2009/8/9-16
森吉山 赤水沢兎滝の懸垂下降
第13回目となる我が家の夏山合宿。今年は素直が高校三年生ということで山行禁止勧告発令中。敦子は病院勤務が忙しく、夏休みは10月に繰り延べ。したがって参加者は妻と朋子と私の三名。
参加できない敦子は肩を落としている。「10月にあらためてお父さんと一緒に登ろう」と約束した。
さて、どこへ行くかだ。昨年の夏に、敦子と東北を訪れて以来、東北を気にいってしまい、入院しているころから夏山合宿は東北へ行きたいと考えていた。いろいろと考えた末、東北の興味深い沢をはしごしながら南下していくというプランを立てた。
さて結果だが、天候が芳しくなく、大深沢とノロ川の遡下降にとどまった。しかしながら北東北のプリミティブな大自然を十分に堪能することができた。
その中でも特に森吉山の桃洞沢から赤水沢への周回はナメの美しさに驚愕した。ナメが賞賛される沢は多々ある。しかしながら、そのような沢も実際のナメの長さは数百メートルといったものが大半である。この沢は最初から最後まで16kmすべてが美しいナメで構成された稀有な沢。前代未聞である。再訪を強く願った。
八幡平にNAVIを合わせ昼の12時に千葉を出る。650kmの長丁場は、東北自動車道の渋滞を避けるために一旦16号線を柏へ出て常磐道経由で郡山で東北自動車道へ合流する作戦。大きな渋滞もなくサラ・ブライトマンを聴きながら8時間半走行し松尾八幡平ICで下車。あたりに明かりはなく真っ暗だ。こひとまずコンビニを探すがない。30分ほど探し回ってようやくファミリーマートを発見。
今回はモンキーという超小型バイクを荷台に積んである。これを下山予定地にあらかじめデポしておこうという作戦だ。下山予定地となっている「八幡平樹海ライン」が赤川を横断する地点へと登っていく。22時過ぎに到着。樹海ラインが赤川を横断する地点には堰堤があって車が数台駐車できるスペースがある。下地は苔などが生えておりなかなか気持ちの良いところだ。ここでテントを張って就寝。疲れたがさわやかな気分だ。
モンキーをガードレールにワイヤーでロックし、車で50kmほど離れた大深沢の入渓地点へ向かう。「太古の息吹」と名付けられた温泉を見学し、八幡平山頂を経て玉川温泉方面へ向かう。玉川温泉を左に見て、さらに走り、五十曲付近で黒石林道の入り口を探す。入り口を一度通り過ぎたがすぐに気が付き、黒石林道へ入る。整備された黒石林道を10km走って国土地理院の二万五千図にも載っていない大深沢へと下降していく林道へ入り、車を止めた。
ドアを開けて外に出るとすぐに蚊が寄ってきた。あっという間に何ヵ所か刺される。幸いにもアブはさほど多くはない。このような事態は予測していたので、殺虫スプレーを車に積んでいた。とりあえず周りに殺虫剤を噴霧し、虫除けローションを手足に塗り、防虫ネットをかぶって歩き出した。
30分も下って行くと大深沢の川岸に下りつき吊り橋で左岸へ渡る。広葉樹林の森の中を歩いて行くと小屋があった。戸は固く閉ざされているが、これが評判の東北電力の監視小屋らしい。ということは近くに温泉があるはずだ。探してみると少し離れたところに露天風呂があった。せっかくの温泉なので私が入る。妻と朋子は入らない。無理もないか・・・。素晴らしい環境の中での露天風呂。このままここで泊まる誘惑に負けそうになる。誘惑を振り切ってザックを背負った。
間もなく雨が降り始めた。本格的な雨だ。大深沢取水堰堤の上には広大な河原が広がっている。降雨のため増水が始まっているが、まだ濁りはでていないので徒渉は可能だ。条件の悪いビバークを強いられるかもしれないが、行けるところ進むことにする。
難渋しながらも徒渉を繰り返し、ゴルジュをヘツリ、ひたすら歩く。
初日ということもあって、食料満載のザックは重く、雨に打たれながら増水した沢を遡行していくというのは、正直なところ気が滅入る。
妻が「まだテントを張れるいい場所はないの?」と打診してくる。できれば八瀬ノ沢出合までは入っておきたいところなので、妻の荷を朋子と二人で分け合って、妻を励ましながら歩く。しばらくするとかすかなたき火のにおいを感じた。どうやら先行者が幕営しているようだ。ということは八瀬ノ沢出合も近いのだ。17時過ぎになってようやく八瀬ノ沢出合に到着。やはり先行者がタープを張ってたき火をしていた。
髪の毛からもポタポタと雨だれが落ちるほどに濡れ、妻の体力が消耗していることを考えると一刻も早くタープを張って妻と朋子をテントの中に入れなければならない。
あまりよいサイトではないが、増水対策を優先させ河岸段丘の藪の中を整地し、大急ぎでタープを張った。雨が強いのでザックの荷を解いている間にも、装備がどんどん濡れていく。アブと蚊対策の為にテントも持ってきているのでタープの下にテントを張る。妻と朋子をテントの中に入れ、ほっとした。
先行者があいさつに来た。ここをベースにしている釣り人のようであった。
着替えをして湯を沸かし、温かいスープを飲んだうえで食事の支度を始めると妻も朋子も元気を取り戻したようで、いつもの通りおしゃべりが始まった。私は飯を炊きながら晩酌を始める。雨で数日閉じ込められるかもしれないが、予備日数はたっぷりある。あわてることはないと思いながらランタンの灯を消した。
雨はやみ、晴れあがった。今日は東ノ又沢出合まで行くことにして出発する。おそらく4時間程度で到着できるだろうから、今日はテントサイトでのんびりしようと話しながら出発。
歩き始めてすぐにゴルジュとなる。大半は水際をへつることができたが、一か所だけ高巻いて5mの懸垂下降を強いられた個所があった。このゴルジュはもう少し水量が多かったら通過は危険だろう。ゴルジュを抜けると前方に大きな滝が見える。15m二段滝の出現である。増水して水量が多いせいか水流が滝壺からジャンプして跳ね上がりものすごい迫力である。近寄るのが恐ろしいくらいだ。幸いにも右側を簡単に巻くことができた。
この滝を超えるとしばらく平凡な河原歩きが続く。左側から障子倉沢が合流すると川床にはナメが混じり始め、にわかに美しい渓相となってきた。ザックをおろして休憩をとることも多くなりのんびりと遡っていく。
やがて関東沢が右から合流し、美しい渓流を少々退屈に感じながら歩いて行くと、はるかかなたに大瀑布が見え始めた。ナイアガラの滝と呼ばれる幅広の滝であろう。川幅いっぱいに広がった大きな滝だが、谷が開けているので開放感のある明るい滝である。高さ30mといわれているが実際には15mもない。真ん中より少し左よりに灌木の生えたリッジ状のところがあり、このリッジの右端を登る。釣り人がフィックスしたのか怪しげなトラロープが残置されている。ヌルミのある岩は浮いておりシャワーを浴びながら10mほど登って滝の上に出る。易しいけれど落ちたら大けがをする危険性があるので妻と朋子をビレイする。
ナイアガラの滝の上は非常に気持ちの良いところで、ここから一面、ナメの連続となっている。花崗岩のナメとは異なり、フリクションが非常に良い。かなりの急傾斜でもすたすたと登って行ける。そして仮戸沢、北の又沢、東の又沢からなる三俣に到着。
北の又沢は素晴らしいナメ滝で合流している。三俣の手前にはどうやら釣り人が幕営しているようだ。この沢は釣り人が非常に多いようだ。いたるところに釣り糸などが絡まっている。この沢は岩魚の供給源となるダムが下流にあるわけではない。これだけ多くの釣り人がおしかけていては、いずれ岩魚は枯渇してしまうだろう。
私たちは北の又沢出合のナメ滝の中段のテラスの右にある台地に素晴らしいビバークサイトを見つけた。
サイトはきれいに整地され増水時の避難路も問題ない。そして何よりも目の前が美しいナメで、まるで人工的に作られた庭園の中にでもいるようだ。水くみもサンダルをはいて数歩。あえて欠点をあげればナメ滝の中段のテラスにあるので、流木は全くない。たき火をするためにはナメ滝の下の河原まで拾いに行かなければならない。先住者はそのようにしたらしく、たき火の跡が残っていた。
タープを張りテントを立ててみんな思い思いにくつろぎ、昨日の雨でぬれた装備を広げて干す。たき火は面倒なのでやめる。
明日も雨の降らぬことを願いながらいつものように晩酌をして就寝した。
曇り空ながら雨は落ちていない。今日は北の又沢をつめて稜線を越え、八幡平樹海ラインにデポしてあるモンキーまで下って大深沢の遡行を終了。そしてモンキーで車を回収し、森吉山麓へ移動予定である。
名残惜しい思いでビバークサイトを出発する。
ナメ滝に立ってサイトを見る。あらためて素晴らしい場所だったなぁと思う。
ナメ滝は一旦、河原になるが、すぐにナメは復活した。
しばらく歩いて行くと前方は二股となりそれぞれに大きな滝をかけている。特に左の滝はかなり大きく、登攀も困難のようだ。右が本流のようで水量は多いものの左端が階段状になっており容易に越えることができる。岩にヌルミがあるし高さもあるので妻と朋子をビレイする。
その上もナメが続く。ところどころでゴーロが出現するが、基本的には傾斜の緩いナメの連続である。傾斜が緩いので1000m付近までは、なかなか高度があがらない。
標高1000m付近から連瀑帯が始まり、一気に高度を上げていく。それは標高差にして約100mほどもあろうか。美しい苔に覆われた小滝の連続と表現しても良いだろう。困難さは全くない。
これを登り切るといよいよ源流部の趣となり、大深沢は小川となってササやぶと湿原地帯を小刻みに蛇行しながら流れている。
ときおり薄日が差し込み始めた。
沢は次第に細くなり左右からササが覆いかぶさって歩行が困難になってきた。
高度計と二万五千図を見比べながら「ここだ!」と思える地点で左側の藪に突入する。20分ほどの藪こぎで稜線の反対側にある登山道に出た。右を見ると大深山荘の屋根がすぐそこに見える。
まだ藪の中でもがいている妻と朋子に「登山道に出たぞー」と大声で呼びかける。ガサガサ音を立てながら二人の喜びの声が聞こえた。そして汗まみれになった二人がほっとしたような顔をして藪の中から出てきた。
ひとまずは100mほど離れた大深山荘へ行く。大深山荘は真新しく中に入ってみると木の香りがした。外のベンチでおにぎりを食べる。すっかり天候は回復しのどかな昼下がりである。
下降は赤川の源流部。大深山荘から50m八幡平側へ戻ったところにある中折れした橋がそれだ。フィックスロープや赤ペンキ印などもあってかなり利用されているようすがうかがわれる。
小一時間ほど下り、もうすぐ舗装道路に出るというところで私が転倒してしまった。足を乗せた岩が転がってしまい、バランスを失って前のめりに転倒したのである。
右手は一眼レフを持っていたので、それをかばうようにして左手をついた。薬指に激痛が走った。見ると左薬指が通常の屈曲方向とは反対方向に120度ほど曲がっている。一瞬、薬指を折ったと思い、大声で妻を呼ぶ。
左脛骨骨折のリハビリ途上だというのにまたもや骨折かと思うと、さすがに動揺は隠せない。妻も非常に心配している。
激痛の走る薬指を元の位置に戻そうと力を入れるとカクッという感じで元に戻った。どうやらフリークライミングで経験するパキるという現象だったようだ。20年ほど前に幅5ミリほどのホールドを足ブラ状態でひきつけ右中指をパキッた。あの時は痛いながらも毎日のトレーニングは継続できたから、今回も大丈夫だろう。なにはともあれ骨折ではなかったことに一安心する。
再び下降を開始する。ゆっくり15分ほど下って行くと三日前にテントを張った八幡平樹海ラインの赤川堰堤の前にでた。
もう14時だ。
車の回収に3時間はかかる。そしてさらに森吉山まで約90km。一刻も早く車を回収しなければならない。私はザックをおろし、車のキーをポケットに入れてすぐにモンキーのエンジンをかけた。モンキーは自動クラッチではないのでパキッた左手でのクラッチ操作が必要だ。妻と朋子に見送られながら痛みをこらえて発進する。
ここから大深沢の駐車地点まで52km。往復では100kmを超える。そして往路2時間、復路1時間を要して赤川堰堤まで戻ってきた。
すぐに荷物を車に積み込み、森吉山麓の秋田県立森吉自然公園へ向かって車を走らせた。
鹿角花輪で食料の調達と入浴。ガソリンも満タンにして森吉山へと向かう。
もう真っ暗だ。雨が降り出し、だんだん強くなっていく。強い雨の中、奥深い山の中の細い道を走るのは不安なものだ。いったいいつまで走ればよいのだろうか・・・。雨は激しく降り20時半になってようやく森吉自然公園に到着した。ものすごい山奥だ。案内板に従って森吉親子ファミリーキャンプ場と名付けられた施設を目指して自然公園内をゆっくり走る。谷を挟んで遠くに灯りが見える。こんな山奥でキャンプをしている人がいるのだ。灯りを見るのは久しぶりで、なんだかほっとする。
キャンプ場は一面芝生のサイトでゆるやかな丘の上にサニタリー(炊事場・トイレ)がある。サニタリーの照明は22時で消灯だが、水洗トイレにはセンサーライトが付いており、真夜中でも快適に利用することができる。
この広大なキャンプ場にテントを張っているのは1パーティーのみ。土砂降りの中、我々も大急ぎでモンベルのムーンライト\テントを張った。そしてサニタリーで焼き肉をして食べた。花輪のスーパーで買った肉と野菜を焼いてビールを呑み、とてもハッピーな気分だ。車のAC電源を使ってテント内に蛍光灯を灯す。キャンプ用の封筒型シュラフを敷き詰めるとまるで布団のようだ。明日はどんな天気になるのだろうか?
夜が明けた。雨はますます激しく降る。豪雨状態だ。しかも風が非常に強い。入渓は問題外。雨に強いムーンライトテントだが、古いせいもあって雨漏りなどでテントが浸水し始めた。
隣でテントを張っている人たちは男性ばかり7人で、中には若い人もいるようだ。タープを張ってあるのだが風が強いのでほとんど用をなしていない。その中でも雨具を着て持参した薪を割ったり、まるで修行僧のように黙々と作業をしている。炊事場で見ていると、整理整頓が徹底され、きわめてマナーが良く、ごみ一つ出さないという感じだ。いったい彼らは何者だろうか?
昨夜、到着が深夜であった為、キャンプ場の受付をしていない。8時を過ぎてからキャンプ場の管理棟を兼ねている青少年野外活動センターへ行く。受付を済ませると担当の男性が「ひょっとしてヤマケイか岳人に載っていた賀来さんでは・・・」という。かなり山が好きな人らしい感じの良い人だった。あまりにひどい雨と風にキャンプ場での幕営を心配してくれる。いざとなったらサニタリーに避難してもかまいませんからとアドバイスしてくれた。
強い雨の中を車で公園内を一周してみる。キャンプ場自体も相当な広さがある。サニタリーも3ヶ所あり、そのうちの一つは閉鎖されていた。これだけの施設なのに利用者が少ないのであろう。環境省の鳥獣保護センターに行ってみた。さすがに国の施設だけあって非常に豪華だ。こんな山奥にこのような施設があることに驚く。
テントに戻ったが雨風ともにすさまじく、とてもこんなところで一日過ごす気になれず、ひとまず避難する意味もあって、最寄りの集落まで車で行ってみようということになった。しかしながら最寄りの集落といっても30kmある。いかに山奥かということが理解される。途中の川という川は茶色い濁流だ。
いちばん近い集落である阿仁前田に到着。阿仁前田は秋田内陸縦貫鉄道の駅がある。駅舎は複合施設になっていて、「クウィンス森吉」なる名の温泉が併設されている。
山登りの楽しみの一つに、入下山時に感じる地元の風物や人とのふれあいいうものがある。それは登山をしない一般の人たちとっては旅の楽しみそのものだと思う。だから山に登ることができなくても、それなりに楽しむことができるのだ。
駅舎の中に入ってみると、山登りに来ていることが一目でわかるような若者が二人いる。まるで石渡健君を見ているようで、思わず声をかけた。
「大学生?」
「はい」
大学サークルの夏山合宿ということらしい。これからの予定や周辺の山の情報交換を行った。それによると太平湖をボートで渡ってとある沢へ入渓したという。面白そうなことをしているなぁとうらやましくなってしまった。
さて私たちだが、雨も止まないのでドライブをすることになった。目的地は十和田湖。青森県まで足を伸ばそうというのだ。ひとまず米内沢で農協のスーパーマーケットACOOPに立ち寄る。この近辺では最大の商業施設で、中には本屋や100円ショップなどもある。朝から大変なにぎわいだ。プラムを買う。野菜売り場にはウワバミ草(ミズ)が売っていた。
十和田湖へと車を走らせていると聞き覚えのある地名が次々と出てくる。結局十和田まで100kmを2時間半ほどかけて走った。
あいにくの雨で十和田湖の湖面はガスに煙っているがせっかく来たのだからと奥入瀬渓谷まで足をのばす。私たちのように山奥の渓流美の一端を知っている人間から見る奥入瀬渓谷は、ごく平凡なありきたりの源流に過ぎない。あくまでも奥入瀬渓谷は十和田湖あってのものなのであろう。
帰路、米内沢のACOOPで食材を買い、キャンプ場に戻る。
雨はあがり、ときおり青空も見える。テントの中は水浸しで、シュラフも絞ると水が滴り落ちるような状態だ。ブルーシートをシュラフの上に敷き、何とか寝る態勢を整えることができた。隣のサイトに10人ほどの登山者グループがやってきた。芝生の上で楽しそうに宴会を始めた。
私たちも外にテーブルとイスを出して夕食にした。
晴れると思ったが、ガスが渦巻いてパラパラと雨が降っている。
今日も停滞を決めて、朝食をとっていると、やがて雨は止んで、薄日が差し込み始めた。
朝食後、昨日、阿仁前田駅で入手したパンフレットに紹介されていた環境省の鳥獣保護センターへ見学に行く。ハイビジョンシアターなどもあって、贅沢な施設であった。
テントに戻ろうとゆっくりと走っていると路上に熊がいる。自然が豊かなんだと改めて感じた。
テントに戻るといつの間にか空は晴れあがり夏の日差しが照りつけていた。シュラフだけでなく、テント内のすべてがずぶぬれである。なにはともあれシュラフを乾かそうということになり、ロープを張ってシュラフなどを干していく。シュラフの裾からは水がポタポタと滴り落ちている。すべての物を干す。
芝生には黄色い花が咲いて美しい。そこへマットを敷いて読書をしているのは朋子だ。私はサニタリーの流しで石鹸を使って洗濯をする。妻はテントの中のマットまで外に引きづり出して乾かしている。
一息ついて、妻が朋子に花環の作り方を教えている。私も小さい頃シロツメクサで花環を作って遊んだなぁと思いだした。
午後になると隣でキャンプをしていた集団が撤収を始めた。どうやらボーイスカウトだったようだ。彼らのストイックともいえる規律正しいキャンプ生活に私は感動してしまった。彼らの炊事後はすべてがピカピカに清掃されている。
ボーイスカウトの一行はセレモニーを始めた。隊長から「来年はいよいよジャンボリーがある」というようなスピーチがあって国旗が降ろされた。そういえばこの青少年活動センターの入り口に「第12回ジャンボリー開催地」とあったと妻が言う。ここ森吉山はボーイスカウトにゆかりの深い場所でもあるようだ。
易きに流れやすい世間の風潮の中で、規律ある活動を子供たちに伝えようとするボーイスカウトに私はすがすがしい気持ちになった。
彼らの撤収が終わり、車が動き始めた。私は思わず彼らの車に手を振りながら「さようなら」と呼びかけた。そうしたら窓から顔を出して大きな声で「お気をつけて」と応えてくれた。
彼らの名は「ボーイスカウト東京足立第3団」
彼らが帰った後、私たちも阿仁へ買い出しに行くことにした。阿仁前田から角館方面へ左折し奥州街道を南下する。しばらく走ると阿仁合に到着。阿仁合と書いて「あにあい」と読む。なんとなく惹かれるものがあり阿仁合の集落へと入っていく。ドイツの国旗が道の両側に飾られている。どうやら祭りのようである。そこで「阿仁鉱山700年祭」を知った。阿仁鉱山は日本三大銅山の一つで、日本一の産出量を誇ったこともあるという。別子銅山や足尾銅山は知っていたが、阿仁鉱山は知らなかった。明治のころドイツ人技師が採掘の技術的指導にあたり、その宿舎が文化財として保存されているのであった。「阿仁郷土文化伝承館」を見学し、その昔、この地で行われた事象を知って森吉山のことをより深く理解できたような気がした。見学後、阿仁前田まで戻る。阿仁前田へ戻ってみると今月末に行われる衆議院選挙の立候補者の演説が阿仁前田駅前で行われていた。駅前の「丸伊商店」へ行きたいのだが、とても観衆を横切って行けるような雰囲気ではない。演説が終わるまで待って「丸伊商店」で食料調達。そして「クウィンス森吉」で入浴し、森吉山県立自然公園へ戻った。
夏なのでまだ陽は高く、豪勢な焼き肉をして大満足の夕食だ。
明日晴れていればいよいよ桃洞沢であることを確認し就寝した。
晴れた。
今日は長丁場になる。予定としては、鳥獣保護センターから出発し、ノロ川の桃洞沢を遡行して途中から枝沢へ逃げ、稜線を越え、赤水沢の支流を経て赤水沢を下って出発地点へ戻るというものだ。総延長16km。沢での16kmはかなり歩き甲斐のある距離だ。
赤水沢の兎滝での懸垂下降用に50mロープ一本をザックに入れ、キャンプ場を車で出発する。同じ森吉山県立自然公園内にあるのだが、面積が広大なので鳥獣保護センターまで数キロある。
5時半に鳥獣保護センターに行ってみると、保護センターの軒下で10人ほどの若者が眠っている。よく見ると13日に阿仁前田駅で出会った大学生のグループだった。ぐっすり寝入っているので声をかけずに出発した。
ブナの森に入る。桃洞滝までは一般人が散策できるように遊歩道として道標が整備されており、迷うような箇所は全くない。ぬかるんだ箇所が随所にあるので、最初から沢靴を履いてきて正解だった。
蚊がまとわりつく。発狂したくなるほどの量だ。テントに虫よけスプレーを置いてきたことを後悔する。蚊から少しでも逃れようと走るようにして先を急ぐ。結局、沢に出るまで蚊は私たちを悩ませた。
やがて遊歩道は桃洞沢沿いとなり、歩きはじめてちょうど一時間で桃洞沢の下にたどりついた。
見事な滝である。
さっそく登りはじめる。いったいどこを登るのかと思われるが、右側にステップが刻んである。高さがあるので慎重に登る必要はあるが、難なく滝の上まで登ることができた。
この沢は全面がナメなので、河原というものが存在しない。だから腰を下ろせるような砂地はほとんどない。桃洞滝の少し上にちょうど休憩に具合のよい露岩があったので、ここで初めての休憩をとる。バーナーで湯を沸かし緑茶を飲む。荷が軽いので妻も朋子もとても調子が良いようだ。
気持のよいナメとナメ滝がどんどん続く。フリクションの効く岩質であり、しかも少しでも急なナメ滝には必ずと言ってよいほどステップが刻んである。マタギが刻んだのであろうか。
あまりの気持ちよさに走るようにしてどんどん進む。
桃洞沢から40分ほどで男滝。落差のある堂々とした滝であるが、ここも右側にステップが刻んである。ただし高さがあるので慎重に登る。
いったいどこまで続くのかというナメの連続。美しいナメの小滝が時折あらわれるが、少し急傾斜なものはすべてステップが刻んである。
三人で感嘆の声を上げながら、その美しさ、面白さに夢中になってしまい、どんどん登っていく。しばらく登っていくとさすがに少しづつ源流の趣が漂ってきた。
どれどれ、と二万五千図を広げてみるとビックリ仰天。途中で左へわかれる枝沢は遠の昔に通り過ぎ、すでに桃洞沢本流の最源流域まで到達しているではないか。滝にステップが刻んであるので、まだまだ続くと思って遡ってきたが、赤水沢へ下降路を求めるための枝沢を登路に選ぶと、桃洞沢のナメの大部分をかなり下流で端折ってしまうようだ。
枝沢の合流点まで下ることにする。今度は地形図を見ながら慎重に下る。30分ほど下って、目的の枝沢の合流点に到着。灌木に覆われて目立たない出合である。もちろん目印になるようなものは何もない。これが秋田の山なんだなと思う。
本流に比べると藪がうるさいが、幅は狭いもののナメが続く。時折石ころが散乱するところもないではないが、ベースはナメだ。いよいよ源流近しと思われるところに枝沢で唯一の滝がある。高さ10mほどの滝だ。右側を巻いたが、泥でぬかるんで足場が悪く、灌木にすがりながら越えた。稜線直下まで藪こぎはなく苦労することなく赤水沢のこれまた枝沢へと自然に導かれるようにして下降していく。下降を開始すると赤水沢の枝沢はすぐにナメとなる。ところどころに3mから4mのナメの小滝があるが、左右の灌木にすがりながら下っていく。
ちょっとくたびれたかなぁと思い始めたころ、赤水沢の本流に合流した。ここには休憩できる台地がある。寝転んで思いっきり手足を伸ばし休憩だ。ここからみる赤水沢もナメで覆い尽くされている。この流域はすべてがナメで構成されているようだ。
まるで舗装道路のようなナメの表面をなめるように水が流れていく。両岸の灌木の際までナメ、ナメ、ナメ。
しばらく下っていくと懸垂下降が妥当と思われる二段滝に到着。上段はクライムダウンし左岸の太い灌木を支点として懸垂15mで着地。さらに行くと再び懸垂下降。これは右岸の灌木を支点にして10mの懸垂下降。
この先もナメが続く。
そうしていよいよ兎滝に到着した。
二段に分かれている兎滝だが、上段には良い支点となる灌木がない。ボルトを探してみたが見当たらない。仕方がないので左岸を巻くようにして下降する。少々不安定なトラバースなどもあったが、灌木にぶら下がるなどして下りきった。そうして兎滝の下段である。これは左岸に良い灌木がありこれを支点として22mほどの懸垂下降。傾斜が寝ているので懸垂下降としてはとても楽なもので妻も朋子も危なげなく降りてきた。滝の下で二人が下降してくるのを待っている間、流木に釣り糸が引っ掛かっているのを見つけた。ここは禁漁区域のはずだが密猟をしている釣り人がいるようだ。
兎滝の下流域もナメ、ナメ、ナメ。
とても罰当たりなことかもしれないけれど、ここまで徹底してナメだと、さすがに飽きが来る。
いいかげん足がもつれ始めたころ、ようやく朝通過した赤水沢と桃洞沢の合流点に帰り着いた。遊歩道に這い上がり、ナメの余韻に浸りながら鳥獣保護センターへと歩いていく。遊歩道はぬかるみがひどく沢靴は泥だらけだ。おまけに蚊がまとわりつく。蚊の襲撃から逃れるようにして急ぎ足で遊歩道を歩く。
ようやく鳥獣保護センターに到着した。ずいぶんと車が止まっている。駐車場の端っこに水道があって、水が噴き出している。泥だらけになったくるぶしから下を洗う。夏空の下で私は頭から水をかぶる。あー気持ちがいい!車の中に準備してあったバスタオルで濡れた体をぬぐう。
車に乗り込み「さぁ温泉へ直行だ」
樹林の道を阿仁前田へと下っていく。「クウィンス森吉」で入浴を済ませ、キャンプ場へ戻る。
美しい夕陽に照らされながら、ゆったりと椅子に座って秋田の酒を呑む。
明日はいよいよ都会へと戻らなければならない。
快晴の朝だ。
来た時には咲いていた黄色い花が、いまはもう綿毛になって、夏の終わりを告げている。それが朝露に濡れて光っている。素晴らしいキャンプ場だった。テキパキと撤収を終え、荷を車に積み込む。サニタリの掃除を済ませ、車に乗り込む。
エンジン始動。
窓は全開にする。
シフトレバーをDレンジに入れる。
静かにアクセルを踏む。
名残惜しい想いでゆっくりと車を発進させる。
車のサウンドシステムからはサラ・ブライトマンと視覚障害のあるアンドレア・ボチェッリのデュエット「Time To Say Goodbye」が流れる。
秋田の山々。穏やかな山並みと美しい渓谷。
「Time To Say Goodbye」
この曲が秋田の思い出と重なって、そのあといつまでも思い出された。
大深沢のアプローチである東北電力監視小屋付近の山道 |
大深沢初日のひとこま |
柱状節理が見えると八瀬ノ沢出合も遠くはない |
大深沢二日目 |
ゴルジュをひたすらさかのぼる |
一か所懸垂下降があった |
天気が良いのが救いである |
気持のよい露岩の上で一休みする |
二段15m滝 |
左岸から美しいナメ滝が流入する |
障子倉沢出合 |
この滝付近からナメが顕著になる |
ナイアガラの滝の上に広がるナメ滝 |
仮戸沢、北の又沢、東の又沢からなる三俣にある幕場 |
快適な幕場で喜ぶ朋子 |
大深沢三日目、出発後まもなく出会う二俣の左側にかかる滝 |
北の又沢のナメ |
このような沢をのんびり登っていく |
行程が楽なので二人とも余裕がある |
北の又沢終盤の連瀑帯 |
森吉山桃洞沢桃洞滝の登高 |
桃洞沢の素晴らしい渓相 |
兎滝を振り返る |
舗装道路のようなナメの連続 |
いい加減に足がもつれてきました |
最終日の朝 森吉親子ファミリーキャンプ場にて |