルの工場へも行ってみた。あいにく日曜日だったので工場は稼動していなかったが、アイスクライミングギアのトップブランドの工場を確認できたのは嬉しかった。
シャモニへ戻るモンブラントンネルの渋滞も30分程度で済み、18時半前にはホテルプルミエへチェックインすることができた。ホテルプルミエはミディへのロープウエイ駅前の通りをルージュの岩峰方面へ直進し、踏み切りを渡ってバロ通りを突っ切って階段を登ったところにある。バロ通りにも近いし、通りから一歩奥にあるので閑静なホテルだ。外見はシャーレー風の8階建ての大規模なもので、すべての部屋がモンブランに面して配置されている。私たちの部屋は4階で展望もよくベランダからは西日を受けたモンブランが良く見える。部屋はこぎれいで広く木目調の内装もシックだ。荷物を部屋へ運び入れてさっそくシャモニの街へ出る。
街は「ウルトラトレイル ドゥ モンブラン」で大変な盛り上がりようだ。ゴールした選手をみていると日本人もいるようだ。日曜日でいつものスーパーマーケットは閉まっているのでバロ通りの近くの店で赤ワインを購入。
部屋に戻ると20時過ぎでちょうどモンブランが茜色に染まろうとしているところだった。
明日は最後の仕上げとしてコスミック山稜を登る予定だ。事前の下調べでは始発のロープウエイは7時
22時前に就寝した。

8月29日(月)快晴 ミディ針峰コスミック山稜

6時10分に部屋を出てロープウエイ駅まで行く。
街中にある温度表示板は5度を示している。ミディの標高は3800mでシャモニとの標高差は2800m。したがって頂上の気温を推定するとマイナス10度前後か。
薄暗い駅前通りを歩いてロープウエイ駅まで行ってみるが誰もいない。通常であれば順番待ちができているはずなのに、ちょっと様子が変だ。よくよく調べてみるとロープウエイの始発は8時10分。どおりで誰もいないはずだ。
仕方がないので2時間近くも待つ。7時半を過ぎるころからクライマーが続々と集まり始めた。その多くがガイドを伴ったガイド登山だ。待っている間に近くのパン屋で昼食用のパンを買う。
ようやくロープウエイに乗り込み8時40分頃、ミディ山頂駅に到着。
日本人らしき観光客がいたので声をかけると「ウルトラトレイル ドゥ モンブラン」に出場したのだという。今月14日からアルプスに滞在していることを話すと驚いていた。
身支度を整え、アイゼンを装着し、まぶしい氷河に出る。
細いナイフリッジを下降していく。左右はすっぱりと切れ落ちており、しかも朝なので雪は氷のように硬い。落ちたら助からない。慎重に下っていく。200mほど下るとミディ南壁下の平坦な氷河に降り立つ。すでにレビュファルート(TD+/200m)の中間付近のテラスにまで達しているクライマーがいて驚く。
私たちは南壁の下を迂回するようにして回りこみ、コスミックバットレスの下を通ってコスミック小屋方面へと向かう。コスミックバットレスに取り付いているクライマーはいない。このあたりは平らな氷河上の歩行なのでさほど問題はない。コスミック小屋が間近になったところでコスミック山稜の取り付き点へとミディ方面へ斜めに登っていく。荷揚げ小屋で身支度を整える。ロープを巻きなおし、ハーネスの点検、アイゼンの点検、ロープの結び目の点検・・・。さっそく登り始める。氷と岩のミックスなのでアイゼンをつけて登る。アイゼンをガリガリさせながら傾斜の緩やかな岩場をスタカットとコンテとタイトロープの三種類のビレイシステムを使い分けながら登っていく。安全第一で登るのでスタカットの比率が必然的に多くなる。ランナーは皆無なので岩にロープを回しながら登り、上から妻を引っ張り上げる。これを延々と繰り返していく。岩は目の粗い花崗岩でたちまち指はヤスリにかけたようにボロボロになるが、フリクションの効きは最高。まるで廻り目平の岩を登っているようだ。もしアイゼンをはいていなければとても快適に登れることだろう。ルートは概ね山稜のコスミックバットレス側をたどっていく。登っていくにつれ背後のモンブランがボゾン氷河をはさんで対岸に次第に大きく競り上がっていく。
予想していたよりも氷の部分が少ないので、途中でアイゼンを脱ぐ。急に足が軽くなった。
イタリアクールマイユールのガイドと前後しながら登っていく。妻が速いのではなく、ガイドが連れた客が遅いのである。ビレイ点で会話してクールマイユールのガイドであることがわかったのである。モンブランの左にはタキュル、そしてロシュフォール山稜を経てグランドジョラスの北壁が見えている。ちょうどウォーカー側稜を真横から見ることになる。
「ウォーカーに登ったことがある」「しかし・・・20年以上前の話だ」とガイドに話すと彼は最初びっくりしていたが、オチを聞いて大笑い。私たちが先行してとあるテラスで昼食にパンを食べているとフランス語で「ボナペチ」という。
やがて狭いクーロワールを空中懸垂で20m下降。ブラックダイアモンドのカタログにも載っている有名な岩峰はヴァレブランシュ側を巻くことができた。そしていよいよクライマックスの岩場。右へと斜上する細いクラックを登る箇所。幸いにも残置ナッツなどがありランナーをとることが可能。ガイドの多くがここで再びアイゼンを装着するのを見て不思議に思ったが、足場にはピトンスカーのような穴があいており、これにアイゼンの前爪がぴったりと収まるのだ。なるほどね。クールマイユールのガイドはアイゼンなど装着せずハードブーツのままで登り始めた。私もハードブーツで続く。
この岩場を越えると終了点も近い。山稜の左右を縫うようにして凹角を登っていく。とこどころで氷が混じるがノーアイゼンで慎重に処理。
そしてついに終了点。目の前にミディ山頂駅舎の展望台がある。振り返るとモンブランが高い。やや逆光となっているためにボゾン氷河の陰影が際立ってはっきりと見える。これはまたとないシャッターチャンスだ。この氷河の凹凸をこれほどまでに微細に観察できる機会はめったにないだろう。
終了点の岩峰の上に妻に立ってもらい構図を変えてRAWで30枚ほど撮影した。これをモノクロームで現像したらどんな写真が仕上がるのだろうかとワクワクする。
駅舎の展望台にはハシゴがかけてあって、これを登って完全に終了。ちょうど15時。
妻もとても嬉しそうでニコニコ顔だ。私も妻に喜んでもらえとても嬉しい。ミディ山頂からの下りのロープウエイはいつもの通り大変な混雑だ。一般観光客とツアーの団体が入り混じり順番待ちで二時間以上かかりそうな気配だ。そうしたところクールマイユールのガイドがこっちへ来いと手招きする。あらら・・・別ルートからすぐにロープウエイに乗せてもらえた。16時過ぎに無事シャモニ駅に到着。
まずはホテルへ戻ってシャワーを浴び着替えてからシャモニの街へ繰り出す。繰り出すといってもささやかな買い物をしただけだ。スネルスポーツで妻のマムートのフリースジャケットを買う。あとはひかえめなスーベニールを少し。明日はいよいよ帰国。20時にはホテルに戻り、窓際の椅子に腰掛け、ワインを飲みながら暮れ行く茜色のモンブランをいつまでも眺めていた。

8月30日(火)快晴 シャモニ・ジュネーブ・ロンドン・成田

ジュネーブ発10時20分の便なので、三時間近く前の6時半にシャモニを出発する。車がすいていればシャモニとジュネーブ間は1時間少々なので2時間ほどの余裕があり安心しきっていた。ところがこの時間帯は日本と同じで渋滞していた。やきもきしながら空港へ入った。もっと早い時間にシャモニを出発すべきだった。
ぎりぎりセーフ。ブリティッシュエアーウェイズBA725便でいったんロンドンのヒースロー空港へ向かう。ヒースロー到着は11時。ヒースローから成田行きのANA_H202便は19時35分発なので8時間半ある。
予定していた通りロンドン見物に出た。
さて、ロンドンはどこへ行こうか?とりあえず我が家の子供たちが大好きなハリーポッターゆかりの地ということで、キングスクロス駅9と3/4番線ホームに行くことに決めた。パディントンまで列車で行き、二階建てバスを使ってキングスクロス駅に到着。9と3/4番線ホームを探すがない!小説の中の架空の場所なんだから当たり前だが、実は観光用に作ったセットがあるんです。やっと見つけて記念撮影。これで子供たちへの土産話ができたというものだ。
ヒースロー空港でANAのカウンターへ行き日本人スタッフと日本語の会話ができたときには、緊張が緩むと共に、長い旅が今終わったことを実感せざるを得なかった。
明日は日本だ。15時20分には成田に到着する。空港には長男と次女が迎えに来てくれることになっている。そして翌日からは仕事だ。
離陸時の強いGを感じながら、再び妻と「私たちのシャモニの休日」を迎えられる日が来ることを願った。