2011年 夏 ヨーロッパアルプス

  

 

8月25日(日)快晴 ギッセルキャンプ場・ドッピアーコ・アントルノ湖・ランド湖・ミズリーナ湖・シン湖・コルチナダンペッツォ

いよいよドロミテへ入る日だ。
9時40分、ハンドルを東へと切り、コルチナダンペッツォの北の玄関口であるドッピアーコへと向かう。のどかな山村風景を車窓に見ながら走っていくが、とてつもない田舎なのに渋滞に捕まった。ちょうどブルニコの村へ入る手前だ。なぜ渋滞していたのかは不明。教会の尖塔を左に見ながらドッピアーコからドロミテの山中へと入っていく。ドロミテ独特の石灰岩の岩塔がすぐに見え始めた。ランド湖で少し休憩してラヴァレドを回り込むようにしてミズリーナ湖へ向かう。ミズリーナ湖の手前でラヴァレド方面への道があったので寄り道をすべくハンドルを左へ切る。まもなく走るとアントルノ湖に到着。時計を見ると11時半。ラヴァレドを湖面に映す素晴らしい湖。小さな湖なので歩いて一周しても15分ほどだ。ゆっくり30分かけて歩いた。そしていよいよミズリーナ湖。有名なミズリーナ湖は完璧な観光地だが、これまたトファナを湖面に映し絵葉書の通りの絶景だ。大木さんに見せてあげたいと思った。
ミズリーナ湖からはコルチナダンペッツォまでは山中の下り坂。途中にこれまたかわいらしいシン湖(Lago Scin)がある。車を止めてほとりの草地に寝転んで空を見る。涼しい風が吹いてきて心地よい。
13時過ぎにコルチナダンペッツォへと入る。
人口6000人のコルチナダンペッツォの街はドロミテの拠点で50年以上前に冬季オリンピックが開かれたことがある。日本でもこれにちなんで、コルチナスキー場というのが白馬にあることを知っている人も多いだろう。
アルプスの登山基地としての街というと「シャモニ」、「ツェルマット」、「グリンデルワルト」、「クールマイユール」そして「コルチナダンペッツォ」が良く知られている。その中でも「クールマイユール」と「コルチナダンペッツォ」は私の大のお気に入りだ。
まずは妻に街の案内をしてからキャンプ場へ入ろうということで、土地勘のあるコルチナの街を走る。二周ほどまわってから駐車場へ車を止めて教会広場へと向かう。教会前の石畳の広場はコルチナのメインストリートになっており、通りの両側にはしゃれたお店が並んでいる。車の進入が制限され歩行者天国になっておりのんびりと歩くことができる。教会でお祈りをしてからキャンプ場へと向かう。
ドロミテキャンプ場は村はずれにある。規模の大きなキャンプ場でサニタリーなども充実しており、もちろんプールやテニスコートなどもある。受付には小さな売店もあって不自由はしない。居心地のよさそうなサイトを見つけてさっそくテントを張る。
一段落してから、教会前広場近くにある生協(COOP)へ買出しに行く。このCOOPはとても規模の大きなもので、何から何まで揃えることができる。明日はヴィアフェラータの予定なので、ランヤードを物色。何種類もある中からペツルを選択。そう、ここにはクライミングギアも売っているのだ。それからヴィアフェラータ用のトポ集を二冊。あとはナイキのサンダル、食料などなど・・・。荷物をいっぱい抱えてキャンプ場に戻った。すでに薄暗くなりかけている。車からACコンバータで電源を取り、これでLED電球を点灯するので、天幕生活とは思えないほどの快適さだ。調理するのも楽しい。食後は寝転がって明日のルートを選択する。たくさんのヴィアフェラータコースがあるが、所要時間とグレードを考慮に入れてクリスタロメッツオへ至るコースのひとつに決めた。

8月26日(日)快晴 クリスタロメッツォ

簡単な朝食を済ませ、8時にドロミテキャンプ場を出発。今回選んだコースはクリスタロの肩までリフトとゴンドラを利用して上がり、そこから稜線をヴィアフェラータで登っていくというものだ。
まずは新型のフード付きクワッドリフト。これは安心快適。冬にはきっと素晴らしいスキー場になると思われる草原を下に見ながらぐんぐんと高度を上げていく。クワッドリフトの終点駅は森林限界を抜けたところに位置している。クワッドリフトからゴンドラに乗り継ぐ。ゴンドラの駅は100mほど下ったところにある。リフト終点駅とゴンドラ駅の間にはしゃれたレストランがあって、帰りがけに立ち寄ってみたいと妻が言う。
ゴンドラ駅まで下っていく。このゴンドラがすごい。クワッドリフトとは一変して年代物のオンボロ二人乗り。しかも乗車のときにスピードを減速するような機構は付いていない。走りながら飛び乗ることになる。妻は怖気づいてしり込みしている。ガンバレと気合を入れて飛び乗る。無事成功!
乗ったゴンドラ内には座席はなく、立ったままで運ばれていく。
ザレた斜面を這い上がっていく小さなゴンドラ。終点駅の背後の岩に大きな十字架が建っている。そして十字架の下にレストランがある。広々としたテラスがあってマルモラーダなどの周辺の山々が一望できる。ヴィアフェラータを目的にしている人も何人かいて、ここでハーネスをセット。
万が一の為に、妻とアンザイレンした上でセルフビレイをとりながらスタート。ヴィアフェラータとは素晴らしいシステムだ。頑丈なアンカーで固定されたワイヤーロープがルートに沿って張ってあり、これにセルフビレイをとりながら登っていくというシステムだ。日本でも岩場に鎖が設置されていることがあるが、鎖の目的はホールドとして登攀の補助手段としてのものだ。ところがヴィアフェラータは違う。張られたステンレスワイヤーロープはホールドではなく、ビレイシステムの一部なのである。
これは大きな違いだとおもう。鎖は難しいところを易しく登らせるために設置されており、ヴィアフェラータは危険なところを安全に通過するために設置されている。似ているようだが考え方がまったく違う。ヴィアフェラータは難度を下げるためのものではなく安全性を高めるためのシステムなのである。
このようなヴィアフェラータのルートがドロミテには数え切れないくらいに存在している。日本でヴィアフェラータを導入したらどうなるだろうかと思う。たとえば穂高や剣岳だ。岩が不安定だし、冬季の雪崩によって、多大な労力をかけて整備したとしても、数年で痛みが激しくなるのではなかろうか。日本でも廻り目平などなら十分可能だと思う。
さてクリスタロだが標高3000mの岩塔でクライミングルートも豊富。岩質は石灰岩で二子山そっくり。傾斜は強いがガバホールドが豊富なので面白いように登ることができる。反面、傾斜が強いので高度感はすさまじいものがある。
露出感の高いナイフリッジは慎重に、垂直の凹角はアスレッチックなムーブで登っていく。靴はハードブーツではなく中山靴店のハイキングブーツ。ホールドが大きいので不都合はなかった。山頂は十分に広かった。十字架があって先に到着した人たちがくつろいでいる。かわいらしい女の子のヘルメットに山カラスがとまっている。それを仲間たちが写真に取ろうとして「動かないで」という。こまった様子の女の子だった。
登高路と下降路は概ね別々になっておりスムーズに下ることができた。
ゴンドラに乗ってクワッドリフト乗り継ぎ駅の途中にあるレストランへ。妻がお楽しみしていたレストラン。スパゲッティを食べた。
15時半過ぎにクワッドリフトの始点駅へ帰着。
ひとまずドロミテキャンプ場へ戻る。ヨーロッパの夏は日没が遅い。16時といっても真昼のような明るさだ。
シャワーを浴びて着替えを済ませコルチナの街へ買い物に行く。食材のほかに記念の品として地図などを購入。夕方のひと時を石畳の道を歩きながら過ごすというのは幸せなことだ。道にはピアノが引き出され演奏などしているバーもある。教会前広場にはイベント用の仮設クライミングボードが建てられ、子供たちがトップロープで歓声をあげている。アルファロメオやフェラーリなどのしゃれたイタリア車を時折見る。オートバイも国内では見ることのできないBMWが何気なく停まっていたりする。
19時過ぎにキャンプ場へ戻り、夕食にはハイネケンの栓を抜く。ソーセージが美味い。
明日はドロミテを離れてシャモニへもどる計画だが、妻とはその途中でベネチアへ立ち寄る約束だ。楽しみにして明かりを消した。

8月27日(日)快晴 コルチナダンペッツォ・ベネチア・ミラノ・アオスタ・クールマイユール・シャモニ

朝起きると小雨がふっている。今日まで連日快晴の日々が続いていたが、ようやく少しばかり雨が降ってきた。テントを撤収して、再び教会広場へ行きCOOPで最後の買物をする。COOPオリジナルのショッピングバッグがかわいらしい。黄色い布地に白いエーデルワイスがプリントされている。同じようなデザインでプラスチックのマグカップも。これら日用品は良い思い出になるだろう。そして10年前に母と訪れたときに宿泊した「ホテルナタリー」を最後に訪れ、10時前にコルチナを出発する。
雨の街道をひたすらベネチアへと走る。小一時間ほど山間部の道を走ると雨も上がり高速道路に合流。更に一時間半走行して12時半にベネチアへ到着。ベネチアは島なので長い橋を渡る。橋を渡りきったところに立体駐車場がありそこへ車を止める。市街地へは歩いてもたいした距離ではないけれど、しんどい気がして札幌の地下鉄のようなタイヤ式の電車に乗る。この電車はモノレールのような高架上を走るので展望がよい。ベネチアの港には数隻の豪華客船が入港しており、ひとつひとつがまるで大きなビルディングのように見える。
ベネチアの終点の中央駅で下車。さっそく広場に出るがサンマルコ広場くらいしか知らないので地図を買い求め、それに従って迷路のようなベネチアの街へ入っていった。
昨夜、長女にメールをしていた。「ベネチアへ行くことになったけれど、どこへ行ったらいいかネットで調べて欲しい」と。
彼女からの返信メールの中に「サンマルコ広場に世界最古の喫茶店フローリアンというお店があります」という記述があったので、まずはサンマルコ広場を目指す。読図にはそれなりの経験を持つ私だがベネチアの運河と橋によって作られた迷路にはとても太刀打ちできなかった。石組みの建物の壁に掲示されているサンマルコ広場を指し示す標識がなければ、限られた時間しかない私たちがサンマルコ広場に到達することはできなかったかもしれない。
サンマルコとは聖マルコのことで、聖マルコとは小林敬三神父様がミサで言う「マルコによる福音」「神に栄光」の福音書記者の聖マルコだ。出発前に偶然NHKで放送されたベネチアに関する番組をみていたのは幸いだった。街の成り立ち、建物の構造上の特徴など予備知識があるとそれぞれに意味と深さを実感できる。聖マルコ大聖堂へ入場しようと長蛇の列に並んだが、入場ゲートの前で、デイパックを背負ったままでは入場できないと説明され、残念ながらあきらめた。
さてフローリアンだ。ピアノ、バイオリンなどの生演奏をしている一角に、サンマルコ広場に面してフローリアンがあった。歴史を感じさせる風格ある店だ。日本の西洋建築で唯一の国宝である長崎の「大浦天主堂」ですら幕末に建てられたものでたかだか150年の歴史しかないことを思うと歴史の重みを感じざるを得ないところだ。フローリアンではしゃれた椅子に腰掛けサンドイッチとコーヒーをいただいた。
ベネチアを訪れる前までは正直なところ私は「早くシャモニモンブランへ戻りたい」と思っていた。ベネチアへ立ち寄ったのは妻の「山ばかりでなく観光地にも行ってみたい」とのリクエストがあればこそだった。しかし実際に訪れてみるとベネチアを知って本当に良かったと妻に感謝している。ふたたび妻と訪れたいと強く思った。
12時半にベネチアへ入って15時には離れようと思っていたが、実際にベネチアを出発できたのは17時だった。これから600km離れたシャモニまで走るのだ。それはもう一心不乱になって走った。停車するのはガソリン補給のときだけ。ミラノを通過しトリノへの道を分けるあたりでアルプスの残照を見た。アオスタの谷へ入る頃には完全に日没。クールマイユールを経てモンブラントンネルでは大渋滞。それでも頑張ってシャモニには22時50分にたどり着くことができた。ベネチアで4時間半を過ごしてコルチナからシャモニまで1日で走りきったのでへとへとだ。シャモニではノースフェイス主催のトレラン大会が行われており、聖ミッシェル教会前の広場がゴールになっていて、深夜だというのにお祭り騒ぎだ。
この広場にあるツーリストオフィスではWIFIが可能なので、一夜を過ごすホテルを検索したが、すでにネットで受付可能なホテルは皆無だった。一刻も早く横になりたいのにがっくり。ボゾン村方面へ少し戻った静かな路肩でビバークした。