2008/07/13--15
葛根田の函を行く敦子
今年の4月から看護師として社会人第一歩を踏み出した敦子。6月下旬のある日、敦子がニコニコしながら
「お父さん、夏休み三日もらえるから一緒にどっか山へ行けるよ」
という。
なんという幸せ。
私も職場で年間五日間付与されているフリーバカンスを二日ほど使うことにして仕事の調整をする。さて、どこへ行こう。
私の頭の中にストックしてあるあの沢、あの尾根、あの草原。あれこれ想像するだけでも楽しい。敦子も久しぶりの山だから穏やかなゆったりしたところがいいだろう。そうだ!あそこだ。3年ほど前に単独で行ったことのあるイーハトーブの渓。
清流にナメ床が連続し、最後にはヤブ漕ぎなしで花咲き乱れる高層湿原へ飛び出す。
往きは夜行バスを使えば安くて楽で効率的。帰りは新幹線で早い時間に自宅へ帰り着こうと計画した。
ところで出発前日になにげなく訊いた。
「ところであっちゃん、もう勤めているんだから少しはお金を持っていくんだよね」
「え?ぜんぜんお金持ってないよぉ。毎月10万円貯金して、お母さんに5万円渡して、残りは5万円しかないんだもーん」
22時40分に東京駅八重洲口で敦子と待ち合わせ。夜勤明けの敦子は勤め先の先輩と劇団四季の「ライオンキング」を観劇。東京駅までは私が敦子のザックを持って行き、敦子はトイレで山の服装に着替え、脱いだ衣類は盛岡から宅急便で自宅へ送ることになっている。
JRバス「らくらくドリーム盛岡号」は三列シートで大きくリクライニングできるので楽だ。夜行バスは池袋を経由して東北自動車道を一路岩手へ向かっていった。
夜勤明けで36時間起きていたという敦子はバスの中で熟睡できたという。一方で私はほとんど眠ることができなかった。眠るにも体力がいるのだ。
盛岡からJRのローカル線を乗り継いで雫石駅に降り立った。
タクシーに乗って入山地点へ向かう。
稲穂を波打たせながら水田を渡ってきた風がタクシーの窓から流れ込む。あまりの気持ちよさに敦子が歓声をあげた。
タクシーは山の中の林道の通行止めバリケードの前まで進み私たちを降ろした。この先で土砂崩れがあり通行止めなのだそうだ。
ほぼ快晴。
林道をしばらくいったところにある地熱発電所は土石流によって大きな被害が出ていた。
林道を小一時間ほど歩き入渓する。
すねまで水に浸かりながら広い河原を一時間ほど歩いていくとナメが始まる。左右からナメ滝が流れ込み、美しい淵が続く。
ところどころで腰を下ろして湯を沸かし緑茶を飲みながらお菓子を食べる。
明日は天候が崩れる。今日のうちに源流部まで入っておきたい。
大滝を越え、午後三時半に滝ノ又沢の分岐点にある河岸段丘までやってきた。
苔の生えた平坦地。最高のビバークサイトだ。
さっそく荷を降ろしタープを張る。飯を炊きながら私は酒を呑む。冷で呑む清酒「白雪」。暖かいわりには虫が少ない。これは好都合だ。日が暮れてからランタンに灯を入れ、沢の音を聞きながらちびちびと酒を呑む。
幸せな宵である。
夜半から雨が降り始めた。未明になって雨脚はさらに強くなった。明るくなって川を見ていると増水はしているが濁りはでていない。濁りの出る前に一気に最源流部まで抜けたいと思って支度をする。パッキングをしてタープをたたんでいる頃から川に濁りが出始めた。
沢仕度を終えて、出発した時には濁流状態になっていた。
強引に10mほど進んだが危険信号をビンビンと感じて撤退。黒部川などで相当な激流の渡渉経験を持つ私と敦子だが、川底の見えない濁った川では膝上の水位でも渡渉することはできない。
すごすごと、元の場所まで戻ってもう一度タープを張りなおす。これはまずいことになったなぁと思う。寝袋に入って少しうとうとしながら水位をチェックする。12時頃になって濁りが薄くなり、水位も減じ始めた。源流部の枝沢まで達する絶好のチャンスである。急いでタープを撤収し出発する。川底が見えれば渡渉はできる。10分ほど進むとお目当ての枝沢が滝となって左側から合流してきた。水量が多いので轟音がしてものすごい迫力だ。ここからは巨岩が沢を埋め、それが大きな段となって滝のようになって傾斜を強めていく。主に左側を岩の間を縫いながらどんどん高度を上げていく。
数百メートル進むと、一変して平坦な瀬となって穏やかな渓となる。もうここまでくれば安全だ。途中で休憩しながらナメ床を遡っていく。
しばらくいくと大きな滝に行く手をふさがれた。20mほどの高さがある。左手を巻くと上部には踏み跡があった。
更にナメを行く。この近辺の岩は粘土のようにやわらかいにもかかわらず土砂の堆積がない。ナメがどこまでも続いていく。
そして最後の10m滝。二歩ほど登ったところに残置ハーケンがあるが、ホールドが細かい。つべこべ考えず、ヤブをかき分け左を巻く。
滝の上まで達してロープを下ろし、敦子をビレイする。ところが上部3mがハングしたブッシュで敦子はメガネの片方のレンズを失ってしまった。這い上がってきた敦子はがっかりして泣きべそをかいている。私が買い換えることを約束して慰める。
その上もナメ。少しづつ水流が細くなっていき、辺りに日光キスゲの花がちらほらと見え始めた。
すると突然、高層湿原に飛び出した。
あたり一面ガスが漂い、霧雨に煙った高層湿原。ニッコウキスゲやシャクナゲがぼんやりと霧の中に浮かんでいる。
この湿原を目の前にして敦子がつぶやいた。
「まるで夢の中にいるみたい」
私もまったく同感だった。
湿原を横切ると八瀬森山荘が森の中に建っていた。静かにゆっくりと戸を開ける。誰もいない。小屋の中はきれいに掃除が行き届いていた。
髪の毛からぽたぽたと雫が落ちるほど濡れていた。乾いた衣類に着替えて、小屋に備え付けの布団を敷く。その上に仰向けに寝そべる。敦子と二人で最高だねと言い合う。
しばらくゴロゴロしてから夕食の仕度にかかる。飯を炊きながら、私はランタンの灯でカワハギを焼き、ちびちびと酒を呑む。敦子はピスタチオを食べる。夕食後はしばらくランタンの灯を見つめながら酒を呑んだ。
目覚めるとカッコウが鳴いていた。
小屋の戸を開けて湿原まで行ってみる。
快晴だ。
今日は下山の日だ。関東森から大深岳を経て松川温泉へと下る。
お世話になった八瀬森山荘をきれいに掃除し、7時前に山荘を出る。
湿原の中の道はぬかるんでいるので今日も渓流ジュースをはいた。湿原を突っ切り、関東森へと登っていく。穏やかな登りがブナ林の中に続き、関東森に到着した。この後も急なアップダウンはほとんどなく美しい湿原とブナの森が交互に現れる。訪れる人がさほど多くないせいか道はところどころで笹に覆われ見通しが利かない場所がある。一瞬、登山道を見失ったかと思いがちだが、笹の下の踏み跡自体はしっかりしている。
途中で現れる湿原はそれぞれ花が咲いて素晴らしい景観だ。ところどころでザックを降ろしてしばし見とれてしまう。
大深岳の山頂は低潅木が茂る山頂だった。
幾分雲が出てきたようだ。ハイマツや背の低い笹に覆われた稜線は見晴らしがよく、歩いていても楽しい。
好ましい稜線上の小道を源太ケ岳へ向かう。源太ケ岳から一気に急下降していく。ここで中高年の6人パーティーとすれ違った。入山以来、他人に会うのは初めてだ。一気に松川温泉へと下降した。
松川温泉で一風呂浴び15時半の盛岡行きのバスに乗車。このバスは岩手山のふもとを回り道をしながら盛岡へと向かっていくが、なかなか良かった。
新幹線との接続も良く、22時前に四街道へ帰り着いた。
7月13日 | ・・・・・・・・・ | 7月14日 | ||||
滝ノ上温泉 | 8:55 | 滝ノ又沢出合 | 12:21 | |||
入渓点 | 9:33 | 上流部20m大滝 | 14:43 | |||
遡行開始 | 9:51 | 大場谷地 | 16:07 | |||
大ベコ沢出合 | 11:06 | 八瀬森山荘 | 16:13 | |||
函入口 | 11:47 | |||||
大石沢出合 | 12:47 | 7月15日 | ||||
中ノ又沢出合 | 13:33 | 八瀬森山荘 | 6:39 | |||
大滝 | 14:06 | 関東森 | 7:14 | |||
滝ノ又沢出合 | 15:35 | 1283m湿原 | 8:51 | |||
大深岳 | 10:57 | |||||
源太ケ岳 | 11:32 | |||||
松川温泉 | 13:29 |
函へと進む |
函の通過 |
ところどころで腰まで浸かる |
小さな渡渉 |
増水した巨岩帯を行く |
源流部はナメの連続 |
上流部20m大滝 |
大場谷地 |
関東森へ |
1283m地点にて このような湿原が点在する |
たどってきた山並みを振り返る |
大深岳 |